気遣いにも長短があり(その1)

遠足に行く小学校の生徒達がバスに乗り込む際、バスガイドさんに挨拶しませんでした。これをみた先生は生徒達全員を降ろして乗車をやり直しました。子供達は一人ずつちゃんとバスガイドさんに挨拶してからバスに乗りました。

これは私の子供が居た日本の小学校で起きた実際の出来事ですが、家内からこの情景を聞いた時、思わず目頭が熱くなりました。皆さんは当たり前と思うかもしれませんが、中国のわがままな「小皇帝」達を見慣れた私はその対比で感動しました。

北京のジムで汗を流していると、となりの中年女性が雑談を始めました。彼女は京都の旅行から戻ったばかりで、私が日本に長く暮らしていたことを知って
言いました。「日本の人々は本当に丁寧だわ」。

気遣い。これは間違いなく日本の良さのひとつです。自己中心でわがままな中国人が学ぶべき多くのことの一つは他人への気遣いだと思うのです。

しかし、物事には常に表と裏があるのです。日本の気遣いも裏があります。しかもとても褒められない裏があるのです。

日本の地下鉄やバスでは、小さな子供も大人と同じように大人しくしないと白い目で見られてしまいます。「うるさい」子供達に微笑んでくれる人はまず居ません。「躾けが足りない」と思っているからです。

サラリーマン達の邪魔にならないようにと、ベビーカーに赤ちゃんを乗せる主婦は懸命に気遣っています。おまけに車内放送でもベビーカーを畳むようにしきり放送するのです。(最近はベビーカーを畳まなくても大丈夫なバスもあるようですが。)揺れる車中、片手に赤ちゃんを抱き片手に畳んだベビーカーを持つ経験を、皆さんも一度してほしいものです。

年配の方が乗車してもなかなか席を譲る人がいません。無頓着な人もいると思いますが、多くの人々は相手を年寄り扱いして席を譲ることを躊躇しているのが原因だそうです。なんと「格好を付けている」と思われたくないことも理由になっているそうです。

気を遣いすぎると人間は人間関係に敏感になりすぎて返って自分の殻に閉じこもってしまうことはないでしょうか。北京の町を薄着の子供をつれて歩いていると知らないおばさんからよく「どうしてこんなに薄着なの?」と言われました。無愛想な表情に怒鳴るような声。日本人ならびっくりして何も言えなくなります。

北京の道路にいると車は絶対歩行者に道を譲りません。義理の弟の車に乗ると彼も譲りません。「どうして譲ってあげないのか」と聞くと「赤信号でも渡るから譲ったら前に進まない」というのです。そんな弟と車を降りて横断歩道を渡る際、大人しく「車さま」に道を譲るしかありません。

「気を遣わない」とは、他人に気を遣ってもらえないだけではありません。他人に気を遣わなくてもいいということです。東京に住んでいた頃、自転車に乗っていると、前方に三人並びの歩行者がいても後ろから隙間が開くのを待ってしまいます。

しかし、北京にいると安心して自転車のベルを鳴らすことができます。最初はびくびくして鳴らしましたが、当然のような表情をして道を空けてくれるのを見てほっとしました。次に私も後ろから鳴らされるときは、何も感じずに機械的に道端に寄るのみです。

日本に長くいましたが、振り返るとホームパーティーの少なさに驚きです。住居が狭いと言いますが、外国人は別に広い家の持ち主だけがホームパーティーをしているわけではありません。日本人は家に他人を呼ぶと大変気を遣うからです。2,3日前から力が入り、日常用品をたんすに入れ込み、服からメニューまで精密に計画し、接待するように来客に気を遣うのです。

それでは来るほうも迎えるほうも疲れるに決まっています。客が帰った後も的確に御礼の電話や葉書を出さないと気遣いの知らない人になってしまいます。結局ホームパーティーはお互いに疲れるだけなのでやる人がいなくなります。

ここまで書くと日本人の気遣いを褒めているのか貶しているのかについて自分も分からなくなります。良いか悪いかの結論を出すメルマガではないので皆さんが読んで思考の体操になればいいと思います。

