そろそろ日本人は根拠なき精神論と決別すべきだ

中国で日本の経営者といえば、いまだに松下電器の松下幸之助の名前を挙げる人が多い。私は一度も会ったことはありませんが、松下さんの著書や元部下の話によると、彼はとても病弱だったようです。身体が弱かったからこそ、部下を上手く使うなど松下流の独特な経営ができたと、本人はもちろん周囲も口を揃えています。

マイクロソフトのビル・ゲイツの講演を数年前に聞いたことがあります。とても物静かだったのが印象的でした。彼は他人によく質問しましたが、反対意見を浴びても滅多に反論しなかった。ゲイツは自分の判断が正しいかどうかに興味があり、他人がどう考えているかを知っても無意味だと考えているようです。

ソフトバンクの孫正義さんとは何度か会食をしたことがあります。世間話をしている間、彼はとても無気力のように見えました。ほとんど会話に参加しないのです。ただ一転ビジネスの話になると、突如、元気を取り戻していました。

最近、私が嫌いな日本語に「元気がもらえる」、「元気をください」という言葉があります。日本人は本当に精神論が好きですが、多くのビジネス書には「元気を出せば、仕事を頑張る。仕事を頑張れば成果が上がる。だから上司や経営者は部下のモチベーションを上げる努力をしろ」と書かれてあります。しかし元気の有無と、仕事ができるかどうかは何の関係もありません。また「社員は褒めて育てろ」というのも大嫌いなフレーズです。

仕事できない人間に限って、空元気を出し、精神論を振る舞う傾向があります。残業の問題もそうです。用もないのにダラダラ会社に残っている人の大半が仕事のできない人。残業は、上司にやる気を見せるためのポーズでしょう。

成果は、人のやる気に関係なく、仕事の積み重ねによってもたらされるもの。それは花の育ち方と同じです。「愛情を持って育てれば、綺麗に花が咲く」という人がいますが、有り得ない。いくら愛情があっても適切な水分、肥料、日光などの条件が揃わないと花は咲きません。人間の気持ちなどとは無関係です。

一方で上司から「褒めてほしい」というビジネスマンも増えています。「褒められないと仕事ができない」なんて子供じゃないんですから勘弁して欲しい。馬鹿にされたり、失敗したり、自分の仕事を否定されたときに、やるべきことをできるのが真の大人であり、真のリーダーです。

およそ十年前から、日本社会のある変化に気付きました。私に講演を依頼してきた人々に「どんな話をしてほしいですか」と聞くと、「元気になる話がいい」とよく言われるようになりました。当時は、どんな話がいいのか分かりませんでしたが、流行りの「日本スゴイ」話をすれば良かったんだと最近理解しました。

つまり「褒めてもらわないと元気が出ない」弱い日本人が増えたのです。同時に評価されないと元気を出さない経営者も増えた。これは十年前から蔓延してきた大手企業問題でしょう。彼らの精神構造は、敗戦後の焼け野原で地味に仕事を積み上げた松下さんなどとは真逆なのです。

孫氏の兵法にも「哀兵必勝」という言葉があります。敗戦の悲哀を知る兵隊のほうが無謀な戦術をとらないため強いという意味です。自分のいいところを褒めてもらい、都合の悪いことを誤魔化す人は本物の仕事なんかできっこありません。

