娘の質問に答えて

今年から私の四人の子供全員が米国の高校や中学校で学ぶことになりました。暇になった私達夫婦は、旅行を兼ねて子供たちを訪ねることにしました。

高三の長女を車に乗せて買い物に行っていた時です。後部座席で宿題をしていた彼女が突然「パパ、正義についてどう思いますか?」と聞いてきました。どうも学校の宿題が某哲学者の本を読んで感想を書くことだったようです。その哲学者は「金銭や権力から独立した普遍的な正義が存在する」と主張しています。

普段から正義についてまじめに考えたことはないのですが、「普遍的な正義が存在する」との言葉に自分の神経が強く刺激され、とうとう子供に熱く語る羽目になりました。

「その哲学者はきっと苦労したことのない人か、経験の浅い若者だと思う。パパはいろいろな国のいろいろな文化背景や宗教を持つ人と会って、彼らはそれぞれ自分の正義感を持つことを知っている。個人的に付き合うと滅多に悪い人はいないが、同じ問題に対して自分の正義感から出した結論はまるで違う。つまり、現実としては普遍的な正義は存在しない。人々はよく自分の正義こそ普遍性があると信じたがる。」

「正義感が強いほどタチが悪い場合がよくある。他人のことを否定し、現実や事実を無視する、あるいは自分の信念に沿うように現実と事実を解釈する。」

「例えば今進行中の米国の大統領選挙。クリントンとトランプに対して大半の米国人が反感を持っているのにも関わらず、この二人のどちらかを大統領にしなければならない。米国の政治システムは世界で最も進んだシステムであるかのように、米国のエリートは信じているが、それは米国が一番強く一番豊かだから、そう信じられてきただけだ。戦後の歴代米国大統領が、その米国の民主主義が世界にとって普遍的な正義だと思い込んで、その政治システムが合わない国々にも強引に押し付けた結果、イラクやシリアの悲劇が起きている。」

「パパからみれば、正義でも悪でも道具に過ぎず、目的ではない。人々が生活の中で正義を考えた場面は少ないはず。豊かな生活をすることが最も重要な目的だろう。自由があって貧しい生活をするシステムは自由に貧乏になるシステムだ。逆に豊かになることは、それなりの自由がないと無理である。したがって、目的は正義ではなく、豊かさに置いたほうがわかりやすい。豊かであることは物凄く発信力がある、豊かな社会のシステムが自然に魅力的になり、人々から『正義』であるように感じられるはず。」

「人々が権力者と戦うのは正義のためではない。より良い生活をするためだ。戦って勝利した人々から新たなリーダーやシステムが誕生するが、多くの場合、結局同じことをするようになる。」

「米国人のほとんどは世界中から移民してきた人達だ。歴史も文化も中国や日本などと比較すればないに等しい。だから特殊な正義が多い。たとえば『銃所持の自由』はその一つの典型だ。政府も統治も行き届かないこの大地にやってきてインディアンから土地を奪って自分を守るのは自分だけであった。これは数千年前から土地をきちんと所有して丁寧に耕してきた中国では考えられない状況だ。そんな特殊な略奪歴史に始まった銃所持は歴史の長い国から見れば明らかに異常であり、人々の生命を危険に晒すシステムだ。政府も警察も法廷も整備された今、個人が銃を所持しなくても、個人の権利は十分に守られる。廃止すればいいのに、米国の正義によって未だに強く守られている。」

「この正義は明らかに陳腐化したもので、ライフル協会などの利権団体の道具になっているが、米国に文句を言う国はいない。なぜならばこれまでの米国は一番豊かで強かったからだ。もし米国よりも豊かで強い国が現れたら、米国の正義の多くは疑われるだろう。」

「・・・あれ、もうそろそろ着くな。行きより帰りがえらい早かったな?」

「それはあなたが熱く語ったからよ・・・」(助手席にいる妻の声)
「・・・・・・」(後ろの娘が半分寝ている)

