アンフェアなロジック

私の友人には、変わり者だといわれる人達が多いです。昨日もある友人のホームパーティに行ってきました。変わり者の彼はなんと重役になっていました。

何をもって彼が変わり者なのか、イメージが沸かないでしょうから、細かい事例を紹介します。

今年のダボス会議に彼は出席しました。普通の日本企業の役員たちは皆、数人のグループで会場を移動しますが、彼は一人。英語は上手ではなく、質問の中身もハイレベルではないのですが、彼は必ず質問します。

海外駐在の時期が長いせいか、帰国後に子供が学校になじまない時期がありましたが、彼は子供の「不良」と「引き篭もり」を許しました。

若い頃の彼は、電車が止まった日に、よく有給を利用して休みました。同僚たちはこういう時こそ、忠誠心を示す良い機会だと思って、徒歩でも会社に行きました。怒った上司が、電話をかけてきて「来ないのはお前だけだぞ」と非難しました。

変わり者であれば、なんでもいいと思いませんが、皆と違うだけの理由で相手を非難したり、仲間から排除したりする思考パターンは、自分にとっても他人にとってもよくないと思います。

日本社会のある部分を批判する際、よく「こんなことをするのは日本だけだ」という言い方がありますが、私はいつも違和感を覚えます。たまたまの事情やタイミングによって、その時に行うことが他国と違うことが、どこの国にもよくあります。判断基準も示さず、「他にいないから」というロジックはアンフェアだと思います。

しかし、我々の議論の中には「・・・をするのは○○だけ」という言い方が多いと思います。外交の場でさえ、そんな理屈をいう政治家がいます。「そんなことをするのはあの国だけだよ」と言う、著名な政治家までいました。このような政治家に「日本の国益に合った日本独自な判断」が、なぜ期待できるでしょうか。

「・・・するのは○○だけだ」という批判方法は明らかに基準を示さない、幼い群集心理を利用した乱暴な方法です。このロジックで議論に勝てるならば、その議論は本質について行われてない証拠です。このロジックに納得するならば、人生も社会も羅針盤を失うでしょう。

世界に一人しかいない個人、一つしか存在しない国。多くの共通項を持ちながらも我々は皆、偶然の産物であり、特殊な存在であります。
この記事へのコメント
皆と同じように行動するのは、村社会の日本文化の特徴なのでしょうね。こういった群集心理を利用した誘導は、会社の会議でもよく見受けられますよね。
そういう意味でも今はやりの「KY」です。テレビのお笑いの流れの中で使われる分にはいいんですが、このノリで日常生活に入り込んで来ているのは恐ろしいことだと思います。
「あ、KYや!」って、いとも簡単にその人の異質感を出してしまう。村八分にする飛び道具になっています。「なんでそう思うの?」ってひと言聞けば、話が深まるかも知れないのに・・・。
加えてこの村社会文化の延長で、人の言うことを鵜呑みにすることも多いのでしょうね。表面的な事象だけで、「こんなことをするのは日本だけだ!」って思ってしまう。そして、背景が違うのに諸外国でやられていることをそのまま持って来てしまう。政治にリーダーシップがないので、個別の議論がバラバラに動くのが原因なんだと思います。
フランスに滞在した時に痛感したのが、「欧米ってひとまとめにするけど、日本が見ているのはアメリカだけ。」ということです。フランスは歴史的経緯から来る発想がまるで違うので、私の思っていた欧米観からは程遠い存在でした。そして、しっかりと自分たちの価値観を見据えていて、自分たちはこうあるべきだというアイデンティティーを感じさせられました。
フランスにしてもアメリカにしても、大統領選で候補者同士の議論が盛んに交されるのをみて、議論そのものの質がこういった場で深まるのだなと感じました。
乱暴な議論がまかり通るのも、議論の質が低いからなのだと思います。
Posted by たくみゆとう+ at 2008年02月15日 09:36
他の人たちと違うことだけで、批難されたり虐げられたり、存在自体を否定されたりした経験をすることは、それだけでトラウマになってしまうことがあります。私の子供は障害を持っています。幸いなことに周囲の人々に受け入れられていまが、世の中には批難されることが苦痛で、自ら命を絶つ者さえいます。
寛容という言葉が私は好きです。
Posted by ぴい at 2008年02月15日 09:38
今回の宋さんの「○○だけだ」というロジックはおかしい、というお話で私が子供のころのことを思い出しました。
私もおかしな子供で「みんながやっているから」というのは理由にならないと小学生のころから思っていました。「なぜ?」と考えるとそこが壁なんですよね。ところが、そういうと大人からは「理屈をこねるな」と怒られ、友達からは「常識がない」といわれていました。^ ^;
当時は日本が戦後、製造業を復活させ工場でモノをひたすら作っていたころでした。そのころは、工場の歯車として働き、考えないことは時代のニーズにマッチしていたのでしょう。

