間引きと人事

農業が大好きな私ですが、5月の作業の一つは間引きです。4月に撒いたキャベツ、大根などの種が数センチの可愛い苗になりましたが、その中から数本の株を抜かなければなりません。

農作業は好きですが、この作業だけはつらいです。どれももったいないと思うからです。土地がもっとあればどこかに移してあげたいと思うほどですが、そもそも限られた土地に限られたものを育てるのが農業です。また農業する人も農業する時間も、農作物を食べる人口も限られています。

間引きは「限りがある」という前提で行われるものです。限られた場所に限られた栄養。間引きしないと全体が栄養不足に嵌まり、病気にかかりやすくなり実りも悪くなります。間引きは収穫する人の都合でもあり、植物自身の都合でもあります。

森を観察していると、毎年死んでいく木があります。かなり大きくなった木も死にます。土壌や環境のせいで枯れるケースもありますが、だいたいの場合は周りの木の陰になって枯れてしまうケースが多いのです。

もったいないと思って負けそうな木を切らずにそのまま放置すると結局2、3年後にやっぱり枯れてしまいます。だったらもっと早く切ってあげれば、周りの木はもっと成長し、森がもっと茂ることになると思うのですが、私はなかなかそれができません。

先日、農業の専門家から聞きましたが、森のオーナーはあまり自分で間引き(間伐)をしないようです。可愛くて勿体なくて冷静に切る対象を見極めることができないそうです。

そこで私は「割愛」の言葉を思い出しました。間引きはまさに割愛の行為です。嫌で要らないのではなく、「自然の摂理に従って愛を切る」のです。

割愛できない人は愛情を余計にもっているのではありません。ただ割愛できないだけです。意志が弱いか、人に悪く見られたくないかです。いずれにしても大人やリーダーとして自慢できるものではなさそうです。

入社時から仲の良い同期であっても、数年、数十年後に誰が管理職になるのか、誰が役員になるのかという悩みに直面します。そこで間引きできない組織に大量な偽管理職と偽役員が溜まります。それがリーダーを育てない原因となり、企業の成長力を阻害する要因になっていきます。

人材流動性の低い大手企業では、このような問題は慢性的ですが深刻です。人間ですから、なかなか割愛できないことは批判できません。しかし、これによって企業が育たないのだから、農家のように他人に間引きを任せるのも方法の一つではないでしょうか。

P.S.
お時間のある方は下の日経NETに掲載された私のコラムもご覧ください。

北京五輪前後の中国経済と日本

チベット族の人たちやそれを支援する人たちによる聖火リレーの妨害シーンが連日報道される北京五輪ですが、もはや「無事開催」ではなく「有事開催」が既定事実となってしまったようです。>>続き
http://it.nikkei.co.jp/business/column/sou_tanto.aspx?n=MMITzv000002052008


この記事へのコメント
う〜む、考えさせられました。
ちゃんと「割愛」しないと、無駄な仕事を作る人が出て来たり弊害がとても多かったりしますよね。
意識の高い人にとっては、実際に困っている人が多いところでもあります。

逆に、「割愛」という愛が必要なことは、はっきりと認識しないといけないことなのだと思いました。
割愛する人は「愛がなく冷淡」ではなく、「愛を持って冷静」が理想なんですよね。
評価では、個人的な感情で「×」を付けて落とすようなイメージで上司にヘイコラというのが日本のサラリーマンのイメージですが、この点でもこれは問題なんですよね。「×」を付けるにも、愛情を持って「×」を付けるべきなんです。
上に立つべき人間というのが、どうあるべきだという視点が大切なのでしょうね。
その結果、「割愛された人」も幸せに会社に居れることになるのだと思います。
Posted by たくみゆとう+ at 2008年05月16日 09:20
全体を活かし、人材活用を停滞させないためにもなる決断を促すような、「間引きと割愛」のお話から、幸之助創業者の話を思い出しました。
ひとつは、非公式見解でしたが「人間は、治山治水の言葉のように、自然の摂理を助ける働きをするために、地球上に存在していると、わしは思っている。」でした。
もうひとつは、「哲学の庭」で紹介されている以下の引用一文です。後期高齢者医療問題など、感慨も深まります。     