住宅街の玄関先にはトランプの看板が目立って、なぜかクリントンのものは見つかりません。
この記事へのコメント
昔、冷戦時代の論争を思い出しました。
資本主義国側は、「共産主義の国には自由が無い。」
共産主義国側は、「資本主義の国の自由は、貧乏になる自由だ。」
どちらも真実ですが、共産主義の国は大部分滅んでしまいました。中国は、政治的には共産主義ですが、経済的には資本主義が基本です。
現在のアジアの人々にとっては、中国の自由の一つは、「南シナ海を勝手に埋め立てて自国の主権を主張する事や、東シナ海に進出しようと勝手な行動をすること。」ですね。経済力や軍事力で近隣の国を威圧して自国の自由を実現しようとする行動も、自分の主張のみを正しいとする困った現実ですね。
Posted by 旧旧車 at 2016年09月16日 08:34
いつも考えさせるテーマで楽しく読んでいます。「金銭や権力から独立した」という分野がどこを限定しているのかわかりませんが普遍的な正義なんぞ存在しないと思います。正義は人のマインドセットによって変わってくると思います。環境が変わればころころと正義は変わります。
Posted by snoopy at 2016年09月16日 08:49
宋さんもとうとう四人の子供全員が米国の高校や中学校に生かせてしまったね。それってアメリカの事をこのような評価をしていいのか?
Posted by 李 家麒 at 2016年09月16日 08:51
子供全員が米国の学校で学ぶとの事、おめでとうございます。これで貴国共産党幹部と同様に、子供にグリーンカードを取得させて、貴国がヤバくなったら子供をアテに脱出できますね!重ね重ねおめでとうございます!!
Posted by kann at 2016年09月16日 08:53
いつも興味深く拝読しています。
息子も物事がわかる年に差し掛かり、いつも世界に起きる事実をどう伝えるか悩むようになりました。

無垢に正義という幻想を信じる事がないよう、幅広い見地から自らの幸福を追求してもらえればと。

そう言いつつ自分も何かの見地に立って、息子に同様な価値観を持って欲しいと押し付けているのではないかと自省をする事も多くあります。

絶対的な真実や正義などない。難しいものてす。
Posted by 岩永 at 2016年09月16日 09:07
宋さんおはようございます。いつものヘソ曲がりです。

今朝の宋さんの「現実としては普遍的な正義は存在しない。人々はよく自分の正義こそ普遍性があると信じたがる」というご意見には異論はございません。

ただ、今般のご意見の内容は、米国人あるいは米国の『正義』を中国共産党政府から見た「正義感」で論じられており、決して【普遍性のある正義】ではありませんよね。

国際的同意を無視する南シナ海問題、強引なこじつけの東シナ海問題、チベット族・ウィグル族の人々を蹂躙するチベット問題・ウィグル問題、北朝鮮への制裁決議に賛同しながら軍事燃料等を供給し続ける問題等々、中国共産党政府が行っている行為の数々を例に挙げて、お嬢さんに『正義』ということの捉え方をお話されるべきではないでしょうか。

