荒海に浮かぶ小瓶

北海道大学に留学していた頃知り合った親友がいます。アメリカ人牧師のジェセンです。彼も貧乏なのでよく一緒にお金のかからない遊びをしたり、人生や宗教について議論したりしていました。

数年前、私が大変な悩みを抱えていた時、ジェセンが偶然にも用事で東京に来て久しぶりに会いました。事情と心情を打ち明けると彼はいつものようにずっと傾聴するだけでした。しかし、その後のアドバイスは一生忘れられません。

「宋さん、海は時々荒れる。沈まないために小瓶に入って蓋をしめる。サンシャインを受け入れるが、風と水を入れない・・・宗教も心の小瓶です」

ジェセンの誘いで何回か教会にも通ってみましたが、宗教心は持てませんでした。正直にジェセンにそれを告げると彼は「宗教は友人を作るためにある訳ではない」と言ってくれてほっとしたことを覚えています。

宗教が無理ならば、私が入れる小瓶は何だろう。考えれば考えるほど家族しかないと思いました。親友や親戚も考えてみましたが、やっぱり荒海に溺れたかわいそうな心を無条件に受け入れてくれるのは家族のみです。

ホーキンス博士が最近、死後について発言し世界中で物議を醸しだしています。「死後の世界はない。生きている人間が死の恐怖を忘れたいために考えただけ」と。

唯物論を徹底的に叩き込まれた私には当たり前の話ですが、これによって宗教の重要性は少しも損なわれないと思います。宗教は物理的現象への解釈ではなく、人類の心のニーズ(小瓶)だからです。

もし、家族がいなくなると私はどうなるだろうかと考えるとぞっとします。しかし、家族を失うことはよくあります。3・11を経験して分かったように、そのようなアクシデントが前触れもなく突然にやってくるものです。

その時は私の心はどこの小瓶に逃げればいいだろうかと思います。悲しいのですが、これがクラシックな共産主義教育を受けた私の悲劇です。

共産主義はある意味では人類社会を物理学のように科学的に分析しそしてその行き先を「科学的」に予想した訳です。その予想が見事に外れることは言うまでもありません。

人間はただ生きるだけでは満足しない動物です。豊かな心を持ったことで我々は愛情、幸福、希望などの繊細な心を持つようになり、人生の意味について問うようになりました。

本来、これらの心は本能で生きる動物には不要です。この心が我々の弱みにもなり、それが失われると生きる気力がなくなり、「自殺」という本能に反する行為さえ見られます。

家族と宗教はその人間の弱い心を助けるための小瓶であり、科学です。

ジェセンの奥さんがとても優しい日本女性で息子さんも自力で東大に合格しました。例のアドバイスを受けた数ヵ月後、久しぶりにジェセンの家を訪ねました。緑に囲まれた札幌自宅の手製ベランダに座る彼の顔には幸せが溢れます。話題が将来に及ぶと、彼が興奮しながら言いました。「イラクにいって布教・・・」。

最も危険な荒い海に彼は行こうとしていますが、私は黙って頷くだけでした。彼なら大丈夫でしょう。なぜならば彼の心を守る丈夫な小瓶が二個もあるからです。
この記事へのコメント
自分の心を入れる小瓶は何かと考えさせられる素晴らしい文でした。私にとってはやはり家族しかないのでしょう。でも、家族とはもろいものなので、人間以外の何かを信じられるということが最終的な救いになるだろうと思っています。

心の重荷をおろしたいという思いと、心の重荷をはねかえそうとするからこそ生きているのだ、という思いにゆれる毎日です。
Posted by 川村みどり at 2011年07月22日 08:52
「荒海に浮かぶ小瓶」とは何のことだろう、と思ったが、読み進め、なるほどと合点がいった。素晴らしい表現だなと思います。打算のない愛、無償の愛、そうですね。宋さんが掘り起こしてくれる市井の民の声には、胸に突き刺さるものがあります。
Posted by 藤森 禮一郎 at 2011年07月22日 09:23
素敵な文章を拝読しました。

