寛容は自分のためである

近代中国にとって毛沢東が発動した文化大革命は最悪な時代でした。私の家族は資本家や地主であったため、酷く差別され、闘争大会では父親が二十歳そこそこの紅衛兵達によく殴られました。

毛沢東が死去しケ小平が登場すると全てが普通どおりになり、出身の差異による差別が禁止されました。非に気付いた紅衛兵達はやっと我に返って普通の青年達に戻りました。

罪悪感からか、道を歩く父と出会うと、多くの元紅衛兵が父を避けるようになりました。これに気付いた父がむしろ早足で彼らに近付き、「もう過去のことだから気にしないでください」といって回りました。

その中には父の顔を殴った人もいれば、父の足を蹴った人もいました。その侮辱の現場を強引に私達家族に見せる人もいました。仕返ししたい気持ちがないわけではありませんが、さすがそれは理性の外のことなのでしませんが、せめて黙って良心の叱咤を受けてほしいと思います。

「あんたは鳥頭だね(忘れっぽいという意味)。殴られたのはつい最近のことではないか。仕返すようなことをしなくても、こちらから話すことはないじゃないの」。母の怒りは我達の気持ちを代弁してくれました。

父親は母の気持ちが少し平静になるのを待って言いました。「私は彼らのために彼らを許したわけではない。私のため、家族のためだ」と。「いいえ、僕は彼らも同じ目に遭わせてやりたい」と兄も言い出しました。すると父がある言葉で我々を黙らせた。「お前達は犬に噛まれたら犬を噛み返せるか」と。

「犬を噛み返せるか」。理不尽な目に遭って復讐したい時、この言葉はいつも私の耳元にありました。人を犬に例えるなんて日本的感覚でいうとあまりいい表現ではありません。どこか人をばかにしているような気がしますが、私達がこの言葉に説得されたのは事実です。

理不尽な顧客、乱暴な上司、嫌な同僚、嫌いな組織や国家・・・我々には嫌なものが必ずあります。必ず愛があることと同様に。「嫌だ」、「許せない」という感情を持つのは自由であり、持つことのない人は誰一人この世界に居ないはずです。

しかし、許せない気持ちを持つことの一番の被害者は自分であることは間違いありません。寛容であることの最大、そして最初の受益者は寛容になれる本人です。その瞬間から太陽が輝き、愛が心に宿り始めるのです。不思議なことに人を憎んでいないことは自然に動作や感情に滲み出し、人々を魅了する雰囲気を醸し出すのです。

不寛容の人はその表情を見ればわかります。どこかに歪みがあって美しくない何かを感じます。「大人は顔に責任を持て」という日本語もこのことではないかと最近よく思います。

「いい顔している」人をよく観察していると気付きますが、彼らの共通点は寛容であることです。そしていい顔している人には成功者と幸せ者が多いのです。相手の心が狭くても不寛容であっても、こちらが不寛容になる必要がありません。なぜならば、「人は犬を噛み返せない」からです。なぜならば、「寛容は人のためならず」だからです。


この記事へのコメント
今、僕自身憎しみで心の中がいっぱいなので、この文章を読んで反省しました。宋さんのお父さんは本当に立派な方だったんですね。ありがとうございました。
Posted by 哲学者 at 2010年10月15日 08:21
いつも有意義なお話をメールマガジンでお送りいただき、ありがとうございます。

今回の「犬を噛み返せない」「成功者は肝要である」というのは、とても腑に落ちました。

自分も、常に一回り大きなモノの考え方ができるように精進していきたいと思います。

季節の変わり目ですので、どうぞご自愛くださいませ。
Posted by 長戸 美樹 at 2010年10月15日 08:39
「寛容であることの最大、そして最初の受益者は寛容になれる本人」とは、まさにそのとおりだと思いました。

グローバル化が進み、また国内においても多様化した価値観を持った方々と日々接している中で、自身の人生が「充実した幸せな一生であった」と死ぬ直前に振り返ることが出来るとしたら、今回のメルマガで拝読させていただいたことを、自身の信念として自然に実施できるようになっていることが極めて大切であると、改めて感じさせていただきました。

ありがとうございます。

また毎回感慨深いメルマガを楽しみに拝読しております。このようなメルマガを拝読できること、大変有り難く思ってございます。
Posted by 竹内 博樹 at 2010年10月15日 08:48
良いお話
ありがとうございます。

しばらくぶりに、こころが落ち着きました。
また、がんばります。
Posted by 杉山 勤 at 2010年10月15日 08:53
いつも楽しく読ませて頂いております。
文化大革命、天安門事件..一握りの者達の権力闘争に罪も無い一般の人々が巻き込まれたと言う意味で、いずれも大変不幸な出来事であったと思います。そして、今でもその頃の事を描いた様々な著作に触れると、本当に多くの人々の心に傷を残した悲劇だったのだと心が痛みます。
何の罪も無いのに理不尽な死や心身の傷を負わされた人々にとって、怨みは不寛容の印では無いのかもしれません。しかし、怨みがまた新たなる憎しみを生み、次の更に大きな悲劇につながる事も、また歴史の証明するところ。
ボスニア、ルワンダ..悲劇の連鎖を防ぐためにも、誰かがどこかで赦すこと..が大事なのでは無いでしょうか。日中・日韓の間に横たわる問題も、つまる所は怨みの心を権力者達に利用されている事に、多くの人が早く気付く事ができれば、解決できるような気がいたします。
Posted by kushikotaro at 2010年10月15日 08:57
計測機器の製造販売業です。
最近
>理不尽な顧客
に翻弄されることが多くなりました。
理不尽な顧客はその上司に理不尽な要求をされているわけです。
ものつくりの世界の心が壊れかけています。
寛容の心をもたなければ、理不尽の顧客との戦いになります。
寛容は相手の言うことを聞くことではなく、相手の気持ちに対して想像力をもつことだと考えます。お父様のように。
その時、その寛容こそ、自分のためであることに気がつくはずだと思いました。
介護も子育ても自分のためであると日頃考えておりましたが、
今日、寛容も自分のためだと、改めて認識いたしました。
良い言葉に触れさせていただきました。
Posted by 菅原 容子 at 2010年10月15日 09:02
宋さん、おはようございます。
すばらしいお話で、心から共感します。

