「偽」― 人が為す

カーター元大統領のお母さんのもとをある女性記者が訪ねました。「息子さんが選挙中に『私は嘘をついたことがない』というのですが、それが嘘でしょう」と問い詰めました。カーターのお母さんは「息子は良い嘘をつくが、悪い嘘はつかないよ」と答えました。

「嘘に良い嘘があるのですか」。納得できない女性記者が食い下がりました。すると老婦人が迷わずに答えました。「あら、先ほどあなたが入った時、私が『あなた可愛いね』と言わなかった?」。・・・

「偽装」、「偽善」、「偽り」。「偽」には良い意味がありません。この字が今年を表す字に選ばれたのは悲しいことです。しかし、せっかく選ばれたのですから、この字の奥深さを追いかけてみたいと思います。

豚の血と配鶏の肉を混ぜて牛肉と偽ること、家の建材の性能を偽ることは明らかに他人を害する行為であり、厳しく非難されるべきことです。

賞味期限10日間の餅が11日目でも味は変わらないだろうと思って、そのまま店頭に並べることも偽りです。ならば、南国の島で成長した牛を別の場所に連れて行き、3ヶ月後にその産地の牛として出荷します。これは偽りかどうか。Made in Japanと書いた電気製品に数割の中国製部品が入っています。これも偽りかどうか。

本当ではないからといってすべて同じ程度の「偽り」として断罪するのはフェアかどうか。これが私の問いかけです。命を脅かす危険な偽りもあれば、無害の偽りもあります。時には有益の「偽り」さえ存在するのです。

冒頭の女性記者と老婦人とのやり取りがよい事例です。また、我々人間は善として本当のことを言わない時があります。電車に乗った3歳の子供が体に障害を持った方を指さしてその身体特徴を言おうとするとき、親はそれを言わないように指導します。それは教育であり、思いやりでもあります。われわれが美徳としている謙遜とお世辞の実態は「有益の偽り」そのものです。

「偽」かどうか、また有益な「偽」かどうかはあくまでも個人個人の判断次第です。長崎から見ると韓国産のマツタケはよほど北海道のマツタケより地元のマツタケに近いはずです。しかし、日本産というだけで何倍も高くても買ってしまう消費者の判断力の無さは、自分の舌への偽り行為です。しかも自分の為になっていないのです。

「偽」は「人が為す」ことを意味し、その反対側にある「信」は「人が言う」ことを意味します。「偽」が今年の漢字に選ばれたことは悲しいですが、せめて偽りの本質を見抜き、ブランドや他人の言葉を軽信しないための判断力を養ってほしいものです。


この記事へのコメント
毎回新鮮な切り口で、本質を捉える試み・・・大変私の気づきに応援いただき、ありがとうございます。本当に漢字は良く眺めて考えてみると、本質が見えてきますね。
私も北大OB として、宋さんの他責にしない生き方に共感している1人、今後とも宜しくお願いいたします。
Posted by 和田 昇 at 2007年12月21日 08:44
初めてメールを出させてもらいます。今回のメルマガを見まして、まことにそうだと思っています。
最近の日本ではそれがだんだん忘れてきて、遠まわしで言っても分からない人が増えてきており、だんだんアメリカナイズされはっきり言わないと分からない人が増えてきたように思うのは私だけでしょうか?そうするとギクシャクしてうまく行くものも行かないことが出てきます。これは人ではなくものですが海外によく出ていたときに、そこの国で有る人が偽ブランドを買わないかと入ってきました、もちろん断りましたがそこで、もしあなたが自信のデザインで作ったかばんだから勝手と言うならば、そのデザインが気に入れば買うが、偽者を持っていること自体が人をだます行為と思っていますと行った覚えが有ります。これからも読ませてください、ありがとうございました。乱文誤字脱字が有りましたらすみません。
Posted by 藤井純裕 at 2007年12月21日 09:04
毎回メールマガジン拝読しております。
今年を表す漢字が「偽」であった事は宋さん同様に悲しい事だと思います。ただ、最近思うのは「誤った表示」、「偽りのある表示」に半ば以上過敏になり過ぎるが故にこれも「偽装」かと思う事まで「消費者を惑わす」、「消費者に誤解を与える」表記としてメディアに取上げられているようにも思えます。例えば、「イタリア展」と称したデパートの催事で中国産の製品が並んでいた、であるとか。個人的にはこれも「偽装か?」という感が強く、NHKなどが何を偽装とするのか分りませんが、ならばイタリアンブランドだが中国で生産と表記された家具類であれば良かったのでしょうね。また、こうした偽装などが露見する過程は所管官庁への「内部告発」、「密告」によって分るのでしょうが、個人的には人命や健康に影響のあるものを除けば、過度に告発や密告を恐れるような「空気」が醸成される、その片棒を興味本位で担ぐメディアに嫌気がさしつつある今日この頃です。
全体的にやや的はずれなコメントでしょうか、ご容赦下さい。
Posted by 恒川則良 at 2007年12月21日 09:17
いつも読んでいます。
メールは考えるきっかけになります。