(「週刊文春」11月9日号
「それでも社長になりたいあなたへ」連載からの転用)
この記事へのコメント
面白い。その通り!公演というほどではないですが、全く同じ事を体験しました、皆自信を失いかけているんだと思います。これは過渡期だと思いたいですね。
Posted by Nori at 2017年11月24日 08:11
毎回楽しみに読ませていただいております。今回記事ありました
「馬鹿にされたり、失敗したり、自分の仕事を否定されたときに、やるべきことをできるのが真の大人であり、真のリーダーです。」の部分は、とても共感できます。自分の考えと同じ方がいらっしゃることが分かったただけでも、良かったです。こんな考えも持ったメンバーを育てられればいいのですが、難しいですね。
Posted by 本田 宏 at 2017年11月24日 08:25
私も精神論ややる気と気合の部類は大嫌いです。しかし自分自身で完結するミッションなら自分のコントロールだけで済みますが、多くの場合はそれでは済みません。
あなたが精神論を嫌う理由はわかりますが、あなたはあなたでいけばいい。精神論で気合を入れて結果を出す人もいるんです。それはそれで結果を出せばいいのであって、過程が精神論だろうがそうでなかろうが関係ないでしょう。結果の出し方はひとそれぞれ。あなたに「本当の仕事」とそうでない仕事を区別される筋合いはない。精神論の根拠があろうがなかろうが、結果が出ているなら否定される筋合いはありません。あなたも今の考え方に相手の精神を大事にする考えが加われば、もっと成功するかもしれませんね。あなたはゲイツや孫正義ではないのはそういうところではないでしょうか?
ちなみに「愛情を持って育てれば、綺麗に花が咲く」というのは本当です。研究結果もありますから検索してみればよろしい。
Posted by 赤バッタ at 2017年11月24日 08:27
宋さんのメルマガは永く読ませて頂いております。時に中国寄り?とも受け取れる内容と解釈する時もありますが、今回のものを読ませて頂いて、宋さんの立ち位置は中立なのだなぁという印象を受けました。
以前、ソフトブレーンでの宋さんの講演会に参加したことがあり、松下幸之助さんのことを批判とも取れるお話をされたように私は解釈しました。たしか松下さんは人の話を聞かないわがままな人だったようなお話でした。でも聴講者からは私も含め反論はでませんでした。これは私の情報不足からくる誤解だとは思うのですが、今回は松下さんのことを認める内容と受け取り、人というのはつくづく自分のわかる範囲でしか理解できないんだなぁと自分を振り返りました。宋さんの意図したことを宋さんの文章から正確にくみ取ることに注力いたします。
Posted by 樋口浩邦 at 2017年11月24日 08:34
いつもご意見ありがとうございます。
宗さんのお話は共感することが多く勉強になるのですが、今回の文章を読んで、宗さんは間違っているなと思うのは、本当の日本の精神論は「日本スゴイ」と思うこととは無縁だということです。
宗さんが書かれた内容は、日本人も含めてメディアに毒された人の発想で、もっと深い歴史と文化と日常の生活に日本の精神論はあると思います。
そこが世界から見て日本の特殊なところでもあるのかもしれませんが。
Posted by 澤本茂郁 at 2017年11月24日 08:43
宋さんおはようございます。いつものヘソ曲りです。
ここ2回ほどの宋さんのコメントは大人しい内容ですね。
習近平共産党政権が、ほとんどの政敵を駆逐して3選への盤石な備えを築いたことで、宋さんの身辺が安泰になったという表れなのでしょうか。

今般の宋さんのご意見も、一見したところは”無害”のように感じられますが、小生には疑問に思える言い回しがあります。

『仕事できない人間に限って、空元気を出し、精神論を振る舞う傾向があります』と仰せですが、”残業”の事例や”花の育成”の事例は、まさしく宋さんや都市戸籍を持つ中国の”成功者”の理論そのものですよね。「儲けるのに精神論は無駄」「儲かりさえすれば良い」ということになりませんか?

たしかに、日本の戦時中にあった”竹槍”論は、日本における精神論の悪しき代表事例であることは否定しません。しかし、自分の現在があるのは多くの人々のお蔭であるとか、自然から多くの恵みを受けて今の自分があるという『感謝の念』というものは精神論の最たるものではないでしょうか。

日本人がお祭り好きなのも、祭りが自然や万物への感謝をするためのものだからです。祭りは精神論そのものです。

文末で宋さんは『孫氏の兵法にも「哀兵必勝」という言葉があります。敗戦の悲哀を知る兵隊のほうが無謀な戦術をとらないため強いという意味です。自分のいいところを褒めてもらい、都合の悪いことを誤魔化す人は本物の仕事なんかできっこありません』と述べられていますが、これはまさに習近平政権の実情そのものであり、【一帯一路】のAA諸国に対する習近平共産党政権のやり方そのものではないですか。

最後に一言。孫子の兵法には有名な『背水の陣』というものがありますよ。これは紛れもなく、精神論が根底にありますよね。

宋さんが『都合の悪いことを誤魔化す人は本物の仕事なんかできっこありません』となりませんように祈るばかりです。
Posted by 田中 晃 at 2017年11月24日 09:25
 精神論は、好きか、嫌いかで言ったら宋さん同様嫌いな方です。結果に対して精神不足で片づけるのが嫌いなのです。でも、これから困難に立ち向かうとき、あるいは立ち向かっているとき精神力は、立ち向かうための少ず必要なものだと思っています。
 花も愛情をもって育てれば・・・と言うのも愛情だけで育つことを言っているのではないと思います。愛があればそれだけ水も日光も肥料も手間を惜しまずに面倒をみるからでしょう。それも嫌々ではないからきめ細かく。
Posted by 樋口良介 at 2017年11月24日 09:37
同感すること多々。
褒められる事で、仕事がうまくいっている。と第三者の言葉として冗長的に感じたいのでしょう。
精神論で語られても、昨今の時間軸の短い世の中の動向では太刀打ちできず。根拠も理論もない仕事では淘汰するだけ。そうならぬように、また自己都合の理由にならぬようにしたい。本質を理解してこそ先が見えてくる。そのために追及した思考で進める。
Posted by 早川 勉 at 2017年11月24日 09:40
今日のコメントは議論を呼ぶだろうと思い
ました。私は精神論のほぼ真逆の考え方を
する人間ですので共感出来ます。

