シャープ、パナソニック、ソニー、エルピーダメモリ、マツダ・・・これだけのメーカーが赤字を計上していることに驚きました。震災、円高、タイの洪水、ユーロ危機・・・過去の一年は日本企業にとって大変厳しい年でしたが、それでも説明不能な軒並み赤字でした。
たとえばシャープ製品の場合、震災と円高がなければシャープ製品はもっと世界で売れたでしょうか。売れたとすればそれはテレビでしょうか、それとも携帯電話でしょうか。アップルとサムソン製品が売れたのは果たしてウォン安やドル安のお陰でしょうか。
そもそも日本メーカーは何をどう作るかというよりも何を止めるべきかがもっと大切であるはずです。どんな高機能をつけてもどんなCMを流しても所詮コモディティ化された製品です。所詮縮小中の日本マーケットにしか通用しないのです。
これについて一部の方々、とくに年をとった方々は必ず「ものづくり」の強化を対策として出すのですが、彼らはこの言葉を既に何十年も言ってきたことと、後輩達が何十年も石にかじりついて頑張ってきたことを忘れています。
日本のものづくりの力が弱くなったのでしょうか。日本製品の技術力と品質が韓国や米国に負けているのでしょうか。違います。むしろ拘りすぎているのです。
北京では日本人である妻がラップから包丁まで日本のものを使うことを私はよく理解できますが、同じ主婦の中国人の妹はそんな細かさを求めていません。ウォシュレットでないと気持ちが悪いと思う日本人は多いですが、海外では殆ど見当たらないのは周知のとおりです。
日系メーカーの相対的衰退は紛れもなく長期トレンドであり、昨年から始まったことではないのです。努力が足りないからではなく、努力の方向が間違っていると考えたほうが無難でしょう。「もの」と「つくり」に目が奪われて大切な顧客を見ていないのです。
北京の我が家には日本メーカーのテレビも中国メーカーのテレビもありますが、正直区別が付きません。わざわざ日本製テレビを買う時代はもう20年前までのことです。確かに痒い所に手が届くような機能があるのですが、大陸型の人にとってかえって面倒に感じる場合もあります。
車と言えば、安いものなら中国メーカーを買うし、高いものならドイツ車。北京の人々は遠出もしないくせに大きなSUV(スポーツ用多目的車)を好みます。ヒュンダイがすぐそのニーズに応えるから中間層のシェアを掴みました。燃費がよく故障が少ない日本車は格好を付けたい車初心者の中国ユーザーに地味に見えるのです。
田舎者だの成金だの不経済だのを言うのは感覚の自由で問題はありませんが、買ってもらないビジネスマンが言うならば筋違いでしょう。
「良いものを作れば必ず売れる」。愚書「やっぱり変だよ日本の営業」
(http://www.amazon.co.jp/dp/4532194873/)がこれを批判して10年以上経ちますが、メーカーの経営者と技術者の多くは未だにこの認識を持つことができません。
売れない理由は現地社会に溶け込めば自然に分かりますが、「もの」と「つくり」にくもった人々は現地社会に興味がありません。会議と日本人バーで徹夜の議論の末、いつも同じ袋小路を行く、「もっと『ものづくり』を磨こう」。
P.S.