少なくとも、大国による覇権主義には『正義』というものは存在しえないと考えます。

Posted by 田中 晃 at 2016年09月16日 09:10
 日本語の「普遍的な正義」というのは、そういう意味でしょうか?
 「人はそれぞれ自分の正義感を持っている」というのは、私も全く同感です。
 「唯一正しい正義感が存在する」と信じる人もいて、それはそれで一つの正義感です。
 いろいろな種類の正義感が共存する現実の中で「普遍的な正義」は存在すると私は思います。
 それは、さまざまな正義感の中の一つだけが正しいのではなく、すべての正義感の中で共通する原則が存在すると私は思っています。
 「豊かさが最も重要な目的」という考え方が「普遍的正義」とは思いません。それは、いろいろある正義感の一つです。
 日本の歴史には、貧しく生まれても「義」のために権力と戦うという考え方もあります。日本でもそれは少数派かもしれませんが、それが間違っているとは思いません。
 もしかすると中国でも厳密には同じかもしれません。孔明が正しいか、曹操が正しいかの議論に正解はないと思います。
 もし「普遍的正義」が全く存在しないなら、争いのない世界も存在しません。
Posted by 堀内 at 2016年09月16日 09:11
「もし米国よりも豊かで強い国が現れたら、米国の正義の多くは疑われるだろう」
まさに、中国の狙いはそこですね。そして、中国が世界一の強国になったら、今度は「歴史的権利」が「正義」に代わって幅を利かせるようになるのでしょうか。
「正義」が普遍的なものではなく、ご都合主義の押し付けになりがちだというご意見には賛同します。「銃を持つ権利」が正しいとはいえないというのもそのとおりでしょう。しかし、客観的に見て何が正しいかを模索し、立場が違う者同士で話し合う努力は必要だと思います。世界中の国が都合のよい時代を持ち出して「自国の領土だ」と言い出したら、永久に紛争が続くのは明らかです。
「国際法は強国が勝手に決めたものだから無効」という宋さん(=中国)の論理を用いるなら、日本だって大戦中は多くの領土を持っていたし、それを放棄させられたのも戦勝国の勝手な条約で、調印を強制されただけだから無効だ、ということになります。協調する努力もせず、ひたすら「力による現状変更」に突き進む某国の姿勢が間違っていることに気づきませんか。
Posted by H.Mari at 2016年09月16日 09:29
今回の宋さんの豊かさこそ第一義であり、普遍的な正義は存在しないという意見には賛同できません。現在世界中に起きているテロは、決して正義を追い求めた結果ではなく、宋さんのような考え方に則って豊かさを得ようとしても、手に入らない若者の絶望感が生んでいるものですが、そのようなテロを肯定されますか? 人間には、経済的状況に関わらず普遍的な倫理(正義)があり、それは権力や金銭とは関係ありません。
日本には「名こそ惜しけれ」という言葉が中世からあります。名誉こそなによりも代えて貴ばれるべきという考えで、武士道精神の根幹になっています。明治維新は「名こそ惜しけれ」の精神が実現したようなものです。その上で、経済の発展は不可欠ですから勿論連動することではあります。
しかし今の世の中は、食べ物は余り捨てられ、人類の長い歴史から考えれば、相対的に豊かな世の中といえます。経済的優位だけを追求しなくても幸せな行き方は沢山あります。その中で尊ばれるべきは寧ろ正義であり、経済的論理ではないのではないでしょうか?
Posted by nicd at 2016年09月16日 09:35
すばらしい内容でした。実に奥深いものがあります。戦後、GHQは日本人に「習字」を極力止めさせようとしました。理由は、”時間の無駄”というもので、子供(小学生など)が習字に費やす時間をもっと他の有効な学習に充てるべきだという主張でした。日本人のある人が反論しました。「習字は、やらわかい毛筆で丁寧に書く学習の為、性格が穏やかになり、身じまいを正し、礼儀正しい人格形成に役立つものです。従い、習字を行う者の犯罪率は極めて低いのです。」と言っています。アメリカ人の表層的なものにすべて従う必要はないと思いました。
Posted by 浜川勤 at 2016年09月16日 10:17
昔、冷戦時代の論争を思い出しました。
資本主義国側は、「共産主義の国には自由が無い。」
共産主義国側は、「資本主義の国の自由は、貧乏になる自由だ。」
どちらも真実ですが、共産主義の国は大部分滅んでしまいました。中国は、政治的には共産主義ですが、経済的には資本主義が基本です。
現在のアジアの人々にとっては、中国の自由の一つは、「南シナ海を勝手に埋め立てて自国の主権を主張する事や、東シナ海に進出しようと勝手な行動をすること。」ですね。経済力や軍事力で近隣の国を威圧して自国の自由を実現しようとする行動も、自分の主張のみを正しいとする困った現実ですね。
Posted by 旧旧車 at 2016年09月16日 11:12
「正義」について賛同するところはありますが、豊かさがすべてとのご意見には日本人としては若干違和感があります。もう少し深い意味があると思います。
「米国」に関するご意見は全くその通りと思いますが、4人のお子さんが米国留学という皮肉に、混沌とした世界の現状を感じます。
世界はどこへ行くのでしょうか?
Posted by 丹内 寛 at 2016年09月16日 11:48
はじめまして。
とても面白いテーマですね。
差し支えなければ、是非宋さんの意見に対するお子さんの意見や議論も知りたいです。
ところで宋さんの「正義」の定義は、お子さんの言う「正義」の定義と同一でしょうか?
宋さんが指摘している「正義」はアメリカの権力者が好んで「正義」として指し示すもので、哲学者が定義するそれとズレている気がします。
Posted by F.Yuko at 2016年09月16日 12:10
と言いながら、子供全員を邪悪なアメリカに送り込むw
Posted by x at 2016年09月16日 12:38
会話が取り交わされた言語によって展開が多いに変わり得る題目だと思います。