事実がよくわからないまま政府攻撃に使われている「尖閣」衝突問題ですが、
菅首相が国際会議の合間に中国のトップと「廊下懇談」して、上手く収めましたね。よかったです。
いつも「ニュースのネタ」がほしいマスコミは、なんでもかんでも「批判」で「カン叩き」に興じていますが、野党政治家とともに、「本当の国益」のために何をすべきかということを考える「知性」に欠けていて、情けないです。
左翼の人たちも、政権交代への過度の期待が「裏切られた」と騒いでいます。
その子供っぽさに、呆れます。
65年間も、アメリカの顔色ばかり見てきた日本が、おいそれと変われるはずがありません。
小沢一郎さんのように「強引」だったり、鳩山由紀夫さんのように「純真?」では、変革を嫌う分厚い勢力に叩き潰されます。
「腰抜け」と罵られても、
当分は、慎重に「地雷を踏まないように」ソロソロと進むしかありません。
私が30年間応援してきた菅直人さんは、
【林業問題】について、国会議員の中でもトップクラスの造詣があるのですが、
首相となると「雑事」に追われて、この、とても大事な問題を軸に「日本の未来像」を国民に語り掛ける余裕がないようで、残念です。


5年前の中国の「反日デモ」の大げさな報道で、観光ツアーの予約をキャンセルした人もいたようですが、私と夫はたまたまツアーの予約をしていて、「反日デモが見られたらおもしろいね」なんて、何の心配もなく行ってきました。
そのときのことを、市民メディアJANJANに連載しました。
http://www.news.janjan.jp/world/0505/0505167106/1.php
超親日的中国見聞小記(1)《格安ツアー「大満足」》2005/05/01
超親日的中国見聞小記(2)《一人っ子はつらい?》2005/05/04
超親日的中国見聞小記(3)《毛沢東という神話》2005/05/05
超親日的中国見聞小記(4)《国家戦略の有無》2005/05/08
超親日的中国見聞小記(5)《中国株あれこれ》2005/05/10
超親日的中国見聞小記(6)《迷子になったら大変》2005/05/13
超親日的中国見聞小記(7)《霧と桐の古都・長安》2005/05/17
超親日的中国見聞小記(8)《西安で出会う台湾と中国》2005/05/17
超親日的中国見聞小記(9)《 チャイナ・リスクは世界のリスク》2005/05/18
超親日的中国見聞小記(10)《日中反目を喜ぶのは誰か》2005/05/28
超親日的中国見聞小記(11)《「中国は共産党なんですよ!!」それが?》2005/06/10
超親日的中国見聞小記(12)《人民元2%切り上げ》2005/07/23
この記事は後に
JANJANの中国人スタッフが翻訳して、中国でも発表されました。
何についてものマスコミの報道のヒステリーぶりは、42年前の「東大紛争」で実感し、はじめて、「報道は疑え」ということを学びました。
それについても、JANJANに、「22歳で知ったこと」という連載をしました。
http://www.news.janjan.jp/column/azumiruri/list.php?date=2006/03

参院選前に菅さんが「消費税について議論を始める」と言ったことを、まるで直ちに10%上げると言ったかのように大騒ぎしたり、沖縄の普天間問題について、鳩山さんがアメリカと交わした「合意」からスタートする、と当たり前のことを言ったのに、「カンは沖縄を裏切った」などと決め付けて感情的になったりする人が多いですが、さいわい一般国民はもう少し落ち着いた見方をしているようです。
コイズミ劇場に踊らされたことから少しは学んだのでしょうか。

とりあえず、感動の気持ちをお伝えしたくて、コメントいたしました。
再見!
Posted by 安住るり at 2010年10月15日 09:05
寛容さは自分のためですね。

「犬を噛み返せるか」。・・犬がかわいそうに感じます。

犬は彼または彼女にとっての、精一杯の生きるための防衛反応。

犬に喜ばせる状況を作ることで、幸せを受け取れる自分をきっと見つけられる。

この世に貢献するって、そういうことから始めてみたいです。

@Ghichi (on twitter)
Posted by 渡邉 義一 at 2010年10月15日 09:07
いつも感動的な通信有難く、拝読致しております。会社勤務15年、独立開業して20年。
振り返って寛容な人と感じた人、そうではないと感じた人、種々思い出されます。でも、他者を思いやっても、自分はどうなのか。思い直せば、寛容でなかった自分の行動が、いくつも思い起こすことが出来ます。少なからず誇りを持ちたいエンジニアの自分と、寛容でありたいと願う経営者の自分。終局的には、相手の立場になって押すか、押されるか、そう決断できる自分でありたいと思います。
Posted by 小郷政弘 at 2010年10月15日 09:15
子育てしながら会社を経営している者です。
いつもメルマガありがとうございます。

最近、パートナー(夫)のことで許せないことがあり、毎日気分が沈みがちでした。
カウンセリングにも行きました。

そんなとき、このメルマガを読ませていただき、涙が止まりませんでした。
自分自身と家族のために、寛容になる。
すばらしいお父様のお人柄にふれ、自分が恥ずかしいと思うと同時に、気持ちを入れ替えようと思いました。

くよくよせず、仕事に心を傾けようと思います。
これからもメルマガ楽しみにしています。
ありがとうございました。

Posted by おだ at 2010年10月15日 09:15
宋さん

「犬に噛まれたら犬を噛み返せるか」。。。感動しました。常に心に留めておきたいと思います。

また来ます。
Posted by 萩原直哉 at 2010年10月15日 09:15
宋さん、いつもメルマガ配信ありがとうございます。

>寛容であることの最大、そして最初の受益者は寛容になれる本人です。

この言葉、とても私の胸に響きました。
寛容であること、その大切さには気付いてはいても、ついつい、己の感情に流されてしまいます。まだまだ、弱い未熟な自分を悟ります。