常日頃、自分の足で考えることが不足していることを痛感します。
判断基準がないから他人の基準「偽」に惑わされます。
よく考えれば、世の中に「偽}のないものは
ないことはわかっていても、頼ってしまう。
悪循環ですね。

いつもメールをありがとうございます。
Posted by 藤岡一男 at 2007年12月21日 09:18
1年間お疲れさまでした。ありがとうございます。毎回々、コラムを読むたびに思わぬ嬉しい気付きと発見をさせて頂いています。
来年も、宜しくお願い致します。

Posted by タナカ at 2007年12月21日 09:20
他人を思い遣る心を持つことが、全てに優先する大切さだと思います。他人を思い遣る心から発する「偽」は、相手を助け、相手を勇気付けます。
マスコミの論調にも、その的確な見分けが欲しいですね。
ずっと心和む思いで読ませて頂きました。有難うございます。来年も楽しみにしております。
Posted by 末松五朗 at 2007年12月21日 09:32
1年間、拝読させて頂きありがとうございました。
毎回楽しみにしながら、また自分への戒めにもしながら、読ませて頂いています。
来年も色々なお話を聞かせて頂ける事を楽しみにしています。

亮ちゃんママ
Posted by 亮ちゃんママ at 2007年12月21日 09:37
 宋さんへ。いつも面白く拝見させていただいています。さすが漢字の国の貴兄だけあり、偽にまつわる鋭い論説を堪能させていただいた感じです。ご存知のように「羊頭狗肉」という言葉があります。確か中学だか高校で教わったと思うのですが、古くからあるこの言葉がいまだに生きている。多分100年後、200年後にも残ることと思います。商人の道徳観は進歩しないことを恐れます。
 来年もまた頑張って下さい。
Posted by 宮本 惇夫 at 2007年12月21日 09:39
宋文洲さま、おはようございます。いつもコラムを拝読させていただいています。

最近思うのは、一つ一つのプロセスを無視して結果だけを見て、賞賛もしくは批判するケースが多く見受けられると考えています。

企業活動や役所の仕事においても、企画から始まり現場での作業で一つの事業が完結するものであり、どんな些細なことであれ、その過程の一つ一つが仕事全体に不可欠であるにもかかわらず、そういう過程をすっ飛ばして、最終的な成果のみで判断される風潮に危惧を感じます。

現在問題とされている「格差社会」についても、そういった視点の欠如が生み出されているのではと考えています。一つの事業の最後の過程、すなわち現場が疲弊していることがその表れではないでしょうか。

