魅力より快適

投資の経験を持つ方なら実感で分かると思いますが、同じ金額でも儲かった時の愉快な気持ちよりも、損した時の嫌な気持ちのほうがずっと大きいのです。心理学者の研究によればそのインパクトの大きさは後者が前者の3倍にも達するそうです。

分かりやすく言えば、人間は100万円儲かった時はうれしいですが、100万円損した時の悔しさや落ち込みは3倍ほど大きいのです。これがボラティリティの大きい金融商品が嫌われる理由でもあるのです。つまり、損得が激しい取引は例え最終的な利益が多くても、人間はその過程で多大な心理的コストを払わざるを得ないため、敬遠されるのです。

今日は投資の話をするわけではありません。この「三倍原理」を使って人間同士のお付き合いについて考えてみたいと思います。

ある人と1時間ほど会話するとしましょう。その人は地味な人でユーモアな話、面白い話、示唆に富んだ話、珍しいニュース、洒落た、つまり印象に残るインパクトのある話が一切出なかったとしましょう。

これと逆にもう一人の人は大変印象に残るタイプの人だとしましょう。ユーモアで物知りで熱意をもって語ります。しかし、会話の中で一回だけですが不快なことを言われたとします。

一回で終わる話ならば、どちらの人でも別にかまいませんが、今後繰り返し長いお付き合いしなければならない場合、間違いなく前者のほうが快適になると思います。特別に洒落たことを感じませんが、快適に付き合える人間と、面白いことを言えるが、時々不快にさせられる人間のどちらがいいかと言えば、間違いなく不快にならない人間と長いお付き合いをするでしょう。

これを男女関係で言えば、不快にさせられる洒落た美人は愛人に適するが、静かで快適にさせてくれる普通の女性を奥さんにしたいと考える男性は多いと思います。

外見が良くて外交的な女性が居るとします。この人は1時間の会話の中でだいたい一回くらいのペースで人を不快にさせるようなことを言います。もちろん人によって不快かどうか、あるいはその不快に感じる度合いは異なりますが、問題は人を不快にさせていることに気付かないことです。

軽いお付き合いならともかくとして親友になることや家族になることは難しいでしょう。親友や家族とはわくわくすることではなく、安心して快適にそして静かに一緒に過ごすことが一番大事です。週一回、あるいは月一回大喧嘩するような相手とは、長く続かないのです。

日本も中国も夫婦について「喧嘩するほど仲がいい」という説がありますが、これはたぶん本当の喧嘩を指していないと思います。あるいは喧嘩する夫婦の仲を取り繕うための誤魔化しだと思います。

「三倍原理」によれば毎月一回でも不快な喧嘩をすれば積み上げてきた幸せな記憶を全部破壊してしまうだけの威力があります。特に喧嘩の尾を引く相手だともう苦痛の記憶しか残らないはずです。

この頃なかなか結婚しない人が増えていますが、ある意味分かります。長年一人暮らしに慣れた人にとって確かにつまらない時や寂しい時もありますが、一人でいれば不快なことはまずありません。慣れない人、特に不快にさせられる人と一緒に過ごすことはたいへんリスクを感じてしまうでしょう。だから結婚は若くて人間関係について無知のうちにやってしまわないとなかなか面倒なことになるでしょう。

男女だけではありません。よく観察してみると魅力的な人よりも感じの良い人、つまり嫌味のない人はよく集まりやパーティーに誘われるのです。一見存在感の無い人だと見られてしまいますが、長い目で見ると定期的に人を不快にさせる人よりずっと他人に良いイメージを与えています。

結婚相手を探す時も社員採用する時も、人間は相手から魅力を探そうとしますが、長いお付き合いするならば、魅力よりも不快をさせられないことのほうがずっと価値があるのです。しかし、これは一目惚れや面接では、分かりません。

また。子供の教育においても、人に好感を与える教育よりも、不快を与えない教育のほうがもっと子供の財産になるでしょう。まあ、前提は親がそのことを分かった上で、自分も実践できることですが。
この記事へのコメント
ここで何を言いたいのか、ちょっと考えてしまいました。
もしかすると、経済成長が著しいのに政治体制のせいで実際より悪く言われている人口13億人の国のことかな、なんてね。

