国民に支えられた暴力

真面目で未来のある高校生が先生の暴力に耐えられなくて自殺しました。それは特殊なケースではなく、愛知県の調査では昨年4月以降、30高校で教諭や講師ら52人による体罰を確認しました。

教育現場だけではなく、日本を代表する日本女子柔道チームでは、監督による度重なる暴力とパワハラも問題化されました。

十数年前、「やっぱり変だよ日本の営業」を書いた時の心情を未だに覚えています。本当に怒っていました。根性を求める鬼軍曹の営業管理職が営業マンを殴ったり罵声を浴びせたりするのは日常茶飯事でした。ノルマ証券と言われた某証券会社の知人が支店長に階段の上から蹴り落とされ、腰に大怪我を負いました。

ただの暴力なのに「熱血」や「根性」と美化され、被害者もそれを受け入れている土壌が日本にあります。一列になった営業社員を順番に殴っていくベンチャー社長に「社員が辞めちゃいませんか」と聞くと「奴らは私に殴られて嬉しいんだよ」と言われました。多くの社員を殴って腫れあがった手を自慢する知人も居ました。

外国人には野蛮で非人道的な風景ですが、教育と称して普通に行われた日本の営業業界。私はその異常な風景から営業分野に潜むムリ・ムダ・ムラに気付き、ビジネスとしてそれを改革するソリューションを始めました。

十年経って、日本の営業も確実に根性営業から提案営業に変わってきましたが、その「根性営業」をもたらした教育は未だに変わっていないようです。

先日、教育問題でコメンテーターを務めたフジテレビ「新報道2001」の調査によると5割以上の親が未だに先生による体罰に理解を示しているそうです。

これこそ私が悲しくなる理由です。

いじめ問題は世界のどこの国にもあります。しかし、先生によって執拗な暴力を加えられるのは日本の特殊現象です。教育力がないから暴力の恐怖に頼ります。アメリカならすぐ警察に届けられるでしょうし、中国なら親達が殴りに行っているでしょう。

日本の部活や体育会系は殆どカルト宗教に近い雰囲気があります。暴力、暴言がなくても、強制力の強い空気があります。用もないのに居ることが大切であり、同じ時間に帰るのは義務です。この強制力は学校の普通の授業よりもはるかに強い場合が多いのです。

体育教育と部活では日本社会の「道徳」が形成されているといっても過言ではありません。先輩先生に無条件服従であること、理不尽に耐えること、無駄な時間を皆で過ごすこと・・・これらの悪習はそのまま日本企業の年功序列、ディベートできない、無駄残業に繋がります。

そんな学校で道徳を教えるなんて馬鹿げています。それはダメな管理職によって新人が教育されるようなものです。そんな時間があったらもっと自由、自主にスポーツを楽しみ英語を学ぶ時間を増やしてもらいたいものです。

安倍さんが主張する教育改革を私は心より応援しています。日本の現状を根本から変えたいならば教育から着手するのが早いと思います。

教育現場の暴力問題はあくまでも教育全体の問題を覗く小さな穴にすぎません。日教組を無くせば、教育委員会を無くせば変わるような簡単な問題ではありません。教育する側の大人達が一緒に変わらない限り教育は変わりません。


この記事へのコメント
たまに高校生の部活の試合を、OBとして見に行くことがあります、そこには生徒達と各高校の部活顧問だけしかおらず、一般の施設を借りて練習試合しているにもかかわらず、貴重な時間を皆先生の挨拶を30分も聞かされ、黙って立ったまま、号令がかかるまで運動を開始しません。日本の教育現場は、生徒の自由度が少なすぎると思います。宋さんのおっしゃるとおり、時間効率は二の次であり、皆と同じであることを強制されます。このあたりのバックグラウンドは戦時中の考え方に由来しています。体罰や我慢を強いる教育方法は、戦争で生き残った人達が信じた統率手段であり、スポーツに対し科学的根拠は無いし戦にも負けている。戦後50年以上経ってもまだそれが最善の方法と思っている日本人はスーパー後進国民です。
Posted by 九州男児 at 2013年02月08日 08:27
行動力や洞察力を人一倍持たれている貴方の力で貴方の祖国を生まれ変わらせる事はできないか。
日本で生きていく事の何十倍ものエネルギーが必要となるでしょうが、今回書かれたレベルよりはるかに凄まじい暴力と奪い合いが日常に溢れる祖国に教育を広めて少しでも成長させられれば素晴らしい行為では。
貴方が真の愛国心を持たれており、祖国の真のの成長に寄与され他国から敬愛される国に変えられる事を期待します。

このコメントの公開は不要です。
議論をしようと思っていないためメアドはダミーです。
Posted by 貴方の力で at 2013年02月08日 08:50
下の者は優秀。
指導者は愚鈍。
国がひっくり返った時にも、責任者はでなかった。
分かっている。分かっている。皆、分かっている。
わかっちゃいるけど、やめられない。
ア、ホレ、スイスイ、、、、、、