次回はこの「気遣い」がどのように日本のビジネスに大きな影響を与えているかについて述べてみたいと思います。
この記事へのコメント
物事の裏表は世の常ですが(というか、
そもそも、とらえ方は人それぞれ千差万別なのですから、それが当たり前ですが。。)、こうしたことを堂々と言える社会に住んでいることの幸せを感じます。
Posted by ねこのようにのんびりと at 2009年11月13日 08:25
もうすぐ2歳の男の子のママです。ベビーカーについて一言。
私自身、ベビーカーで電車に乗って大変な思いをしています。が、ベビーカーを開いたまま電車に乗るのが正しいとは思いません。妊婦時代、首都圏の地下鉄で怖い思いをしたからです。首都圏の地下鉄は、ただでさえ狭く、ラッシュアワーでなくても大変な混雑です。そんな中、赤ちゃんをベビーカーに乗せた方がいました。こちらは、身動き一つ出来ません。しかも、電車が動いたりブレーキをかけたりするたびに倒れこみそうになります。しかも自分自身は妊婦でお腹が大きい。もし万が一、急ブレーキなどかけられたら、自分のお腹の赤ちゃんもそしてベビーカーの赤ちゃんも守ることはできないと感じました。ですから、ベビーカーは畳んで乗ることが周囲への気遣いであり、また赤ちゃん自身の安全を守ることでもあると思っています。確かに大変ではありますが、畳むことを前提として抱っこ紐を常に一緒に持ち歩くようにしています。”ベビーカーを畳んで乗ろう”というと必ず「子持ちのママは外出してはいけないのか」などと言い出す人がいますが、上記の理由から私はこれがマナーだと思っています。
Posted by 男の子のママ at 2009年11月13日 08:28
日本人として考えさせられる記事でした。今は転勤で東京にて単身生活を送っていますが、私がIターンして自宅を構える地方都市ではバスを降りる際、必ず運転手さんに「おありがとうございました」「お世話になりました」と声をかけてから降車します。都会ではまず見られない光景で、「こっちは客なのに..」と最初はとても違和感を覚えたものですが、今ではとても良い習慣と思っています。通学バスの子供たちは運転手さんを通じて、働いて学費や交通費を払ってくれている親に思いを致すのだそうです。確かに行き過ぎた気配りは問題が多いとは思いますが、「親の恩は子に送る」と言う言葉もあります。両親に対する感謝の気持ちが、他人であってもお年寄りに対する気配りとなり、自分の母に対する感謝の気持ちが、ベビーカーに対する親切な行為につながるのではないでしょうか。
Posted by k-KUSHI at 2009年11月13日 08:44
日本人の微に入り細にわたるな気遣いについては、私も感動と負担を感じます。これはビジネスの世界にも浸透していますので、往々にして不効率が生じ、コストアップの原因になることが多いのです。多くの皆さんは気づかれていると思いますが、長年の慣習であるため、口にすることさえあまり無いようです。
Posted by 秦 at 2009年11月13日 08:50
ぼくは4年前に子供が生まれて以来、子育てに大幅に関与してきて、電車にも子供とたくさん乗ったが、電車で遠慮した経験はないなあ。サラリーマンよりもこっちの方が優先されるべきだと思ってるから。もちろん、ベビーカーを畳んだことはないし、周りの客からそうするように言われたこともない。日本では確信犯的にやれば大体通るところがある。他人に注意するというリスクをあまり冒さないから。

席は、老人と言っても、見るからに立っているのが苦しそうな老人には譲るが、しゃんとして肌に張りのあるような人には譲らない。譲ると、大体その人の前にそのまま立っているが、日本人でそうするのは少数派と聞いて驚いたことがある。こうすると譲られた人は非常に恐縮する場合が確かにあるが、気にしたことはない。

妊婦に譲ると、ものすごく感動される方がいる。あまり譲られた経験がないのかもしれない。妊婦の方に譲ると、そのまま子供談義のおしゃべりに発展する可能性が高い。妊婦かどうか判然としないときがあるので、妊婦の方は自分が妊婦だと分かるようにマタニティを着るなどして主張してほしいなあ。

譲られた人は電車から出るときに、あらためてお礼を言う人が多いが、ぼくはにっこり微笑んで返す。この方法はアメリカ人から学んだ。アメリカ人はなかなかこういうところが上手だ。

こういったところは、日本でも一昔前よりもかなり改善されているように思うんだが、そう思ってるのはぼくだけか?
Posted by のり at 2009年11月13日 08:50
いつも宋さんのメルマガを楽しみにしている、27歳のサラリーマンです。初めてコメントさせて頂きます。