先日、久しぶり数人の経営者先輩と一緒にニトリの似鳥さんとお会いしました。ご存じのとおり、飛ぶトリを落とす勢いの彼ですが、100社以上の中国企業からものを仕入れ、東南アジアの自社工場でものづくりもしています。あのユニクロと同様、企画、設計と品質管理を厳しく行いますが、どう作るかはコスト次第です。
ローソンのアドバイザーをやってきましたが、日本のコンビニのプライベート・ブランド(PB)の多さに驚きました。ここも流通主導のものづくりです。不思議に日本でも海外でも流通主導のものづくりは上手くいっているのです。
これまで「皇軍」として持ち上げられてきたメーカーは流通主導のものづくりを「馬賊」だと考えるかもしれませんが、顧客にしてみれば品質と値段が目的であり、誰がどこでどう作るかはどうでもいいことです。「お値段以上ニトリ」はまさにその顧客の本音を歌い上げたのです。そこには「カイゼン」の神話も「カンバン」のストーリーもありません。
「終身雇用」もそうでしたが、一時の、一部の強みをあたかも永遠にそして全体に効くように特化する。この風習は視野を狭くするうえ、簡単な勝ちパターンを求める惰性にもなっています。
「顧客視点がない」と言われるとメーカーは怒ると思いますが、ものとつくりにのめり込むと顧客をみる余裕もなくなるのです。愛人にのめり込む人が「家内も愛している」と言い張る。一緒です。
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顧客視点がないの一言につきるでしょうね。
行き着くところは自分勝手であるというところでしょうか。
ありがとうございました。
先日妻がGrouponで大変お得な温泉チケットを手に入れたので一緒に行きました。電車を使って、風呂上りに一杯のんで帰りました。電車代が1600円かかり、生ビールも500円しました。温泉チケット自体は1000円相当が500円になるというものでした。出費は結局かさみましたが、でも、とても満足して帰りました。
出せるお金は絶対値だけでなく、感覚的に変化すると思います。商品価値を意識しすぎて、たくさんの人に使ってもらう機会を損失してはいけないと感じることになりました。
ただ昨今の流通主導のもの作りも本当に顧客を見据えてのもの作りになっているのか疑問に感じています。
私は中国の地で対日向け食品メーカーで仕事をしています。SM、CVS、外食さんが主たる顧客です。買い手としての強い立場で好き勝手な要求をされ閉口することが多々あります。メーカーですから殆どの要求に応えることは可能です。でもその結果コストがUPし最終的に消費者に高い提供価格になっているものも多々あります。
僅かな汚れ、僅かな見た目の違い、過剰な均一性の要求、これらで出荷不可となる商品が如何に多いか、無駄となっているか・・。
PBはさも自分たちが開発したかの錯覚がありますが素人考えをメーカーが具現化したものが大半です。PB商品を作り上げる担当者はそのプロにもならねばなりません。
最終消費者に認められ消費(使用)されて初めて売れたのであり、これが自動車であれ家電であれ食品であれもの作りのはずです。
思います。誰が山を乗り越えて海外に出すかだけだと思います。
宋さんのおっしゃる通り考え方は、間違っていなのにその方向性に問題があるというご意見に同感です。
カメラが、アナログからデジカメに移ったころ、画素数(Pixel)でその精度を競ったことがありましたが、実に不思議に思いました。
そんな高精細なカメラを作っても、撮った写真をそれだけ高精細に写すディスプレィや印刷するプリンターを個人が持っていないのになぜ無駄なことに血道をあげているのかと。
それに写真データの容量が大きすぎて、送るにも、保管するにも扱いにくくしています。
そんなことを考えてくれる人がいても良いのにと思います。
最近キャップが落ちないペットボトルが開発されたと聞きました。空けるときどうするのかわかりませんが、便利なようでいて、やり過ぎではと心密かに思っています。何か突っ込みどころがないか、その発売を楽しみにしています。
一つの部品出すのに シャープのホームページの伝票(バーコードつき)とうちの会社の伝票と数を合わせないといけませんが…