第一章 「冷静に判断し、情を添える」
前文略〜 あ、あそこの枝。一番右のズッと伸びてる枝があるやろ、あれを少し切ってもらおうと思うけど、あそこにいる植木屋さんに言ってくれんか。そうそう、もう少し切ってくれるか、うん、それでいい。良くなったな。そう思わんか。

ひとつの枝を切るということは、かわいそうだとも言えるけどな。しかし全体のためには、そういうことも考えないといかん時もあるな。

会社でも全体としてどうしても人を切らないとあかん場合も出てくる。そういう時には気の毒やけど切らんといかんわけや。それをやらんと組織全体がどうにもならなくなってしまうことがある。泣いて馬謖を切る、という言葉があるけど、実際にそういうことが言えるな。

けどな、そういう時にもその人に対してどれほどの感謝の気持ちというか、情というか、そういうものがあるかどうかということや。そういうものがないといかん。そういう気持ちがないと、切ったことが全体のためにもならないし、その人のためにもならん。結局自分も恨みを買うだけということになる。

いま、植木屋さんに枝を一本切ってもらったけど、やっぱりその枝に、ああ、今までありがとう、という感謝の気持ちを心のなかで言わんといかん、そうわしは思っている。

経営を進めて行くときに大事なのは、事に当たってまず冷静に判断すること、それから情を添えることやな。

この順番をちゃんとわきまえておかんと失敗するんや。冷静に考えずに情で判断してやっても、うまくいかん。

けど冷静に判断して行動をして、ただそれだけだと、冷たくなっていかんね。やるべきはやる。しかしそれだけではなくそのあと、心を添えてあげる、気配りをしてあげる。そういうことが大事だということや。経営者としての大事な条件のひとつや。うん、そうや。

冷静にということは、素直になって考えるということやな。こだわらず、とらわれず、なにが正しいのか、どうすることが正しいのか、そういうことをまず考えることやな。


Posted by 田丸 孝 at 2008年05月16日 09:20
はじめてコメントさせていただきます
自分があやふやな形で思っている世の中を明確な文章で表現される宋さんのお話しが、毎回とても楽しみにです
今回の間引きのお話し、身につまされます
自分が間引かれないのは生活があるので助かります
でも、それは自分が必要とされているからなのか、それとも上司の意思が弱く本当は不要なのに割り切れないからなのか、と考えてしまいました
自分の生活のためにも、会社にとって必要な人材でありたい、と朝から考えました

就業時間中にこのようなコメント打っていてはだめですね
Posted by まねきこねこ at 2008年05月16日 09:29
いつも楽しみにメルマガを読ましていただいております。
今回のこの「間引きと人事」に関して少し違和感がありましたので、コメントを差し上げることとしました。
確かに、植物などに対して、「自然の摂理に従って愛を切る」という割愛なり間引きというのは、正しい行為だとは思います。植物はまびくことによって、場合によっては間引かれたものは他の形で食卓に上ったりすることがありありますが、間引くということは、最終的には「存在を消滅させる」ことであります。
 しかしながら、通常の社会で「割愛する」ことで、その人が社会から存在を消滅させるわけにはいきません。このような社会での行為に結びつけるのは、単なる弱肉強食の勝者側の勝手な意見ではないでしょうか?
 この「割愛する」行為で、その人の適性にあった仕事に変われるのであれば、確かにおっしゃるとおりかもしれませんが、現在の社会状況を考えると、即雇用不安につながることになると思います。
 私も管理職なので、よくわかりますが、人員削減なりを求められたときに、どのように「割愛する」かで悩みます。その対象となる人をどのように今後生かせるかを考えると判断がつらいことも多々あります。
 他人に任せるというのも、これは「愛がない行為」ではないでしょうか?ますます、非愛な行為となります。
 もし、リーダー=決定することに迷わないというのであれば、ロボットなり論理で動くものに世の中をまかせてしまえばいいことになります。決められないというのは、決して「意思が弱いこと」にはならないと私は思います。
 少し生意気なコメントになってしまいましたが、今後ともメルマガを楽しみに拝読させて頂きたいと思います。
Posted by 酒井一郎 at 2008年05月16日 09:35
いつも楽しく読ませていただいております。いつもながら啓発本を一冊要約したような濃い内容と説得力があり、仕事中に手を止めて呼んでいます。