政治家もそうですよね。将来のこと、目の前の問題の解決のために頑張ったとしても、一言変な発言をすると実績なんて全部飛んでしまう。企業も同じ。

それより、何もしない、何も生み出せない、可もなく不可もない、無難な人間(組織?)が安心感があるとか。

そんなもんなんですかね、
Posted by さわむら at 2017年10月13日 08:57
宋さん、いつもメルマガを興味深く読んでいます。先日、ある教育関連の小さな会社の株主総会で、年一回会う野村の横井正紀さんに再会しまして、中国情勢を興味津々で聞きました。表面的には否定しても日中には欧米に対する何らかのコンプレックスがあると思っていますが、同じアジア人である日中同志間ではどうでしょう?日本は中国にほとんどコンプレックスはないと考えていますが、中国は日本に対してありますか?直観的なお答えで十分ですし、これを何かに利用することはまったくありません。Nakagiri

Posted by 中桐有道 at 2017年10月13日 09:02
不快なことを言わない。
思いやり、おもてなしに通づるものがありますね。
とても大事だと思います。大賛成です。
でも、その人が他にないビジネスモデルや科学技術を持った人だったらどうしましょう。
おせっかいかもしれないですが、自分の意見として指摘してあげる方がいいと思います。
自分自身出来ていませんが。また、そもそも耳がイタイ話ですが。
Posted by 旭富士 at 2017年10月13日 09:25
深い反省をもって読みました。
これまで毒にも薬にもならぬより、毒か薬かでありたいと思ってきました。
自分が引っ張っていくところでは、それなりにうまくできていると思いますが、誘われる方はあまりうまくできていないと感じています。仕事はまあ、何とかなるにしても、豊かな人生という意味では、なんとなく心配になっています。
今さら方針転換は難しいにしても、方針の調整はトライしてみたいと思います。
反対に、たまに不快なことを言う人たちは、意識的にもうちょっと広い目で見たいと思います。いいことを9割くらい言ってくれてる可能性もあるってことですので。
今まで同じような話をされたり読んだりしてきたと思うのですが、今回はぐっと納得しました。
Posted by う。。 at 2017年10月13日 09:27
宗さん

いつも楽しみに拝読しております。
今般この「三倍原理」について、考えた事があります。
私は心理学者の提唱される通りの人間なのですが、ギャンブル好きの方々はその逆ではないのか?と。
私はギャンブルをしません。損したら3倍悔しいからです。
損しても損してもギャンブルを続ける人は、得した時のアドレナリンが(多分)多く分泌されるのでしょう、そんな事を考えました。
してみると、中には「不快」な事を付き合いの中で望む人もいるのではないか?
なんて事も考えると、なかなか複雑だなぁとも思えるのです。
Posted by 風雅 at 2017年10月13日 09:34
宋さん
毎回楽しみに拝読いたしております。
今まで、何か国かで仕事をすることがあり、それぞれのお国の文化に触れることがありましたが、宋さんほど、それぞれの文化の違いを理解されている人はいないのではないかと感じております。
そのうえで、今日の話は、私が小学校を卒業するときに、偶然目にした、己の欲せざるところ人に施すことなかれという論語の精神に繋がっているように理解できました。
相手を不快にさせないというのは、本当に難しい話です。
小学校を卒業して、50年経過していますが、未だに到達できません。
後、20年、精進を続けていければと考えております。
Posted by 篠澤潤一 at 2017年10月13日 09:42
毎回含蓄のある話をありがとうございます。
今回のお話は言われることは分かりますが、そういう毒にも、薬にもならない人ばかりだと快適かもしれませんが、刺激もなく進歩もないように思います。典型的日本企業の人事のようですね。
Posted by カンポ at 2017年10月13日 09:55
いつも有難うございます。
凄い仕事より間違いの少ない仕事の方がいいです。
但し、何かを変える必要がある時は別だと思います。
将棋で苦しい局面を打開した妙手は本になりますが、
本当の将棋は本には書かれていない考え方にあります。
それを分かっている人がプロでしょうか。
仕事、経営も同じ事であろうと思います。

アマチュアリズム、大衆迎合、みたくもない。
政治が内向きの人気取りに終始しているうちに
爆弾落とされて国が終わります😢
いい加減な製品を出してユーザーの責任にすり変え
ようとする動機付けが少しでもあったのならば、
打つべき手をすぐに打って欲しいものですね。