しかし、人と同じことをしていたら、あっという間に買い叩かれる現在、「○○だけだ」に代表される均質であればいい、というノンキな理論は有効ではありません。徹底的に考え抜くことは大事なことだと思っています。

ただ、日本でよくいわれる「こんなことは日本だけだ」という発言の一部は上のような、思慮のない均ーであればよしとする、理論を否定する場合にも使われますよね。
漫然と人と同じことをしていないで、もっと考えろ、そんな風にノンキなのは日本だけだぞ、と。
Posted by たかお at 2008年02月15日 09:42
「金融業は虚業だ。もの作りこそ尊い」というのは、「実態経済の本質はモノづくりにある」という事実を乱暴に拡大解釈したものなんだと思います。
こういう解釈の背景には、「モノづくり」で国を興しながら「技術」を軽視して「経済性」ばかりを議論する風潮や、自己目的化して高収益をかすめ取る金融業への不信感があります。
ただ、宋さんの言うように日本の製造業はとても甘えています。金利の話にしてもそんな程度の利益しかあがらないのが「当り前」と言わんばかりです。労働者にはサービス残業を「当り前」だと言わんばかりにさせて、コンプライアンスとか言いながら人道に反するような話もあります。最近のマクドナルドがいい例ですが、これはどこの会社でも「当り前」にやっていました。管理職とは名ばかりで、肩書きを与えて残業を減らすいい口実にしています。
今後、企業は世界経済が高度化するにつれて非常に厳しい競争を勝ち抜かないといけません。こんな甘えた状態では、到底太刀打ちできないかも知れませんね。
コンプライアンスで遵守すべき法は法律だけではありません。法というのは、もっと広い範囲の社会規範を指すものです。これは、企業として人間として「当たり前」のことだと思います。
Posted by たくみゆとう+ at 2008年02月15日 10:02
宋 文洲様

いつもメールマガジンを楽しみに拝見させていただいております.川谷光隆と申します.

さて,本日のメールマガジンについて,私なりの意見を述べさせていただきたく,投稿させていただきました.

変わり者の話は非常に興味深く,考えされられるものでした.
しかし,本日私が意見を述べさせていただきたいのは,「製造信奉者が金融に頼る矛盾」についてです(読まれてない方は大変申し訳ありません).

私は大学院で機械系を専攻し,来年度からはプラントの設計を志願している典型的な技術者志望学生です.

たしかに製造信奉者における金融への軽視等は許されるものではなく,私もそのような気持ちを持ってないと考えてます.
というのも,元々どちらかがすぐれているなどという優劣の次元の話ではないからです.
私はインターンシップという貴重な体験を通して,学生時分で企業体験をさせていただきました.
その際に,多くの仕事が連動していることを認識しました.
たとえば技術者がモノを作るだけでは,世界に広がりません.お金だけでは,人々の食欲,物欲などの欲求は満たせません.
すべてはバランスなんだなぁと,その時に思いました.
どちらかが欠けると,もう一方も機能不全に陥ります.人間の体のように,すべてが調和を保っていないと,病気になります.
お腹が痛いからと言って,脳がお腹を批判することはないと思います.どうしたら痛みを取り除けるかを脳は考えてくれるでしょう.
そんなごく自然のシステムが,現在の社会システムでは働いてないように思えます.
すべては相互作用であり,バランスだとも思います.