Posted by ナイス橋本龍太郎 at 2007年12月21日 09:49
「嘘も方便」ということわざがあります。また嘘もつき続ければ真実になるというのもそうでしょうね。要は自分のため、相手のためになるかどうかでしょう。自分のためだけに付く嘘は悪い嘘ですが、相手のためになる嘘はいい嘘といったところでしょうか。
最近の企業の不祥事は、自分たちの都合だけで偽装したから糾弾されたのでしょう。嘘を見破るには、権威者の言葉ではなく、自分の感覚を信じることが大事なのだと思います。
Posted by JUN. at 2007年12月21日 10:08
62歳。退職後嘱託で勤務を続けているものです。いつも良い文章を読ませていただきありがとうございます。次の言葉をノートに書かせていただきました。
「吸うのは吐くため、退くのは伸ばすため、弓を緩めるのはその強さを保つため」
Posted by 伊藤國雄 at 2007年12月21日 10:18
配鶏は廃鶏ではないでしょうか?
Posted by ishida nobuyuki at 2007年12月21日 10:22
「偽」という文字は人が為すとは本当にその通りですね。
私は、真実を偽るという行為は、私利私欲のためかどうかに大きな基準があるのではないかと考えています。ミートホープ事件のように、ある意味創意工夫の賜物であった結果を私利私欲のために使ったことによりこれは偽装となってしまった。もし、もののない時代に少しでも牛肉に近いものを食べたいと願う気持ちの結晶であれば、同じ行為でも意味が変わってくると思うのです。たとえば、終戦直後、食べる米にも窮する時代に日本酒を製造する技術として三倍醸造という技術が生まれました。少ない米で作った日本酒を薄め、添加物を加えて水増しした酒は、決してよい品質ではなかったけれど少ない米で日本酒らしい飲み物を製造し、その安価な日本酒を飲んで高度経済成長期のサラリーマンは今の豊かな日本を作り上げたわけです。当初は偽装ではなく、少しでも日本酒を安価に多くの人に提供したいとの願いがそうさせていたわけですが、米が余り、物が豊かになった現在でも日本酒メーカーはその商売をやめようとはしなかった。これは偽装に近く、また、日本酒の文化を破壊することにつながりました。

人が人を思いやる心、これがすべての始まりでなければいけないんです。
Posted by 清水卓彦 at 2007年12月21日 10:27
「配鶏」でなく「廃鶏」の変換ミスでしょう。
Posted by 安長豊彦 at 2007年12月21日 10:28
偽る事、其れは主観的に物事を見た場合に起こり易い気がします。例えば物を生産する側であったり、流通過程で行き来する間に在ったりと様々ですが、客観的な目を見失う事が問題であると思います。
一昔前、ブランドと言う言葉はそれ自体が性能・デザイン・生産者・それと、ある程度の趣向性を満足させるに足りたものを総称していたんじゃないかと?本末転倒した姿が現在のブランでです。勿論良いものも沢山ある筈ですが、客観性に欠けた一部の作り手や売り手によって歪曲され続けてしまいました。
残念な事に【偽り】もまた【偽ブランド】と言うブランドになってしまったのでしょうか。租借する力・視る目を持った大人になりたいものです。
Posted by 大橋光明 at 2007年12月21日 10:31
「偽」かどうかだけで、程度の違いを考慮せずに善悪だけで判断するという傾向は確かにあると思います。そして、とても感覚的に答えを出してしまっていて、それが実は間違いであるというマツタケのような例もまったく同感です。

最近「生タラ」というのをよく見かけますが、あまり美味しく感じたことが無かったので以前からの「冷凍タラ」を好んでいました。ところが先日ある人に伺うと、「冷凍タラ」は、ほんの短い旬の間のものを冷凍しているので、実際には生タラよりも美味しいはずなんだと言うのです。鮮度を保つのも非常に難しい魚なので、美味しい生タラはやっぱり高いということです。
値段的にも安い生タラがよく売れているのでしょうが、これもやっぱり感覚的な話なのだと思います。