次回コメントも楽しみです。
Posted by sparerib at 2017年10月13日 10:25
話が本筋から離れますが
喧嘩するほど仲が良いと言うのは、日本では以下の理由によるものです。
不快な思いをしたときに、それを伝えて喧嘩になります。喧嘩すると、その後に同様の不快な事が起き難くなります。これに対して喧嘩が怖くて黙っていると不快な思いが何時までもに生じて不満が蓄積します。結果として仮面夫婦となります。日本にも本当に仲の良い夫婦は一定数ありますが少数派です。ほとんどは喧嘩夫婦か仮面夫婦となり、喧嘩夫婦の方が仲が良い結果となります。
欧米では仮面夫婦は多くが離婚しちゃうので考えられない状況でしょうね。
Posted by kakitaro at 2017年10月13日 11:38
いつも興味を持って、拝読させて頂いていますが、今回は特に示唆に富んだ内容に感じました。
特に結婚されている宋さんの独身の人が増えている分析は鋭いです。
何となく感じていたことを明示化して頂きました。
これからもいろいろ勉強させて頂きます。
Posted by BYU at 2017年10月13日 13:50
 「100万円儲かったときのうれしさより、100万円損したときの悔しさは三倍大きい」との三倍原理は、一面では正しい。例えば、金融商品を買い持ちして値上がりをじっと待つ「ロングポジションをとる時間」よりも、値下がり始めたとき、我さき先を争って売る「シートポジションの時間」の方が、圧倒的に短いのも「三倍の悔しみ」を味わいたくない心理と言える。 
しかし、それが「ボラティリティの大きい金融商品が嫌われる理由」と結論付けるのは、正しくない。ボラティリティの高い金融商品ほど、暴落するとき、ショートポジションをとっていた者に膨大な利益を生じさせるからで、過去に投資で財を成した者の多くは、暴落時に「恐怖心に打ち勝って勇気をもってショートポジションをとった」ことが功を奏している。

 それと同じで人間関係でも「不快な思いをさせられないことが魅力であることより価値がある」とは限らない。魅力的であるとは、「自分の将来に役立つ自分にないものを持っている」、「自分があこがれている面を持っている」、「自分が到底なしえないことを成し遂げた」など、「自分の理想」に重点がある。しかし不快な気持ちとは、現在の「自分が絶対」であって、その気持ちを「他者に押し付けようする」ときに生じる気持ちでしかない。

 パーティ会場で、見知らぬ人から、自社の欠点や悪評を言われて不快に思わない者はいない。しかし、そう思う者ほど、将来はない。「クレームの中に宝あり」であって、不快に思わされる中にこそ、自社の真の姿や欠陥が見いだされて、自社がさらによりよくなるトリガーにつながるからだ。気心が知れ合った友人ほど、不快なことをずばり言うし、不快な行為をする。しかし不快な点は些細なこととして無視してでも友人関係が長続きするするのは、自分にないものを持っていて、自分をインスパイアするものがあるからだ。

  男女関係でも同じで、我が家の家内などその典型であって、いつもガミガミと不快なことしか言わんが、それでも死ぬまで添い遂げることになるはずだ。貧しいい境遇で育った拝金主義の家内からすれば、理想からかけ離れた金しか稼がない夫など「不快の極致」でしかないが、それでも一緒にいるのは、金がもつ意味(正確には、金があることで、もたらす人生の充実感にそんなに差があるものではないこと)を知ってるからでしょうな。

 日本人は子供のころから過剰なほど「他者に不快を与えない」、「他者の気持ちを気遣う」、「他者からの見た目を気にする」教育をされてきている。他者を信じることからはじまる集団全体のメリットを重視する日本人特有の考え方が教育も出ているが、日本以外の多くの国では「他者はどうであれ自分の考えは明確に表す」、「他者は他者、自分は自分」、「自分の利益が再優先」の個を確立する教育が初等教育で行われる。 だから、米国で子供に意見を求めても、「わからない」などいう回答は。まったく帰ってこない。世の中に正解などないことを信じているからであって、正解があることを前提とした日本とは根本的に発想が違う。 
さらには某国の旅行客など、航空機の中で気にくわなければ大げんかをしてもあたり前、恥かしがることもなく平然としている(実際、目撃して驚きましたがね)。