大げさに言いますと、我が国、歴史観の
相違に起因する論点になりそうです。
いわゆる「精神論」の根拠は、国家として
の存在を「統合」と取るか「集合、派生」と
観るかから来ていると私は考えます。
当然ですが、正解はありません。

一つだけ言えるのは、内在する矛盾の解決、
対処を無意味に先延ばしにする習慣だけは
いますぐに止めるべきでしょう。
Posted by sparerib at 2017年11月24日 10:03
確かに「精神論」は物理的因果関係を無視した、またはそれとは異次元の論だと思います。深い思慮にもとづいて精神論を語る人は少なく、ほぼ言語的な陶酔において発しているようです。感情の発散、感情を基にした物言いでしょう。ただ、「今日はいい天気だ、気持ちいい、さあ頑張るぞ!」という言葉が、思いが個人の中にあるならばそれはそれでいいとおもいます。が、他人に対して、それが当然の論理展開であるように「今日はいい天気だ、気持ちいい、だから頑張れ!」となると普遍性に欠けます。すがすがしい青い空に原爆は落ちたのです。話は変わって、昨今TVで「日本がいちばん!」「日本は素晴らしい」とやみくもに騒いでいるのをみると、ちょっと天狗になりすぎ、他の国の人が言うなら多少わかるけど、日本人が日本のTVで日本人に向かって言っているということが「ここが変だよ日本のTV!」という感じです。感覚的には「下品」、「ひいきの引き倒し」足元から崩れていく兆候のように感じます。最近の大企業で起きているなれ合いの不祥事は何かを予感させています。「完成」「完ぺき」は目指すものであり、それに向かって終わることのない行動そのものが「完成」「完ぺき」であるべきで重要でしょう。
ただし、自然界でも、人間社会でも突然に不可解なこと、いままで経験したことがないことが起こるのも事実でしょう。
さて、「精神論」自体のことは「好きか」「嫌いか」は個人の感覚でしょう。「砂糖」が好きか「塩」が好きか。でもそれを(どちらかを)当然のように押し付けられる、社会の流れをどちらかに向けようとされるのはのはちょっと受け入れかねます。ところで宋文洲さんはちゃんと精神論の前に「根拠なき」をつけていますね。
Posted by 今福 民生 at 2017年11月24日 10:04
「元気がもらえる」は日本語としてもおかしい。「勇気がもらえる」ならわからなくもない。それとコメントにあった「背水の陣」は「三国志演義」じゃないでしょうか。とにかく漢学を何年やっても敵も知らず、己も知らない日本人です。
Posted by 別府有光 at 2017年11月24日 10:16
宋さん
おはようございます。
その通〜り。拝読して拍手、久しぶりスッキリ快調の朝になりました。
Posted by 玲太郎 at 2017年11月24日 10:22
いつも興味をもって読ませていただいています。11月24日の精神論の記載で、「愛情を持って育てれば、綺麗に花が咲く」という人がいますが、有り得ない。いくら愛情があっても適切な水分、肥料、日光などの条件が揃わないと花は咲きません。人間の気持ちなどとは無関係です。とのご意見ですが、私の花づくりや家庭菜園の趣味の経験では、まったく違います。花や野菜は、愛情をもって育てていると、花から、水がほしい、もっと肥料がほしいなと私に呼び掛けてきます。そうすれば、適切な水や肥料をやり、日光も当ててやります。そうするときれいな花が咲きます。愛情が直接花を咲かせるのではないと思います。愛情がないと適切な対応ができません。愛情を持ては、花が希望する条件を整えるから、きれいな花が咲くのです。ビジネスの世界、人財育成の世界も同じと思います。
Posted by 中川義弘 at 2017年11月24日 10:46
宗さんの思いを私なりの理解で説明して見ます。