宋さんは「自分の舌への偽り」と言われていましたが、偽りをする以前に判断すらしないことは自分の舌に申し訳ないですね。
○○産って表示してる、テレビで言っていた、新聞で書いていた、といことを丸呑みして考えずに決め込んでしまうというのは、生きていく中の楽しみの一つを失ってしまうことだと思います。

ただ、これは食べ物に限らず、社会的な意見でも同じです。先日も福岡市の職員が3人の子供をひき逃げにした事件で、「これが危険運転致死にならないなんておかしい。厳罰に処すべきだ!」と主張している人ばかりです。法律をそういう風に変えろという人まで出てきます。確かに彼がやったことは許されない行為です。ただ、そうであっても法律上で相応に裁かれるのが当然だと思います。危険運転致死罪かどうかもきっちりと線引きががないといけません。ご両親の思いを考えると本当にいたたまれませんが、それでも魔女裁判とすべきではないのです。
どうして、こういった反対の見解があまり目立たないのかが不思議です。

最後に、先日京都で食事をしていたところで「ミシュランの(あの)店にも行ったことあるけど、ここの方が美味しかったよ。」と言うとご主人は言うのです。
「ミシュランとかには、載せてもろたら困ります。たぶん断ると思います。この店の大きさでは今のお客さんで十分です。今は、これより店を大きくすることは考えられません。味が第一ですから。」
一度落とした信用は戻らない、長い歴史で深い人々のつながりのある京都ならではの重みもあるのだと思います。賞味期限を偽るということは、味の落ちたものを消費者が食べることになります。それで「大したことない」と判断して買わなくなったお客さんもいるかでしょう。それが店の看板なのです。自分の店を貶める行為に他ならないのです。
私たちは責めるのではなく、「買わなければいい」それだけなのです。
Posted by たく at 2007年12月21日 10:35
仰る通りだと思います。
ミシュランガイドの騒ぎも同様ですね。
本当は参考にすれば良いだけで、自分なりの好きなお店を探していく方が大事だと思います。
偽装が相次ぐのは、私たち日本人が周りの意見を重視しすぎていてブランド偏重が根本の問題だと思います。

ちなみに、賞味期限の偽りはいけないと思いますが、まだ食べられる物を賞味期限が過ぎたから捨てるという事は、本当はどうすべきなのだろう?と考えてしまいます。
自国で賄えないために諸外国から輸入した食材を無駄にしてしまったらバチがあたります。食の安全は守られるべきだけれども、地球の裏側では食べるものも無く死んでいっている現状を忘れないようにしたいです。

昔から、家ではカビが生えても洗ったりして食べてたんですよね。人間、意外と頑丈です♪

P.S.毎回、楽しみに拝読しております。来年も同様、お忙しい中での執筆は大変だと思いますが頑張ってください。
くれぐれもお体大切に。
Posted by 瀬谷義浩 at 2007年12月21日 10:35
今年をあらわす言葉として「偽」という言葉の意味を改めて考えさせられました。

広辞苑によると、「為」という字には
@利益、利得、幸福
A(利益を期する意から)目的
B身の上にかかわること。
C因果関係を表す
・・・と、いろんな意味が含まれています。
大元は「幸福」だったのではないでしょうか?それが転じていくうちに、
意味が変わってきていることもあるのかと思いました。
使い方は人それぞれ、受け取り方も人それぞれ。絶対判断ができる人なんて今の世の中、いるのでしょうか?

「偽」という言葉は、「本物のように見せかける」という意味です。
私は、世の中全体的に本物を追求する動きを感じると共に、何が本物かどうかを見極めることのできる人もほとんどいないのではないか?と思います。

人の行為を見ていると、多くの人が自分を棚に上げて、誰かに責任をなすりつけ、土俵に上げて、問題視し、重箱の隅をつつくようなことに熱中しているように見えませんか?
子供たちの間で陰湿ないじめが深刻化していますが、大人の世界となんら変わりない。むしろ、素直に反映されているように見受けます。

本物とは、自分自身であることだと
私は思います。
自覚がある、ということです。

グローバル化に向かい、世界は刻々と移り変わっていきますが、どのレベルであろうと、どのポジションにいようと、自分自身を見失わずに生きることが、今、求められていることだと私は思います。
そのことを理解し合える関係であれば、信頼関係に繋がると思うのです。

情報過多な時代に、自分自身で生きるというのは簡単ではないですが、まずは一人一人の心がけではないでしょうか?