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/

Posted by noga at 2013年02月08日 08:59
いつも非常に参考になる話で楽しみにしております。
確かに日本は未だそのような考えが根付いております。私は47歳ですが頭ではわかっていてもそういう部分がひょっとしたら必要かもという思いも無きにしも非ずです。
よく比較される韓国ですがあの国は兵役制度があり徹底的に上下関係を指導され除隊後もその考えが浸透しています。
結局上司からの命令は服従との考えが社会にもあると耳にしています。
その最たる例がサムソン、LGに対してのシャープ、パナソニックとか聞いたこともあります。
力で抑え込む韓国も結局同じようなものなのでしょうか。
Posted by 渡辺薫 at 2013年02月08日 09:28
最近になって優位な立場を利用した体罰・暴力・ハラスメント情報が巷に溢れ出しました。
私も幼少の頃より家庭で、また社会人になって暫くの間は直接に被害を蒙る立場でありました。

家庭でのハラスメントは力関係が逆転しない限り無くならないし、社会でもその場から離脱しない限り自分の前から無くならない。

優位な立場や愛情を利用した体罰・暴力・ハラスメントは卑怯極まりない行為です。

私の考えは、ハラスメントはそれを行う人物の根源的な問題だという事です。

その人物の育った環境がその後のハラスメントを生み出すのです。

愛情があるから叩く。
心配するから叩く。
強くなって欲しいから叩く…。

全て嘘です。

愛情があるなら、言葉を掛けて育めば良い。
心配するのは相手の為ではなく、自分が気になるという心理を満足させたいだけだと理解すれば良い。
強くなって欲しいなら、その手本を示せば良い。

口下手だという理由で手を出すなら、指導資格はない。

勿論、私の子供たちも反抗期などには理不尽な理由で喰い付いて来ましたが、一言で済みました。
「お父さんが力ずくで黙らせるのは簡単だ。でも、それでは納得出来ないだろ?」
子供たちは大らかに育ってくれています。

私は自分の経験を生かして、自分自身にこの言葉を言い聞かせて生きています。
Posted by Dave金・改 at 2013年02月08日 10:26
玉砕攻撃や集団自決の根底にあるものでしょう。一方で以心伝心や思いやりのルーツになっている気もします。良い面が全くないというのも違うと思います。長い歴史の中で培った日本の文化の一つである以上、全否定するのは簡単ではないし、振り子で反対に行き過ぎて、隣の国のようになったら暴力さだで済まされない。
一元中国籍の日本人の感想です。
Posted by youlong at 2013年02月08日 10:32
私の印象では、偏差値の低い高校・大学の運動部で根性練習・体罰が多いようです。多分自分で考えられない人たちの集団で、体罰・根性教育が蔓延るのでしょう。社会人になっても、その延長線上で、考えなしの、能無し・脳無し営業になっている。日本の会社の営業は、「飲ませ食わせゴルフ接待」を介して、お互いに買収しあっている状態で、一種の背任行為に近い。
Posted by 若菜 at 2013年02月08日 10:35
なある!
そういえば、大学時代体育会空手部の寒稽古で社会人のOBが来て、突きの練習中、後ろ足の張りが弱いなどと陰湿なしごきにあった。
分けもわからず、足を蹴られ、消耗するだけなので、ばかばかしくなって以後の稽古は休んだ。
そのOBの目が狂気じみていたので、ヤバいぞと感じた。

その後、その空手部は北海道夏合宿で部員の腹を蹴り、内臓破裂の重体とさせたが、問題を隠蔽した。
私は直感で、あのOBの仕業か、と勘ぐった。
部の幹部会は家族の訴えで、反省文を出したが、活動を自粛もせず、のうのうと続けたな。
昭和50年代の慶応大学体育会空手部の出来事だ。
Posted by 松田源一 at 2013年02月08日 10:36
今回のテーマと提言には違和感以上に「違うのでは?」という感じを持ってしまいました。
特に「国民に支えられた暴力」と言うタイトルは残念ですが、誤認識ではないかと。

宋さんが、現役時代に経験された「日本式営業」の話は確かにあります。しかし、それらの根底にあるものは、そんなに単純なものではないと存じます。

一人の高校生の自殺。その背後に「体罰」と言う問題があった。また、周りの関係者は以前から認識していた。

しかし、身近な存在の家族も、友人も、教師も、彼の自殺を止めることができなかった。

このことを関係者はどれだけ「悔しく」思っているか、想像を絶する思いに違いないと。

教育現場に、教育委員会制度に、戦後の教育に、指導と称した体罰がある、スポコン神話に問題がある…いくらでも問題の指摘はできます。

日本民族、日本人社会にその因を求めるなら、それは「集団主義」ではないかと思います。

日本人は「群がる」習性が非常に強いとよく指摘されます。海外旅行や海外勤務での姿を見ると納得せざるを得ません

このことを逆に言えば「群れ、集団、組織」からはじき出されることを非常に恐れるということではないでしょうか。ある意味、日本人は非常に「弱い」「ナイーブ」な存在だから、「群れ」志向となるのかもしれません。

この「群れ習性」が過去の日本の実績を生んだのも事実です。

明治維新以降の西欧化、戦後の奇跡的な経済復興では、「効率主義」が最優先の政策だったと思います。

それには、「個」を犠牲にした「集団」が必要だったのでしょう。

世界的にも、地域的にも環境も目まぐるしく変わり、複雑化していく時代です。
これに適合できる日本人となるためには、「個人」という存在を尊重する日本人に変わっていく必要があると思います。