宋 文洲様のコメントの中で「製造業の構図は単純だ。安く仕入れて高く売る。利益を出すために左から右へと。」とあります.これは,製造業者に対する偏見と私は感じました.
恐れながら言わせていただくと,製造業に携わる人間の多くは,簡単な気持ちでモノを作っているわけではないと思います.構図はそうかもしれませんが,モノを作る上での試行錯誤,誇り等を一切考慮にいれてないように思えました.
もっとも,宋 文洲様の本意でないと考えております.説明を簡便で分かりやすくという趣旨のものであるとも考えてます.
けれど,バランスが重要というのであれば,この一文はバランス感覚を欠いたものに私は思います.
自身の仕事に対する誇りを盾に,他人の仕事を非難する人は,エゴイストでしかありません.
真に自身の仕事にたいする誇りを持つ人は,他人の仕事にも誇りを持てるのではないでしょうか.

今回,宋 文洲様が提示した問題点を基に,現在仕事に従事している人,これから従事する人が考え直すべきことは多いように思います.
これからも,このような闊達な議論の場が設けられることを望みます.
長々と,またおこがましく申し訳ありませんでした.

今後も楽しみに拝見させていただきますので,よろしくお願いいたします.
Posted by 川谷 光隆 at 2008年02月15日 10:26
そうですね。そのようなことは多くあります。しかし、現実的批判でしょうね。
アンフェアーであるとかでなく、人々は、組織へもぐり組むこと、及び、組織からのおこぼれを手に入れることに成功した人。
それができない、性質の人や能力がないものでは、アンフェアーで処理できない。
厳しい現実があるでしょうね。
いつも、考えることは、報道、記事になることは、組織を弁護するないようですね。
それを超える記事、報道はない。それを報道すると、報道機関の利益が得られないからでしょうね。
Posted by 蕩太 藤本 at 2008年02月15日 10:41
「和をもって尊しとする」ことと「他を認めない」ことが混同されているから、こういう状態がおこるのでしょうね。フランスに滞在していた先では、小学生でも自分の意見を主張するのと同時に、相手には相手の意見があることを認識していました。彼らはよく「その人にはその人なりの理由がある」と言っていました。
「人と同じであることを望むこと」は、自分の考えを捨てることでもある危険性をはらむことを認識しなければならないと思います。
遠まわしな言い方であっても、つたない言い方であっても、自分の意見を自分の言葉で述べる、これができないからこのような現状を招いているんだと思います。
私は30歳になるまで、「どうして、自分は他人と一緒になれないのか」を悩んできましたが、30歳を超えるころから「あきらめ」ました。自分の本質にかかわるようなことまで同調して、和をもって尊し、とはどうしても思えないからです。
いろんな人がいて、いろんな考えがあるから世の中おもしろいんだと思います。
例え、それが嫌いな上司でも(笑)。