今年一年、いろいろと考える機会をくださり、ありがとうございました。
よい年始年末をお過ごしください!

Posted by su at 2007年12月21日 10:39
今年は、洋菓子屋の偽りから始まり、ファーストフードの偽りで終わるのでしょうか?今の日本の食は、狂っています。日々多くの食べ物が「捨てられて」います。母が、お櫃を洗うとき水洗いし、水に浮いたご飯を口に入れていた事を思い出します。偽りに憤慨するだけでなく、偽りを作らせないようにとまず自分から律したい。
Posted by 平田 伸司 at 2007年12月21日 10:43
小生、一度世に知られた料亭の味を賞味できたらと考えていたが、一連の今回の事件でその様なチャンスに恵まれなくて良かったと感じた。経験していて、それを友人たちに話していたらどんなヒヤカシを受けたことか。問題の店は結局自分達の味に自信が無かったと思わざるを得ない。自分の店の技術と味に自信があれば、店のブランドで売ればよいのだ。無いから、肉の産地の名前に頼ったということだろう。マスヤジ`07.12
Posted by マスヤジ at 2007年12月21日 11:09
ここのところ、宋さんのお話はマスコミからとった話題が多いですね。
ほとんどが内部告発から発した「偽」には、ふたつの要素がまざっているから議論はむつかしいと思います。
ひとつは、内部告発が有効に働く時代になった、例外はすでになくなりつつある、という明るい面です。田舎の同族企業も、つい最近の老舗も白日のもとにさらされ、経営者は厳しい対応を迫られました。もみ消しという「甘え行為」が効かない時代はフェアでいいことだと思います。
一方で、被害の深刻さの度合いの違いは打ち捨てられ「有名なものを引きずりおろして踏みつける」というゆがんだ快感を消費者にもたらした、というネガティブな面もあるのではないでしょうか。
すべてを「いい」「悪い」。0か、1か、と白か黒か、分別することはわかりやすく、すっきり感はありますが、やっていいところと、いけないところはありますよね。
Posted by 高尾 司 at 2007年12月21日 11:21
今年、1年をイメージする言葉が「偽」なんてとても情けない気分になりますが、逆に考えると、世の中が「偽物」や「いい加減な事」に対して厳しくなってきた証左ではないでしょうか。暴かれ事例の多くは、昨日今日始まったものではありませんでしたし、まだまだ似た様な事例は隠れているように思います。それがかなり”常識”的なやり方として業界や小売で通用していたのかも知れません。そうした”非常識”が糾弾されるのは良
いことです。一方で利用者は品質の許容範囲についても考えなければと思いました。十分に使える物、食べられる物まで、機械的に捨ててしまうことと、偽を葬ることとは違うはずです。
Posted by 常光奎吾 at 2007年12月21日 11:30
1年間お疲れ様でした。

「有益の(でも)偽り」
心に響きました。
宋さんの意見は、いつも物事を本当の意味で真っ直ぐに見ていると思います。
日本人は・・・と言うと、他のコメントをされた方とかぶるので、
村上龍さんの言葉を借りるなら
「コミュニケーションに関する閉鎖的な楽観性」
に尽きると思います。
ものすごく表面しか考えなかったり
(楽観性)
美しい言葉の後押しによって、自分の考えが全て正しい、伝わるという部分が非常に多いと思います。
(閉鎖的と楽観性)