それぞれの国には歴史があり、既に200年経っても変わらない習性があります。
明治維新以前の日本では、大名家は将軍家から知行を与えられ、家臣も同様です。
家臣は、与えられた知行を生かして自ら与えられたものを増やせるか減らすか…西欧的な時間制成果賃金でなく、やり方自由の結果の報酬制だったと理解しています。
経営者と従業員が完全に運命共同体であったわけです。
商家でも同じです。
丁稚から始まり、丁稚が働いている間は、家長も働いています。奴隷はいません。
そして結果として頑張った丁稚には、のれん分けが行われ、貧しい家庭の子でも頑張れば大店の店主になれたのです。
こうしたことが、滅私奉公として定着したと考えています。
維新以降200年、時間労働に対する成果報酬制に移行したのちも日本人のこの習性が変わることがなかったのだと思います。
ですから経営側も勘違いして、サービス残業なる違法行為を違法と認識できなかったし、従業員の側も左翼系の人々以外は、レッドパージの効果も有、正しく認識することができなかったのだと思います。
悪い事ばかりではありません。
維新前後、日本が大きな長期内乱で収拾がつかないなどと言う事態に陥らなかったこと、関東大震災や第二次世界大戦の敗戦後の復興も奇跡的なスピードで成し遂げたことも、こうした支配階級と被支配階級の間に極端な搾取がなく運命共同体的な意識になれるため、復興に邁進できたと考えています。
当然この家族主義は、親が子供を厳しく育てるように決して甘い関係でなく、国が家が、個人が将来独り立ちを続けられるよう厳しく躾けると言うものであったと理解しています。
そんな日本人には、労働時間と成果に対し賃金だけで報いる、労使双方の関係性が薄い外国の労働環境を長く理解できなかったのだと思います。
日本の支配階級は、平安の昔から民の生活の安定なくして国は成り立たないと考えていたし、民も良い国主、商家の良い家長はそう考えていると暗黙の了解ができていたのだと思います。
残念ながら今の世界では、その考え方は通用しないことを日本の経営者は、耳で理解できてもDNAが理解を許さないのだと思います。

維新前には西欧並みの軍隊を持つなど夢のまた夢の国であった極東の小国日本が、わずか50年も絶たない内に、末期だったとは言え清朝に勝ち、西欧の大国ロシアに勝利するまでに成長しました。挙句に経済大国の米国にまで戦火を広げ、一時的とは言え米国を震撼させるまでになったのです。
その原動力になったのが当時世界に類を見ない日本の国民に対する教育の高さでした。
日本の支配層は、給与(金)だけでなく、家族が互いに思いやるように国は民を、商家は、従業員を教育し思いやる国だったのです。
第二次世界大戦敗戦後、そんな日本の原動力を一見全体主義にしか見えないかったのでしょう、米国は、個人主義・自由主義で、周辺国在日外国人は人権問題を盾に教育界そのものに口出しをし、日本の教育を骨抜きにして行きました。
その結果が、宗さんのおっしゃる今の日本の「褒めてもらわないと元気が出ない」弱い日本人が増えた原因です。
今の日本教育界は、しかってはいけません、褒めて育てましょう、辛いなら無理して学校に行かなくてもいいんだよ、が定石です。
こんな教育を受けた親が既に二世代に渡る厚い層になって来ています。
この影響は大きく、かつて西洋文化を取り入れ日本流にアレンジすることが得意だった日本人ですが、労働の在り方に関しては、中々それができないようです。
要は、今の日本は、戦勝国が意図した通りの米国、近隣周辺国の言いなりになる腑抜けた国家に変貌したのです。

例えば今回の北朝鮮問題にしても、維新前後の支配層であれば、戦勝国同士(米国+韓国VS北朝鮮(ロシア傀儡))の朝鮮戦争にトランプの口車に乗って、米ロ代理戦争に巻き込まれる愚はしなかったでしょう。
米国ベースで巨額な武器購入をすることもなかったでしょう。
かっての日本の指導者なら、『米国があてがった非戦憲法下では、敗戦国である日本とは何の係りのない戦勝国間の覇権争いである朝鮮戦争に参戦する等ありえませんなぁ、ははは!
そんな訳で、戦勝国の火の粉が飛んでこないよう米国は十分配慮してくださいや。万一、北朝鮮が、在日米軍を叩きに来たら米軍で宜しゅう頼みまっせ。米軍基地は、日米地位協定で治外法権、事実上日本ではないことになっとりますから、あんたら米国が最後まで安生頼みまっせ。』位のことを言って、米国が日本に突付ける現実がどんなものか思い知らせる位の胆力があって欲しいが、あのごますり安倍さんの低たらくです。その外交を国民が素晴らしいと評価する程度の見識しか持ち合わせていない。
挙句今では実践には役にも絶たない高額戦闘機購入のオンパレードです。
そんな金がありこれだけ北朝鮮危機をでっち上げ、その国民に信じ込ませたのだから、国民の強い支持をバックに、かっての日本の戦闘機作りを彷彿とさせる純国産ステルス爆撃戦闘機の開発や中国の大型空母建造に対抗して、超大型原子力空母「しんぞう」位作って、国内で処分に困ってるプルトニュウムの使い道や東芝の原子力技術活用位の一石二鳥位狙えよと言いたい。