そのホームページがフリーズしたら 番号が次に飛んだ伝票が出てくるんです。
上司に相談したら 修正テープして伝票を出して下さいって言われた。
そのようにしたら シャープに数が合わないといわれ 上司に怒られて派遣もきられましたよ…
でもちょっと今の状況に私はせいせいしています。
まったくご指摘の通りと思います。
小生は80年代に工学部電気工学科を卒業しましたが、電機メーカにも電力や通信会社にも行かず、別の業界に就職しました。親や周囲からは不思議がられたり馬鹿にされたりしました。もっと魅力的な仕事や会社があったから選択は間違っていなかったし、おかげで今すごく充実した仕事をしています。
当時(就職活動時)からすでにこの「業界内で固まる自己満足な閉塞感」が充満していましてあるときそれに非常に嫌悪感を感じたこともきっかけになりました。
いまでも同窓会に行くと、その同じ構図にどっぷり浸っている同級生が大勢います。ほとんど話が合いません。「茹でガエル」というたとえ話が有名ですが、これは電機業界、あるいはそれを含む製造業全般、あるいは学界まで全部、にそっくり当てはまります。みんな茹であがってることに気づかない。のみならず指摘しても聞く耳持ちません。
日本の多くの優秀でやる気のある若者たちを集めて、手間暇かけて使えなくしてしまったとしか思えません。結果生産される付加価値が低いままで、サービス残業ばかりの低賃金。
そういう学問や仕事や社会に、子供たちが夢や希望を、持つはずがないですね。
宋さんご指摘の体質・構図は、今に始まったことではないのです。もう何十年も前からなんです。
確かに一理あるのですが、現状はどうかということです。
よいものを目指すのは当たり前、「お客の立場に立っているか」を見失っていませんか、と。
自分を含め、謙虚に見直していかなくてはならないと思いました。
いつからか日本の大企業の技術者は、「作りたい物を作る」という思想から、「作れる物を作る」という考えに変わってしまったようです。確かに東京に一極集中して、無表情の電車に毎日乗っていると、そうなってしまうのも仕方ないのかもしれません。しかし、ITの発達によりこれからは若い起業家も出やすい環境となり、世界のニーズを捉えた、新興ビジネスが地方都市から出てくると期待しています。
中国をはじめ海外での仕事(主に営業)の経験から宋さんの御意見には100%賛同いたします。日本の製品は自己満足の製品が多く顧客のニーズを把握しきれていないのと経営スピードが遅すぎます。海外の経験がある多くの日本のビジネスマンが気づいている点だと思います。
ただ、同じ日本人として批判だけではなく日本人の意識を変えていく方法を考えなくてはいけないと痛感します。
もう、日本国内だけの市場では生き残れないのは明白です。
そのためには、Marketing、営業戦略にもっともっと力を入れるべきでしょう。日本の企業風土としてモノづくりこそ最優先という考え方は、ここらで見直してはどうでしょうか?
(1) ローカライズや現地マーケティング不足
(2) もこの一例?
(2) 過剰品質("拘りすぎ")
※ アップルの iPhone は 拘り過ぎるほど拘って造られた製品ですが…
-> 複雑過ぎて海外ユーザーが避ける[?]
※「日本メーカーのテレビも中国メーカーのテレビもありますが、正直区別が付きません。」
とは矛盾しますが。
-> 高コスト化 (言外に?)
(3) 製品のコモディティ化
イノベーション不足(アップルを挙げられたことから推察)
(4) ブランドイメージ確立不足(ドイツ車の例から推察)
を挙げておられた(順不同に列挙)かと思いますが、
個人的には 過剰品質("拘りすぎ")は直接の原因ではないと思います。
過剰品質でも同じ値段ならどちらを買っても良いでしょう。
複雑過ぎて海外ユーザーが避けるということがなければ、ですが。
私の考える敗因は、影響の大きい順に以下の通りです。
(1) 製品のコモディティ化
(2) コスト競争力不足
これは円高 と 高い人件費(経済成長が製造業に頼れる段階を過ぎた)によるところが大きいと思います。
過剰品質も一因かもしれませんが、主要な原因ではないと思います。
(3) ローカライズや現地マーケティング不足