  しかし、他者に不快を与えないことは、自分のアイデンティティを犠牲にすることではないことに日本人は中学頃から自分で気が付き始める (マッカーサが日本に進駐したとき、日本人の精神年齢は13歳だと言ったとか言わなかったとかされているが、その真意は「日本人は13歳の少年のように、昨日まで敵であった者に対しても大人(立場が上の者)から言われたことは忠実に守る」その姿を言ったに過ぎない。その片鱗は、たった六メートル幅の号が付いていると横断歩道で、車が絶対来ないとわかっていても赤になるまで忠実に待っている姿は、米国人からすれば異様な姿でしかない)。 選挙権が18歳からになってからは、さらにその認識が早まってきているようだが。

 いずれにせよ、歳をとり、海外に幾度もなく出かける経験を積みにつれて、日本がどこへ行っても日本語が通じて、同じように文化や話題、心情を共有でき、同じ心配りが理解してもらえ、このような日本に生まれたことが如何に貴重であるかを、日本人の血に流れている遺伝的伝統として強く意識するようになってきているわけです。

 戦前であれば、それが軍国主義につながったこもしれないが、世界を知るようになって現代の日本人には、それが自然と育っている気がします。
Posted by 大木みきお at 2017年10月13日 23:27
「100万円儲かったときのうれしさより、100万円損したときの悔しさは三倍大きい」との三倍原理は、一面では正しい。例えば、金融商品を買い持ちして値上がりをじっと待つ「ロングポジションをとる時間」よりも、値下がり始めたとき、我さき先を争って売る「シートポジションの時間」の方が、圧倒的に短いのも「三倍の悔しみ」を味わいたくない心理と言える。 しかし、それが「ボラティリティの大きい金融商品が嫌われる理由」と結論付けるのは、正しくない。ボラティリティの高い金融商品ほど、暴落するとき、ショートポジションをとっていた者に膨大な利益を生じさせるからで、過去に投資で財を成した者の多くは、暴落時に「恐怖心に打ち勝って勇気をもってショートポジションをとった」ことが功を奏している。

それと同じで人間関係でも「不快な思いをさせられないことが魅力であることより価値がある」とは限らない。魅力的であるとは、「自分の将来に役立つ自分にないものを持っている」、「自分があこがれている面を持っている」、「自分が到底なしえないことを成し遂げた」など、「自分の理想」に重点がある。しかし不快な気持ちとは、現在の「自分が絶対」であって、その気持ちを「他者に押し付けようする」ときに生じる気持ちでしかない。

パーティ会場で、見知らぬ人から、自社の欠点や悪評を言われて不快に思わない者はいない。しかし、そう思う者ほど、将来はない。「クレームの中に宝あり」であって、不快に思わされる中にこそ、自社の真の姿や欠陥が見いだされて、自社がさらによりよくなるトリガーにつながるからだ。気心が知れ合った友人ほど、不快なことをずばり言うし、不快な行為をする。しかし不快な点は些細なこととして無視してでも友人関係が長続きするするのは、自分にないものを持っていて、自分をインスパイアするものがあるからだ。

男女関係でも同じで、我が家の家内などその典型であって、いつもガミガミと不快なことしか言わんが、それでも死ぬまで添い遂げることになるはずだ。貧しいい境遇で育った拝金主義の家内からすれば、理想からかけ離れた金しか稼がない夫など「不快の極致」でしかないが、それでも一緒にいるのは、金がもつ意味(正確には、金があることで、もたらす人生の充実感にそんなに差があるものではないこと)を知ってるからでしょうな。

日本人は子供のころから過剰なほど「他者に不快を与えない」、「他者の気持ちを気遣う」、「他者からの見た目を気にする」教育をされてきている。他者を信じることからはじまる集団全体のメリットを重視する日本人特有の考え方が教育も出ているが、日本以外の多くの国では「他者はどうであれ自分の考えは明確に表す」、「他者は他者、自分は自分」、「自分の利益が再優先」の個を確立する教育が初等教育で行われる。 だから、米国で子供に意見を求めても、「わからない」などいう回答は。まったく帰ってこない。世の中に正解などないことを信じているからであって、正解があることを前提とした日本とは根本的に発想が違う。 さらには航空機の中で気にくわなければ大げんかをしてもあたり前、恥かしがることもなく平然としている。