とても素敵な友人がいて幸せですね。

宋さんって、詩人でエッセイストなんですね。
今度は、エッセイ集と詩を組み合わせた本を創りませんか。

文章を読んでなんだか豊かな気持ちになりました。
Posted by 沼田一博 at 2011年07月22日 09:26
荒波に浮かぶ小瓶を例えて、一般的には宗教も心の小瓶(ニーズ)だが、宋さんはクラッシックな共産主義教育を受けたので、宋さんの心の小瓶は家族だと・・。中国人を理解する一つの手がかりで同感でした。でも、一つだけ違った感想があります。小瓶はニーズではなく、私には一時避難のシェルターのように思います。ですから、何時までも小さな小瓶の世界に閉じこもっていていいの?何時かはリスク覚悟で蓋を開けて、外界へ出なくては・・と思うのです。
日本の宗教も転換期のように思います。私は、地場産業の産業振興のお手伝いをしていて、今、仏壇の地場産業の青年部と仏壇の将来を考えています。30年前にはどこの家庭にも有った仏壇が、激減しているのです。若手職人たちと、仏壇がこれまで果たして来た役割に付いて議論してきました。仏壇は本来、宗教のためにあるのではなく、「生活の中の小瓶の役割」を持っていたのではないか。毎朝、お線香とお水をあげて、手を合わせるのは、子供の頃からの生活習慣でした。先祖や家族や社会に感謝する。それが社会のルール、家族のルールを維持する役目を果たしてきたと思うのです。敢えてルールと言いますが、宗教のルール有りきではないのではないか。この考え方を打ち出すと、宗教界や仏壇業界から反発を受けることになります。新興宗教の活動が活発ですが、都会での宗教離れは顕著なようです。お寺自体は、檀家が250軒ないと自立できないそうで、平均150軒のようです。現代社会で宗教は必要なくなったのか。いや、逆だと思います。昔のお寺は、地域社会でコミュニティーの中心だったのです。現在、葬式寺になっている宗教が問題なのかも知れません。仏壇については、今の住宅には仏間、日本間。床の間がないので、仏壇の入る場所がなくなっています。しかも黒塗りで生活空間の違和感は、受け入れ難いものが有ります。技術を磨くだけで良かった若手職人達と、クリエイティブに手を合わせる場を日常生活に溶け込ませる提案をしていこうと思っています。
Posted by 大高申一 at 2011年07月22日 10:27
家族の大切さを改めて考え直しました。いいお話でした。
Posted by han at 2011年07月22日 11:52
「荒海に浮かぶ小瓶」切なく読みました。今日の日経のコラムに虐待を受けた幼い子が祖父の家に行こうとして駅員につかまって家に戻された、、と。次の日、母親からどんな酷い目にあわされたでしょうか。荒海に浮かぶ小瓶を小さな手に持たせたいと
このメールを読んで切に感じました。家族をこびんに例える幸せは宋さん一人の胸にしまっておいてほしいものです。
Posted by 植松節子 at 2011年07月22日 14:31
ホーキング博士は天才ではありますが、神ではありません。2004年10月イラクで24歳の香田証世というキリスト教徒の青年がアルカイダの人質となり、殺害されました。あの戦争は核兵器
を隠匿しているとして、アメリカ(一般にはキリスト教徒)が攻撃を仕掛け日本もPKOに派兵しました。核兵器は存在しませんでした。あの戦争は今後歴史から裁かれ続けるでしょう。当時彼は日本の大方の世論からも嘲笑されましたが、私は
彼こそキリスト教徒の罪を購った(一身に引き受けた)のではないかと思います。天国があるかどうかは私自身まだ生きているのでわかりません。
しかし将来死んだ時天国で再会できるならば、彼こそ本当の家族です。なぜなら神の意思である平和を求めて、父母の元を離れ、イラクで自衛隊の撤退を求めて亡くなったのですから。
Posted by 児倉祥子 at 2011年07月22日 18:49
何時も楽しみに読んでいます。今回のテーマは、大変深く、私自身も考えさせられました。「心の小瓶」とは、やはり「家族」しかないのではないかと思います。「家族」が、何時でも心の支えになるから、苦しくても、辛くても一歩一歩歩みがすすむのでしょうか。「宗教」はどうでしょうか?「宗教」が紛争の火種になることもあった歴史を見るに「心の小瓶」足りえないのか?そうではなく、未だ「心の小瓶」への途上なのか…。久しぶりに、グレンミラーの「茶色の小瓶」を聞きたくなりました。
Posted by 阿部寿夫 at 2011年07月22日 20:16
大学に入ったころ私も唯物論者、唯脳論者でした。一般教養の化学の最初講義で、先生が「年取るとあの世が自然と信じられるんですよね」の言葉に仰天しました。宗教学の講義を聴いてもチンプンカンプン。でも、いま五十代の半ばを過ぎて、家族とかの死も経験して、人の精神の不思議さ、奥深さに興味が移ってきてます。でも、既成の宗教はその崇高な教えとは別に現世の欲が見えてしまうので抵抗ががとれず崇高なところにたどりつけません。人類の魂はどこへ向かっているのでしょう。
Posted by 古川太一 at 2011年07月22日 23:46
宋さんこんにちは。
ツイッターが荒海だとしたらこの読者広場は小瓶ですね。
仏教に因果応報という言葉がありますが、現在の不運は前世の報いであり、現世の行いは来世に報われるというものです。
それは現在不運でもやけにならずに良いことをしなさいよという考え方なのですが、それは社会の秩序を守る人間の良心でもあります。
死後の世界が存在するという考えが宇宙の秩序に合致するということは、帰納法的に死後の世界が存在すると言えるのではないかな、とも考えます。
Posted by AndyHug at 2011年07月22日 23:50
人生の意味を考えさせる今日もまたよいエッセイでした。ありがとうございました。宗教というより信仰、つまり神との個人的関係ということをおっしゃっているのではないでしょうか。宗教は人間が作った組織ですから、嫌がる人が大勢います。でも神様との関係という個人の問題として捉えれば受け入れやすいのではないでしょうか。人間一人では生きていけませんし、何もできません。それを認めることは弱さではなく、逆に強さだと思います。神様と家族とに支えられ、もう少し他の人のことを考え人の役にたつ人生を送れたら、皆がそう思えたらこの世はすばらしいものにになっていくと信じます。引き続き良い意見を発信してください。TA
Posted by TAkiyama at 2011年07月23日 03:06
私は神を信じています。なぜなら、世界は荒波も汚れた海も、又、静かで穏やかな海もあるでしょう、このような雑多で混沌とした世界をなぜ創造したのか、その意図を私はこう解釈しています。恐らく神は人間が限りない能力をもち一直線に人類が進むことの危険性を分かっていたからこそ、異なった言語をもち、異なった風俗習慣をもった民族をあえて創造したと、そして、お互いを理解し自由で平和な世界を作ることは容易ではないことを我々に示しているのではないかと考えています。私も家族が一番大切であるという思いは同じですが、本当に家族を理解しているかどうかはいまだもって自信がありません。恐らく独りよがりなところがあるでしょう。3.11で家族をなくされた方の報道を見るたびに胸が痛むとともに自分の家族への接し方を考えさせられます。
Posted by 堀江 正美 at 2011年07月23日 09:10
地球人類は信じませんが
宋文洲さんは信じたいと思います