この傾向があることを、いつも気づかせてくる宋さんにとても感謝します。
Posted by XENO at 2007年12月21日 12:07
宋先生のお話ではいつもものごとの原点を教えられ、ありがたく思っています。「偽」の反対は「正」です。「偽」の追求が厳しいのは結構なことですが、「正」の探求の方がもっと大切で、しかも腰が引けているのが現状ではないでしょうか。規則が正なのでしょうか、マスコミが正なのでしょうか、教科書でしょうか、宗教でしょうか、国会でしょうか、・・・・一体何を基準にして「偽」を追求すればよいのでしょうか。そして、どうして「正」を唱えることに腰が引けるのでしょうか。日本にとって「正」とは何なのでしょうか。「正」には基準がないが故に、日本人は、日本の先生方は、そして日本のマスコミは人の批判をするばかりでなく、もっと「正」を主張し、実行し、顕彰する勇気を持つべきです。その中からのほんの「正」が生れてくると思うのですが。
Posted by 服部源二 at 2007年12月21日 12:21
拝読して なぜか涙が出ました。
コラムは、私のバイブル・生きる指針になりつつあります。
宋さまも御体御自愛され良い御年をお迎えくださいませ。
Posted by 佐藤 千恵子 at 2007年12月21日 13:04
はじめまして。こんにちは。

改めて言うまでも無く、良くも悪くも日本人は特有の思考の柔軟性を持つ民族です。
情報(TV,新聞,雑誌,web...)に左右されやすく、ブランド信仰のとても厚い国民です。

このことは前々のコラムの「精神的自立の無さ」にもつながる話かとおもいます。
そうなってしまった原因は教育、社会、家庭、信仰...結局は文化を構成する要素となる全てのものです。

長崎の人が韓国産マツタケより北海道産を積極的に購入するのも国産のほうが「安心・安全・美味」だろうという単純なブランド信仰です。
そしてそれは、「韓国産マツタケは安全で値段も安く、味も国産と大差ない」という宣伝がヘビーローテーションで行われれば、「北海道産の安全性も怪しいらしい」との風評が立てば、状況は間違いなくコロッと変わると思います。

そこには、「ホントにそうなの?信憑性は?どういう調査したの?その判断の基準は正しいの?
今まではどうだったの?」といった自分自身での咀嚼、自己基準による判断というものが欠けてることが多いように見えます。

私自身、そのあたりのことを子供にどう教えていったらいいのか、不安で仕方ありません。
個人的には、色々な方を聞き、本を読み、海外に出て経験を積むことで広い視野を持てるようになった気がしますが。

Posted by ochiai at 2007年12月21日 13:08
いつも、楽しく読ませていただいております。
そして、考えさせていただいております。

このたびの「偽」についてですが、
正直私も偽りの言葉を多く使用している人間であると考えています。

もちろん、自分自身の視点で相手のことを考え偽っているのですが・・・

発する自分と受け取る方
もちろん違います。そのたび、一時考えさせられます。

私は子供に「嘘はいけません」「嘘は泥棒の始まりですよ」と話し「偽ることは何より、自分自身をいつわることになる、それは偽っていることを他の誰よりも自分が知っているからだよ」と話しています。
話しながら自分自身にも問い掛けているのですが・・・

偽ることでいつも自分の気持ちが疲弊するのを感じます。精神的に弱いのかもしれませんが、でも言葉や行動の重みを感じ、いつも自分自身を振り返ることのできる自分でいたいとも考えます。

最近の偽装やいた堪れない悲惨なニュースが多いですが、社会に自分自身に責任を取ることの出来る人、また取り方を理解している人が少なくなったように感じています。そして、自分自身を信じている人も・・・