でも今回は、メルマガにあった陳様のコラムの方がよかったかも知れませんね。(すいません。)
おかげで仕事のモチベーションも上がった気がします。
陳様にもお礼申し上げます。ありがとうございます。

PS 野菜作りは毎年続けているんですね。以前、宋様から野菜をいただく機会があり、運良くゲットしました。
いまでもそのおいしさは忘れられません。
Posted by 室賀 文治 at 2008年05月16日 09:57
いつも興味深く読んでおります。
今回は農業に関連した記事なのでちょっとだけコメントします。
間引きは良い作物を作るために大切で避けて通れないものです。これは農業の宿命だと思います。
しかし、私が知る日本の農家は間引いた後を無駄にしません。
間引いた苗は、その日の食卓に載り、美味しく頂きます。または、近隣の農家に分けて植えなおしたりします。種や苗や作物の大切さを身にしみて知っているからです。
人事も同じなら、間引いた後が大事ですね。
Posted by にわけいじ at 2008年05月16日 10:03
いつも楽しみにしています。

人間と会社にとっても割愛は必要だと思います。
会社が社会正義からみても、自然の摂理からしても存続するべきではないと判断をした場合は、会社を割愛する(退社する)ことも重要だと思います。
一旦会社が存続をしてしまうと、倒産は別として、会社を間引く制度はありません。そこで働く従業員が会社を退職する、または新たに就職しないことで会社を間引くべきです。
法律は法の下の自由平等という大義名分で、存続する会社を間引く手段を持っていません。
Posted by 藤岡一男 at 2008年05月16日 10:43
高みに立った人には間引きは当たり前ですね。
後期高齢者医療保険は少子高齢社会における高齢者間引き政策といっても過言ではありません。明治以来、日本政府の取った棄民政策(ブラジル移民、満州国移民など)は口減らし政策として行われたものですが、一部は南米で根付き成功をおさめた人たちもいるようです。これは若いうちに間引かれてかの地で根を張ることが出来たのですが、老人を集めて間引くやり方は如何に説明を上手にされても花の咲くチャンスは無くさみしさが募ります。今の若者も何れは年を取って間引かれる運命にある事を心に刻む必要があるでしょう。もうひとつ中国で富裕民が大量に生まれていますが搾取出来る貧民層がいるから出来ることで貧民層を蹴散らしてしまうと富裕民も搾取出来なくなりその立場を失う事になります。人の場合は間引き政策は間違いでは無いでしょうか?
Posted by 都田 隆 at 2008年05月16日 10:58
いつもメルマガ楽しみにしています。

「割愛」のお話に、納得です。
これはマネジメント(特に人事)に限らず、マーケティング(商品、ターゲット、エリアetc)においても言えることだと思います。
経営者であれば(本当は経営者ではなくとも)、自社の商品は全て我が子のように大切なはず。
それでも、市場が成熟期もしくは衰退期に突入している現在、「割愛」の心を持って、商品を間引くことが不可欠です。
我が子(のように大切な商品)を間引くことの苦しさは何物にも変えられないはず。
心を痛めながらも、「割愛」の心で経営判断をする勇気を持ちたいと思います。
Posted by えいし at 2008年05月17日 08:32
毎回拝読させて頂いており、そのたびに考えることができ、感謝しています。

人事的間引きというのは、読者の皆様が仰っているとおり「致し方ない」場合もあり、それがすべてであると願いたいですが、私が知る限りではそうでもありません。優秀で、本来であれば会社の将来には必要であるべき人が、その他の人々の保身のために出されることもあります。

本来であれば腐った物から廃れていくべき自然の摂理が、人間社会ではそうでもない。会社の癌とも言えるものが、正常な細胞を破壊していくことも、かなりあります。

そして、その癌細胞が増殖してさらに悪化させ、疲弊させていく。その中に割愛も、感謝の気持ちもありません。あるのは自分の保身だけです。果たしてそれを「間引き」と捕らえていい物か。

そうなると大変なのは、真に優秀な人から辞めていくということが連鎖的に発生するということです。そして崩壊は加速されていきます。

農業と人事で違うところは、間引きを唱うのなら、間引きを行う者自身が、自らを間引く覚悟が必要だというところです。それがなければ、人を切る資格すらないと思うのですが、癌細胞は自分たちこそが不要であることを認識しないことが頭の痛いところです。