さらに、次世代を担う日本人には、物事の本質、原理原則を踏まえた行動が基本マナーとなる「教育」を期待したいと思います。

最後に、星になった高校生のご冥福をお祈りいたします。


Posted by 阿部寿夫 at 2013年02月08日 10:38
いつも興味深く読ませていただいております。

今回の「国民に支えられた暴力」について私も宋さんがお感じの通り全く同感です。

私は50歳ですが。。
友人の多くが部活の体罰あたり前という感覚です。
私はスポーツが大好きですが、中・高校と結局、先輩への理解不能な無条件服従が耐えられなくて部活動をやめた経験があります。

部活での体罰は論外ですし、極論ですが学校教育に部活はいらないと考えます。部活で行っているスポーツは、地域コミュニティが代替えするのが理想だと思います。
子供たちは、そのコミュニティに放課後誰でも参加できる環境が理想です。
「道徳」などだいたい同じレベルの人間しかいない学校で身に付くわけがありません。
「道徳」に大事なのは地域コミュニティとのかかわりです。

またスポーツを極めたい多くの子供たちは、いま学校の部活動に参加せず「クラブチーム」に入っています。

それから酷い公立学校になると過疎化の対策でスポーツ強豪校にして人気取りをしているようなことも横行しています。
子供の教育よりも学校存続が優先になり、そのためにスポーツを利用しているのです。

学校教育という観点からまったく肯定できません。

スポーツ好きにとってもそうでない子供にとっても、学業とスポーツは切り離すべきだと思います。

高校生のスポーツ大会をビジネス化している日本の現状をみると教育とはかけ離れており大きな問題です。
これを変革することは大変難しいことかもしれません。

これは子供のスポーツを利用してビジネスをしているだけです。

子供の教育に既得権益が影響を及ぼすような制度をいつまでも放置していては、日本の子供たちが世界から尊敬される人間にはなれないと思います。

日本の教育制度こそ0ベースでの十分な検討が必要だと思います。

以上、個人的で極端な考えかもしれませんがコメントさせていただきました。
乱文で大変失礼いたしました。

次回のメルマガも楽しみにしております。
Posted by 二階堂隆 at 2013年02月08日 11:16
暴力よりこれは随所で見える日本のユニックな文化だぜ。お笑いのコンビが相手を叩いて、観衆を笑わせたり、お笑い番組で人を痛みをつけて、観衆を笑わせたりするのも当たり前になってることだし。マゾ・サドもある意味ユニックな文化だぜ。
Posted by 得多一途 at 2013年02月08日 11:18
「5割以上の親が未だに先生による体罰に理解を示している」・・・なんとなくわかる気がします。この親の意識から変えなくてはいけない。
 実は僕も『いい体罰もある』と時々思ってしまうのです。

 僕は40代ですが、小学中学高校の12年間で、個人的に一番大好きだった先生は、中学の体育の、いわゆるバリバリ体育会系体罰先生でした。
 体育の始業ベルが鳴った時に、所定の場所に班ごとに直立不動で整列するのが、ちょっとでも遅れると、班長5人が代表で次々体罰。
 内容は強烈な「頭突き」でした。目から火花が出て、後からコブがでてくるような、ハードな頭突きです。

 「おまえらは1回痛いだけだろうが、俺は5回痛い」と真っ赤な額になりながら言っている先生が大好きでした。痛くて涙目になりながらも、そんな先生がとても好きでした。

 ベタな表現で言うなら、「愛情のある体罰」しかも、される側が「愛情を感じる体罰」という事なんでしょう。

 ただ、もしかしたら、他の班長は僕のように感じなかったかもしれない。あるいは、愛情のない体罰をする先生もいるかもしれない。
 僕も違う先生から、そういう冷たい体罰を受けた事もありました。でも、「大人も時々間違えるし、そりゃ気が短い先生だっている」という風に、「勉強」したつもりでした。
 
 僕個人の思い出としては、体罰は何も自分にマイナスはなかったんですが、生徒の育ち方や、先生の力量もさまざまなんで、やはり体罰は禁止があたりまえ、という時代なんだろうなぁ、とは思います。僕みたいに、なんとなく思い出を美化して体罰もいいじゃん、なんて考えが、時代に合わないんだろうなぁ、と感じます。