残念だけれど、現代日本語だと表層的な観察に留まって仕舞うと思う。現代日本語は外来語の塊で、取り込まれた言葉の元の意味を熟知する人は皆無に近い。更に、文字(漢字・ひらがな・カタカナ・ローマ字など)も外来で個々の文字の起源を知る人は少ない。其の様な表層的な言語を道具にして深淵な思考を行うのは多難な事だと思います。

「正義」のetymologyを、先ず、掘り下げる必要があると思います。日本語であれば「正」と「義」に別けて其々の元の意味を精査し、複合語の「正義」の意味と背景をお互いに共有して初めて掘り下げられる話題だと思います。

多分、会話の過程で「価値」に遭遇するでしょう。更に、「個」や「共有」と云う話題が不可避に成って来ます。更に深堀すると、「意味」とは何かを問う必要に迫られるでしょう。

如何して空気振動(音声)の特定の組み合わせや特定のインクの染み模様、刻み込み模様や画面の明暗模様が言葉として媒体から掛け離れた「意味」を持ち得るのか。「意味」の起源は何処にあるのかなど、果てし無い大課題に発展するでしょう。

「正義」の本質を問わず、得体の知れない札として不問に伏せ、其の札の扱い方に終始するならpragmatismを用いてお茶も濁せるでしょうが、「正義」の札を解剖し始めると一生では足り無く成るかも知れません。
Posted by 川口滋 at 2016年09月16日 12:57
正義について
知的財産の仕事をしています弁理士の森哲也と申しますが、「正義」について意見をのべさせて頂きます。

正義とは、端的にいえば人間の社会における行動規範であり、それは、宗教や文化、そして時代によって内容が異なります。


「正義」の内容が、 宗教や文化、そして時代によって内容が異なることなるのであるから、普遍的なものではあり得ません。

例えば、現在では、世界宗教といわれるキリスト教、仏教、そしてイスラム教があります。

そのキリスト教のアガペ(対価を求めない愛)、仏教の慈悲、イスラム教の貧者への施しなどにおいては現在でも共通した行動規範として受け入れられる正義でしょう。

しかし、イスラム教の「異教徒は敵であり殺せ」アメリカの「銃で身を護る」は、少なくとも現代においては、大方の世界で受け入れられない行動規範(「正義」)でしょう。

宋さんは、正義は目的ではなく道具であり、目的は豊かになることであると仰る。

法哲学の世界でも「正義」を実現する「法」は、支配・治国の「道具」であるとする道具論があり、法の一側面を説明しています。

しかし、正義が豊かになるための「道具」であるというのは、短絡した結論であると思います。

アメリカの銃で自らを防衛する自由は、アメリカの建国の歴史によって醸成された「正義」であり、他の自由主義国の現在の「正義」とは明らかに異なり、受け入れられない「正義」だと思います。