話が脱線しましたが、宗さんがおっしゃる今の日本はそんな風なことで出来上がって行ったと思っています。
多分、日本人が目を覚ますのは、まだまだ先の話でしょう。
でも、少子高齢化、取分け少子化の影響が国内経済を完全に蝕み始めた時、日本人は必ず目を覚ますと思います。
中国も「眠れる獅子」と言われた時代が長く続きました。
今の中国は、産業革命前夜までの中国・インドで世界のGDPの7割を握っていた時代を取り戻そうとしています。
今の日本は、「眠らされている獅子」です。
かなりのショック療法が必要です。
でも、必ずまた蘇ります。
Posted by Pu_san at 2017年11月24日 11:27
 宋さんにまったく同感です。以前、「元気をもらった」を連発する知人がおりましたが、会うたびに一日中不快感が残りました。
 「背中を押されて」や「○○させていただく」という言い方も嫌いです。自分の行動にあらかじめ共同体の同意があるということをほのめかしている。最近はこういう「仕草」が蔓延していて、息がつまりそうです。
Posted by SH at 2017年11月24日 11:31
自分の頭で考えて結論を出し行動をする人にはサッパリ理解出来ないNHK的精神論が日本に蔓延しておりますな
宋メールは味は苦いがよく効く妙薬みたいなコラムが多いですね
Posted by 主水 at 2017年11月24日 12:56
激しく同意します。
引き続き楽しみにしてます。
Posted by kinzo at 2017年11月24日 13:45
いつも楽しく拝見しています。
自分や自分の周りにあまりみない考え方が垣間見えるのでいつもなるほど。と思っています。
今回のお話の「元気になる」くだりは珍しく、意見が合致いたしましたのでコメントいたしました。
コメント欄も拝見しましたが、同じように感じておられる方が多くて面白かったです。
今後はコメント欄も拝見させていただきます。

これからも楽しみにしています。
Posted by HH at 2017年11月24日 15:35
久しぶりに書き込まさせていただきます。
宋さんの日本語も内容も初期のころから大きく変わってきています。当たり前ですが。このメルマガだけでも宋さんご自身の発展や成長と共に視点の移動がわかります。
さて、読者の皆さんの投稿文も読んでの事ですが宗さんの使う形容詞にそんなに敏感に反応しなくても良いと思います。対象になる日本人が居るんでしょうから。先読みしてその先の深い部分に指摘されていると思うから理が立ち理屈が生まれます。今の中国の社会事情や日本に修業・就業で来られている方々も命がけで来日した宋さん世代とはもはや180度違う思考や行動性を見出します。宋さんも三国志や中国の史書から言葉を拾わなくても「今」の感性で先ずは観察し判断してはどうでしょうか? 日本と中国は本来は相見互いなのです。ニクソンとキッシンジャーが居なければ今の中国はなかったような、か細い歴史のターニングポイントから始まり、莫大な情報と資金を濡れ手に粟で手にした経済の始まりだったんですから。その経済が自前の力でできるようになって共産党国家は一対一路なんですから。そういった変異は必ず中国でも起きます。4億と9億の闘い拝見させてもらいたい。その地に初期投資した松下幸之助は大バカ者として映る事になるでしょう。
Posted by N.Iketani at 2017年11月24日 15:59
目が覚めました。申し訳ありませんが、元気をもらいました。
Posted by 大野祐司 at 2017年11月24日 16:30
コメントも含め、興味深く拝読しました。
日本人の精神論は、僕が調べた限り、満洲事変あたりから盛んに言われるようになりました。おそらくは戦後高度経済成長あたりで成功神話と結びつきましたが、そろそろ賞味期限が切れつつあるようです。
「日本人よ目を覚ませ」的な言説は、国際連盟脱退を通告し帰国した松岡洋右が「国民は安易な気分で生きていてはならぬ、日本精神に目覚め我等の行くべき道を真につかんで、真っしぐらに進まねばならぬ」と発言しています。
精神論で真っしぐらに進んだ日本の末路を思えば、根拠なき精神論に頼るのは危険だと思っています。
Posted by 吉見直人 at 2017年11月24日 16:59
宋さんの意に反し(?)、このエッセイから「元気をもらってしまいました」。(笑)
お客さんと自組織と世間と、それぞれの効用を極大化するには(不利益を極小化するには)どう考えどう実践すべきか。
不当な「日本アゲ」にも「日本サゲ」にも安易に与せず、それをプラクティカルかつ愚直に考え、行動していきたいと思います。
Posted by 齊藤光介 at 2017年11月24日 18:34
>流行りの「日本スゴイ」話をすれば良かったんだと最近理解しました。