 長文失礼しました。
Posted by 鈴木俊二 at 2013年02月08日 11:51
教育改革には賛成ですが、本質は教育現場だけではない。宋さんが最後に書いた「教育する側の大人達が一緒に変わらない限り教育は変わりません。」です。また暴力と教育は別物、結びつけるのが間違いです。ただ服従させるための暴力(言葉や優越な立場を利用した行為を含む)は犯罪です、教育の手段だろうが営業の成績のためだろうが行為そのものが犯罪であることを認識すべき。反面、人間は社会や自然の中で自分を守るため、生きていくために他者を攻撃する事は避けられません。システムだけではなく、「道徳」をもう一度考え直さないといけません。
Posted by knack at 2013年02月08日 12:09
親の期待、理想とする教育方針と学校での実状にズレがあるのかと思います。加えて、私生活で身につけるべきモラルやマナー、TPOなど教科以上のものを教師に押し付けている気もします。核家族化、親の道徳などの低下も要因なのでしょう。思想や文化を変えるのは大変なことです。自覚を持たなくては。
Posted by 柳田 仁監 at 2013年02月08日 12:24
これは営業に限りません。ブラック会社・無限サービス残業・過労死・名ばかり管理職と、そういう精神が可能にする「お客様は神様」(契約自由平等でなく、一方的にかしづく)日本の労働現場にありふれた光景です。それでいて、実労働時間当たりでは先進国最低水準の生産性というのもあります。

しかしこのところ世の教員や指導者の暴力についての記事や発言を見ているのですが、自分らの社会の問題だと感じている方は多くはないようです。(私にしたって、一面では「教育課程で甘やかすから我慢もできない使い物ならない野郎が出来るんだ」「学校では鞭でも竹刀でも使ってもっと軍隊的な教育をするべきだ」という気持ちもあります。この意見は、結構共感を得たりもするのです。)

昔から、日本では後輩を「君」づけで呼ぶとか、個人の尊厳を尊重しないといわれていました。工場労働なら軍隊式でもいいのでしょうが、これからは「知恵づくり」が求められます。知恵を創造するためには、強制力を持って規格を押しつけるだけではどうしようもありません。その個人の個性を伸ばさないといけないのです。

だから日本人を変えないと日本の明日はないと思いおます。
Posted by 長井伸一 at 2013年02月08日 12:45
親も容認するって、、親から病んではるという。

うちも小中高時代は義務だらけで苦手でした。組織的に動くことだけを強要されてる気して、誰かに服従しんとあかんくなる。こういう思考回路のコもおる。

大人は相談しなさいとか言うけど、無理無理。それこそ服従するまで説得されそうで怖いわぁ@

自殺防止には、避難可っていう‘暗黙の了解’を創設したげるだけでも違う。

部活自体は想ひでにはなりましたけどね。


Posted by 原口 智衣 at 2013年02月08日 13:19
宋さんのご意見に賛成します。私も日本の体罰文化が嫌になります。

でも宋さんも、昔部下を殴ったことありましたよね?
Posted by bienbuster at 2013年02月08日 13:26
宋さん
こんにちは。
ちょっと今回のテーマだけはいただけなく感じました。木を見て森を見ていない感じです。
一部の現象を見て日本人を語っていただくのは、やや行き過ぎでしょう。
日本の歴史を紐解いても欧米や、中国と違って、権力の後退によって「ジェノサイド(民族の浄化:皆殺し)」が起こったのはわずかに織田信長にややその傾向があるくらいです。
大英帝国の礎を築いた「サー・キャプテン・ドレイク」は海賊の成れの果てです。欧米諸国が今でもアフリカや南米を軍事力で支配し続けているのも事実ですし、アルゼンチンのそばの「フォークランド」がなぜ英国領なのでしょう。
また、アヘンなどと引き換えにインドや、マレー半島、中国を支配したのもついこの間までの英国です。北アフリカのマリにフランスがなぜ空爆する権利があるのか答えられるでしょうか。戦争は、「暴力」の最大のものです。軍事力が大きくなればそれだけ、「力」を使って、他国の領域を支配したがるものなのだと思います。今回の公海上の中国の軍用船の「ロック・オン」も暴力まがいの脅しです。
 さて、本題に戻って翻ると、僕は長い間、水泳、スキー、テニス、古武道(空手)をやってきましたが、暴力による指導を受けたことがありません。我が家の息子たちもテニス、スキー、登山をやりますが同様です。下の子が野球(リトルリーグ)をやっていたときはシニアの監督がそれに近い状況でしたが。日本にはたくさんの学校がありますので、特に公立や私立のスポーツ強豪校と呼ばれている「勝利至上主義」の学校の監督やコーチ、それに指導するプログラムの質と効果を考えない『量に偏重した訓練』や“先輩”によるシゴキも、暴力による服従と指導でしょう。そのようなことを行う方々がたくさん存在していることももちろん知っています。
元巨人の桑田選手が言うように暴力では、選手は選手の能力は高くなりません。ただしぎりぎりの「鍛錬」というのはどのようなスポーツにも本人とコーチの信頼関係のもとでは行われることがあると思います。なでしこジャパンの佐々木則夫監督が暴力を振るうとは思えませんし。
『この命、儀に捧ぐ』(門田 隆将著)の主人公の旧日本陸軍中将根本博氏は軍人時代、一度も「鉄拳制裁」をしたことがなく、現地の中国人にも慕われたそうです。今日の台湾の礎を築くキッカケを残したとも言われています(ことの良し悪しは別として)。
中国のもおかしな人が13億のうちどのくらいの割合でいるかは知れませんが、日本にも同じような比率でいると思ってください。恐ろしいのは、暴力が学校現場や、スポーツの世界に止まっているうちはよいのですが、それを職業としている軍隊にはびこることです。ナショナリズムとマスコミによる扇動(ポピュリズム)は、どのような結果をもたらすかは宋さんも良くご存知でしょう。お互い平和で、大気汚染・水質汚染。土壌汚染などのない国で平和に過ごしたいものです。
Posted by 沼田一博 at 2013年02月08日 14:08
上手く説明できませんが、何となく論点が違う気がします。いじめと体罰を関係性付けて話す事。教育と体罰を関係づけて話す事。目的がどうで、方法がこうでという側面と情意の側面の話がごっちゃになっていると思います。短くまとめるのは難しいと思いますが。
Posted by 辻松 和之 at 2013年02月08日 15:32
これは営業に限りません。ブラック会社・無限サービス残業・過労死・名ばかり管理職・自殺と、そういう精神が可能にする「お客様は神様主義」(自由な契約相手として平等な立場ではなくでなく、お客様にかしづく態度)。こういうのは、日本の労働現場にありふれた光景です。みんな必死で頑張る。それなのに、日本は実労働時間当たりでは先進国で圧倒的な最低水準の生産性しかないのです。

