完璧を追求することは良いことですが、それは匠や職人の世界でしか通用しない話です。自然や人間を相手にする場合、完璧を求めることは我がままであり、不可能です。ミスした人、失敗した事業、負けた競争・・・組織をリードしていると不味いことの処理がリーダーの仕事の核心を占めます。完璧を求めると部下が離れていくだけではなく、自分自身も体が持ちません。
しかし、どこまでなら部下の欠点を許し、どこまでいくと厳しい判断をしたほうがいいだろうか。これについて明確な基準はないものの、リーダーは経験を通じて自分の中で一線を引く必要があります。
中国のリーダー学には「疑人不用、用人不疑」という言葉があります。「疑う人物を使わない。使う人物を疑わない」という意味ですが、その意味は決して文字の通りではないのです。曹操が戦いに勝利した際、敵陣から押収した書類に部下からの転向を探る手紙も含まれていました。「全部焼け!」と命令した曹操は決して部下を疑っていないのではなく、「このくらいは許してもよい」という線引きがあったからです。
「疑わない」とは「知りながらも気にしない」という寛容であり、リーダーの心の広さです。決して事実も知らないで「性善説」とか「信じる」とかを妄信する幼稚な話ではないのです。
中国の大手不動産の社長に部下の不正について感想を聞きました。小学校卒の彼は笑いながら答えました。「わしの企業は大樹。当然虫もつく。外に出てきた虫はつぶしてやるが、木の穴に隠れている奴も多い。むかし、わしはいろいろなものを穴に入れて退治しようとしたが、結局、木も弱ってしまう。今はそこまでしない。大樹の元気を守るのが大事だから」。
これは無学な彼が苦労を通じて得た経験談ですが、私は妙に納得しました。トータルでプラスかマイナスか、たぶんこれがリーダーの「寛容」と「放任」を線引きする基準だと思います。
・贅沢が好きな人はリーダーではない
理由は分かりませんが、本物のリーダーはだいたい生活上の贅沢を求めない傾向があります。ちょっと儲かるとすぐ別荘を作ったり、外車を買ったりする中小企業の社長はだいたい大成しないです。不思議なくらいです。
もちろん、車と家を持つことが贅沢だと言えない場合も多いのです。数千億円の資産を有する実業家にとっては美術館やゴルフ場を持つのは決して贅沢だと言えません。贅沢とはあくまでも相対的なことであり、その人のその時の財力と関係するのです。
先日、飛ぶトリを落とす勢いのニトリの似鳥社長と銀座に飲みに行きました。似鳥さんは少しだけ高級な国産車なのに同行の未上場ベンチャー社長がリムジンに乗っていました。しかも、似鳥社長は店についたらすぐドライバーを家に返しました。深夜、私と並んでタクシーで帰る似鳥社長の姿勢に感動を覚えざるを得ませんでした。
私はモラルや精神の角度から「贅沢はいけない」と言いたくありません。純粋なリーダー学から解釈を試みたいと思います。たぶん贅沢とは自分を甘やかす行為でしょう。自分を奨励する役割も認めますが、物質に頼る奨励はいずれ限界に達するでしょう。
物質に頼らなくてもリーダーは報われる瞬間はたくさんあります。むしろそれを感じるかどうかはリーダーであるかどうかの分水嶺でしょう。飲み屋の女の子がニトリの家具を使っている話を聞く似鳥さんの嬉しそうな顔は印象的でした。
メルマガを読み浸り、考え方に刺激をもらっております。
「たぶん贅沢とは自分を甘やかす行為でしょう。」
この言葉に、思わず「そうだよな〜」と声を出してしまいました。
メルマガをきっかけに、より一層背筋を伸ばし、張り切って行きます!
いつもいつも、本当にありがとうございます!