新興国受けしないデザイン、現地ならではニーズに応える機能の欠落
コモディティを選ぶなら、先ず値段、それからデザインや付属機能 です。
以下蛇足ですが…
「カイゼン」と「カンバン」を揶揄しているともとれる部分がありましたが、
これらは日本以外のメーカーも取り入れた、高品質の製品を低コストで製造するための基本です。
寧ろ、基本レベルはどこの国も身に付けたので、それだけでは勝負にならなくなった、
ということかと思います。
じゃあ、何が負けてるのか?それは給料です。いくら能力が高くても、技術者にせよマーケッターにせよ、日本人の二分の一、三分の一で働く社員がいる会社には勝てません。いくら日本人が優秀でも、中国や韓国の二倍、三倍優秀かというとそうではないからです。おまけに彼らはサービス残業なんて厭いませんからね。労働基準法もあってないようなもので、年々厳しくなる日本とは違います。
つまり、どんな分野でも日本人はTOPを走れる気質と能力はあるが、コモディティ化のスピードがあまりに速くなってきたので、給料が高い分の付加価値が出せなくなったってことです。
だから構造改革が必要だったのに・・ry)
理由は宋さんのコメント以上に単純で日本・欧米で売れるものをそのコストで新興国にも売ろうとして売れなかった。世の中の価格競争に目を背けうちの商品はNo1だからという幻想に囚われてしまっていた。新興国の現場に居た身としては繰り返し低価格化のお願いをしましたが、他の先進諸国で十分に利益が出ている状況では聞いてくれません。その先進諸国も軒並み赤字化してきてやっと問題に気がつく有様です。私の使命は如何にこの会社をよくするかということですので、諦めずにチャレンジしていきます。コラムこれからも期待しています。
実感し受けとめてきた松下幸之助理念を思い出しました。それは、
「仕事を通じて社会貢献することが企業目的→だから社会の要望と衆知から学べ→学ぶことで会社と自分を磨け→そして学んだ社会の衆知を集めて働こう→指導者は、社会の衆知、全員の衆知が集まって働けるように特に気をつけよう→これらはすべて社会貢献できるようになるためだ。」で、小学校4年中退の実体験から特に「社会から学ぶ」気持ちが
強い方だったのでしょう。
昭和36年(1961)に「経営基本方針」をなんと150ページ余の単行本にして、
「社員読本」として編纂されています。
その「第二章社会とのつながり」の項では、
「当社製品に対する社会の人々の要望は、あるときははっきりした形で、あるときは声なき声をもって、私たちになにをなすべきかを教えてくださっているのであります。したがって私たちがすなおにその教えに耳をかたむけ、謙虚に反省してその要望を正しくつかみ、製品に具体化するなど、その要望を実現していくならば、その努力によって生み出された製品は、かならず社会の人々からよろこんで受け入れられるのであります。
当社が今後どれだけ発展するかは、私たちの努力によることはもちろんでありますが、その努力の過程において社会の要望をどの程度みたし得るか、また声なき声による要望にどの程度即応し得るか、という度合いにかかっているのであります。
まことに社会の判断は神のごとく厳正であります。
すなわち基本的には、当社の発展は社会がこれを支配しているのであります。いいかえると、当社は社会との間に、その要望にこたえるという目に見えない契約をかたく結んでいるものということができましょう。この見えざる契約にもとづいて謙虚にその声を聞き、当社としてなすべきことを正しく実践するならば、かならず社会の人々の要望にそった役割を果たし得ることになるのであります。
およそ商売というものの正しい姿は、社会の求める道をひたすら考え、人々の身になってその要望をみたすところにあります。
ところが会社の業容と組織が大きくなり、その運営が複雑になると、このもっとも重要な商売人としての真の姿が見失われ、うてば直ちにひびくような機敏かつ適切な行動や、まごころの行き届いたサービスが行われず、ともすれば業務の運営が機械的事務的になりがちであります。私たちは、会社がいかに大きくなり、その接触する面がさらに多くなろうとも、社会の要望するものを、つねに敏感に謙虚に把握し、いつなりともその要望に応じ得るよう、真の商売人としての精神を堅持していくための反省をおこたらないことがたいせつであります。」の一文があり、
