7年前、某大手企業の専務を務める友人に同行して中国の現地法人の会議に参加しました。会議中、一番印象に残ったのは戦略という言葉の乱用でした。課長なのに「わが社の最も重要な経営戦略は売り場社員の教育だ」と言うので腹が立って、「専務と私がここに来たのは現場の状況と皆さんの意見を聞くためだ。戦略を聞くならここに来ない」と言ってしまいました。
漢字の戦略とは「何をどう上手くやるか」という意味ではありません。やらなければならない多くの課題を直視し、「如何に不要の戦を略するか」という意味です。英語のStrategyも「何をしないかを決める」ことです。
このため、組織のトップはいろいろな利益を背景にする人達が思う「重要なこと」をやめさせる覚悟と能力が必要であり、それに伴うマイナス効果も受け止めなくてはなりません。中間管理職はそのような責任も視野も能力もないはずです。
日本のメディアも好んで戦略を使うのです。よくよく読むとアイディアや構想、場合によっては空想に過ぎないのに戦略と語ってしまうのです。
しかし、実は日本社会で語られている戦略の語意に徹底的に足りない基本がもう一つあります。それは時間軸の長さです。1〜3年の話は正直言って戦略と言わないのです。今年にどうするかは戦術にもならず、状況対応に過ぎないと思います。10年、20年、そして30年の時間単位で考えて何をやらないかを決めるのが戦略です。
IT業界のことでいえば、私は90年代に大いに中国のオフショア開発を利用して会社を伸ばしてきましたが、2005年に入って縮小させてきました。2009年には北京の開発センターを閉鎖しました。時代の流れは確実に賃金上昇に向かうので止めるのが戦略です。
昨年の尖閣問題で製造業が中国撤退とマスコミが騒ぎましたが、戦略のある経営者はもうすでにその前から安い賃金を前提とした工場をもっと安い国に移転し始めたのです。日中関係を言い訳にして工場移転を始める経営者は戦略のない経営者です。
国家の戦略も同じだと思います。私は10年後、30年後も日本と中国は今のように対立していると絶対思いません。少なくともトップ同士が会わないような異常関係が長続きする訳がないと思います。
国家の指導者はいちいち目の前のことで口喧嘩をすべきではないのです。特に相手国を名指しで批判しながらトップ会談を求めるのは戦略的ではないだけではなく、戦術としても稚拙です。
この原稿を完成しようとしたところに、今年のオリンピック候補地に巡る投票に際して、中国代表全員が日本を支持したことが判明しました。目前では確かに尖閣で揉めていますが、日本国民を尊重し、将来の和解を考えての戦略的行為だと思います。
習近平も李克強も国内外の公開の場で日本を名指しして批判したことはありません。私は中国のことを褒めたくないのですが、このような姿勢は少なくとも安倍総理より真っ当だと考えます。中国のトップが「日本」を名指しして批判すれば、関係改善を望む普通の日本の方々も傷付けるため、中国の戦略に合致しないからです。
批判は戦術であり、中間管理職の仕事です。組織のトップが目の前のことにムキになり、他の組織を名指しして批判することは日本の礼儀に合わないうえ、自分の戦略にも合わないはずです。こんなことは長い時間軸で考えれば誰にでも分かることだと思いますが。
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今でも「戦略の軽さ」と言う点ではあまり変わってないように思えます。(長期戦略・短期戦略と言う言葉がしばしば経営計画で堂々と使われたりしてますので)
同じ「収益体質への転換」をうたっていても、赤字路線をどんどん切って、全体の利用率の低下から黒字路線まで赤字化させた地方鉄道もあれば、地域の観光開発とタイアップさせブームを作り出すことで赤字路線を黒字に転じ、新幹線まで敷いた地方鉄道もあります。こうした戦術の違いは、結局長期的なビジョンと戦略をどう描くかにあります。
「戦略」と言うものがわからない以上「戦略的な思考」など期待できるはずもなく。
それが今日の企業の明暗を分けているのではないでしょうか。
同様のことですが、機密ということがは多用されすぎています。機密とは、それが漏れることで国家や企業の存続が危うくなるレベルの秘密事項のことで、みなさんが使っている機密は、せいぜい内緒ごとのレベルだと思います。
戦略を一言で言えば、目的を達成するための総合的な方法だと思います。
従って、戦略は立場によって異なります。たとえば、社長の戦略と平社員の戦略は目的が異なるため、通常異なります。
また、目的となるものが異なれば戦略的期間も変わるはずなので、固定的に捉えてしまっているのは誤りではないでしょうか。
さらに、戦略を実行するためには実際の個別の戦術も限定されないはずです。まったく異なる方法を取ったとしても、それが目的を達するための総合的な計算に基づくものであれば、戦略的方法になりますし、場当たり的なものであれば同じ方法でも戦略とはいえません。
従って、個別の行動をもって戦略かどうかを判断するのではなく、その行動が長期的に計算されたものであるかどうかをもってそれが戦略かを判断すべきです。
日本の中国批判のみを取り上げて、中国は批判をしていないというのは印象操作ではないでしょうか?