寛容になることでの最大の受益者が自分だから・・・という理由ではなく、「許せない気持ち」を、昇華出来る強さを持ちたいと、思います。

ありがとうございました。
Posted by まーきん。 at 2010年10月15日 09:16
おはようございます
宋さんのご意見、いつも感心しながら見ています。
 お父様はすばらしい方ですね。私も、60過ぎて、個人としては人と争うことは無意味だと感じるようになりました。
 またそのような人生を送るには、組織や国を預かる身では不可能と思い、責任ある地位からは外れてみようと実行中です。
Posted by 島勝 伸一 at 2010年10月15日 09:25
今回の宋さんの意見には、違和感があります。「人は犬を噛み返せない」というのは、名言だと思います。しかしこの言葉は、相手を「人」と見なしておらず、「相手を許す」というよりも、相手に対して侮辱だと思います。私の場合は、「仕返しをしない、されど無視する」という態度に徹します。その方が相手を「人」と認めているので、好ましいと思っています。
Posted by S.Ishihara at 2010年10月15日 09:30
宋さん、御無沙汰しています。
以前より色々な題材を拝見していますが、今回のお父上の言葉には深く共感と感銘を受けました。長らく競争の激しい世界に身を置いていましたので「許せないような侮辱や有りもしない責任」を押し付けられ、それらに気持ちを縛られていた時期もありました。少し自分の立場に余裕を持てるようになった頃、自分以外の多くの部下に対しても責任を持つようになった頃、ようやく寛容な気持ちと許容を持てるようになりました。自分なりに気持ちの整理をつけた頃を想い出すと、あの頃に宋さんのお父上の言葉をお聞きしていたら気持ちの切り替えが流れるように出来たかもしれないと苦笑いしたくなる気がします。「犬を噛み返せるか」この言葉は今後の教訓に心に刻ませて頂きます。
Posted by 小田倉 靖 at 2010年10月15日 09:30
初めてコメントします。
まさに「情けは人の為ならず」ですね。
このところの日本の中の状況をみると寛容さが必要だと感じます。
Posted by 池田 博 at 2010年10月15日 09:41
「もう過去のことだから気にしないでください」って、過去の悲劇を繰り返す原因だと思いませんか。三反、五反はもう過去のことだから気にしなかったから、四清、社教が来た、四清、社教がもう過去のことになったから、反右が来ます。ようやく反右が終わったら、文化大革命がやってきた。
今まで、全然反省せずに、トウの言葉を借りって、「不争論」のまま、過去のことにしました。本当に、もう過去のことになって、決して再発しないと宋さんは自信を持って言えるんですか。
炭鉱事故、毒牛乳事件もそうですよ。・これらの事件は繰り返し発生していませんか。中国人は、「寛容」し過ぎるのではないか。あるいは反省の能力はないでしょうか。
責任を追及して、反省させてからの寛容は本当の寛容だと思います。責任を追及することは報復ではなく、加害者のためも、必要ですよね。
Posted by 劉 at 2010年10月15日 09:43
理屈はわかります。でも、一方で感情に支配されてる人間にとって、絶対忘れられない、許せない恨みってあると思います。30年近く経って、学生時代に自分をさんざん足蹴にした先輩を許す事が出来ません。当初はそんな事その内忘れるだろうと思っていましたが、未だにそいつの顔を思い浮かべると逆に蹴っ飛ばしたくなります。自分でも30年経っても忘れられないこの感情に驚いています。こういう気持ちって理性や理屈で押えられるものではありません。ましてや、損得で図れるものでもなく、寛容性というのは無理に持とうとするものではなく、自然にそう思えるものだと思います。勿論、こういう感情を抑える寛容性はある程度必要です。でも、それにも限度があります。自分の例などは些細な事かもしれませんが、戦争などで親や子供を虐殺された恨みとかは絶対消えるものではないと思います。先生の事例もどちらかと言うとそっちの部類だと思いますよ。勿論、それを許せる方は素晴らしい御仁だと思いますし、そういう感情を抑えるべき常識的基準もあるでしょう。でも、その枠を超えた領域の中で、寛容性の程度は個人差が有り、それをコントロールするのも限度が有り、その個人個人の価値観はむしろ尊重すべきだと思います。それを抑えこむ事は逆に表に出ない、内にこもった非常にいびつな人間関係が多く発生する事になる様な気がします。
Posted by 白石 哲也 at 2010年10月15日 10:04
相手が不寛容であっても、こちらまで不寛容になる必要はないという言葉が突き刺さりました。何かと言い負かしてやろうとか、やられたらやり返せと考えがちだったので、自分自身寛容さが足りないと身にしみました。
Posted by 清水直也 at 2010年10月15日 10:06
絶妙のタイミングでメルマガ
届き、復讐心をたしなめられた
感じでした。

ありがとうございます。

このような心の持ち方があるとは
考え付きませんでした。
Posted by 長濱 at 2010年10月15日 10:15
宋様
いつも楽しく拝見させていただいております。若林と申します。

いつも感銘を受けることが多いのですが、今回のお話は特に胸を打たれました。

お父様の毅然とした態度と優しさ。まさに寛容とはそういうことなのかと認識を新たにしました。

書物での知識しかないのですが、文化大革命後にどのようにその傷跡を修復していけたのか不思議におもっていたのですが、少し理解できた気がします。

私も本日よりお父様のお言葉を胸に刻んで自分のために少しでも寛容でいたいと思います。

宋様のご活躍とご健勝をお祈りしております。
Posted by swaka at 2010年10月15日 10:20
宋様

寛容である事。
とても大切な生き方であり、同時にとても難しい人間の命題であります。

私は漸く48歳になれた若輩者です。
実弟とのとある揉め事で、自分の現在までの人生の中で反省することが余りに多い事に気付きました。

当初、実弟からのクレームには「全くいわれがない。のみならず色々と尻拭いや世話をしてやったのに…」という感情を持ち、しばらく憂鬱な気分で過していました。

ある時に自分の中で多くの人々に赦され、育成されて着た事を思いました。

今度は私がそれを赦し心を落ち着かせる事で自分自身がさらに反省し、寛容さを身に着けるのだと心に決めた矢先にこのお話です。

導きなのでしょうね。

怒るのは簡単ですが、感情に任せて報復するとその後の修復が大変です。

こんな生きる事が厳しい時代ですから、更に寛容さについて人々が意識を持っていく契機になれば良いですね。

当然私はその実践者になります。
Posted by Dave金・改 at 2010年10月15日 10:22
いつも宋さんのメルマガを楽しみにしています。

今回の「寛容は自分のためである」、素晴らしい事だと思いますし、私もそうありたいと思っています。
相手を許す心は、自分自身が成熟していないと、なかなか出来ないのではないでしょうか?
自分自身、完璧じゃない。間違いもある。だから相手に対しても完璧を求めてはいけないのだと私は思っています。
Posted by 瀬谷義浩 at 2010年10月15日 10:50
今日のお話は中国のお話で、西洋的な思考では無理と思います。
私には何か奇麗事のようです、現在アメリカに住んでいますが、隣人達から差別されて
34年間一度も挨拶も致しませんし、ニタリ
とも致しません。