リーダーの線引きは難しいですよね。
私もかつて中国の教えで「本物のリーダーはリーダーの成功をあたかも部下の成功と思わせることだ。」とあったのでそれを実行したことがあるのですが、部下は完全に調子に乗って立場をわきまえなくなったので、結局、鼻を折るはめになったのですが、これもどこまでそう思わせるべきか難しいところです。
そうですよね、すべては総合的に考えるべきですよね。行き着くところはバランスだと思います。
ありがとうございました。
これは自身の経験からまさに宋さんの言っていることが当てはまりますね。
不思議なくらい自身がお付き合いしてきた社長さんはほぼ100パーセント会社がおかしくなっています。また、倒産しております。結局孤独な心を何かで満たしたくなるのでしょう。その時物質で癒されたいと思うのでしょう。なにかむなしく感じます。
最近、身内の会社を手伝い始め早半年ですが
リーダーに成る事の難しさを痛感しています
以前勤務していました会社では管理職でしたが、今自分自身が個人としての価値を上げる事を目標に努力しています、給料や待遇は以前の半分になりましたが、前の仕事では見えてこなかった事や、自身の人間力や価値を上げる為に日々もがいております。
どうしても少し収入が多くなってしまうと個人の欲望が出てきますのでこの事を肝に命じて今後も日々努力して参ります。
贅沢をしないよう自身の行動を自ら規制し
他社、他者の良いところを素直に見習い、謙虚な心がけを忘れず少しずつ成長できるよう
心がけて参ります。貴重な示唆をありがとうございました。私自身ニトリの製品を愛用していますが似鳥社長の人となりを伺い、ますますニトリが好きになりました。ところで宗さんは、アメリカ大企業のトップがいずれも破格の報酬を得て超贅沢な暮らしをしていることを、どうお考えになっておられますか?
何かこの一文に、とても感動しました。
何に満足を知るか、ということでしょうかね。
宋さんの話を読んで、すぐに先日息子の学校の三者面談の時に、担任の先生の話を思い出しました。
クラスの人気者で成績いつも100点の息が、今学期だけ通知表に◎が少なかった。担任の先生は子供の前で「よくできたが、完璧ではない。」と言いました。9歳の息子がその場で泣いた。帰りの道で、私は:「9歳の子供に完璧を求める教育こそ、おかしい!お母さんはあなたが完璧な子供になってほしくないです。子供らしく、今のままでOKですよ。」と息子に話した。
夏休み中家に遊びに来たクラスメートに聞いた結果、やはりこの先生は、クラスの皆に嫌われている。
日本は、会社だけじゃなくて、小学校教育からおかしくなっている.
宋さんの話を読んで、すぐに先日息子の学校の三者面談の時に、担任の先生の話を思い出しました。
クラスの人気者で成績いつも100点の息が、今学期だけ通知表に◎が少なかった。担任の先生は子供の前で「よくできたが、完璧ではない。」と言いました。9歳の息子がその場で泣いた。帰りの道で、私は:「9歳の子供に完璧を求める教育こそ、おかしい!お母さんはあなたが完璧な子供になってほしくないです。子供らしく、今のままでOKですよ。」と息子に話した。
夏休み中家に遊びに来たクラスメートに,担任の先生のことを聞きました、やはりこの先生は、クラスの皆に嫌われている。
日本は、会社だけじゃなくて、小学校教育からおかしくなっている.
「利潤の追求が企業の目的」と学校で習ってからです。でも、40歳を過ぎて、ようやくその意味がわかってきました。
お金を稼ぎたいとか、贅沢したいというのは人間の本能かもしれないけど、その前にお客さん(=社会)に喜んでもらえないとお金は入ってこないんですよね。
どこかの社長さんが言った「社会貢献をした結果のご褒美がお金なんだよ」という言葉を思い出します。
感銘を受けました。当方、いわゆる大企業に勤めるものですが、宋さんのおっしゃることは、会社のトップのみならず、組織リーダーへはほとんど当てはまるように思います。
完璧さを求めないという点について
最近の企業倫理の観点からすると、リーダーが「知りながら気にしない」という姿勢は、世間的に(特に最近の日本社会では)許容されがたいように思います。
もちろん宋さんの主旨は理解しているつもりですが、大変含蓄のある、たとえ話に思いました。
こういう抽象的な単語ほど、話し手がどういう意味で使っているか、注意深くあるべきだと、あらためて思いました。
思うに、リーダー論とはリーダーの素養に関係のありそうな抽象的な言葉を並べておくと、各自の思うリーダーができあがってしまうのかも知れないな、と思いました。
中国人の宋様が日本語で、日本の朋に惜しみなくご自身の体験から得られる知恵を与えられているのを楽しく拝読させて頂いておりましたが、まさに今回は「その方向、違っているよ」と、肉声を聞いた思いでした。
いつもは「お気に入り」から好きな時に取り出して拝読させて頂いておりますが、配信を受けるとはこういうことか、とあらためて感謝を申し上げます。
コメントの数も減っているようですし。