また、中国が目指しているのは日本のみならず米国をも軍事と経済両面で追い抜いて周辺諸国を脅かす覇権主義です、楽観はとても危険だと思います。
日本のニュースではなく海外のニュースをみている上での感想です。
力による現状の変更を企てる隣国を批判するのは一国のトップとして当然では?
長年にわたって平穏に過ごしていた家に土足で踏み込んで来た泥棒に文句を言った家主を「泥棒は家主を批判してないのに、家主は泥棒を批判するのはケシカラン」と批判しているように見えます。
『世の中も人生も所詮「なるようになる」のだし、「なるようにしかならない」だから面白いと言える。』
これは元野村證券社長の田淵節也さんの言葉
(日経 ”私の履歴書”より)です。
ここで議論してもラッチがあかないと自覚しつつ、ついつい・・・!
「泥棒猛々しい」。土足で韓国・中国を踏み込んだのは正しく日本のではないでしょうか。しかも、日本を含む世界の秩序は今もこの延長線上にある。三度目の正直。日清戦争(1度)、日露戦争(2度)で日本だかったが故に、調子を乗って、日米戦争で敗れ、原爆まで食らってしまった。しかし、のど元も過ぎれば、熱さを忘れる。最近本屋で「安倍は第二の田中角栄になるか」との本があるが、安倍は田中より寧ろ「第二の東条英機になろう」と見える。東条英機は国民のためと称し、国民に押されて、戦争に突入し、敗戦後、A級戦犯と生贄にされた。安倍は「痛恨の極み」「断腸の思い」で靖国神社を参拝しようとし、東条英機の二の轍を踏もうとしているに映る。
従って、今回の「戦略」の場合には、その「はかりごと」の意味が当てはまりますので、宋さんの『如何に不要の戦を略するか』という解釈は妥当ではありません。
このことは、宋さんのおっしゃりたいことの本筋ではありませんが、前提が異なってしまうと、その本筋も不確かなものになってしまいますので、指摘させていただきました。 漢字発祥の地にお生まれになったのですから、正しく漢字をお使いいただきたい。
なお、「戦略」は時間軸が10年、20年ということですが、これもおかしい。 戦略は時間軸で語るものではありません。 戦略とは一種の「計画」であり、先を見越して立てるものです。 従って、将来予測の変化によって戦略も変える必要が出てきますので、長期間の時間軸に拘っていては対応が遅れてしまいます。 ですから、仮に短時間であっても戦略の見直しは十分あり得ます。
また、「戦術」は「戦略に基づく実際の行動」であることは言うまでもありません。
安倍首相と中国トップの姿勢を比較して、日本より中国が戦略的と言うのには「?」です。
敢えて言えば「謀略的」なら、「Yes」でしょうか。
多用される用語が問題なのではなく、中身に乏しい計画、具体化が不透明な計画をカムフラージュするテクニックが日本のマネジメント層にはびこってしまうのが危機ではないでしょうか。
経営コンサルタントと言うご職業の方にも、責任の一端はあるのでしょうか?
避けるべき未来
・軍事衝突
・五輪撤回
・民間殺戮
これを前提にした戦略で《各国リーダー》は責任もたへんとね。
《言論や文化交流による融和そして結果》をもっともっと求めたいところ。
大学生でも日中韓の共同教科書を作ろうとしてはるんです。
国のせいばっかりにしないほうが‥と想いつつ
いっせーの!で沖縄から米軍撤退&台湾が独立したら、東アジアは丸くなったりして笑
そのようなことだから、時間軸のことなど配慮に入れないのでしょうね?愚生のような者には戦略を語る機会は一生ないのでしょうね。戦術もなしに、猪突猛進して転げまわっているような気がします。ハハハハハ・・・・
こんにちは。
戦略とは長い時間軸で、何が「価値」で、どのような変化を作り出すように動いていくことではないかと思います。また必ず相手のある相対的な「関係性」を意識しなければならないのはその通りです。
以下は、ちょっと矛盾を感じました。
「習近平も李克強も国内外の公開の場で日本を名指しして批判したことは
ありません。私は中国のことを褒めたくないのですが、このような姿勢は
少なくとも安倍総理より真っ当」かどうかは、今後時間がたてば明白になっていくと思います。
アジアで最大の軍事力を持った国家が、どのような行動をすればよいのかを示すことが最も大切でしょう。「百の言葉より、一つの行動」だと思います。
アメリカのNGOグループの方が、手を尽くし、この中国人学生をアメリカに呼び寄せ、逃げるようにして出国してきた人です。
この人が言うのに、アメリカに来て、まず驚いたのは,この国では、大統領のことを一般市民が、公然と批判することで中国では全く許されないことだと言っていました。
習金平になってから、かなり国民への言論の自由が阻害されるようになってきた。
更にアメリカに来るまで、1989年の天安門広場での中国政府が国民(学生)にとった事件は全く知らされていなかった。(地方の出身であるためか?)