今の日本も同じ平和ボケした人間ばかりで
中国に対して歯を剥き出して、対抗する
と言う気概も無くしています。

55年前の日本では集団でやられたら、後で
何年掛けても一人ずつ必ずお返しをしていました。江戸の仇は長崎で討つという手法です、私は台湾から戦後引き上げて来た者ですが、チヤンコロといじめられ、いじめた
連中は5年ほど掛けて、腕力をつけ、腕を
磨き、全員に仕返しをいたしました。

おかげで見下される事も無く、胸を張って
生きていけました。
それが世の中です。
70歳の日本人より。




Posted by Rick Noguchi at 2010年10月15日 11:32
パソコンに向かって涙が出てしまいました。よいお話をありがとうございました。私は蓮如の「他人への依存は人間を卑屈にする」という言葉をモットーとしております。人のために寛容になるのではありませんね。
Posted by 飯田房男 at 2010年10月15日 11:40
名前のところこれで良かったのでしょうか? メールの差出人として正しく姓名を書くことは勿論ですが公開された時に出したくなかったのでこうしました。
いつもメールマガジンの送付ありがとうございます。 今回は特に、コメントさせていただきたい程感銘を受けました。お父様のお言葉を心に刻んで、できれば実践してゆきたく思っております。「人を犬に例える・・」についてはそのようなご意図でないこと理解できました。ありがとうございました。 
Posted by KenY at 2010年10月15日 11:48
情けは人のためならず。久々に聴く言葉ですが これって難しいですよね。50前後になっても いまだに感情コントロールは不完全だし、寛容に対処したつもりでも ふつふつと心の奥底に好き嫌いが刻まれてます。子供の頃のイメージしていた大人と現在の自分に著しいギャップを覚えてます。
Posted by 勘違いのリハビリ at 2010年10月15日 12:04
宋 文洲 様
お送りいただいているメールマガジンを、欠かさず拝見させていただいております。
時には共感して頷きながら読んだり、時には感心したり、また知らなかったことを教えていただいたり、なにはともあれ今では私のライフワークのひとつとなっています。
さて、今回は読みながら正直泣けてきました。
内容は、個人的にとても納得のいくことで、本当にそうだと思えることでした。だからこそ泣けてしまいました。
私は5人家族のワーキングマザーです。
今の私はいろいろな意味で余裕がないのが現状です。@金銭的なもの、A時間的なもの、B精神的なものです。この3つは複雑に絡み合っていて、しかしながら@とAはBに多分に影響を与えています。
ここ最近は「今の状況を何とかしなければ…」と気持ちばかりあせってしまい、実際のところ何もできていない…というか何をどうすれば良いのかわからないのです。
余裕がない…回りに気をめぐらすことができない、回りを思いやることができない…知らず知らずのうちにそのような状態に陥ってしまっているのがわかります。何をするにも、何だか自分ひとりが貧乏くじをひいているようで、仕事へのモチベーションも下がり、人間不信になり、無関心になり、そして他人に寛容になれないのです。家族に対しても寛容になれないのです(これは重大です)。気がつけば文句ばかり言っている自分が居ます。心の中で誰かのせいにしてなじっている自分が居ます。自分が本当に冷たい人間だと感じます。私はこんな自分になりたくないのです。
だからかろうじて周りに対して“普通”の自分を演じています。今までどおり気をまわし、今までどおりに作業をし、笑顔をつくり… でも気持ちがついていっていないのです。そんな自分が更に嫌になります。きっと今の私の表情は歪んでしまっていて、宋さんのような方には見抜かれてしまっているのでしょうね。
話が戻りますが、今回のお話の内容は本当にそうだと心から思えます。けれども今の気持ちからどうしても切り替えができないのです。そうなりたいと願いながら、そうなれないのです。
仕事もあります。住む家もあります。私よりも厳しい境遇の人はたくさん居るでしょう。頭の中ではわかっていても気持ちの切り替えができないのです。
すべてをうまく伝えられませんが、いずれ時間が解決してくれるものでしょうか…
長文になってしまいましたが、自分の今の気持ちを私自身が確認する意味でも、文章にしてみました。
Posted by マリリン at 2010年10月15日 12:18
「お前達は犬に噛まれたら犬を噛み返せるか」
いつもありがとうございます。艱難辛苦に耐え抜いてきた生き様と、自分が生き残るために乗越え置き換えてきた深い悲しみを感じます。
世の中は理不尽なことも多いですが、そこを耐える美学と捉え、私自身も同じことが表現できるようになりたいです。
Posted by makeyミ★ at 2010年10月15日 12:54
怨みに報いるに徳をもってすという言葉を思い出します。お父上は素晴らしい方ですね。振り返って私は子供のころ近くでサボっていた警官に(お巡りさん遊んでいるの)と無邪気に聞いたところ、殴られ家まで連れてこられ悪坊主なので牢屋に入れると母親に迫り、驚いた私の母親が事情も分からずただ泣いて息子を許して下さい。それで治まりましたが、その後もちょくちょく見かける其の警官が憎くてついに生来警官嫌いになりました。中学生頃に高輪警察署に訪ねて行って其の警官を探しましたが見つからず68歳になった今でも会って一言いってやりたい気持ちが沸くときがあります。。寛容は自分のために有る久しぶりでこのことを忘れられそうです
Posted by 中尾誠男 at 2010年10月15日 13:22
「寛容は人のためならず」、すばらしい格言だと思います。「情けは人のためならず」と同様。
Posted by なおき at 2010年10月15日 13:34
初めてコメントをさせていただきます。
中国で仕事をしている中国人です。
最近の中日両国の関係で気持が沈みがちですが、このメルマガを読んで、すごく楽になりました。人間も国家もやはり互いに許すことによって、強くなっていくんですね。
ありがとうございました。
Posted by saiayame at 2010年10月15日 13:39
>「大人は顔に責任を持て」という日本語