さて、このところ世の教員や指導者の暴力についての記事や発言を見ているのですが、自分らの社会の問題だと感じている人は多くはないようです。部活や柔道界がおかしいので、一般市民には関係ないんだと。それだけではない。暴力は表ざたになったことが悪いのであって、本当はどこにでも存在するのが当然であるという意見も目にします。(私にしたって、一面では教育課程の体罰に共感しているのです。自分の中に「教育課程で甘やかすからロク我慢もできない使い物ならない野郎が出来るんだ」「学校では鞭でも竹刀でも使ってもっと旧陸軍的な教育をするべきだ」という気持ちがあるのです。そして、この意見を発言すると、結構共感を得たりもするのです。)

昔から、日本では後輩を「君」づけで呼ぶとか、個人の尊厳を尊重しないといわれていました。工場労働なら軍隊式に統一基準をたたきこむ式でいいのでしょう。しかしこれからは個性的な「知恵づくり」が求められます。知恵を創造するためには、暴力の強制力で基準を押しつけるだけではどうしようもありません。個性を可能な限り伸ばすシステムを作らないといけないのです。

おそらく、日本人とその教育を変えないと日本の明日はないと思いおます。
Posted by 長井伸一 at 2013年02月08日 17:08
体罰=暴力ということであれば賛成できます。
今回取り上げられているケースは暴力ですが、授業中に走り回ったり大声で私語を止めない生徒を廊下に立たせるのはどうでしょうか。
一般的にはこれも体罰と言えます。
体罰無しでこういったケースをどう対処できるのでしょうか。
何が良くて何がダメか、何が体罰で何が体罰ではないのか決めずに、単に体罰はダメというのは卑怯ではないでしょうか。
私は普通のサラリーマンですが、もし先生ならきっと苦悩していると思います。
Posted by 小笠原 隆治 at 2013年02月08日 20:35
久しぶりに結構スッキリする記事を拝見しました。
もっとも、ふたつほど引っ掛かる点があるのですが、それは敢えて追及しないことにしましょう。

最近、よく思うようになったのですが、全体的に見て、日本人はそれほど物事を理性的に考えられないのではないかと思うのです。
情緒的に物事を捉えて決めているように思えることが多々あります。

例えば、文書作成方法です。
今でこそ、たいていの会社にはパソコンがあり、各種文書はパソコンで作成することが当たり前になりましたが、20年ほど前までは、ワープロで文書を作成したら、
「心がこもっていない、手書きで作り直せ」
と言われることがあちこちでありました。
これは極端な例かも知れないですが、こうしたことは今でも世の中のあちこちにあります。

結局、こうした気質が行き詰まって、日本社会の停滞を招いているのではないでしょうか。
Posted by 砂押 英文 at 2013年02月08日 21:01
「日本の現状を根本から変えたいならば教育から着手するのが早い」に同感。

年下の生徒や女子選手など、言ってみれば「自分より弱い者」に暴力行為を行うのは人権侵害。日本には個人主義や民主主義が完全に根付いていないからこうした事がまかり通る。年上だろうが男だろうが対等だという意識を教育によって徹底的に植え付けなければいけない。
Posted by 工藤 明子 at 2013年02月08日 22:23
最近雑誌の見出しに、某前都知事が「やはり体罰は必要とか」体罰を容認するような発言されておりました。それと同時期に日本女子柔道選手団から体罰に関する告発が問題となりましたね。でも、体罰は古い日本の常識であっても、世界の常識ではないのです。

昨日、日本柔道連盟の役員が、世界柔道連盟に説明のためヨーロッパに出発しました。その際のコメントは「この事件の経過を説明せなば、オリンピック都市選定に悪影響を与えるかもしれないので」でした。某前都知事はオリンピック招致に熱心だったのに。このあたりの矛盾はどう考えておられるのでしょうか?まあ体罰オリンピックを主催するつもりならば、ぴったりですけどね。
Posted by 佐和 益弘 at 2013年02月09日 04:17
一元中国籍の日本人のかたへ、日本に来てくれて有り難う。歓迎です** *

以心伝心や思いやりは我を押し通すことへの‘醜い’‘潔くない’美意識に支えられたもので
無闇に相手を傷つけずとも関係をのんびり生かし合おうとする、淡い知恵やったりしました。

風通しのいい社会のなかでは貴重な文化といえますが、
やっぱり‘個性’というより‘個’を無視し過ぎた教育は‘異質’を‘病気’として隔てる傾向にある。
あと、守りたいものさえ強く発信してかないと壊されちゃう時代。

もっと本来か弱い筈の人間をたいせつにする、自然本位の国になれば何とか幸せの見つかる日本でいられると想うんですが。

戦争はもう絶対、嫌!