Posted by 瀧本裕子 at 2008年02月15日 11:01
個人の価値観を明確に持つ事は確かに日本では難しいことかも知れません。集団で行動する事で個人では得られないメリットを享受出来るからです。オーム真理教はカルト教団でしたがもう少し加入者が多くて選挙で教祖が当選していたら警察も踏み込むことは出来ず、今日も創価学会のように栄えていたかもしれません。
田中角栄は数こそ力であると看破しています。数を集め、同じ主張をする時、一定の圧力を有し他を圧倒する事が出来ます。アメリカも数を集めることで大統領になりますが、個々の意見を持つ人が大勢を占めてその都度、是々非々で候補者を選び出せるシステムがある事をうらやましく思います。もちろん、宗教団体や銃規制に反対する強力な団体が存在しますが日本や中国の共産党よりはるかにましです。それらの団体に反対の意見を持つ事はその社会で生きていけない事になるからです。戦前は非国民とののしられた経緯があります。最近、内部告発が増えて企業内統御が弛んで来ていますが良いことですね。
Posted by 都田 隆 at 2008年02月15日 11:39
常識というのはどう作られ、どう変わっていくのかという問題だろう。然し、宋さんの指摘どうり本質に合致しているのかと考えることは根本的に大事なことだ。常識を疑えということは、最近よく耳にする言葉である。
製造専業者の遣り取りについては金融を云々はその人が経済について無知だということだろう。
何故なら、彼が原材料を現金購入しているとか、造った製品を現金でないと売らないと言って事業をやっているとは考えられないからである。知らない内に一種の金融システムを無意識に使っているのだ。そのようなシステムから派生したお金の流通を商売とする金融を理解していないと言うことだろう。マスヤジ`08.2
Posted by マスヤジ at 2008年02月15日 12:00
毎回興味を持って拝見させて頂いています。
宋さんの記事ではなく残業関連につきまして一言。
小生が中堅企業に勤めていた頃はまさに記事のような残業をしていました。しかし30代で退職し個人企業的な勤務をしだしてからは少し考えが変わりました。
仕事と遊び(=休みを取って)を両立して豊かな人生を・・・。
仕事をきちんと終わって気分を切換えて、長い休日をとって遊ぶ。休暇を取り易くするという環境は必要であると思いますが、この考え方は欧米のものですか?たまに会社を休まないと仕事人間のように言われるのはなぜ?
小生(他にも居られると思いますが...)にとっては大きなお世話なのです。
休みを取らないと気分転換できなくて精神病になってしまう人もいるかもしれませんが、小生の場合、趣味はと聞かれると、
山(スキー、登山)、音楽、仕事と答えます。・・・仕事が趣味で何が悪いといったところです。確かにサービス残業などの悪習慣はなくすべきですが、長時間仕事にのめり込んでいる人間が豊かでないなどと言われるのは心外です。人には一日24時間しかなくそのほとんどを仕事に没頭していますが別に苦にもなりません。
もうそろそろ欧米型の人生が豊かですばらしいなどというのは止めにして欲しいものです。
小生から見れば、人生の大半の時間を消費する仕事に楽しみを見出せない人達のほうが可愛そうに思えてしまいます。

Posted by 中山敏彦 at 2008年02月15日 12:53
いつも楽しみに読ませて頂いています。

おっしゃるように、「〜するのは(しないのは)○○だけだ。」というのは、根拠を示さないまま、自分の言い分を正当化しようとする表現になっていると思います。

底流にあるのは「赤信号みんなで渡ればこわくない。」というのと同じ感覚なのかもしれません。

さらに裏返しに、「他にもやっている人がいる」ということが正当化の理由となるのでしょう。

自分と同じ考えの人がいる、ということは心強いことです。

確かに「○○先生も同じことを言っている(している)。」というように、専門家やその道の権威者と同じであることを言うときは、少なくともその専門家なりを介して、何らかの科学的・論理的な裏づけがあるのであろうことを推量できます。それでも、伝聞である以上、説得力に欠けると言わざるを得ません。
ところが、誰ともわからない「みんな」を持ち出されると、それは検証不可能な理由付けであって、説得力どころか、乱暴な言いがかりです。

誰かと同じということは自分の心にしまっておいて、なぜそうすべき(しないべき)かを自分の言葉で語ろうとすれば、「〜するのは(しないのは)○○だけだ。」という表現は出てこないはずです。
Posted by 櫻井 俊和 at 2008年02月15日 15:54
いつも楽しく拝見させていただいております。

日本人の多くは、「××なのは○○だけだ!」というのをロジックだとすら
思っていないのではないでしょうか?実際ロジカルには、○○だけだ、といっても
絶対例外があるケースがほとんどだと思います。「「○○だけだ!」が通用するのは
日本だけだ!」とかいっても日本人全員に通用しないのは明白です。
「○○だけだ!」を言い換えると「世間の大半は、お前の意見や行動と違うぞ」という
ことで、日本人は、そういわれると弱い(人が多い)ということでしょう。
これは、「和をもって尊しとなす」という美徳にも繋がる性格であって、物事には
良い面と悪い面がある、ということなのだと思います。

たしかに、日本の政局のお粗末な議論に比べて、米国の大統領選などは、質の高い議論を
していると、私も思います。でも、その結果選ばれた米国の大統領、あるいは米国が
実際に世界でやっていることはどうでしょう?軍産複合体の利益のために、恐怖を演出し、
戦争をはじめたり、サブプライムローンのような問題も、質の高い議論のできる国から
生まれています。頭の良い人間が正しいことをするとは限らないのではないですか?