日本語で知っていてありがとうございます。
ただこれは、米大統領リンカーンが言った言葉だと言い伝えられています。
//
Posted by ルート134 at 2010年10月15日 14:18
宋さん、先日上海の講演会でご挨拶させていただき、まるで少年のような笑顔であったのが強く印象に残っております。
いつも視点がユニークで驚きますが、今回のお父上の言葉は、座右の銘にしようと思います。寛容であることこそが、まわりによい影響を与え、人生を豊かなものにするのでしょうね。
ありがとうございます
Posted by 河原 at 2010年10月15日 15:06
寛容と厳格ですが、そのバランスが必要だと思います。その差がエネルギーになるのではと思っていましたが。
Posted by shika at 2010年10月15日 15:23


宋さん

「犬に噛まれたら犬を噛み返せるか」

そんなことをすることも無く、叩き殺せば
良いのです。
70歳の年齢ですが、右手の正拳では犬くらいは今でも叩き殺せます。

南米のアルゼンチンで百姓をしていた時代は、腰の拳銃で即、射殺していました。

貴重な苗床を荒らす犬達など即、殺していました。私有地内で不法侵入者、動物犬、馬、牛などもその対象でした。

その事は誰にも文句は言われなかった。

日本の様に平和主義者に洗脳された生き方
ではこの世に生き残るチャンスが少ないと
思います。

アメリカの警察でも私有地内は令状が無ければ入れません、それは警官と言えども射殺
される危険性があるからです。



 

 







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宋 文洲(そう・ぶんしゅう)
ソフトブレーン
マネージメント・アドバイザー


1963年6月中国山東省生まれ。
85年に留学で来日し、92年にソフトブレーンを創業。2005年に東証1部上場を果たし成人後に来日した外国人初のケースとなる。
2006年にソフトブレーンの取締役を辞任し、現在コンサルタントや評論家として北京と東京を行き来する。


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毛沢東が死去しケ小平が登場すると全てが普通どおりになり、出身の差異による差別が禁止されました。非に気付いた紅衛兵達はやっと我に返って普通の青年達に戻りました。

罪悪感からか、道を歩く父と出会うと、多くの元紅衛兵が父を避けるようになりました。これに気付いた父がむしろ早足で彼らに近付き、「もう過去のことだから気にしないでください」といって回りました。

その中には父の顔を殴った人もいれば、父の足を蹴った人もいました。その侮辱の現場を強引に私達家族に見せる人もいました。仕返ししたい気持ちがないわけではありませんが、さすがそれは理性の外のことなのでしませんが、せめて黙って良心の叱咤を受けてほしいと思います。

「あんたは鳥頭だね(忘れっぽいという意味)。殴られたのはつい最近のことではないか。仕返すようなことをしなくても、こちらから話すことはないじゃないの」。母の怒りは我達の気持ちを代弁してくれました。

父親は母の気持ちが少し平静になるのを待って言いました。「私は彼らのために彼らを許したわけではない。私のため、家族のためだ」と。「いいえ、僕は彼らも同じ目に遭わせてやりたい」と兄も言い出しました。すると父がある言葉で我々を黙らせた。「お前達は犬に噛まれたら犬を噛み返せるか」と。

「犬を噛み返せるか」。理不尽な目に遭って復讐したい時、この言葉はいつも私の耳元にありました。人を犬に例えるなんて日本的感覚でいうとあまりいい表現ではありません。どこか人をばかにしているような気がしますが、私達がこの言葉に説得されたのは事実です。

理不尽な顧客、乱暴な上司、嫌な同僚、嫌いな組織や国家・・・我々には嫌なものが必ずあります。必ず愛があることと同様に。「嫌だ」、「許せない」という感情を持つのは自由であり、持つことのない人は誰一人この世界に居ないはずです。

しかし、許せない気持ちを持つことの一番の被害者は自分であることは間違いありません。寛容であることの最大、そして最初の受益者は寛容になれる本人です。その瞬間から太陽が輝き、愛が心に宿り始めるのです。不思議なことに人を憎んでいないことは自然に動作や感情に滲み出し、人々を魅了する雰囲気を醸し出すのです。

不寛容の人はその表情を見ればわかります。どこかに歪みがあって美しくない何かを感じます。「大人は顔に責任を持て」という日本語もこのことではないかと最近よく思います。

「いい顔している」人をよく観察していると気付きますが、彼らの共通点は寛容であることです。そしていい顔している人には成功者と幸せ者が多いのです。相手の心が狭くても不寛容であっても、こちらが不寛容になる必要がありません。なぜならば、「人は犬を噛み返せない」からです。なぜならば、「寛容は人のためならず」だからです。
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この記事へのコメント
今、僕自身憎しみで心の中がいっぱいなので、この文章を読んで反省しました。宋さんのお父さんは本当に立派な方だったんですね。ありがとうございました。
Posted by 哲学者 at 2010年10月15日 08:21

いつも有意義なお話をメールマガジンでお送りいただき、ありがとうございます。

今回の「犬を噛み返せない」「成功者は肝要である」というのは、とても腑に落ちました。

自分も、常に一回り大きなモノの考え方ができるように精進していきたいと思います。

季節の変わり目ですので、どうぞご自愛くださいませ。
Posted by 長戸 美樹 at 2010年10月15日 08:39

「寛容であることの最大、そして最初の受益者は寛容になれる本人」とは、まさにそのとおりだと思いました。

グローバル化が進み、また国内においても多様化した価値観を持った方々と日々接している中で、自身の人生が「充実した幸せな一生であった」と死ぬ直前に振り返ることが出来るとしたら、今回のメルマガで拝読させていただいたことを、自身の信念として自然に実施できるようになっていることが極めて大切であると、改めて感じさせていただきました。