今回の「気遣い」をテーマにした議長論端を楽しく読ませて頂きました。
私も日頃電車・バスに乗っていて、宋さんと同じようなことを感じています。

中でも、ベビーカーに関してはとても難しい問題だと感じています。
少子化問題が叫ばれている日本ですから、行政も子育てをしやすい環境づくりが至上命題であるはずです。
ですが、共働き等で子供を保育園に預けざるを得ない家庭の場合、どうしても通勤ラッシュ時に子供を連れて移動しなければなりません。
家の近くに保育園が無い場合は、自家用車が無ければ電車・バスを利用するしかありませんが、ラッシュ時には宋さんもおっしゃる通り、冷やかな世間の対応が待っています。
私も日頃通勤ラッシュを経験している者ですから、「通勤ラッシュにベビーカー」がどれだけ入りづらく、居づらく、似つかわしくないものかは容易に想像出来ます。
この問題を解決するには、保育園がたくさん出来るか、通勤ラッシュが無くならなければなりません。

通勤ラッシュは誰のせいなのでしょう。
鉄道会社?
行政の仕組?
日本人の病的な勤勉さが原因?

フレックス制度等、通勤をするサラリーマンの働き方を柔軟にしようとする試みは各所で取られていると思うのですが、また子育てに対して日本国内の全てが優しく無いようにも思えてきます。
出産に健康保険が適用されないのも、その最たる例だと思いますが…。

結論がまとまらず、長くなってしまい申し訳ございません。
次回の宋さんのメルマガも楽しみにしています。近頃急に気温が下がってきてますので、お身体を壊されないよう、ご注意ください。

…これも気遣いですかね。
以上です。
Posted by ひゃる at 2009年11月13日 08:57
僕も同意見です。僕は日本人としては無神経なほうですが、それは他人がそう思っているだけで、当の僕は普通にしているだけです。

朝の「おはよう」くらいはいいますが、その他の気遣いはあまりもちません。職場では仕事に集中し、ほとんど他人としゃべりません。

めんどうくさいからです。これからは、日本人もこういう人が増えていくんじゃないでしょうか。中国人よりも日本人のほうが他人に対して冷酷ですから、きっとそのホンネが赤裸々になれば、世界から酷評されるようになるでしょう。でも、僕のような人間にとっては気が楽です。

僕は他人が道路で死んでいても気にしません。自分が同じ立場に立てば、かなしくさびしいでしょうが、しょうがないと思います。僕の周りの若者も、大勢が他人との関わりにめんどうくささを感じています。きっと日本人の関わり方がしつこいからでしょうね。
Posted by ポリ銀 at 2009年11月13日 08:58
自転車ですが、日本では車と同じ車道を走ることになっているので、歩行者を移動させて歩道を通行することは誤っています。
本筋からずれますが、気になったのでコメントしました。
Posted by みはるっち at 2009年11月13日 09:12
配慮も行き過ぎるとこのような結果になる、という事で非常に意味深にメールを拝見しました。 確かに日本では気さくにホームパーティーというのは海外と比べると相対的に少ないです。 良い悪いは別として家族同士でのコミュニケーションという手段が一つ少ない事は残念でなりません。 結局、男同士での飲み会、嫁はんと子供は家庭で・・・何か空しいですね。
Posted by はるなのぱぱみ at 2009年11月13日 09:14
過度に気を使うという点があること、同感です。

気を使うのが素晴らしいことだと、お返しモノの文化があり、一部の地域かどうかわかりませんが「半返し」とほぼ決まっているような話もあります。
お香典を辞退するという現象まであり、助け合いのためのシステムが逆に面倒になって、交流の面でも本末転倒になっている部分もあると思います。

私が経験した中では、電車で近くに居た人が携帯メールをしていたところ、「電車の中で携帯電話を使うな。マナーだろ。」と大声で叱る中年男性が居ました。優先席でもなく、特に音がする訳でもないのに「気を使え!」と言っているのです。実際のところ、大きな声の方がマナー違反なのです。

日本人の特質で、一つのことが気にかかるとそればかりが重要になって、本質的なところを見失うところがあります。日本人にとってマナーというのは特に気にする部分で、フランス料理のテーブルマナーとか色々気にしますよね。

先日、フランス料理のディナーを頂いた時、スープ系のソースの前菜が出てきてナイフ+フォークではスープの部分が飲めないので、「スプーンをいただけないですか?」と頼むと「(ナイフ・フォークの)外側からお使いください。」と返されました。