「第六章衆知を集めた全員経営」の項では、
「このように経営を民主化し経済性を高めていくには、おたがいに衆知を集め、これを尊ぶ心構えがたいせつであります。もし一人の知恵のみによって、すべてが指示され運営されることになれば、それがたとえいかに優秀な人材であっても、一人の知恵にはおのずから限界がありますから、一時はめざましく進展することがあってもかならず行きづまるものであります。当社の経営はこの点に留意し、つねに全員の衆知が啓発され発揮されることによって、会社の繁栄がもたらされるという考えかたに徹しているのであります。
このためにまず、すべて指導の立場にある者が、この心構えに立って部下と協力し、各自のよさを生かすことが必要であります。けれども力量のあるものは、とにかく自分の信ずる道を相手におしつけ相手がしたがうことを望みがちであります。しかしそれがたとえ正しいことであっても、また外部から見てその仕事が早く進んでいるように見えても、たび重なるとそこに独善の弊害が生まれ、結局、人々の活動を弱めることになり、ひいては事業も進展することが困難となるのであります。
したがって、いかに能力のある人でも、さらに衆知を集めるためには、自分の行動や態度はどうあるべきかを反省することが必要であります。」との一文もあります。
「社会やお客様の衆知に学んで謙虚に経営しろ!そうしないと大変なことになるぞ!」
いつもながら宋さんの的を外さないお話で、
幸之助さんのこんなお声が聞こえてくるように思います。(長文お許しください。)
ありがとうございました。 田丸 孝
売れないのは消費者のレベルが低いからだと言ってしまう、倒産する会社に共通の法則ですね。
営業をやっていて気付くのは、日本企業で第一線で稼ぐのは20〜30代の若手ばかりです。40代後半以降のベテランはほとんど出てきません。
中高年の人たちは何をしているんでしょう?
管理職?
終身雇用で年功序列なので、人材が固定化しているんでしょう。稼げる人が稼がず、新しいことにチャレンジもしないのは人材の無駄です。
私は、雇用の流動化がない限り、日本全体が倒産企業になりつつあるような状況は変わらない気がします。
現段階ではHVに注力は正しいと考える。コストは高くなっているが。
私は、使っています。スマートフォンは韓国SAMSUNGに台湾の科技樂集團(Muchtel)です。テレビも韓国のLG電子にしようか検討中。
簡単、基本性能が高い、利用者がカスタマイズを自由にできる。今の日本製品は、余計な「付加価値」を付けてばかりで面白くないです。まるで「ただの石ころに、ペンキを塗って宝石に見せかけて高く売り付ける。」状態。宋さん、言い過ぎでしょうか。私の発言は。
日本の制度やシステムは、日本人の国民性や行動特性を元に作られています。
たとえば、日本では全国民を対象とした皆保険の医療保険制度でありながら、患者さんが自由に医者を選べる制度です。
これは日本人が地元のお医者さんで満足して、むやみに良い医者を捜し回らない、控えめな行動をとるから可能な制度です。
日本で働いていて国民健康保険証を持っているある中国人の人は、おなじ料金なら一番良い医者にかかりたいと言って探しまわって、県外の某大学病院に通っています。もし皆が同じことをしたら、制度は成り立たなくなり、保険診療では受診できる病院は同じ市内だけに制限されるでしょう。
日本は公的医療保険でこどもや障害を持つ人は、原則医療費が無料です。無料だからと言って無茶苦茶高額な薬を売りつけたり、余分な医療をしてお金を巻き上げたりする医者や製薬会社はありません。節度を持って行動しています。だから長期間にわたり持続可能でした。
アメリカの某製薬会社は、公的負担で患者に支出がないことを良いことに、進行癌で困っている人を前に家が買えるくらいの値段の薬をちらつかせたり、障害児の医療に1年で数百万近い価格の薬を、患者のためと言って販売して、保険制度を足元から揺らし続けます。医療も商売なので、簡単に取れるとこから取るのが原理です。
日本人の節度ある行動様式を元に作られた制度が、今、アメリカや中国の行動様式に飲まれようとしています。