この学生が大学を卒業するにあたり、アメリカに来ることを妨害するために、何度となく、卒業試験を延期され、アメリカのヴィサをとるに当たっても、いろいろ嫌がらせがあったとのこと。
この学生は、中国にはもう帰りたくないといっています。
ほかにも日本に国費で留学し、今ではアメリカの市民権を取った人も知っていますが、この人も中国には帰りたくなかったからと言うことで、アメリカに来て市民権を取った人です。
こうして、中国人が自分の国(政府)を信頼できず、一体中国と言う国はどこへ行くのでしょうか?
中国も近い将来、昔のソ連と同じような運命をたどるのではないでしょうか?
チベットを侵略し自分の領土とし、更に今回は、ヴェトナム、フィリッピンそれに日本と領土問題で問題を起こしており、昔ヨーロッパの国により一時失った国土を取り返したあとも、更にそれを中国はさらに武力と軍事的な脅しで拡大しようとしているとしか思えません。
世界の大国となった暁には、大国としての責任のある行動をとってもらいたいと思います。
私は中国がWTOに参加が認められたこと、更にオリンピックを開催出来たことで、ある意味で自信を持ったのだと思いますが、世界から尊敬される国になってもらいたいし、真の大国として責任ある、そして尊敬される国になってもらいたいと思います。
最後に宗さんの言われる戦略が時間軸で20年、30年の長きに亘って作られても当然その間に修正はあってよいものと思います。
私が以前勤めていた会社では、月次の重役会議のことを『経営戦略会議』と称していましたが、内実はお粗末なものでした。
戦略に値するものは何一つ生み出すことなく、惰性で事業を継続し、リーマンショックで実質的に破綻しました。
かつて、ヤマト運輸の2代目社長の小倉昌男氏は、その著書『経営学』で戦略と戦術について論じていますが、そこに書かれたことを踏まえて考えると、日本の企業で戦略に値するものを有している企業はあまり無いように思えます。
おそらく、企業に限らず、日本という国全体、あるいは日本人というものが、戦略をつくるとか持つということに適していないのではないかと思います。
戦略が無くても生きていく道はあると思いますし、それを模索すべきではないでしょうか。
そんなわけで、宋さんのmailも今日開いた次第です。
今回の論長論短の趣旨は、
「指導者たる者は他国を名指しで批判すべきではない。国の指導者たる者には戦略があるべきだ。日本には戦略がなく、中国には戦略がある。それは、日本が「戦略」を正しく理解していないためだ。」
ということなのでしょうか?
国家間の利害が対立(という認識)しているのであるから、相手国を「名指し批判」することになるわけで、国のTopがそれをしていなくても国の機関(中国外交部や日本首相官邸など)が発言することはその国のTopの発言と同じ重みを持つものです。
その意味で、中国もTopの意思を代弁して報道官がマスコミに向けて発言している。このように受け止めることが素直ではないでしょうか?
課長が戦略云々することと外交部報道官の発言と違わないとおもいますが、いかがでしょうか。
次に日本では「戦略」という言葉が正しく使われていないということですが、「戦略」は会社Topの専権でしょうか?
戦略の概念を明らかにしたのは中国の孫武です。中国では軍師(将軍)が戦略を考え皇帝に提言して詔勅を受けていたのではないでしょうか。三国演義の諸葛孔明や司馬懿も劉備や曹操の詔勅がなければ兵を動かせなかったようです。
昨今はStrategyを使うようですが、このStrategyはそもそもポリスを守る司令官を語源とし、後方から指示する戦い方を意味するとのことです。
最近では、多方面で「戦略」や「Strategy」が使われています。マーケティング戦略やニッチ戦略など「戦略」を付した「理論」や「経略」を多く目にします。金融の世界では、Strategy、Strategistも多く見受けます。
MBAの経営学で重視するこの戦略やStrategyが現在の使われ方に影響しているのではないでしょうか。
ハーバード大学のトーマス・シェリング教授やロジンスキー教授の「戦略」概念は企業経営やスポーツにまでに応用されています。
「大所高所(長期的・大局的な観点)から物事を俯瞰して為すべき行動・選択・決定を調整する施策・能力」ということではないでしょうか。
さすれば、課長が使っても間違いではありません。
最後に、報道官の発言は一国の元首の言葉を代弁しているのではないですか。元首が自ら発言していなくても相手国に対しては元首の発言と同じ重みを持つのではないかと思うのですが。
中国語にある「戦略戦術」という言葉から、「略」と「術」は意味が似ているはずです。実際、辞書で確認しても「略」は省略という意味のほかに、「計謀」という意味もあります。
楽しませていただきどうもありがとうございました。
『漢字の戦略とは「何をどう上手くやるか」という意味ではありません。
やらなければならない多くの課題を直視し、「如何に不要の戦を略するか」
という意味です。』という部分ですが、そうでは、ないでしょう。略の字は、人の陣地に入って侵略すると言うのがもともとの意味です。それに省略の「省」が付くと、侵略することを省くと言う意味になります。「略」には、省くなどという意味はありません。「戦略」とは、戦をして、人の陣地を奪い取ると言う意味でしかありません。ちょっと、日本人を誤解させてしまいます。よろしくお願いいたします。