しかし、他者に不快を与えないことは、自分のアイデンティティを犠牲にすることではないことに日本人は中学頃から自分で気が付き始める (マッカーサが日本に進駐したとき、日本人の精神年齢は13歳だと言ったとか言わなかったとかされているが、その真意は「日本人は13歳の少年のように、昨日まで敵であった者に対しても大人(立場が上の者)から言われたことは忠実に守る」その姿を言ったに過ぎない。その片鱗は、現在でも残っており、たった六メートル幅の信号が付いていると横断歩道で、車が絶対来ないとわかっていても赤になるまで忠実に待っている歩行者の姿は、米国人からすれば異様な姿でしかない)。 選挙権が18歳からになってからは、さらにその認識が早まってきているようだが。

  いずれにせよ、歳をとり、海外に幾度もなく出かける経験を積みにつれて、日本がどこへ行っても日本語が通じて、同じように文化や話題、心情を共有でき、同じ心配りが理解してもらえ、このような日本に生まれたことが如何に貴重であるかを、日本人の血に流れている遺伝的伝統として強く意識するようになってきているわけです。
  戦前であれば、それが軍国主義につながったかもしれないが、世界を知るようになって現代の日本人には、それが自然と育っている気がします。

Posted by 大木みきお at 2017年10月13日 23:51
「100万円儲かったときのうれしさより、100万円損したときの悔しさは三倍大きい」との三倍原理は、一面では正しい。例えば、金融商品を買い持ちして値上がりをじっと待つ「ロングポジションをとる時間」よりも、値下がり始めたとき、我さき先を争って売る「シートポジションの時間」の方が、圧倒的に短いのも「三倍の悔しみ」を味わいたくない心理と言える。 しかし、それが「ボラティリティの大きい金融商品が嫌われる理由」と結論付けるのは、正しくない。ボラティリティの高い金融商品ほど、暴落するとき、ショートポジションをとっていた者に膨大な利益を生じさせるからで、過去に投資で財を成した者の多くは、暴落時に「恐怖心に打ち勝って勇気をもってショートポジションをとった」ことが功を奏している。

それと同じで人間関係でも「不快な思いをさせられないことが魅力であることより価値がある」とは限らない。魅力的であるとは、「自分の将来に役立つ自分にないものを持っている」、「自分があこがれている面を持っている」、「自分が到底なしえないことを成し遂げた」など、「自分の理想」に重点がある。しかし不快な気持ちとは、現在の「自分が絶対」であって、その気持ちを「他者に押し付けようする」ときに生じる気持ちでしかない。

パーティ会場で、見知らぬ人から、自社の欠点や悪評を言われて不快に思わない者はいない。しかし、そう思う者ほど、将来はない。「クレームの中に宝あり」であって、不快に思わされる中にこそ、自社の真の姿や欠陥が見いだされて、自社がさらによりよくなるトリガーにつながるからだ。気心が知れ合った友人ほど、不快なことをずばり言うし、不快な行為をする。しかし不快な点は些細なこととして無視してでも友人関係が長続きするするのは、自分にないものを持っていて、自分をインスパイアするものがあるからだ。

男女関係でも同じで、我が家の家内などその典型であって、いつもガミガミと不快なことしか言わんが、それでも死ぬまで添い遂げることになるはずだ。貧しいい境遇で育った拝金主義の家内からすれば、理想からかけ離れた金しか稼がない夫など「不快の極致」でしかないが、それでも一緒にいるのは、金がもつ意味(正確には、金があることで、もたらす人生の充実感にそんなに差があるものではないこと)を知ってるからでしょうな。

日本人は子供のころから過剰なほど「他者に不快を与えない」、「他者の気持ちを気遣う」、「他者からの見た目を気にする」教育をされてきている。他者を信じることからはじまる集団全体のメリットを重視する日本人特有の考え方が教育も出ているが、日本以外の多くの国では「他者はどうであれ自分の考えは明確に表す」、「他者は他者、自分は自分」、「自分の利益が再優先」の個を確立する教育が初等教育で行われる。 だから、米国で子供に意見を求めても、「わからない」などいう回答は。まったく帰ってこない。