かつては日本人の行動様式が「強み」だった時代がありました。その部分が世界中に広まった現在、日本人の行動様式の「弱み」が、つけ込まれようとしていると感じます。
宋さんの指摘にもあるように、今こそ、日本人の行動様式だけに基づいたシステムになっていないかを、ビジネスの面からは客観的に見る必要があると思います。
はじめまして、大石と申します。いつも、ツイッターや著書などを拝読させて頂き勉強させて頂いております。
早速ですが、福島県いわき市のお母さん方が「マスクアクション」を起こされております。
行政等に働きかけておられたようですが、なかなか難しい状況のようです。
ただ、今回ニュースでもありましたが今年の花粉にはセシウム等含まれており、小さなお子さんや
これから未来を担う青少年・妊婦の方を少しでも守っていくとう趣旨でアクションを起こされております。
そこで、勝手なお願いですが、こちらの「マスクアクション」にご協力お願い出来ませんでしょうか。
どうぞ、よろしくお願い致します。
大石綾子
080−5050−8293
「子ども全国ネット」http://kodomozenkoku-news.blogspot.com/2012/01/blog-post_29.html
「いわき市のマスクアクション」http://ameblo.jp/concentric-circle/
内部被曝に関する参考資料です。
表4-1 緊急時に考慮すべき放射性核種に対する実効線量係数(公益財団法人原子力安全研究協会)
http://www.remnet.jp/lecture/b05_01/4_1.html
こちらが、年齢別の、同じICRP72データです。
http://www.snino.com/opb/misc/icrp_pub72.html
二次情報しか持たないコンサルに安易に相談を持ちかけ、策を授けられ、成功したら自分の功、失敗したらそれはコンサルの所為にしている。いつからか自分の頭で考えない経営者が増えた。コンサルにものの考え方を頼っているのだから、似たような企画、商品に偏るのは当たり前で、いずれ市場は飽和状態になっていく。
宋さんの語る、現在のものつくりで問題になっているのは上記の部分くらいで、コストやマーケティングの問題は古い10年位前の話し。そう言う古い話しが、経営層や幹部陣に対して今でも喜びを持って迎えられるのが問題なのではないか。
現在のものくりならば、むしろ徹底的に拘った工房感覚の一品ものや、ジュネーブで見られるような精密機械時計のごとくの高級で付加価値のある商品を上位にラインアップし、だんだん下りて行くに従って付加価値の無い、広告費の塊のような見た目だけの商品を東アジアのどこかで製造しているのが日本の現状。宋さんの考えだけでは、それこそ日本のものつくり文化が霧散霧消していくだけで、周辺諸国と同化してくだけ。
それだけで良いのか、と常に自問自答しているのが日本のものつくり技術者です。正直門外漢には黙っていてほしい部分だし、古臭い戯言や過ぎ去ったことは、時代遅れの経営幹部にだけとっておいて話せば良いんです。
また、宋さんの思想には雇用と言う観点が欠落している。雇用や雇用確保を全て肯定するものではないが、雇用責任を放棄出来るのならば、今の日本のものつくり陣営も随分と気楽で、明日にでも宋さんの考えを模倣出来るかもしれない。
私も日本の電機メーカーの技術者です。
今更ながら、弊社では、「どんな技術を載せよう」、「どんな性能にしよう」、という話はあるのに顧客がどのようなものを望んでいるのか?という話はほとんど出てきておりません。
出てきても日本のマーケットの話ばかり。世界を相手にしているはずなのですが。
いまの自分に出来ることを行っていこうと思います。
日本にいても、少しはそれぞれの国のことは調べることができるでしょう。また、社内でも顧客が何を望んでいるのかを積極的に聞いて廻るようにしてみます。
わかっていたつもりでしたが、改めて気がつくことができました。ありがとうございました。
車に関して言えば、デザインの問題もありそうです。まだコモディティとまでは言えない状態なのでしょう。日産も中国市場への適応を進めています。