なお、その若い哲学者のいうとされる、金や権力から独立しているかどうかは、正義論とは直接関係はないことと考えるべきです。

ここで、「正義」について直接考えるならば、人間の行動規範としての「正義」を担保する「法の支配」についてお考えになるとよいと思います。

「法の支配」の淵源を訪ねるならば、紀元前のギリシアはアテネにおける人間の魂の叫び「自由」にあります。

「法の支配」は、現在は市民法秩序において自由や人権を護るために必要とされています。

同じように紀元前の中国における思想家の孔子が唱導した他人との関係を律する「礼」、老子の唱道した「無為(精神の自由)」、そして法の道具論ともいうべき商鞅・韓非子の法家思想は、参考になります(宋さんの故国における哲学は素晴らしい)。

お嬢ちゃんのアメリカでの正義についてのお勉強の間違いのないようにと思い、老婆心のような意見を述べました。

以上
Posted by 森哲也 at 2016年09月16日 15:24
今回に関して2度目の投稿ですが、もう1点指摘させていただきます。
哲学の正確な定義は知りませんが、哲学者はあるべき姿を追求して世間に示すのが仕事ではないでしょうか。空理空論で良いとまでは言いませんが、あるべき姿を描いて見せる段階では、必ずしも現実に囚われる必要はないと思います。そして現実の社会に生きる個々人が、それぞれ社会や自身の環境などの現実に即した生き方をする上で参考にすれば良い話。しかも、今回は学校教育の中での話でしょう。理想はこうだ、とした上で、実現するにはどうしたらよいか、実際にはどういう障害があるのか等を考えさせるのが目的のはずです。それを「苦労したことのない人か経験の浅い若者」と切って捨てて何になるのでしょう。意見は意見として、「現実はこうだよ」と言って聞かせれば良い話ではありませんか?
今回の話は、米国嫌いの宋さん(そのくせ皆さんご指摘の通り子供は米国に・・・)が、反射的に、ヒステリックに反応しただけで、失礼ながら教育上も良くないことだったと思います。娘さんが寝てしまったのが救いですが・・・(笑)。
ついでにもう一言。「数千年前から土地をきちんと所有して丁寧に耕してきた中国」「特殊な略奪歴史」には、思わず吹き出してしまいました。ウイグルやチベットの問題はどうなんでしょう。現在は南シナ海を丁寧に耕しているんですか?
もう少し冷静になって、ご自身(自国)を見つめなおしてはいかがでしょうか。
Posted by H.Mari at 2016年09月16日 17:14
普遍的「正義」は確かに無いだろう。私もそう思う。しかし「世界は一家、人類皆兄弟」ではないでしょうか。(そう言った人がどんな人だったかは今は聞かないでね。)
国際社会に協調性は必要ですよ。正義は無くとも、不正義というか、絶対悪はあると思うぞ。人類の存続とまで言わないまでも、ある民族の存続を脅かすのは、やはり「悪」だと思う。
Posted by kurohara at 2016年09月16日 19:15
追記しますが、今のアメリカ人で、かつてネイティブアメリカ人を虐殺した事実を「正義」と認めている人は誰一人はいない。タブー視している人は多いかもしれないが。もし「正義」の戦いだったと言っているアメリカ人がいるなら教えていただきたい。銃の所持だって「正義を守るため」にではない。「護身のため」に正当化しようとしているだけだ。イラクに関しては、彼らは正直「正義」ではなかったと内心では認めている。ただそれを今認めると補償問題につながりかねないから言わないだけだ。まあ、後件に関しては、私の憶測ですが。
Posted by kurohara at 2016年09月16日 19:58
宋さんにAGREEです。
人それぞれの善悪がありますよね。
Posted by 笹崎 at 2016年09月16日 21:30
興味深い課題だと思います。67歳の年寄が到達した「金銭や権力から独立した普遍的な正義」について、ご参考までに。戦争を始める時は、必ずと言っていい程、大義(正義)を掲げます。しかし、この大義(正義)の中には、必ずと言っていい程、それを振りかざす者の「エゴ」が隠されています。旧日本軍の満州進出も大東亜共栄圏の実現等と言っていましたが、利権獲得という野望が本心な訳です。中国や中国人の幸せを第一に考えた満州進出ではなく、日本の利益追求の為でありますから、侵略となってしまう訳です。米のイラク侵攻も、「大量破壊兵器をイラクが保有」というデッチ上げの理由で行われた訳ですが、本当のところは、「石油決済をドルからユーロへ」と言い始めたフセインを潰す為という話があります。米国のエゴが優先されている事は、間違いないと思います。本当の正義の行いとは、他者の利益のみを考えて行うもので、自己のエゴを放棄した行いです。日本人は、かなりこの方面の意識を強く持ち、活動した人々がいます。ペシャワール会の中村哲医師や中国クブチ沙漠緑化実践協会を設立した故遠山正瑛氏等です。この人達のような考えが、世界に広まっていけば、世界は住みやすい楽園へと変わっていくでしょう。
Posted by 片山 泰都 at 2016年09月16日 22:05
こんにちは。はじめて投稿させていただきます。