Posted by 原口 智衣 at 2013年02月09日 06:18
以前、「宋文洲の傍目八目」を送っていただいた者です。特にいじめについてのお話には大変共感し、本に当選して本が届いた時はとても嬉しかったのですが、当時は考えをうまくまとめることができず、感想を送らずに申し訳ありませんでした。
私は子供の頃から理不尽なこと(共同責任や、意味が無いのに上から選択を押し付けられること等)が大嫌いで、一人で抵抗してきました。今は会社で、長時間残業する人が評価されることや、力で押されることが大嫌いで、宗さんの今回のメルマガにも大変共感しました。日本人は無駄な時間を一緒に過ごすことが好きで、これも文化の一つなんだろうなあ・・と思いつつ、効率的に働きたい人、一人の時間も大切にしたい人は評価されないから難しいなと思います。日本、特に古い体質の会社では私のような考え方はマイノリティなので難しいのですが、ささやかでも抵抗していくつもりです。これから日本も少しずつ変わっていくことを願って。
Posted by Leni at 2013年02月09日 15:36
確かに,暴力はいけないと思います.
ですが,ご指摘の教育で,世界有数の安全な国が出来上がるのはなぜでしょうか?
日本の教育も悪いことだけではないと思っております.
Posted by 北村 憲之 at 2013年02月09日 23:10
「安倍さんが主張する教育改革を私は心より応援しています。日本の現状を根本
から変えたいならば教育から着手するのが早いと思います。」って本当ですか?

彼が求めているもの―美しい日本を取り戻す―に危なさを感じるのは私だけでしょうか?
彼の目指す教育改革は、体罰を根絶しようとの意志が込められたものと信じられますか?
右翼的な心情と体罰を是認する心情が少なくとも日本においては非常に近いのが現状です。
この意味でも安倍総理について良くよく見極める必要があると考えています。
Posted by 鮫島員義 at 2013年02月10日 16:16
いつもありがとうございます。
興味深く拝読致しております。

しかし今回は、少し感情的になられていませんか?
いつも冷静沈着、俯瞰的に分析されているのに、非常に論が粗雑で直情的な気がします。

バスケ部顧問暴力、女子柔道監督暴力、、、これらはおそらく同じ根のもののように感じます。
しかし日本の教育に内包する問題全てを象徴していることではないと思います。

まず暴力に代表される所謂体育会系ヒエラルキーがもたらす理不尽、これは完全に見直されるべきであると思います。
これは監督(先生)と生徒の関係はもとより、先輩(OB含む)と後輩の関係も同じです。
本件は以上終わりです。

このことと日本の教育問題は別です。
ですので本当はここで教育について試論を申し述べるのは、また混乱を来たしそうで本意ではないのですが、私の考えを少し申し上げます。

1.教育は聖職である。
被教育者は教育者を敬わねばなりません。敬われる教育者はそれだけ緊張感をもって教育しなければなりません。しかし教育者も人間。そんな皆が全人格者であるわけがありません。だから教育者は真摯にそれを認め、教え子たちにそれを真摯に伝えるのです。「私もまだまだなのだ」と。
そこではじめて信頼関係が芽生えるものだと思います。
私としては子に対する教育者として、親も同じであると考えています。
敢えて繰り返せば、教えられる立場の者は、それでも「まだまだな教育者」を先達として敬うべきなのです。

2.真のグローバル人材の育成はまず国の言葉と歴史の教育から。
グローバルな人材育成というと、日本では非常に短絡的に英語教育となってしまいます。
絶対に違います。
まず自分の国を愛し、言葉を愛し、歴史を身につけることが絶対に必要です。そうでないと外に出て行ったときに基本的な立脚点となる自らのアイデンティティを語ることすらできません。
企業でも学校でも「グローバルに通用する=英語」とすぐ言いますが、そもそも間違っています。
まず日本語を教えるべきです。
絶対です!!
Posted by 蒔田喜彦 at 2013年02月11日 19:23
今は時代の過渡期です。
人や物、お金が国境を超えて行き来する今の時代では、今までのような理不尽な教育が通用しなくなりつつあります。しかし、今の日本の企業や教育の現場の指導者は、理不尽な仕組みで成り上がってきた人達です。それらの人々は、効率、独立、実力主義といったことが嫌いです。彼らを変えることはできません。日本の現場を変えたいと思っている人達が新しい組織を作ったり、教育の提案をするしかありません。
宋さん、これからもどんどん日本の問題提起をして下さい。我々は箱の外に出て日本を見るといったことがなかなかできません。宋さんのように、日本のことを親身になって考えていただける方が必要です。今すぐに現実が変わらなくても、聞く耳を持った日本人は反応しているのです。
Posted by 石井まりを at 2013年02月11日 21:34
2度目の発言です。レスを読んでいると、日本の教育をどうこうするより、宋さん中国人ならまず自国を何とかしろという意見が多いようですね。両方まったく別なんで、ちょっと話題がずれている感じもしなくもありませんが、宋さんへのご意見リクエストの意味もありこれについての私の意見を書きましょう。