Posted by さくま at 2008年05月17日 11:25
なるほど、と思いました。
約半年前に転職し、大手企業に入ったものの、親と同世代の仕事をしない連中の受け皿のような部署があり、そういう点ではガッカリしています。(転職自体は後悔していませんし、きちんと仕事をしている人たちも多数居ます。)

学生時代に留年した同い年の新入社員が同じ部署に入ってきて、いろいろ話をしていると、「安定」という言葉を何度も出すのに驚かされます。駄目でも異動だけで、解雇される恐れはない、と(酒の席ですが)何度も言っていたのが印象的です。大企業に毒される人だけでなく、それを望んで入ってくる人もいるという文化はちょっとおかしいですよね。今回のコラムのように第3者的観点から、人員整理ということも必要かと考えます。リストラ自体、賛否両論ありますが、きちんとした手段で、きちんとした目的のために実施することは、有りだと考えています。
Posted by ヒデ at 2008年05月17日 12:27
間引くとは単に抜いて捨てると言う事では有りません、畑では汁の実となり、残りは畑の肥料として土に帰っていきます。
人間の間引きも再活用の道であれば良いのですが。いらないから放り出すと言うのであればいつかはしっぺ返しを受けるのではないでしょうか。
にわ氏と同じ論調になりましたが、物言わぬ草と違い人を論ずるのは難しいものです。
Posted by 里形道彌 at 2008年05月18日 10:10
仰る様に、作物でも樹木でも適宜、間引きを(間伐)して、適当な間隔をつくってやる事が大切です。その良い例がサクラです。この木は本来、10b前後まで高くなったら成長を止めて幹を太くし、横枝を伸ばすことで、美しい姿を保ち、綺麗な花を咲かせるものです。
ところが、近くにサクラやシラカシ、コナラなどの競合樹木があると、樹勢は一変します。まず相手に負けないよう、どんどんと上へ上へと伸びます。相手も成長の早い樹木ですから負けじと伸びるので、猛烈な伸長競争になります。その結果、もしサクラが優位に立ったら、そこから競合相手に陽が射さないよう横枝を広げていきます。つまり樹木同士、弱肉強食の熾烈な生存競争を繰り広げているのです。そのような環境で育ったサクラは、ひょろ高いばかりで美しくありません。

人間世界ではどうでしょうか。やはり、早いうちに間引き(絞込みか選抜)する方が
いい人材が育つのでしょうか。
Posted by タマのツルマキ at 2008年05月18日 10:45
「間引きと人事」、素晴らしい比喩で創造に易い切り口にいつも感心させられます。私も今春から菜園を借りて野菜作りの真似事をしており、「間引き」と「割愛」の件は、自然の摂理と人情を絡ませた上手い表現です。組織人事に於いても、組織の機能の最大化と効率という命題を前にした時のにはここでいう「間引き」がひとつのソリューションであるかも知れません。「間引き」には、必ずバランスが求められます。業務負荷が偏ってもいけませんし、年齢を問わず優秀な芽を抜いてはいけません。又、企業文化・風土・環境・技術・メソッド等の土壌を一気に変えたり、肥料をやり過ぎるのも良くありません。
「間引き」はバランスです。バランスを欠いた「間引き」行為が他人任せで行われる現実を危惧します。
物事を俯瞰的にバランスよくパッケージで考える 又は、考えられる人が少なくなっています。 「我」と「欲」から離れられない人間の為せる技でしょうか?
Posted by JIN55 at 2008年05月18日 23:04
宋さん、こんにちわ
今回の内容『間引きと人事』ですが、私も‘泣いて馬謖を斬る’(三国志)を思い浮かべました。ちょっと意味合いが違うかもしれませんが、組織や企業のトップは常に苦渋の決断を迫られているのだと思います。その決断を先延ばしにしたり、情に勝てずに冷静な判断を誤ってしまった為に企業の成長力は失われていくのだと感じます。
私もどちらかといえば間引かれる立場にいるのかも知れませんが、現状維持に満足せず常に前向きに日々精進せよという励ましのメッセージに聞こえました。
でも宋さん、確かにこの内容、強者からの視点で弱者排除のように受け取られてしまうと中川昭一さんのいう『あなた随分生意気だね』といわれそうですね。
話は飛びますが、あの本を読んで宋さんだげなく中川さんも見識のある素晴しい方だと思いました。(自民党は嫌いですが)金融のことや日本をとりまく政治情勢などすごく参考になりました。ありがとうございました。
Posted by Y.Watanabe at 2008年05月19日 13:36
こんにちは。
いつも楽しく拝読しております。
前回に引き続きコメントさせていただきます。