「金融軽視&ものづくり偏重主義」についても、確かに日本人にはそういう傾向があると
思います。でも、そのおかげで、サブプライムローン問題で実際に被害をうけたのは、日本の
保有資産のほんの一部で済みました。これも、物事には良い面と悪い面がある、ということ
なのだと思います。

私は、日本の金融軽視(というか蔑視)の傾向は、ものづくり偏重から来ているのではなく
「嫉妬」ということに対する罪悪感の欠如ではないかと思っています。キリスト教の7つの
大罪の一つである「嫉妬」。他の大罪については日本でも大筋罪悪とみなされていますが、
この「嫉妬」に対しては、全くモラルの歯止めがないように思います。
金持ちや成功した人間は、いくら「嫉妬」してもよい。有名人や大企業が失敗したら
死ぬまで叩いてかまわない。
こういう性質が金融で稼いだ人に対する軽蔑に繋がっているのではないかと思います。

機会がありましたら、この辺に対するご意見をコラムで開陳いただければと思います。
Posted by 都市部無党派層 at 2008年02月15日 17:47
宋さん こんにちわ。 久々にコメントします。今回のコラム『アンフェアなロジック』ですが、同感です。ちょっとニュアンスが違うかもしれませんが、私は休日のある日子ども(8歳)に、こう怒ってしまいました。‘寝ながらお菓子を食べているなんでお前だけだ!’これでは子どもはなぜ怒られたのか理解しません。ダメな叱り方でした。
また先日、久しぶりに自宅近くのファミレスに二人の子どもを連れて食事に出かけました。8歳の子どもは真っ先にこれが食べたいとハンバーグとチキンのグリルを指差しました。6歳の下の子どもは自分もそれがいいと言って全く同じものを注文しました。3人分オーダーするお金はないので私は水を頼みました。料理がきて、子ども達は食べ始めましたが、上の子どもはおいしそうに沢山食べるのに下の子どもは少しだけ食べてお腹が一杯と言いだしました。そう、下の子どもは本当はお肉はあまり好きではなかったのです。本当に食べたいものではなく兄と同じものを頼むという力がなぜか働いたのです。
世界に一人しかいないすばらしい存在なのだから隣と同じでなくてもいいんだよと教えてあげるべきでした。
おかげて私は水以外のおいしい食べ物にありつけました。
宋さんのコラムで今日も自分を素直に省みることができて良かったです。感謝!
Posted by Y.watanabe at 2008年02月15日 20:32
製造業に勤務しているものです。
いつも楽しく拝見させていただいております。