人を批判できるような自分ではありませんが、今日の「偽」について考えさせられましたので、文章として未熟なことはわかっていますが、メールさせていただきました。

それでは、良いお年を来年もよろしくお願いします。
Posted by 広兼 裕之 at 2007年12月21日 13:20
今年を表す字は発表前から偽であると思っていました。ミートホープの田中稔さんの言った言葉が頭を離れません。「消費者が安いものを求めるから悪いのだ。特売の品を作るためには仕方がなかった」....
少なくとも中国製の食品は買う時にとても抵抗がありますし、国産といってもどこまで信用出来るか?
出来れば中国製で良心的な食品があれば嬉しいのに!
アメリカの格付け機関は日本の国債がジンバブエより下だったりしてとても信用出来ませんが、宗さんが信用の出来る中国製品の安全確認機関を創設してくれませんか?
●宋マークがついていたら、安くて安全..
協力しますが!
Posted by 都田 at 2007年12月21日 15:07
宋文州様
 はじめまして、以前からの日経ビジネスの時より、色々な意見拝読させて頂いております。

 毎回色々な視点からの時代情勢及び、人生観を垣間見る宋さんの視点・意見、また各方々からのコメント自身の為になっております。

 さて、今回の『偽』に関しては、私自身ももっともな意見かと感じます。数年前からの偽装問題として建築物から始まり、食品へと移行し今後は何が的になるのかと思うと、大昔の魔女狩りを彷彿します。この問題は、私が思うに根底として、現代の日本が熟成国ゆえの個人から国の自己保全のもと、情報やマスコミからの表面的な事柄について、国全体が些細な事件に振り回されている様な気がしてなりません。確かに国や各種団体が規定した決まりを守る事は、この社会では不可欠である事は重々誰しも理解していると思います、しかし宋さんも仰るとおり、『有益の偽』もあって然りだと私も考えます。日頃から何かを疑う(偽)のではなく、また昔のように秩序もままならない事を正しい(信)と決め付けず、『嘘も方便』全てを1か0のデジタル化とせず、時にはアナログ調も必要なのではないでしょうか。

 先日仕事の関係で中国の方と接する機会がありました。最初は初対面の為に猜疑心もありましたが、最後は握手をし無事商談成立しました。そんな直後の『偽』。初めて接した中国の方に対して自分自身の相手を思う気持ちに恥じました。全てを偽者に仕立ててしまう事は結局自分自身の気持ちなのでしょうか・・・・

 徒然なるままにコメントさせて頂きましたが、自分の人生観を毎回見直し、後悔の少ない生き方をして行こうと再度思った次第です。
Posted by 角田 秀則 at 2007年12月21日 15:56
今回の【偽】に関するコラムですが、思うにマスメディアが『食品偽装』に過剰なまでな報道をするのは、日本人の国民性として、『成功者又は勝者に対する妬み』の精神が働いているからだと感じます。ちょっと鼻に付く報道ぶりです。トヨタの奥田前会長が、日本は妬みの企業文化から羨望の企業文化に変わらないといけないといっていましたが、急速に市場占有率をあげて一人勝ちしたマックの叩かれ方などを見ていると、そう感じます。それと、昔とったブランド力にあぐらをかいて、いつの間にか顧客より自分の会社が一番になってしまった企業の行末を見て、いつまでも既得権益にしがみつく政治家や官庁をダブらせているのではないでしょうか。
いずれにしても宋さんのおっしゃるとおり、偽りの本質を見抜き、ブランドや他人の言葉を軽信しないための判断力(良識)を養っていかなければと思います。

宋さんへ こちらこそいつも有意義なコラム拝見させていただきありがとうございます。
今年1年の私の幸福は、最愛の家族と健康に過ごせた事と、宋さんのすばらしいコラムに出会えたことです。
又来年もご活躍されることを祈っております。くれぐれもお身体ご自愛されますように。m(__)m