ありがとうございます。

また毎回感慨深いメルマガを楽しみに拝読しております。このようなメルマガを拝読できること、大変有り難く思ってございます。
Posted by 竹内 博樹 at 2010年10月15日 08:48

良いお話
ありがとうございます。

しばらくぶりに、こころが落ち着きました。
また、がんばります。
Posted by 杉山 勤 at 2010年10月15日 08:53

いつも楽しく読ませて頂いております。
文化大革命、天安門事件..一握りの者達の権力闘争に罪も無い一般の人々が巻き込まれたと言う意味で、いずれも大変不幸な出来事であったと思います。そして、今でもその頃の事を描いた様々な著作に触れると、本当に多くの人々の心に傷を残した悲劇だったのだと心が痛みます。
何の罪も無いのに理不尽な死や心身の傷を負わされた人々にとって、怨みは不寛容の印では無いのかもしれません。しかし、怨みがまた新たなる憎しみを生み、次の更に大きな悲劇につながる事も、また歴史の証明するところ。
ボスニア、ルワンダ..悲劇の連鎖を防ぐためにも、誰かがどこかで赦すこと..が大事なのでは無いでしょうか。日中・日韓の間に横たわる問題も、つまる所は怨みの心を権力者達に利用されている事に、多くの人が早く気付く事ができれば、解決できるような気がいたします。
Posted by kushikotaro at 2010年10月15日 08:57

計測機器の製造販売業です。
最近
>理不尽な顧客
に翻弄されることが多くなりました。
理不尽な顧客はその上司に理不尽な要求をされているわけです。
ものつくりの世界の心が壊れかけています。
寛容の心をもたなければ、理不尽の顧客との戦いになります。
寛容は相手の言うことを聞くことではなく、相
宋さん

「犬に噛まれたら犬を噛み返せるか」。。。
Posted by Rick Noguichi at 2010年10月15日 15:42
本当に感動しました。
今の私に一番必要なお話でした。
私は宋さんにも守られているんだなと感謝の気持ちでいっぱいです。
おかげで気持ちが楽になりました。
ありがとうございました。
Posted by ごろんた at 2010年10月15日 17:31
昔、若い時に良く面倒を見てくれた会社の会長(80歳)が私と食事しながら「人の感情は厄介だ。愛することそして信じることは容易だが、赦すことはなかなかのことだ」と。赦すを許すと思っていましたから、そんなに難しいこととは想像できませんでした。
それから十年余り経ち、私は可愛がっていた自分の部下の二人に裏切られました。人事権をもった権力者に私の厳しい指導振りを訴えられ、プロジェクトXのトップにいた私は部長のポジションを追われ地方に転勤に。送別会ではその二人が「恩を裏切った」「こんなことになろうとは」と泣いて詫びました。私はその場で咎めることはしませんでしたが、心の中では赦すことができませんでした。
それから7年、私は赦すことが出来ずにきました。「人を信じることを止めさせ、そして自分と家族の人生を変えた」という思いでした。一方で、昔、聞いた会長の「赦す」という言葉がずっと頭にありました。が、ある時、ふと、「赦すことは囚われている自分の気持ちを解放することなんだ」と。「相手を赦すことではない。自分を赦すことなんだ」と。すると、自分の気持ちが楽になったのです。
彼らと時々会いますが、彼らは明るく、また私を慕ってきます。
私の経験とは格段の差があるお話、60歳を過ぎて、しみじみと拝読し、筆をとらずにおれませんでした。
Posted by 喜太  燦 at 2010年10月15日 18:25
私は今回のお話でイエスの話を思い浮かべました。
あのイスラムの世界で、「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」と説く事のできたイエスは、まさに人々の目を覚まさせたでしょう。

宋さんのお父上には、ケ小平氏という方がイエスの様に人々に正道を説いて下さったとの事ですが、残念ながら今の世にそのような方はなかなかおいでません。
中国にはこのようなことわざは無いのかもしれませんが、日本には、情けは人の為ならず、以外に、軒先貸して母屋を取られる、と言うことわざがあります。

噛み付いてきた相手にケ小平氏の様に指導できる力があれば良いのですが、イエスならざる私には、正道を聞かせる力はありません。
悲しい事ですが、噛み付かれたら、噛み付き返す振りでもしないと、食べやすいとさらに噛み付かれる不幸を招くのが現実です。
Posted by M at 2010年10月15日 21:57
自分の場合は、もやもやとした感情を抱えて生きてきましたが、ごく最近、
「許せない自分を許していい」と気がついてから少し楽になりました。
寛容であるフリをして良い子を取り繕い自分を見失うより、「寛容になれない自分をわかっていられる」ことが大事だなあと思っています。
Posted by 赤の9番 at 2010年10月15日 22:00
70年代に北京大学に公費留学、
主人はその時に知り合ったクラスメイトの
中国人です。
今USシカゴで暮らしています。

つれあいも文革中、10年間の強制労働、義母も市中引き回しなど迫害を受けました。
発狂・自殺・拷問の中、危うき時代をくぐり抜け今があります。

色々ありましたけど
これだけお国が立派に発展して
共産党に対する見方も変わってきました。
時々過ちもあるけど
よくやってる方ではないかと。

今回新しい視座を得ました。
犬に噛み返せるかと。
許すはforgive ではなく
寛大の寛すことなのだと。

スコーンと胸に落ちました。
ありがとうございました。

Posted by 金谷紀代子 at 2010年10月15日 23:58
「犬に噛まれたら、犬を噛み返せるか」は、不思議と納得が行く言葉です。例えば、子供にいたずらをされて、子供に仕返しをするかどうか、部下や後輩が失敗をして、彼を突き放すのか etc... 同じように、相手が失敗をして(それが、考え方や良心の持ち方の失敗だとしても)それを許せるかどうか・・・
相手も、自分と同じようにミスをする人間だと考えられない、他人のミスに寛容になれない という、宋さんが指摘されている話と、通づるものがありますね。
Posted by passimo at 2010年10月16日 00:48
最近メルマガを拝読させて頂いている勤め人です。
ある僧侶に人間関係の悩みを打ち明けた時「こだわりを捨てよ、こだわりを捨てるとは赦す事だ。」と諭されました。今回のメルマガを拝読し、再びこの言葉を思い出しました。日々の生活の中で、せっかくの金言を忘れ、怒り、拘り、という感情に支配され我を忘れてしまっていたと気付かされました。
本当に有難うございました。
Posted by まさまさま at 2010年10月16日 10:39
メールいつも楽しみにしています。
ツイッターもよく見てます。