製造信奉者が金融に頼る矛盾、についてものすごく違和感を感じているところです。
本当に「金融は虚業だ!」などと思っている人が一体どれくらいいるのでしょうか?そんなに馬鹿にしている人など少なくとも私の身近にはいません。「製造信奉」者はある意味己の仕事に誇りを持っている現われであり、逆にこのような気概を持ちつづける事が技術立国たる日本には必要であると思います。
「金融は虚業だ」というのは、ライブドア等の事件で放映された極端な「お金が儲かればそれでいいでしょ」的な発送を持つ人がニュース等で映されていましたが、そのような人たちに向かっての言葉ではないかと思います。
『製造業の構図は単純だ。安く仕入れて高く売る。利益を出すために左から右へと。』
これは聞捨てなりません。そんなに単純なものではありません。こんな考え方で利益が出るほど甘くはありません。製造業は過去に日本を技術立国へと導きましたが、製造業だけで出来たと思っている人は少ないと思います。商社・銀行等の役目は重要だったはずです。製造業、金融業等それぞれがそれぞれの役割を全うしてこそ、未来の日本は明るいと思います。
Posted by いかこ at 2008年02月15日 23:21
職場における普通の人、協調性が無い人、変人、ダメな人、の見分け方(一般例)。
1.定時の鐘が鳴ると、周囲の状況をみて同じプロジェクトで残業している人が多ければ付き合うのが普通の人。
2.定時の鐘が鳴ると、周囲が仕事していようが自分の仕事が終わっていればさっさと帰る人は協調性が無い人。
3.その日の仕事が前倒しで終わっていて、その月の超過時間があれば、定時前でもさっさと帰って超過を減らす人は変人。
4.同じプロジェクトの他のチームより、効率よく仕事が終わる様に積極的に提案し、責任者を説得してネゴを取り、仕組みを考え準備に時間をかけ、慎重にタイミングを測って他チームの2.2倍の生産性で一気に作業を終え、手戻りも殆ど無く、次に向けての改善活動と、派遣社員のスキルアップと自分自身の勉強をこっそりやりつつ、些細な残問題を片手間に処理し、他が深夜残業や休出をする中、メンバー全員が時期をずらしながら長期休暇を取得し、ほぼ毎日定時に帰り、しょっちゅう飲みに行ってるチームのリーダーは人間的にダメな人。

上記は、作業がなかなか終わらない周囲の人たちの声を集めたものです。
また、作業要員 = コスト と見ている上司の心の(或いは生の)声です。
もしかしたら信じられないかもしれませんが、そういう声の持ち主が私の職場では今でも主流です。
というか2年半前から常に職場を席巻しています。
Posted by 協調性皆無5963号 at 2008年02月16日 03:48
ダボスならずとも会議では議論するのが当たり前で、議論すれば友人も出来ます。問題意識あれば当然、他の日本人(他団体)でもプレゼンスを示すのが当たりまえです。多分宋さんの仰る”質問の内容はさほどでない”という点に、日本人の眼を気にしすぎているのでしょう。”ここに我あり、わが社あり”が常識として私は行動しております。大体”他人と同じ”は死ぬほど退屈です。
Posted by 赤阪雄一郎 at 2008年02月16日 17:00
宋さん、いつも興味を持ってメルマガを拝見させて頂いております。
「アンフェアなロジック」のご指摘について私なりに思いを馳せますと、「フェア」「アンフェア」という評価は帰納法的な論法で「ロジック」を定義付けることが出来ないものであると認識しております。
個々のスペシフィックな事象の判断に於いて最大公約数的な判断と自らの判断にギャップが存在するとき、宋さんコメントの「・・するのは○○だけだ」と否定されることが多くのケースで起こります。
これが組織の中で認識された場合、異端児であり、天の邪鬼として組織から爪弾きに遭います。
然しながら、時としてこの天の邪鬼がその他大勢の思惑を超える発想を示し得た時、この異端分子が組織をリードするイニシアティブを発揮出来ることがあります。
私がコメントしたいのは、ロジカルには「フェア」「アンフェア」と評価することは非常に困難な命題で、人の世に於けるこれらの評価には、人の「打算」「欲」「我」等が自らが意識するかしないかは別として、大きく影響を与えるものであり、「ロジック」もそれらのひとつの要素でしかあり得ないという事です。それが人です。
次回、メルマガを楽しみにしております。
Posted by JIN55 at 2008年02月16日 19:06
初めまして。
今日本を動かしてる人達がそういう
独自の思考・感覚を持つことを否定もしくはされて生きてきたのだから仕方がないともいえると思いますが・・・。