今回のコラムは宋さんらしくないなあ・・・と感じたのは私だけでしょうか?
まあ、らしいとか、らしくないとかは、他人がどうこう言うべきものでは無いのでしょうが・・・。

端的に申しますと、植物の間引きから実社会でのリストラ(”人事的な間引き”、若しくは”異なる畑への植え替え”に相当するでしょうか)への論理展開がやや強引といいますか、飛躍して不自然な感じを抱きました。

宋さんのおっしゃりたい結論は理解できたつもりです。またそのことには総論として反対するつもりもありません。

但し、そもそも農作物(家畜等も含む)は人間が自分たちの需要を満たすために改良して作り上げた、言わば”人間にとって都合の良い野生動物・植物です。彼らには意思を持たせずに、価格や納期やコスト、味などのスペックによってレッテルを貼りクラス分けして、出荷・消費しています。間引きはそのスペックを満たすために必要な生産工程管理プロセスと言えます。

対して、人事との違いですが・・・、誤解を恐れずに一言で言えば・・・、”人間はスペックで詳細に比較・分類できない(しづらい)”という点です。DNA配列の数だけスペックシートを用意して、遺伝子レベルでの検討が実用化されれば別でしょうが・・・。他人との比較、能力値の傾向、グループ分けにおける共通項の持たせ方、適性、適正な職種配置・・・を科学的に且つ万人が納得できるかたちで、比較検討できる時代が来れば、”人事における合理的な間引き”も可能となるかもしれません。

現代ではそれが出来ない以上、リストラは企業担当者の個人的主観とともに、会社の政治的な施策・判断を伴って実施されます。そこには、宋さんのおっしゃる”畑(森)全体を大きくしたいがために”という意思も当然働いています。もちろん個人的な思惑が働くケースも(特に中小企業では・・・)多いことでしょう。

いずれにしても、この二つを結びつけて考える事がどうもしっくり落ちてきません。最近質の低下した(失礼!)”天声人語”の強引な比喩を連想してしまいました・・・。

すみません、かなり辛口コメントになりました。私は前回コメントでも書かせていただきましたが、個人的に宋さんの書かれる文章が好きです。しかし今回は、独特の爽快な落ち、明快な起承転結が感じられなかったので敢えて苦言を呈させていただきます。

締め切りや、商業的な理由に追われて書いたものよりも、制約の無い世界で書きたいことを素直に書いた方が面白いものが出来る・・・ある作家さんのコトバだったと思います。宋さんも今回は何らかの制約の中での執筆だったのでは・・・?

引き続きの公演、執筆活動を期待しております。





Posted by IT営業 at 2008年05月19日 14:08
 いつも楽しく読ませていただいています。

 中国人の宋さんには、「間引く」という言葉に日本人が持つネガティブなイメージをご存じでしょうか。
 日本の東北地方の農村の貧しい家で、不作で子どもを養えないので泣く泣く生まれてきた子供を殺したり、娘を売りに出したりする、そういう行為を間引きと言ったりします。だから暗い否定的な語感を感じるのです。東北地方のお土産のこけしも、子消しが語源ではないかという説もあります。
 日本人に向かって「間引き」が必要と話したときに、もし宋さんの想像を超える反応があったとしたら、そんな理由も少しあると思います。別の表現を使うとまた反応も異なることでしょう。
Posted by 水野誠二 at 2008年05月19日 21:52
間引きについて
第1期バブル崩壊後リストラという名の間引きが各社盛んにおこなわれました。
でも今日本を代表する優良企業はリストラをしなかったキャノン、トヨタなのです。
経営的側面からは、本当に残すべき人材と間引く人材とが区別できていたかと言う疑問でしょう。
働く人間からの側面ですが、宋さんあまり得意な分野ではないかもしれませんが、自分の技術と興味が所属する会社の経営方針と合わなくなるリスクはサラリーマン誰でも持っています。
年を取れば取るほど変なプライドは捨てて生きがいを求めてさっさと転職すると言う考え方が必要でしょう。
ただ教育費と住宅ローンをどう処理するかは個人の生活に取って重要です。
会社が健全での積極的間引きの時は割り増し退職金をふんだくって恩着せがましくやめる。
時期を見失い会社が火の車、残る残らないに関わらず転職先を探すという事になります。
                 以上
Posted by 石井 洋二 at 2008年05月21日 09:09
いつも拝読させていただいております。