ただ、価格の影響はやはり大きそうです。
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/beautiful_noise2006/comment/20111021/1319148569
日本メーカーの敗因で補足すべきこととしては、メーカーの統合が進んでいないことがあります。
ちょっと屁理屈的ではありますが、「韓国車」(現代・起亜)と「日本車」(日産・トヨタ・ホンダ)を比べると、中国での販売台数はまだまだ日本車の方が多いです。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~fujiki/chainaauto.pdf
過剰品質("拘りすぎ")、「ものづくり」にこだわり過ぎ、「顧客視点がない」
というご指摘はもっともですが、それらだけが原因でないこともご一考いただければと思います。
自分は若い頃、アジアを中心として海外の仕事をしていましたので宋さんの言う事は良く分かります。当時からよく出ていた話ですし尤もだと思いますね。
ただ、技術力などのアドバンテージが重荷になっているとは思いませんし、今更技術力を落としたからと言って競争力がつく事もないでしょう。逆にアジア各国の顧客は年々良い物を受け入れる体制が出来てきているので、このアドバンテージは今後長所として生きてくるのでは、と思います。
ただ、円高と物作りの事を言ったら言い訳になると言う風潮は現在強すぎますよね><
彼ら、本気でいってるんですか??
現場にあわせると言う事で言うと例えば日本人やアジアでヒットするコンパクトな商品が、欧米の指のデカイ人たちには、小さすぎて操作しにくい為不評である、的な事が昔から中々改善されないのは勿体ないですが。
逆に、ニーズが無いと言われても大ヒットしたウォークマンやカップヌードルなどの様な商品が最近の日本にはない様な気がします。自分たちの思いで新たな市場を作り出す、と言った気概がどん底で喘いでいたアップルにはあったがソニーには無かったのだとしたら、年々この国の人達は外向きな気概が薄れ、内向きに小さくなって来ているのかもしれません。心配ですね。
おっと自分は現在経営者側の人間なので、これ以上時間を使ったら「経営者としてちゃんと仕事しなさい!」と宋さんに怒られそうなので、この辺で^^いつも著書とブログを楽しみにしています。お体を大事に今後もご活躍下さい。
でも、これまでの多くの日本企業が目指してきた高品質・高性能を追い求める姿勢が誤っているとは思いません。 少資源で労働原価の高い国である日本が生き残るには、やはり他の国が追いつけない技術で勝負するしかないでしょう。 私も多少海外経験がありますので、日本流が通じない部分も多いことは承知していますし、世界の多様なニーズに応える製品作りも同時に行なっていかなければならないでしょうが、本質的には高い技術力を更に高める努力が求められます。 目先の儲けることだけを考えるなら、「売れる物だけを作る」やり方も良いでしょう。
しかし、それで進歩があるのでしょうか、技術が向上するのでしょうか、未来に展望があるのでしょうか? なんだかんだ言っても、日本には日本流のやり方で進むしかないと思っています。 それが時に過剰品質と言われてしまうこともあるかもしれませんが、それを恐れることは無いと思います。 ただ、過去の繁栄や栄光はきっぱりと忘れ捨て去って、もっと貪欲に技術に立ち向かうべきでしょう。 そうすることで、再び日本の技術力が高い評価を受け、製品も売れるようになることを願っています。
>>好を付けたい車初心者の中国ユー
>>ザーに地味に見えるのです。
むしろこれは日本人が海外販売初心者だからこんな愚かな思い違いをするのでしょう。日本車は北米市場でも韓国車などと比べてデザインセンスが古臭いと指摘されています。
>>田舎者だの成金だの不経済だのを
>>言うのは感覚の自由で問題はありま
>>せん
田舎者で成金で不経済なのは日本人そのものです。日本という田舎に引きこもり、過去の成功の資産を食いつぶしている成金で、非効率な不経済体質。
これは組織の問題というより日本人そのものに欠陥があるのでしょう。落日の国、それが今の日本です