当然に中国はまだ発展途上国であり、かつ政治体制も問題ありですから、日本よりももっともっと問題が多いように思えます。私も中国人と結構つきあいがあるのですが、血縁・地縁でがっちりかたまるといいましょうか、社会全体がムラの集合でできているように思えます。そうしてそういった社会にありがちなように、「よそ者」は排除する。身近なものだけで利益を分配するわけです。宋さんそうですよね。もとより戦後すぐから高度成長までは日本もこうだったわけで、根本的に中国がだめであるという理由にはなりません。ただし、中国がもっと成長し、もっと優れた国になるためには、やっぱり「ムラ」を清算しないといけないんじゃないかなあ。

で、このところの尖閣や反日ですけれど、私が付き合う中国人(文系の割と知識人)には、あまりそういう傾向は無いように思うんですがねえ。政府がようわからん人たちに怪しげな情報をたっぷりふき込んで、扇動しているだけじゃないかと。

北京のホテルに泊まったときのことです。マッサージを頼みまして話をしたんですが、何でも小学校でしたっけ中学校でしたっけ、教師を辞めてマッサージ師をやってるんだそうです。で、日本から汽車で何時間かかるかと聞かれたんです。中国では教師にも地理の知識がないのかと仰天しましたよ。これじゃ政府やマスコミの言を批判できる力なんか無いと思いました。(まあイタリアの教科書でも日本人がちょんまげをつけて歩いていると書いてあるそうで、外国の地理の知識とはこんなもののかもしれませんがね。) 
Posted by 長井伸一 at 2013年02月14日 00:56
先程ばんきしゃ、日本テレビ、見ておりました。

色々視聴者からの意見が来た気配がありましたが、

尖閣の隕石のユーモア、面白かったし、
私は宋さんに賛成する所が多いです。


ついでにエルサレムあたりにも落ちて水没したら全員諦めるのに(^o^)/


日本人は静かで
放送局に電話なんかしない人のが多いですから、

めげないで下さいね!
Posted by たまちゃん at 2013年02月17日 18:59
隕石が落ちれば・・の発言についてはどういう意図によって発言されたのでしょうか?
日本の領土に隕石が落ちればよかった・・などと発言された真意が熟慮の上の発言であれば、その真意を示されたい。そうではなく、意図せず発言されたのであれば、きちんと謝罪をされたい。
Posted by 尖閣太郎 at 2013年02月18日 03:19
中国の反日教育、洗脳教育こそ暴力ではないでしょうか?
幼稚園で、尖閣諸島を模した場所に中国の国旗をたてるとか、平気で教えて、それを皆で楽しんでいる。
とても異常な光景。

中国の教育の現場に人権無視した体罰はありませんか!?
殴るだけが暴力ではない。
中国が日本にしていることも立派な暴力。
日本車を破壊、日本の店を破壊、強奪、国旗を燃やす…日本人が中国の方と違うところは、そういう理不尽な暴力を行わないことです。
日本人が中国の車を破壊したり、国旗を燃やすことはありません。
中国の教育がどれほど素晴らしいのか、私にはよく理解できないし、一生涯理解できない。
チベット問題は!?
今まで自己中心的に言いたいこと言ってきて、姑息なことをしてきたのはあなた方の国。
暴力国家、嫌いです。
Posted by 江口 at 2013年02月18日 09:20
それは違う。
確かに昔はスポ根で無茶苦茶してた実態はたしかにあった。でも、今はそんなことはない。ごく一部の問題のある教育者がそういった事をして問題として上がっただけで、その一部を抜粋して書いたらおかしくなってしまう。宋さんは日本を知ってるようで知らないはずです。なのによく知らない事をテレビ等のメディアの情報だけで判断しこういったOPENな場所で批評するのは評論家としての顔を持っている立場として凄くよくない。言葉に影響力があるという自覚がないのではありませんか?
Posted by それは違う at 2013年02月18日 12:03
バンキシャにおける野蛮で稚拙極まりない発言にて、頭が良いことと人間の品格には全く相関関係が無いことがよくわかりました。
宋文洲のような野蛮な考えの持ち主は日本には不要です。日本から出て行って欲しい気持ちでいっぱいです。
Posted by 平川貴台 at 2013年02月18日 14:27
東京でも有数の強豪校で3年間クラブ活動に打ち込んでいました。その後、大学、社会人でもプレーして32歳で現役引退。競技種目はラグビーです。

このまえ昔の仲間と会ったとき体罰問題が話題になりました。その場にいた全員だれも経験したことはないしイメージすら持つことができませんでしたね。「ひどいね」というのが全員の感想。ひとりが冗談で「だっておれら1発殴られたら100発殴り返してたぜ」と言って笑いを取ってました。