今回の宋さんのコラムは賛成できません。
失礼ですが本当にあなたが考えられたのでしょうか?

大変生意気で申し訳ありませんが、「割愛」「間引き」は言葉遊びに聞こえます。

ねばり強く、公平に公正に人種を超えた人間としての宋さんのヒューマニズムが感じられません。

確かに経営者の端くれとして管理職等という果実を社員に配分できない場合もあります。
もちろん整理することも出てくるかもしれません。
しかし、経営者として己が社員の行く末を
他者にゆだねるのなら、その時点で身を引くべきと思います。
血のにじむ決断は自分ですべきであります。

まず活かすこと、間引きし植林し整備し
結局は経営者の器でしか物事が測れない
のでは、歴史に学んでいるだけ。
相乗効果や活性など経営者が想像できないところに成功や違いがあったのではないでしょうか。
 
経営者の器でしか企業が成り立たないのであれば、経営者は自分を磨かねばなりません。さらにさらに。

大変失礼いたしました。
Posted by 田所義弘 at 2008年05月28日 14:15
遅くなりましたが、コメントさせていただきます。 事あるごとに思い出して、自問自答していました。 私は100人未満の外資日本法人で働く中間管理職です。 私は過去に2回、部下を間引いたことがあります。 それは、本社から人数を指定されての通達という形と、本人の適正が職種にあっていなかったため本人に転職を促したというものです。 幸いなことに、前者の本社からの通達時にも職種に適応しないスタッフが居て、本人もその事は認識していたので、納得してくれました。 これは運がよかっただけで、本当はもっと辛辣な状況になるのだろうと思います。 本人が全く非を感じていない場合などは「なぜ、俺が間引かれるのか?」となるでしょう。 説得しても「マネージャに好かれていないからという理由で切られるのか!」などということにもなりかねない。 そこに愛があろうと無かろうと、農作物と違い、物言う人間を間引くのは本当に大変で、植物の苗を間引くことと同じにはできないのではないかと思いました。 もう一つ、農作物の間引きとは違う点があります。 それは、間引かれた人がさらに適職に就く可能性があるということです。
 私は今年、ラディッシュをプランターで育ててみました。 種を筋蒔きにして、芽が出てきたら良さそうなのを残して、間引きをしなければなりません。他の場所に植えようと思って回りの土ごと救い上げるのは残す苗にダメージを与えるので茎を持って引き抜きますが、その苗は捨てるしかない。 私は、このプランターの中に会社(部署)を見ました。 筋蒔きではなく一粒一粒十分な間隔を開けて種をまけば、間引きをしなくても済みます。 ただ、種の中には発芽しないものや、発育の悪いものもあります。 結局、会社は面積分のリソースを生かせず効率の悪い職場になってしまう。
人間の場合には、本人がいじけさえしなければ、部署の移動や転職で発芽することが出来るかもしれない。 いろいろな状況があるとは思いますが、間引かれた本人にとっても会社にとって 100%Happyになることはもちろん理想ですが、避けてはだめだと思います。
 最初に宋さんの文書を読んだとき感じた違和感は、そもそも人間は植物の苗を間引く事を前提に種を撒くけれども、会社は間引く事を前提に雇用するのだろうか? ということです。 私の中での結論は、「間引く事を前提にしている」でした。 世の多くの組織人は、出来が悪ければ間引かれることがあるということを、常に認識していないといけないのです。 もう一つの違和感があり、それは間引かれた方に言及していない点でした。 しかしそれは、よく読めば「人材流動性」という言葉があり、それは間引かれた人が適職に出会うことのできる機会のことであると理解しています。
Posted by Field at 2008年09月22日 14:43
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