辛辣な物言いですが、つい見てしまいます。
宋さんの感情豊かな発言がクセになっているようです。

今回のメールマガジンとても感動しました。
はじめて感想を送ります。

人は状況の中で善にもなり悪にもなるものなのでしょうか。様々な状況の中で、常に自分を見失わずにいられることなんて難しいのかもしれません。

長いものに巻かれるのが安全だと思ってしまうのは人の防衛本能だし、状況への適応で誰にでも起こりうることだと思います。

ですが、人として自分が納得出来る、しなやかな信念のようなものを死ぬまでに持ちたいなと感じました。

それにしても、不寛容の世界で悩んでおられる方が多いんですね。

いろんな人が生きているんで、いたるところで摩擦が起きるのは仕方がないことなんでしょうが、宋さんのお話に共感されて、寛容の連鎖が進むのはいいことですね。

ここは素直に、精一杯生きてるみなさんを(わたしも含めて?)褒めたいです。
Posted by katsuwo at 2010年10月16日 11:24

宋さん、お早うございます。

お父様のお話し心打たれました。 きっと子供達の前で負の連鎖を断ち切る為に、そして暴力した相手にも心からの反省が出来るように導いてあげたのだと思います。 思慮深い方ですね。

私は恥ずかしながら母親との確執で43歳頃まで母が死後もどうしても心から許す事が出来ずその心に苦しめられました。 当然家庭内にも色々問題を抱え袋小路のようでした。 四面楚歌と絶望した時自分で自分の心を癒す事に目覚めたのです。

それからは私の心はどんどん健全になり母親の事も許せるどころか母親の苦悩や一人の弱い人間として認めてあげられるようになり生きていれば抱きしめてあげたい気持ちに変化したのです。

心から許す事で世界が明るくなり他者への愛が芽生えました。

長くなりましたが宋さんのお父様のお考えは一つの真理だと思います。

これからも宋さんの記事楽しみにしてますね♪
Posted by まりこ at 2010年10月16日 13:10
東京のあるところで中国出身の女性が一緒の雑談に同席したことがあります。話題が文化大革命の話になり、その人が経験したと言ったので
どんな経験だったか聞いた人間が居ました。その女性は5分位黙ったままで(小生には10分位に感じた)したが、そこのオウナーが話題を変えようと言って別な話になったので、同席者はある意味救われました。宋さんのお父上と同じように、尊厳を傷つけられたのだな感じます。マスヤジ
Posted by マスヤジ at 2010年10月16日 14:30
「犬に噛まれたら犬を噛み返せるか」。
犬を噛み返すと、犬もまた噛みついてくるでしょうね。それにもまた、噛み返していくといつまでたっても繰り返しに・・・。
パレスチナ問題をはじめとして、ありとあらゆる紛争はこうして終結を迎えることができなくなってしまったのでしょう。どちらかが一度でも「寛容」であることができれば、すべての紛争が終わってくれるような気がします。
Posted by 堀 at 2010年10月16日 16:57
昔読んだ、周恩来の伝記を思い出しました。
日本人には無い、異質だけど、スゴイ。
「大人」

私も含めた今の中高年世代は、
「中国」「中国人」に
かの偉人周恩来を始めとする
「大人」イメージを持ち続けてるのかな
そんな気がします。
Posted by 山湯 at 2010年10月16日 23:21
自分が受けた「非寛容」を、次の機会に繰り返すな、なぜなら、非寛容は、良きものを
何一つ、生み出すことはないからです。

しかし、欧米は、アジアの一番弱い所を
最悪の時期に、突いてきますんね。
大変、危惧しております。
Posted by ume at 2010年10月17日 20:02
いつもメールを頂き有難う御座います。
初めて宋さんのメールを読んだのは捨て子のお話でした。年甲斐も無く涙が溢れ息が詰まる思いでした。
私は馬鹿な人間で、少なくとも天安門事件までは中国人は皆お父さんの様な人ばかりだと思っていました。
最近の中国の情報に接するようになってから自分の馬鹿さ加減は並ではないと思っていました。
今回のお父様のお話は私にとってホッとするお話でした。
中国人を尊敬し、中国を偉大な国家と考える日本人は結構居ると思いますが、そんな人さえ最近の中国にはうんざりして居るのではないでしょうか?
でも、色んな思いをリセットしたいと思います。
これからは中国と日本が蜜月の時代が続きます様にと思っております。
どうかご尽力ください。
Posted by 源明 at 2010年10月18日 01:37
いつも、メルマガを読ませて頂いています。
宋さんの言葉からは、物事を考えたり行動したりする上での原点を学ばせてもらっています。
今回の尖閣諸島に端を発した日本と中国の問題で、中国の日本企業に暴徒とかした中国の人が押し寄せ、被害が出た亊に、少々やるせない気持ちを持ち始めていたのですが、宗さんのメールを読ませて頂き、少しこころが安らぎました。宗さんのお父さんのような方が中国にいるかぎり、日本と中国の関係は正常に戻って行くと信じる亊ができました。

これからも、楽しみししています。
Posted by 有野 at 2010年10月18日 10:06
心、わしづかみにされました。
色々思います。
今回のこのお話、ゆっくり時間をとって考えたいです。
Posted by サナダ at 2010年10月18日 11:49
宋様