Posted by Y.Watanabe at 2007年12月21日 22:02
前職時代に扱っていた商品は古くから全国統一価格というものが無く地域で価格がメーカー主導で決められておりました。
しかし、当時のトップは値引きを偏重する地域性と称して、地域価格に下駄を履かせて(すべてにいくらかの金額を上乗せ)価格表を製作しておりました。
様々なせめぎ合いが社内でもありましたが鶴の一声で決定することが長く続き、メーカーでさえ説得できずにおりました。
しかし、コンプライアンスが叫ばれるよりは、お客様が同じ地域でも大きく流動する時代が来て、社内の空気も追い風になり当然廃止されました。
その後、様々な施策や広告の中にも様々な正しいものとグレーなものが企業の中では
常に存在しましたが、やはり消費者の考え方や基準を基にいわゆるグレーなものを排除するようになりました。
健全な企業や産業を作ってゆくのは、消費者であると思います。
価値以上の安さへの警戒やそのものに対する感働きのようなものを常に磨き、警鐘を鳴らし続けてゆかなければ、「偽」はなくならないと思います。
とは言いながら、昨今の値上げラッシュは何か意地汚さを感じますが、先生どう思いますか?

 生意気を言いました。
 失礼いたします。

 最後になりましたが、今後ますますのご活躍を祈念申し上げます。
Posted by 田所義弘 at 2007年12月21日 23:50
この1年間、ご苦労様でした。ありがとうございました。
Posted by 七野 哲 at 2007年12月22日 08:54
今回のテーマ・内容は、正に人間特有の価値観のような気がします。

ほんの数年前まで、高額でもてはやされた物や・流行が、あたかも時代錯誤のようにVTRで紹介され、それを笑いながら視聴する消費者たち。。。

正に、その直中にいた自分の事など省み様ともせず。。。

本当に嘆かわしくも、愚かな消費者。自分もその中の1人である事を胸に置き、日々の言動を少しでも意味のあるものにしたいと思います。

宋さん、今年1年お疲れ様でした。
自分は、時には宋さんとは別の解釈で本文を拝見し、意見させていただく事もありました。しかし、総じて、こうして価値観の違いを語り合えるこの空間(広場)の存在を感謝せずには居られません。

また、宋さん自体が、この広場がそうしたインセンティブの場になればと、謙虚に表現される事に感銘すら覚えます。

どうぞ、来年も継続して下さい。

一読者より。

追記:寒さが厳しさを増しますが、お体ご自愛下さい。

Posted by ノア at 2007年12月25日 18:37
私も最近の不祥事バッシングは魔女狩的モノを感じます。
以前『批判されるのも批判精神』で仰っていたように、皆が自分の頭で問題の程度を認識して批判しているのではなく、『鬱屈した人たちが誰かを血祭りにあげて憂さ晴らし』をしているようにしか見えないです。

食品会社の偽装だって、人材派遣会社の二重派遣だって、年金問題の記録問題だって、あそこまで騒ぐ問題だったとはとても思えません。

あと、食品の賞味期限はもう少し延ばせば良いと思います。その分高くされるよりそっちの方がずっとマシです。
Posted by 壺 at 2007年12月27日 13:26
いつも楽しく拝読しています。
しかし今回は少し、読んでいて悲しく感じました。悲しみという感情はこうした「文字だけのコミュニケーション」でも湧くものなのか?不明ですが。
今年最後のメルマガでしたが、読むにつれ、内容うんぬんより、宋さん自身に何か悲しいことがあったのか?という想いがつのりました。
私にとってはこれが素直な「感想文」です。
Posted by YAMA at 2007年12月27日 18:25
毎回、宋文洲さんのコラムをとても楽しみにしています。
自分の視野を広げてくださり、考えるチャンスになっています。
他の方々のコメントみたいに大層なことは書けません。
ただ「一年間ありがとうございました。来年もよろしくお願いします」とお伝えしたかったのです。
Posted by achapin at 2007年12月28日 01:03
最近の嘘に対するマスコミ攻撃にうんざりしています。あら捜しとしか言いようがありません。
消費者の被害がなかったからよかったとは言いませんが、いったいどれほどの人が偽りだとわかるのでしょうか、誰かに守られなければやっていけないような日本人を誰がつくったかと思わずにいられない今日この頃です。

Posted by 宮原從芳 at 2007年12月28日 20:31
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