少し前からのツィッター読者で、「刺激」を受けてきました。接点を持ってよかったと思っている者です。

今回の発言、たいへん面白く読みました。そのとおりともではないのですが、傾聴に値しました。

お子さん全員、アメリカで勉学というのはさびしい気持ちになりました。全員でなくてもとも思うのですが。これはわたしの愚痴ですが。

今後ともよろしくお願いします。

不尽 160917 植田英隆(札幌市)
Posted by 植田英隆 at 2016年09月17日 09:50
 「正義とは」難しいですね。「現実的には普遍的な正義は存在しない」というのは良く分かりますが、それでは寂しすぎますね。早い話「戦争は悪」と言うのは多分頭ではわかっていても、どちらも自分に正義(大義名分)があって引き起こされるものでしょうから。人間とはそういうある意味愚かな生き物だと理解せざるを得ないのでしょうか。
 哲学者は、頭でものを考えるのだから「普遍的な正義は存在する」と言っているのでしょう。私だったら普遍的な正義の存在は難しいが、そうする(なる)ためにはどうしたら(なったら)良いのかまで考えることが必要だと思います。多分教育的には、このことを考えさせるために出された課題ではなかったでしょうか?
 宋さんのおっしゃる「豊かさ」を目的とするというのは、「豊かさ」をどう捉えるかによっても違ってくるのでわかったようでわからない話になっていると思いました。娘さんはだから寝てしまったのでは?
Posted by 樋口良介 at 2016年09月17日 16:08
MITやハーバード等での中国系留学生や研究者は、質、量いずれにおいても、日系人の存在感を感じさせない程圧倒的な成果をたたき出している。しかし、一般の大多数の日本人はこの事実を知らない。アメリカは、コンサバからリベラルまで多様な価値観が存在するから、批判や議論は自由。そして、日本がかつて「ミイラ取りがミイラになってしまい」世界を敵に回して負け戦をおっぱじめたときは、当時の指導者は「正義」を主張していた。今アメリカは日本の4倍、中国は3倍の経済規模だが、日本は長い間経済規模は変化していない。アメリカで教育を受けさせる事は、堅実だと思う
Posted by たうちゃん at 2016年09月17日 22:35
金儲けしか興味のない知能上の貧乏人の世界はこうなるのか。貴族に生まれたことを幸せに思う、ははは
Posted by 別府有光 at 2016年09月18日 16:05
初めまして。
今回のコラムに非常に興味を引かれ、コメントさせていただきます。