現在北京に駐在しており、既に1年以上が経ちました。
この1年間仕事で何度も嫌な思いをしましたが、中国人の方から暖かい言葉を頂き、随分助けられたものです。
つい数日前日本人の上司から取引先のいる迄で罵声を浴びせられ、非常に腹の煮えくりかえる思いをしました。その罵声は人権侵害にあたる程ひどいものでした。
このような言葉を浴びせられ、非常に苦しい思いをしていますが、翌日中国人の友人が車で長城に連れて行ってくれ、長城を見ていくらか気分が楽になりました。
世の中には悪意な言葉で人を傷付ける人。優しい言葉で人を労わる人。様々ですが。今回のプログを見て、憎しみは自分のこころにある事を知りました。しかし怒りは中々消えないものですね。
Posted by 遠藤 at 2010年10月18日 16:52
私なら理不尽な噛みつき犬はにっこり笑って保健所に連れて行きます。それが法治国家のなすべき事です。
Posted by Minenobu Okayama at 2010年10月18日 21:47
この話を今出されているのは、中国の尖閣列島に対する、理不尽な行動や官製のデモなどに対して、日本人は冷静になれとアドバイスされているのでしょうか。 毒入り餃子事件でも日本が悪いと高飛車に言って帰るし、自国に責任があると分かっても誤らない。こんな下劣な行動に対抗するほど日本は幼稚ではないし、そんな事をすれば世界から嘲笑されるでしょう。 おごれる中国も一時のことで、こんなことを続けていると世界から無視されて、そのうち内部崩壊と瓦解に至ります。
Posted by 駒田 響 at 2010年10月18日 22:20
 寛容、愛は常に忘れてはならない道徳だと思います。
 ただ、社会、国家は、それが無理なく存在できるように保障するものでなければならないと思います。
 近代法では、私的制裁権を国民から取り上げ、国家に一元化しています。国民、国家は、共に法による支配を受けます。その根底には、人間は不完全な存在であり、本性に任せれば互いに殺しあうような存在だという思想があります。
 ところが、近代中国では、反日戦争、国共内戦が続き、新国家成立後も、朝鮮戦争、対ソ、対インドと戦時体制が続きました。反右派闘争、文化大革命も一種の戦争だったと思います。
 ケ小平の登場でやっと戦時体制は終りましたが、共産党の1党独裁体制は続きました。法の支配は未だ不十分です。共産党による人治です。
 文化大革命についても本来なら国家が加害者の責任を追及し、被害者の被害・損害を補償すべきでしょうが、共産党政権にとっては天に唾するようなもので、実行は不可能です。
 今回の尖閣列島事件でも、日本人が怒っているのは、船長が意図的に衝突させた暴力行為を、中国政府の国際法無視の無法な要求に日本政府が屈し、日本の法治原則を崩したためです。国際正義が損なわれたためです。
 「愛国無罪」。今回も無法行為が容認されています。法の支配はありません。
 近代国家ではリンチは禁じられています。国家が暴力を独占します。
 日本も官僚支配という裁量政治はあります。やくざという暴力団が存在しています。しかし、普通の人間は、暴力を勝手に行使することはありません。
 
 
 
Posted by 金田 邦彦  at 2010年10月19日 08:07
現在、義父から延べ11件の裁判を起こされ係争中の私は、「犬」に噛みつき返した行為がこうなったと感じてします。
後悔はまだしていません。
「犬」になってやると決心したからです。

しかし、提訴から何年も経過し、先の見えないことを思い知らされています。

本当は噛みつきたくないのです。

他の方々のコメントにもありますように、
理不尽で、弱者が何故・・・
これしかなかったと思っています。

しかし、毎回愛読させていただいています先生のメルマガは本来の人間らしさを思い出させてくれます。

だから、これで最後の犬になります。
先生すいません。
もう噛みつき返しません。一生。
Posted by 才谷梅太郎 at 2010年10月19日 12:30
拙ブログに、今回のメルマガの文章を転載させていただきました、問題があるようでしたら削除いたしますので、お知らせください。
Posted by 森岡葉 at 2010年10月21日 02:17
何時もながら宋さんの言葉には考えさせられ、新しい発見があります。
宋さんのお父さんの心の広さの感銘しました。
犬に噛まれても噛み返さない。
実感の伴った表現ですね。
私もこの言葉を身につけます。
Posted by 永田 巌 at 2010年10月22日 12:08
犯罪者に罰を与えずに放置するのは寛容ではないでしょう。
犯罪者が罪を償って初めて許すのです。
相手を人ではなく「犬」だと見なすのなら、噛みつく犬はしつけが必要です。
犬であろうと人間社会で生きて行くには相応のルールがあります。
出来ない犬は保健所送りです。
または檻の中に閉じこめるしかありません。
Posted by mikura at 2010年10月25日 15:58
3年程前、宋さんのメルマガで、「勇気」とは、フェアのために何かを失っても構わないという「寛容」です。とありました。
私も勇気を持ちたいと、手帳に書き記し、勇気ある人間に近づきたいと心しています。
Posted by YOSHI at 2010年10月26日 21:03
「私は彼らのために彼らを許したわけではない。私のため、家族のためだ」

日本でも昔から、何かを我慢させる時に使う話し方です。「お前のためだ、今は我慢しろ」です。相手を許す形をとることで別の問題が表面化することを抑え、将来の自分(たち)の利益を最大化しようとしています。ですから、お父様のこの言葉は現実的でよく理解できます。

ただ、相手のことは横に置いて、自分の利益のために採られた方策であれば「寛容」というより「自愛」や「利己」あるいはお父様の例では「我慢」というような言葉が適切ではないでしょうか。「我慢は自分のためである」という分かりやすい話になると思います。

もう一つ、形だけ許すという現実的な対処方法を採るのは、しかたないから、です。たとえば、家族が、何キロも引きずられて死んで轢き逃げされたら、その轢き逃げ犯を死刑にしたいと思います。しかし、刑を決めるのが自分でない以上、懲役刑になっても我慢するしかありません。犯人を許すことができないと思う家族にも「不寛容な人」「どこかに歪みがあって美しくない」と侮蔑的な言葉を使われますか。

最後に「家族が犬に噛み殺されても、その犬を大事に飼いますか」
Posted by シアル at 2010年11月05日 21:25
日中間の歴史問題で、日本のマスコミはよく中国政府は歴史を政治利用していると開き直ります。尖閣諸島の問題でも、反日デモを批判を政府に向けさせないための官製デモだと断じ、日本人は開き直っています。事実として政府が人々の恨みの心を利用していたとしても、恨みの心があるという事実は変わりません。恨まれる理由があるから恨まれているのです。日本人はそのことを忘れてはいけません
Posted by   at 2010年12月17日 11:38
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