なんか疲れる社会にですね。。。

仕事に楽しみを見いだしたことがない人の戯れ言でした。。。
Posted by ヒヨコ at 2008年02月16日 22:00
宋さんのメールマガジン、いつも楽しく拝見させていただいてます。初めて日経のコラムを読ませて頂いた時は、きれいで読みやすい文章と、思索的な内容に感動したのを覚えています。
人と違うことをするのには勇気が要ります。そして何より人と違うことをするには確固たる自分を確立していなければいけないと思います。
何が正しいのか、いつも意識して考えていなければ、他人と同じ行動をすることに疑問も持たないでしょう。
そして、他人と違うことをする勇気は、正しさに対する自信がなければ生まれません。そして常に何が正しいのか考え続けていなければその自信も生まれません。
日本人は確かに他人と同じことをしていれば・・・という感覚が強いように思えますが、群集心理は他国にもあります。
誰だって、周りに同じことをしている人がいれば安心するものです。
・・・するのは・・・だけという論法が日本で通用するのは、日本の教育で論理的な思考法と表現法が抜けているせいという気がします。
何が善なのか、何が正しいのかを常に問いかけ、それを自分の言葉で論理的に表現する能力を持つことが大切なように思えます。
Posted by さいとう ゆきこ at 2008年02月16日 22:31
いくつかの問題が、混合しているために反応もバラバラになっている感じがします。

少しだけ問題を分類整理しましたが5)は過激かつ蛇足なので引用する場合は分割してもかまいません。

1)日本における医師の過不足
世界平均、全国平均、地域格差などデータで分かるものもあるかと思います。
担当科におけるバランスの悪さが現場にとっては過負荷な体感へ現れているのかも?

2)医師を責めるマスコミ、患者 患者を馬鹿にする医師
専門職であるが故に上から見るスタンス、数をこなすために説明する時間を惜しむ形態
説明しても理解されない虚無感などが原因かもしれません。
しかし、その態度は第三者から見てどうか?理想的なプロフェッショナル像と比較しておかしくないか?
といったバランス感覚(感度)が落ちているのかもしれません。
#専門職としてその分野の勉強ばかりをしていると置き去りにされてしまうところなのかもしれません。(構造的問題?)
マスコミの感情のみの論調などは特に語る気にもなれません。ただ、情報提供の手段の一つに成り下がっています。


3)直すことに集中しすぎている
発生してしまった病気、怪我の治療への治療費増大へ論議が詰まってしまい。
病気へならない社会構造への模索”予防治療”の予算が回らない。

治療として食生活の改善が項目にあがるような病気は
あらかじめ食生活の改善で予防できる気がするのですが。
#糖尿病、肥満、またそれらに付随する症例などでしょうか?

メタボと言った新しい言葉を使って企業をいじめるだけでなく、地道に教育に組み込むなど社会全体的なリテラシーの向上へ取り組みが必要だと思う。
また、予防医学への取り組みを現在の治療と同等なくらい大学/学会/業界でも取り組む施策が必要ではないか?

4)救急医療が社会体制として不完全である。
救急に対応できる医師の確保が、時間外、休日は当番として確立している様に思えます。
しかし、平日昼間はどこの病院でも開いているために、逆に救急対応できる体制が未整備となり
ためにたらい回しされると言った事態が発生しているのではないのでしょうか?

昔は夜間診療、休日診療が無かった時代もあった。いまはこれだけの体制を敷いたので大丈夫
という慢心、より前へという意欲の欠如(予算の欠如?)が思考停止として発生しているのではないでしょうか?


5)医療費の費用配分の問題
個人的には敬老意識がかけていると自覚していますのでその辺の批判は甘んじて受けます。
それを前提として
医療費の配分が高騰する原因として高齢者医療の費用負担増加が一因にあると考えられると思います。
それは、高齢化が進み、出生率が下がっている日本の構造的問題でもあります。

しかし、高齢者が病気を治して社会への貢献できる立場に復帰するということが果たしてあるのでしょうか?
認知症にならない、寝たきりにならないなど同居家族の負担にならない程度の健康が維持できている必要性があるとは思いますが
少しでも良くなるように大量の薬を飲んだり、通院の費用負担をすることが
社会にとってコストとして割り切れなくなっているのが現状と思います。

そういった、今後社会に対して貢献することが無いところへ医療費の大半が投入され、
新しく社会へ参加する乳幼児や、妊婦さんへの医療が後回しになっている。
人を社会資本として考えた場合、非常に効率が悪い医療費の使い方をしていると受け取れます。