しかし、他者に不快を与えないことは、自分のアイデンティティを犠牲にすることではないことに日本人は中学頃から自分で気が付き始める 。 選挙権が18歳からになってからは、さらにその認識が早まってきているようだ。

  いずれにせよ、歳をとり、海外に幾度もなく出かける経験を積みにつれて、日本がどこへ行っても日本語が通じて、同じように文化や話題、心情を共有でき、同じ心配りが理解してもらえ、このような日本に生まれたことが如何に貴重であるかを、日本人の血に流れている遺伝的伝統として強く意識するようになってきているわけです。
 現代の日本人が広く世界を知るようになって、それが自然と育っている気がします。
Posted by 大木みきお at 2017年10月13日 23:55
初めてコメントさせていただきます。
いつも「自分はどう考えるか?」と、楽しい宿題をいただき有難うございます。

今年初夏より、自分で人生を決めている22歳と19歳の息子達に、宋さんのmailを転送させていただいております。

昨日宋さんからいただいたmailに対し、15歳から自分の意思で海外へ留学している、次男から来たコメントがあまりにも素直で微笑ましかったので、お礼と共に送らせていただきます。
有難うございました。

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色んな人と出会うからこそ人生は楽しいのであって、楽して何も苦労せずに生きて来たいならそもそも人生を楽しめないはず。
壁があるからこそ乗り越えた時の達成感が自分を成長させ、色んな経験をしておくことは一生、財産として自分の中に残る。経験しないことは人を成長させないと思います。

俺の人生はいろいろありますが、その出来事の一つ一つが次の成功への鍵だと考え、無駄なことは一つもないと思います。
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Posted by akesan at 2017年10月14日 07:25
宋さん
なんだかホッとしました。気の効いた事言えない人間なので。 
私の通った小中学校には、知的障害者の特種学級がありました。 清掃委員で、よく清掃後 学校中見回ったのでしたが、特殊学級はいつもキチンと机が並び、清掃が行き届いてました。(清掃中先生がずっと監視してるのかな?) 修学旅行の時も一緒でした。 私達を頼りにして、ついて来ました。 
宋さんの仰りたい事と違ったかもしれませんが、魅力より快適という言葉で、思い出してしまいました。

Posted by 末永美枝子 at 2017年10月14日 09:09
先日、親しく付き合おうかと思っていた友人とお酒を飲んだ時に、不快な一言がありそれ以来最小限の付き合いに変えました。たった1度の不快な言葉で付き合いを変えたことに、それで良かったか迷っていましたが今回の宋さんのコメントを読んでこれで良かったと納得しました。いつも的を得た納得できるコメント有難うございます。
Posted by junsan at 2017年10月16日 07:53
今回はまた静かな中にパッションを感じるコメントですね。
何かありましたか?
Posted by Pu_san at 2017年10月16日 08:40
何時も貴重なmail有難うござ会います
本日の3倍原理 非常に的を得てます 私も輸出業を行い 又 相場(STOCK MARKETS)をやりただ無我夢中で今日を生きてる感じです 人間としてあまり有益な人生でないと思います しかし 本日は人生に幾らか "的”を得た感じです  有難う御座います
Posted by    k. n. at 2017年10月16日 18:34
いつも楽しく拝見しております。
今回は少し違いました。
>不快にさせられる洒落た美人は愛人に適するが、静かで快適にさせてくれる普通の女性を奥さんにしたいと考える男性は多いと思います。
この文書がひっかかってしまいました。
結婚して家庭をもつのと同じように愛人を作ることを当たり前と考えている人の言葉だなと思います。女性を下に見ているとも思います。
こんな事を平気で言う人はきっと男性としての魅力も乏しく、人間性も低いので美人からあしらわれてきたのでこんな事を言うのだろうなとも思います。
そして不快にならないように選択して生きていたら
>問題は人を不快にさせていることに気付かないことです。
まさしくそんな人になってしまうのではないでしょうか?
そして楽しさを捨てて不快にならないことばかりを選択している人はつまらない魅力のない人間になるように思います。
今回の文章はがっかりしてしましいました。
Posted by 鈴木 楓 at 2017年10月20日 14:19
人間心理の分析が斬新で的確です。大変興味深く拝読しました。
Posted by 清水健一 at 2017年10月21日 15:53
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