(言葉の素晴らしさと恐怖ですね
(勝手に思ってるだけなので、気にしないでください
Posted by 作 広虫 at 2011年07月24日 12:45
ホーキンス博士が「死後の世界はない。生きている人間が死の恐怖を忘れたいために考えただけ」と言ったことに対し、
「唯物論を徹底的に叩き込まれた私には当たり前の話ですが、これによって宗教の重要性は少しも損なわれないと思います」とのコメントは、あたかも、ホーキンス博士の発言が非宗教的であるかのようなニュアンスですね。
でも、実は日本の仏教の一派(浄土真宗)もホーキンス博士の立場に似ています。

死んでしまえばすべてはなくなる。すべてなくなるから苦しみもなくなる。そして、人はいずれ必ず死ぬ。だから、苦しみがなくなる。
それが真実。それが浄土真宗の立場。

でも、いきなりそんなことを言われたら多くの人は不安にかられてしまう。だから、「死ねば、阿弥陀仏のもとに行く。阿弥陀仏に救われる」という「方便」で説明する。それが浄土真宗の立場。

荒削りですが、浄土真宗とはそんな教えだと私は理解しています。

「クラシックな共産主義教育を受けた私の悲劇」なんかではありません。私の目から見れば、宋さんも普通の人です。西暦2011年の地球に生きる、普通の人です。

人は、生まれ、老いて、病を得て、死ぬ。
だれも、このルールから逃げられない。
それなのに、自分だけはこのルールから逃れたいと願う。だから絶望する。

生老病死から逃れられないと諦めて(諦観)、
苦しみは生きている証(あかし)と感謝して、今生きていること、苦しむことができる今を味わう。自分にできることをする。自分が助け、支えてあげることのできる人を助け、支える。
それが生きること。単純だが、変更しようのない真理。

ときとして、このルールを忘れ、苦しみ、後悔する。それも生きている証。過ちに気づいたら、そこでもういちどやり直す。
そうこうしているうちに寿命が来て自分の実体はなくなり、あとに残された人の思い出の中に生き続ける。成し遂げた成果のなかに、生きた証が残される。・・・それだけのことです。

Posted by 大野 篤彦 at 2011年07月26日 16:50
以下のくだり、非常にへんな言い方だなと、心に引っかかりを感じました。以上です。

>ジェセンの奥さんがとても優しい日本女性で息子さんも自力で東大に合格しました。
Posted by salfa2 at 2011年07月28日 21:05
宋さん、人類の歴史を振り返ってみれば、「神への信仰と正義」が一番
人を殺してきたのですよ。国どころか文明をも支配し、他文明や他文化・他宗教を絶滅させてきたのです。宗教的正義こそ、人間が最も残忍に、残酷になれるのです。そして庶民に清貧を説く寺院はいつの時代、どこの国でも金持ちだったではないですか。宗教は小瓶ではなく死神の鎌です。主権国家と同様、人類が生み出した最悪の発明の一つです。
Posted by 日撃公子 at 2012年02月28日 03:05
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