不詳私も「普遍的な正義」は存在しないと考えております。
逆に、「普遍的な悪」あるいは「絶対悪」は存在すると考えます。
私利私欲の為だけに奪い、殺す事。これはどの文化圏においても「悪」と定義されるでしょう。
ですが、文化圏、宗教、あるいは個人のポリシーによって、「殺す」事を悪とする境界線が変ります。
狂信的な菜食主義者であれば、どのような肉食行為も許されないでしょう。
一般に仏教であれば、出家は生臭を食さずとも、信者にはそれを強制はしていないはずです。
私個人は、「食べる為に殺す」行為はむしろ称賛すべきであると考えております。無論、「命をいただく事に感謝する」事が必須の条件で有り、またこの命の定義には動植物の別はありません。
正義とは、「正しい(と考える)義」であると考えております。なので、何が正しいかは十人十色でありましょう。であれば、正義もまた十人十色であって当然と考えます。
と言いますか、個人的には、正義とは、「悪」に対するカウンターとしてのみ存在するものではないかと考えております。悪が存在するから正義が必要となるのであって、正義があるから悪が発生するのではない、と言う考え方です。
私の考えかたが「正しい」かどうかは検証のしようがありません。考え方は十人十色でありますから。ですが、「外部に悪を設定する事で自信の正義を正当化しコミュニティ内の安定を図る」行為が洋の東西も時代も関係なく普遍的に存在する事がその証左であるような気がしてなりません。

長々と自説をぶって誠に恥ずかしい限りでありますが、最後に一つ申し上げたいのは、私は宋さんのコラムを拝見するにあたり、それはちがうだろうとか、そう見えるのかとか、不愉快であったり、感銘したり、そういった視点の違い、個人としての考え方の違い等を非常に大事にしたいと思っております。
これからも日本の日常に埋没したサラリーマンでは得られない視点からの指摘を得たく、宜しくお願いいたします。
Posted by 七面鳥 at 2016年09月19日 12:00
いつも楽しく読んでおりますが、今回は残念でした
宗教家や哲学者の中には死をかけてまでも、意思を通す人はいます
日本の武士を知らないのでしょうか?
自分の誇りのために死をとしてまでも腹を切るのです
宗さんがお会いした方はあくまでも経済家という肩書きの方とお会いする人、純粋な宗教家ではないと思います
大衆的な宗教家と真の宗教家は全く別の人種とも言えます
経済家は大衆を相手にするのが仕事なので仕方がないかもしれませんが、それで世界を説明するのは無理があります
経済家は経済を語るべきです
Posted by 阿部太一 at 2016年09月21日 22:42
宋さんは、頭がおかしいんじゃないんですか?
「人々が生活の中で正義を考えた場面は少ないはず」と言っていますが普通の人間は日々、政治家の汚職などのニュースを見れば、生活の中で正義について考えます。あなたは世界認識がおかし過ぎです。「豊かな生活をすることが最も重要な目的だろう」と言っていますが、それのために正義について考えることの重要性を軽んじるのはおかしいです。「豊かであることは物凄く発信力がある、豊かな社会のシステムが自然に魅力的になり、人々から『正義』であるように感じられるはず」。それは感じられるだけで、あなたはそこには実際には本当の正義があるわけではないと言っているわけですね。本当は正義ではないけど他国から正義であるように見えて経済的に豊かな生活をして自由も確保されていればそれで良いというわけですね。
宋さんの考え方を聞いて、なんで中国で天安門事件の民主化運動が潰されてそれ以来、中国人が『腰抜け』なのか分かりました。金の亡者で「正義」についての考えが浅いから、政治的革命が起こせず、歴史上で一度も選挙が実施されたことが無いというおかしな国なんですね。あなたみたいに正義を軽視したりテキトーなスタンスでいるから中国人は民主革命を起こせず、社会的進歩ができないんですよ。宋さんの考え方の浅はかさに中国人のダメさが凝縮されています。子供にみっともないからそんな考えを教えるのを止めなさい。「正義より経済的豊かさで、経済的豊かさは他国から正義があるように見える」とか言う珍妙なまやかしの理屈を自信を持って子供に教えている大人はおかしいですよ。実がない。偽物の商品を作るのは中国人の得意技ですが、あなたは偽物の思想で十分、本当の正義は要らないと子供に教えているようなもんです。恥を知りなさい。
Posted by Mishima at 2016年09月25日 13:13
とても興味深いテーマだなと思いまして思わずコメントいたします。