会社で言えば、体調が悪くて月に1週間も出てこない高齢社員へヒラの10数倍の給与を払いつつ、
新入社員、働き盛りな中堅社員への給料をおさえる。増員のための予算増額もしない。
今の幹部の逃げ切り施策へ、協力しているように見えます。


日本も建前として儒教精神が根幹にあり、お年を召した人を悪し様に言うことを社会として否定的に受け取られます。
#個々人として根付いていないことは私を顧みずとも、
「親が祖父母に敬意を持って接していない態度を見ている子供」が大量にいる時点で
社会の舵を方向転換するのは無理だと思っています。



Posted by 叶田満 at 2008年02月17日 16:41
本題よりも、付録?の「製造信奉者が金融に頼る矛盾」のほうにより宋さんの熱気を感じたので、それについてコメントさせて頂きます。

「そんなに金融を蔑視するなら、金利を国際水準にしても利益を出す気概を見せてほしい」
日本は敗戦以来、いやそれ以前から金融環境がどうあれ努力して安くて品質の良い物を作り続けて来ました。それこそが資源の無い日本を世界有数の経済大国にした原動力です。金融業が優れていたからではありません。

「その目的はただ一つ。コストを安くすることである。高いお金を払ってCMを打つことも、もの作りしていない販売員を増やすことも、その目的はより高くより多く売ることである」
なにかいけないのでしょうか?安い商品は消費者が求めているのです。製造業者も社員に給料を払うためには利益をあげなければなりません。実際には利益が無いどころか売れば売るほど赤字の商品もたくさんあることをご存知ですか?しかし消費者が買える値段にするためにメーカーは利益を削って売っているのです。金融業では利益度外視で金を動かすなど考えられないでしょうが。

「製造業の構図は単純だ。安く仕入れて高く売る。利益を出すために左から右へと」というなら「金融業の構図は簡単だ。安く金を集めて高く貸す。利益を出すために左から右へと」とも言えますね。

しかし製造業に携わる者に、モノを「右から左へ動かす」だけで利益が得られるなどと思っている人間はいません。実際にそんなことは有り得ません。それを製造業とは言いません。製造業とは仕入れた材料を加工し新たな価値を与える仕事で、それによってこそ利益を得ることができると考えます。人から預かった金を第三者に「また貸し」するだけで利益を得ている金融業の人にはピンとこないかも知れませんが。

「世の中に必要以上に物を増やし、資源を枯渇させ環境に負荷をかけるのもまた製造業ではないか」
物を求めているのは金融業者を含む消費者です。文明生活を送る以上多かれ少なかれ資源を使い環境に負荷をかけざるを得ません。金融業は金しか扱っていないから環境に負荷をかけない良い職業だということでしょうか?金融業者も、自分の手は汚していなくても間接的に環境に負荷をかけていると思うのですが。

「人間の物欲を刺激し、そのための金銭欲を膨らますのもまた製造業ではないか」と仰いますが、金融業の人は欲がなく慈善事業でやっておられるのでしょうか?金融業の人は人間から物欲金銭欲がなくなることを願っておられるのでしょうか?人間から物欲が無くなったら経済は停滞し、それこそ金融業の出番もなくなると思いますが。

「ものを作らなければ一流のビジネスではないなどとは江戸時代の士農工商の思想と同じ」ということも以前書かれていたと思いますが、物作りがあるからこそ金が流れ、金融業者も生きていけるわけです。金は最終的に物と交換できてこそ価値があるわけで、物に代えられない金はただの紙くずです。「士」はともかく「農工商」は、人間にとってのかけがえの無さという意味で現代でも変わらない序列だと思います。

「現在の日本のGDPの8割は非製造業部門である」とも書かれていましたが10割が非製造業部門の社会など成り立ちません。数か多いから偉いということもないでしょう。

宋さんが製造業を蔑視していたとしても問題にはしませんが、金融業者達が上等なスーツを着て高級クラブで高い酒を楽しんでいる間にも、汗と油にまみれながら少しでもリーズナブルで世の中の役に立つ製品を作ろうと努力している製造業者がいることをたまには思い出してください。
Posted by カワセ at 2008年02月18日 15:11
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