これは、残念だけど、阿Q正伝の精神的勝利法と同じです。かっては、JAPAN AS No.1と外国人の識者に過大評価されていましたが、今は、高齢化と人口減少で、日本という国、民族の相対的な地位の低下は、世界の共通認識です。
小説の阿Qは悲惨な末路を迎えましたが、日本という国の末路はどうでしょうか。所謂ネトウヨと言われる馬鹿の集団が政権を取る暗い未来が頭に浮かびます。
Posted by 兼六園 at 2017年11月24日 20:56
戦後生まれの自分はともかくとして、シニアの日本人に対して、「そろそろ根拠なき精神論に決別すべきだ」などと言うと「今頃、何を寝ぼけたこと言っているのだ」としか言われないでしょう。特に戦前生まれの日本人の多くは「『神国』日本は絶対に負けない。最後は天が味方する」等の軍部の「根拠なき精神論」を信じて太平洋戦争に突入して行ったわけだから、「根拠なき精神論」なる言葉は、トラウマになっている(中国人に対して、毛沢東の実情を無視した「根拠なき精神論」の「大躍進政策」になぜ決別できなかったと言ったとき、どう感じるか?興味あるところ)。

そんなトラウマを持つ「根拠ない精神論」なる言葉であるが、概して組織や自分が置かれた立場・状況を把握し、客観的に自分をみることができ、仕事もできる者は、根拠を重視する。その意味で、宋氏の「仕事ができない人間に限って、空元気を出し、精神論を振る舞う傾向があります」の言葉は正しい(もっとも、根拠のないGDP成長率の空元気と「一帯一路構想」で精神論を振り回している中国政府はどうか?などと思ってしまうが)。

しかし、戦後教育で育った日本人なら、「仕事できない人間」でも、それが「根拠のない精神論でしかないことはある程度わかっていると思う。 戦前の「根拠なき精神論」の弊害については、学校教育のみならず家庭内教育で教えられているし、企業に入れば、品質管理の思想が根付いている企業であれば、何かにつけては「空論をほざくより、数字で示せ」と言われるはずだから。

さて、宋氏は「元気がもらえる」、「元気をください」という日本語を嫌いなようだが、「元気がもらえる」、「元気をください」は精神的な側面だけで使う言葉ではありません。講演前に講演者に「元気がもらえる」、「元気をください」と依頼する側の意図は、講演者が経験した事例と同じ問題に直面している(であろう)聴衆者に、具体的な解決策を打つのにヒントになる事例を聞かせて欲しい、解決できた事例を示して欲しいと言ってるだけのこと。問題をどう解決するか頭を悩ましている聴講者にとって解決した事例を知ることは「元気、すなわち解決に向けた模索の努力」を後押しするから聴かせて欲しいと言っているだけのことだと思う。

宋氏は「上司から「褒めてほしい」というビジネスマンも増えています」とも述べているが、なぜビジネスマンがそう言うのかの背景について触れなければ意味はない。「上司から「褒めてほしい」」と言うからには、「上司がどのような叱り方をしているか」に触れなければ意味はない。「自分の業績に傷がつくから叱る」上司と、業績に加えて「部下の成長をちょっとでも願った叱り方をする」上司とは、叱られる側の立場からすれば見方はまったく異なる。

職業柄、若者と接する機会は多いが、精神的に自立した若者ほど、褒める側の者(教師であったり、先輩など)の魂胆は、よく見透かしていた。叱るにしても単に「自分の自尊心・利益から叱る」叱り方と、叱られる「若者の成長を願って叱る」叱り方の違いは、見事なほど見極めていた。「頭ごなしに叱るのではなく、その背後にある努力の考え方や姿勢を訊いてもらってから叱ってくれ。考え方や姿勢に対して意見を言ってくれ」が、「上司から「褒めてほしい」」との背後にある動機かと思う。 さらに言えば民主主義、平等主義の下で育った若者は、政治家も社長も上司も一人の人間としか見ていないことも原因しているかもしれない。