笑いながら、この事件の本質はたぶんそこなんだろうなと思いました。「殴り返されることのない状況で一方的に人を殴ることの理不尽さ」だと思います。

コーチと選手の関係以前に人としての尊厳の問題があります。人としての尊厳はおぎゃあと生れた赤ん坊もお年寄りも等しく尊重されるべきだというのは教育の基本でしょう。これを無視するところに教育があるとは思えません。

わたしは暴力は反対しません。いまでは反省していますけどストリートファイティングも若いときにはしました。しかし殴られる恐怖を感じることのない状況で人を殴ることの反射的な嫌悪はずっといままで持ち続けています。

しかしよくもまあ人間として一方的に無抵抗の人間に暴力をふるうことができるものだというのがわたしの率直な感想です。
Posted by 通りすがり at 2013年02月19日 17:40
荒れて教師に暴行を働く児童・生徒に対しても決して暴力で対応してはいけないのが現在の教育現場と認識していましたので、今回の事件をきっかけに次々と出てくる指導者による体罰事例には驚きました。そもそも「罰」とは?罪なき生徒に罰が与えられる訳もありません。

体罰が半数近くの保護者に受け入れられている理由の一つは、最も効率的に成果をあげられる実績があるから…だと思います。

2/19付朝日新聞「体罰近代日本の遺物・片山杜秀」にその歴史と考察がわかりやすく書かれておりますので是非お読みになってくださいませ。

願わくば安倍首相の「教育改革」がこの時代を模倣とするものでないことを…


Posted by 大月梓 at 2013年02月20日 10:52
パワハラ・セクハラと同じく、体罰もコンテキストによって受け止め方は違うとおもいます。体罰を振るう側・受ける側にそれを許容する人間関係が築けているならば何も問題はないでしょうし、そうでなければそれは悪質な行為と受け止められるでしょう。

例えば、親が子供をしかるときに、体罰を与えることが良いのか・悪いのか?を議論しても答えはないと思います。それを受けた子供がどう感じるかにかかっていると思うからです。
Posted by 田中 健 at 2013年02月23日 01:58
正にその通りだと思います。
私は学生時代は体育会系で、まさに指摘された日本人の美徳の持ち主です。

耐え忍ぶことが、日本人は好きですね…

私もなかなか治りそうにありません…
Posted by コウタツ at 2013年02月26日 01:33
初めまして、上海在住の阿部と申します。

教育の場の暴力の話、上海からよく読んでいます。恐らくですが今になってこの問題がよく持ち上がるのは、実社会の要求するものと教育の場のギャップにようやく国民が気づいてきたからではないでしょうか?高校の部活、柔道の問題、高校野球チーム、もうどこにでも暴力なんて長年存在し続けてきたものです。それでも今まではよかったと思います。暴力を放置しても日本の国はやってこれたのだから。暴力を与えるもの、受けるもの皆少しも疑問を感じず、それを信じてきたわけだし、そして結果を出している。決して暴力のおかげでよい結果につながったとは証明できないが、疑問を呈する者はあまりいなかった。だから今までこの問題を取沙汰すケースは少なかったのかもしれません。

しかし、世の中が変わり、ITが発達し多くの情報が公開されるようになりました。おかしいことに対してはネット上でおかしいと簡単に主張できるようになった。おまけに外国人側の意見も多くみられるようになり、明らかに日本のこうした旧態化した伝統行為は間違っているということが議論沙汰されるようになり、事の重大さにようやく多くの人が気づくようになりました。そんな矢先出てきた体罰、暴力の問題。今まで取沙汰されるケースが少なかっただけにいまこうして大きな問題となっているのは時代の必然性であると思います。

巨人の星や他昔の野球漫画なんかで見られる非人道的な訓練の世界、今となれば噴飯ものですがあの時代は皆根性で世の中を乗り切ろうとした日本人の美徳を有したものであったに違いありません。日本は元来製造立国です。品質の高いものを大量生産し、海外に売って儲ける。その為には突出した考え、行動、考え、こうしたものは邪魔だったのかもしれません。「問答無用」「いうことを聞け」「人と同じようにやれ」こうした画一的行動規範が先進製造国日本の要求されるひとつの美学だったかもしれません。

しかし、大量生産品は中国など海外に拠点を動かし、モノづくりの形態が変化してきた。ITが発達し市場の求める人材は常にいうことを聞く体育会系から、頭脳明晰で時代の変化に順応なマルチ系になってきました。そんな中で教育の世界だけが相変わらず昔の根性主義に寄りかかっています。誰が見ても時代に合わないくらいわかることでしょう。つまらない暴力やハラスメントをすることで多くの若者に意味のないプレッシャーと心の痛みを与えることで、多くの時間と機会を損失しています。しかしながらいまだに体罰や暴力を支持する人が少なくない。よくわかりません。

教育者は学校や職場を離れ、もっとよその世界を見て研究したらよい、世界がどういう動きになっているのか、他の国々のケースはどうなのか、さらに磨いてほしいと思います。
Posted by 阿部真人 at 2013年04月12日 12:53
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