コメント欄も熱い物が多いですが、私は単純に「各自の正義」=「各自の都合」だと思ってます。

普遍的な正義=普遍的な都合だとも思います。

立場が違えば各自の都合で正義を言うのは当たり前ですよね〜
Posted by yotabou at 2016年09月25日 22:39
はじめまして
たまーに拝見させていただいています。
違った視点でものを見られていて参考になります。

「金銭や権力から独立した普遍的な正義が存在する」
これを見て思ったのが大学時代の教授のようだったなと。
「正義感が強いほどタチが悪い場合がよくある。他人のことを否定し、現実や事実を無視する、あるいは自分の信念に沿うように現実と事実を解釈する。」
全くその通りで、合理的思考は無く、自分の理想論を振りかざし、立場の違う者と妥協案や解決策を受け入れず、独裁的排他的思考を貫く。
周りは迷惑を被り、その影響を最も大きく受けるのが能力の低い弱者です。
大学時代、教授は研究に対する思考・手法が自分と反するものを否定し、学生の正義は勉学だと就活を許さない程の研究量を与えていました。
それでも優秀な人は片手間の就活で就職先を見つけるが、それは少数派。
私は先を見据えてなりふり構わず逃げて被害は最小限に抑えましたので(腐ったミカン的扱いを受けましたが)、今は笑っていられますが、一握りの優秀な人以外は本当に可哀想でした。

私は正義とは金銭や権力など、一定の欲求が満たされているからこそ存在できると思います。
だからこそ、正義より先に金銭や権力などの欲求をある程度満たせる状態である事が大事だと思います。
Posted by もこもこ at 2016年09月28日 02:39
普遍的な正義という言葉を聞いて、アンパンマンを思い出しました。

作者のやなせたかしは、戦争中の従軍体験などから、普遍的な正義など存在しないという思いに至り、 普遍的な正義があるとしたら、それは飢えている人にパンを与えることだけだと言う思いから、アンパンマンの創作に至ったそうです。

普遍的な正義は無いという前提の元に、普遍的な正義について学問することが重要なのだろうと思います。
Posted by 水野誠二 at 2016年10月12日 22:43
何とか宋さんから中国の先生にお助けいただけるようにしていただけないでしょうか?

日本の政治家は、米一粒も与えませんでした。

このような人間性の、日本の政治家を

宋さんでも信用できますか?

日本国民ですら、いや世界の国民ですら
米一粒くらい、やれよ

というのが普通の人間性です

面白がって米一粒も与えないのが日本の政治家の人間性です
Posted by Terrttt at 2016年10月24日 21:28
宗さんのコラムを日経オンラインの時代から、拝読させていただいていました。
靖国について書く時は、靖国に実際に行くといった、実際に自分の目で見て確かめるという姿勢や、自分の真意が伝わるように吟味して言葉を選んでいると思われる文章に感銘を受けた事を覚えています。
このコラムを読んで感じたのは失望でした。
「その哲学者はきっと苦労したことのない人か、経験の浅い若者だと思う。」
と書いてますが、「その哲学者」と会って話すまではいかなくても著作を読んだ事があるとは、コラムからは感じられません。
他人を批判するのであれば、その人の主張をしっかりと把握しないと、誹謗中傷になると思います。
私は、アメリカの政治学者の正義についての著作を読んだ事がありますが、その政治学者についての批判であれば、「普遍的正義」という言葉じりを捉えただけの的はずれな批判だと感じました。
Posted by Y.saito at 2016年11月14日 05:24
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