 秦の始皇帝なきあと、貴族出身のエリートで武勇に優れてはいるが、民衆の話は一切聞かない「項羽」と、人の話をよく聞くが凡庸で武勇なき「劉邦」が戦い、最後に劉邦が勝利して漢王朝を打ち建てた。その原動力になったものは、多くの民衆が「民衆の心情をくみ取って利益を共有する施政を劉邦はするであろう」と考えためとされている。ビジネスでいえば、社員の仕事の積み重ねを見守り、業績のみならず社員の利益も考える仕事をする上司が最終的に勝つとの教訓を含んだ歴史話だ。「上司から「褒めてほしい」というビジネスマンの心理は、このような社員の心情が背後に隠されているのでは。

最後に「褒めてもらわないと元気が出ない」『弱い日本人』が増えたと述べているが、古今東西、どこの国でも力のある者に対しては、甘言を呈して褒める者が必ず出てくる。「褒めてもらわないと元気が出ない」日本人が多くなったことは、逆に日本人(ビジネスマンや従業員)が力をつけ「褒められることが当たり前」になって、我がままになっただけではないかと思う(一人っ子政策の下で育った中国の若者も同じでは?)。強くなった日本人の立場にふさわしい扱いをしろと言ってるだけのことはないのか?
  中国では、「褒めてなくても元気を出している」強い中国人は、増えているのかどうか、それはなぜかも含めて興味のあるところです。
Posted by 大木みきお at 2017年11月24日 21:35
宋さん「そろそろ日本人は根拠なき精神論と決別すべきだ」
日本人「何が…?、無理です。」
「そろそろ宋さんは日本人に言っても無駄なことに気づくべきだー!」なんて冗談です。失礼しました。
確かに仕事を頑張りすぎて過労死や鬱病になってはいけませんからね。ただ多分今の日本人は褒めてほしいとか元気になりたいとかあるかもしれませんが、仕事などのやりがいや生き甲斐を感じる事により幸せを感じる気質が高いのかもしれません。
Posted by 0084(単細胞) at 2017年11月25日 00:13
今日本人は他人からどう見られるか気にしすぎです。逆に言えば見られていなければ何をしてもよいということでしょうか。
大企業の検査逃れ事件を見るとそう思います。
この傾向と、中国に比べて、若い人たちが起業独立しようという気概が少なく、留学する人も減っているのと関係があるような気がします。
かっての日本人はそうではありませんでした。
たとえば明治維新の志士たちは幕府の要人や藩主の顔色を伺って行動したでしょうか。
たとえ命を投げうっても自分の良いと信じた事を貫いたからこそ、日本の変革が成功したのです。
人の評価は棺を覆った時に定まるという中国の
ことわざがあるそうですが、若い人には他人の評価を待って行動するのではなく、自分の考えを持って行動してほしいと思います。
Posted by Khop at 2017年11月25日 09:36
岡目八目から購読させていただいております。
宗さん、多分宗さんはいつまでも日本に対して客観的な見方を出来、意見を発信していただける貴重な方であるとしみじみ感じています。
「元気をもらう」は私もきらいですが、日本人の精神論は別物です。
きっとここが、ごく近い人種でありながら中国民族や朝鮮民族との決定的な違いなのでしょう。
大和民族として決して失ってはいけない「精神論」は何時までも持ち続けることが大和民族のアイデンティティだろうと改めて感じました。
ところで植物は適切な管理が必要ですが、これは愛情があればこそ。
人の子も、食事と教育だけを適切に行えば人として成長出来るとは限りません。愛情は絶対条件でしょう。
ただし、大人の社会人に対しては異論がある事でしょう。
大人を他人が「育てる」というのはおこがましい。大人は自ら他人を見習いながら「育つ」ものだと思います。
それぞれが1個の人格として、自分の望む方向に進もうとする意志があるはずです。
私は人を動かす場合は、自分の一挙手一投足が人に影響を与える。その影響の方向を事前に予測して、望む方向に動くよう自らの行動を起こしていました。
いつもいつもその通りに反応してくれたわけではありませんが、動かしたい人の進みたい方向に影響を与える行動を自らが行う事によってのみ、人は自らが望む方向に動いてくれる。
これが私の人生における行動哲学でした。
「ほめた」から人が育つものでもなければ「叱って」人が育つわけではないと言いきれます。
Posted by takedatakeda at 2017年11月25日 17:18
[精神一到、何事不成]
これは中国朱子学からの教えではなかったでしょうか?

マルクス主義あるいは仏教・キリスト教にしても、発祥の地で消化実践出来ず、他国に渡って花開いたもの。
精神論が、中国ではなく日本に渡り、特に江戸時代の社会を構成するまでに花開いたものです。
歴史は勝者の歴史。戦中の教えは全て間違ったものと教えられた戦後育ちの私たち。
本来の精神論を忘れた日本の子孫たちは、大企業や政治家のトップとなり嘘を当たり前に実践させ昨今の不祥事として表に現れてきたのでしょう。

そろそろもう一度、本来の「精神論」に戻りませんか。大和民族!
Posted by takedatakeda at 2017年11月25日 18:41
いやいやイイ線衝いています。当方も随分と前から、日本人は何時から「物貰い」になったのか?余ったモノをお裾分けと言うことはあったが、「頂戴!」とは?15年ほど前に高野山から始めて高野山で終わる「歩き遍路」を、13年ほどかけて終えました。終わりの頃に「遍路公害」との言い方が札所の近くの人から出始めました。同時に「ここにはお接待がありますか?」と言う人達が現れ始めましたと。宋さんの気付きの頃と同じです。
その頃から、自ら考え自ら行動することをやらなくても良い環境になったのでしょう。上げ膳、据え膳です。人間は、元々が怠惰で在り意識しないで置けば易きに就きますから。
海外の研修生に経営管理を教えることをやっています。「サムライ」はよく知られています。彼等には、サムライとは「優しい心と、強い力を持っている」「自分の座標位置を認識して、その任を果たす(分を知る)」「出来ない約束はしない。した約束は必ず守る」と言った行動が自らできる人のことを言い、それを支えているのは「克己」だとしています。彼等は説明に納得し、折り紙の兜を憶えて帰国します。
Posted by 武蔵 at 2017年11月27日 21:42
いやいやイイ線衝いています。当方も随分と前から、日本人は何時から「物貰い」になったのか?余ったモノをお裾分けと言うことはあったが、「頂戴!」とは?15年ほど前に高野山から始めて高野山で終わる「歩き遍路」を、13年ほどかけて終えました。終わりの頃に「遍路公害」との言い方が札所の近くの人から出始めました。同時に「ここにはお接待がありますか?」と言う人達が現れ始めましたと。宋さんの気付きの頃と同じです。
その頃から、自ら考え自ら行動することをやらなくても良い環境になったのでしょう。上げ膳、据え膳です。人間は、元々が怠惰で在り意識しないで置けば易きに就きますから。
海外の研修生に経営管理を教えることをやっています。「サムライ」はよく知られています。彼等には、サムライとは「優しい心と、強い力を持っている」「自分の座標位置を認識して、その任を果たす(分を知る)」「出来ない約束はしない。した約束は必ず守る」と言った行動が自らできる人のことを言い、それを支えているのは「克己」だとしています。彼等は説明に納得し、折り紙の兜を憶えて帰国します。
Posted by 武蔵 at 2017年11月27日 21:43
なにごともバランス、
振り子の原理でゆれているのは
恐らく、どこの国でも、どの民族でも、
さらには、どんな種でもいっしょだろうと思います。

自らを知り、新しきを開拓、開墾するには、
他者と交わり、もまれて
余計な泥や装飾を振り払うことが
必要でしょう。

自ら考えることは、われわれ人間に課せられたお題目でもあり、
自由に解き放たれるための道具でもある。
残念ながら、スマホくんに夢中になるあまり、
前どころか前後左右見えなくなり、
五感は鈍り、
健康まで損なわれつつある。

ガラケーでまず漢字が描けなくなり、
スマホで道具に完全に支配されているのは、
恐らく中国とて同じこと。

便利には副作用があり、長生きにはリスクがある。

楽しくない人生が長くあっても仕方ないけれど、
長くなったら、仕方なく楽しくする方策を考えないと晩年に詐欺にあったり、怨恨の炎にもゆる、
ある意味波乱万丈な最期を迎えることもあるかもしれない。


宋さんのコラムや、コメント欄を拝読しながら、10年前、20年前と日本人は何が変わっただろうかと思いはする。

DNAが皆複雑につながっていることを考えると、
日本人というくくりも、徐々に無駄になってくるのかもしれない。


花と同じく、掛け合わされている我々は、

天候に左右されるから、

ある程度は身を任せるのが



肝心で、寛容で、よう、かんで、よか。


かもしれません。


まとまりませんが、雑感です。
Posted by 松田がんこ at 2017年12月01日 18:18
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