気遣い、マナーは形式化せずに、その場で何が相手のためになるのかを、さり気なく気にするのが大切あのだと思います。さり気なく、というのが相手を疲れさせないポイントでしょうか。
Posted by たくみゆとうあ at 2009年11月13日 09:22
なかなか面白いところをついて来ましたね。私は、自己中心的ですがシンプルに考えています。それは、自分が気を使われて気持ちが良いことなら気遣う。また、自分が自然とできること(つまり気を使っていると自分でも気付かない)をするようにしています。
ホームパーティの例が出ていましたが、ホームパーティでなくても、他人の家を訪問して何か出されたとき、矢鱈と進める人がいますが、これは一度言えば良いことで、しつこく進めるのは考え物です。相手の体調が悪いかもしれないし、嫌いなものかも知れません。まあ、日本人でなければ、食べない理由を率直に言うのでしょうが、贈り物をするとき「つまらないものですが」という言葉を添えて渡す国民性ですから、それを期待するのは難しいと思います。とくに我々の年代の人は。
後者は、遠足のときの小学生のように挨拶なんかがそうかなあと思います。それに「ありがとう」も。これは気遣いとは言わないかもしれませんが、自分がされて気持ちの良いことを自分もする。こんなシンプルなことが自然と実践できれば、ぎすぎすしないと思いますがいかがでしょうか。
Posted by kurage at 2009年11月13日 09:38
「気遣いをしすぎてしまう人」に、こちらから気遣いをすると「倍になって気遣いが返ってきてしまう」ことがあります。

状況に応じて、「あえて気遣いをしない」という気遣いをする人も多いですよね。

余談ですが、知人が太ってしまった時期に妊婦と間違われて席を譲られてしまい、親切な相手に恥をかかせては申し訳ないので妊婦のフリを降車駅までしつづけた、なんて話しも聞いたことがあります。

気遣いをするにもテクニックと逆に嫌がれられる覚悟が必要だと感じてます。
それでも気遣いをしようとする人が多いことに嬉しさ感じます。
Posted by mh at 2009年11月13日 09:45
日本人の気遣いは、確かに一長一短あると思います。純粋に、相手に対する思いやりとして、礼儀として振舞う気遣いは、素晴らしいものがあると思いますが、周囲の目を意識した恣意的な気遣いには嫌気がさす事があります。旅行に行って、お土産を買って来ないと何を言われるかわからないから買って来るとか、飲み会に付き合わないと後々、つまはじきにされるかもしれないから仕方なく付き合うとか、要するに、自分の本来の気持ちに嘘をつきながら、長いものに巻かれようとする気遣いです。どちらも島国日本の「和を持って…」の文化から育まれた風俗・習慣なので、やっかいなのですが、自分と周囲とのバランスをどうコントロールするかですね。自分を強調し過ぎて、周囲や相手を無視する行為も決して良くありませんが、大事なのは1人1人が筋の通った生き方・考え方を持つ事だと思います。そうすれば自ずと周囲や相手に対する気遣いもバランスの良いものになるのだと思います。
Posted by 白石 哲也 at 2009年11月13日 09:55
おはようございます。(朝メールを読んでおります)お仕事で宋先生にお目り掛り、お話をしていただきました。たまたま私が抱えていた心配事をお聞きしたところ、非常によく内容を理解していただき、大変参考になるお話を聞けました。宋先生が今回書かれてる「気遣い」についてですが、日本で言う(私個人かもしれませんが)気遣いはいい言葉です。もし、悪いことに心を砕く場合は「気遣い」と言いません。また、他人の為に自分を抑えることは一般に「遠慮」といいます。本人が我慢したり、苦労する気遣いはいい意味での人間関係構築の手段で本当の気遣いです。最近は、めっきり減っている気がします。もう一度いい言葉の気遣いが復活してほしいと思います。
Posted by 吉田 政信 at 2009年11月13日 10:01
いつも拝見させて頂いております。

日本の気遣いを褒めて頂いて嬉しく思います。
但し、し過ぎも良くないと思います。

気遣いも過度になってしまってはいけない。
さりげない気遣いが出来るようなりたいものです。
その最たるものは、陰徳を積む事なのかな?と。

公共の場所で、子供が騒いでいるのを見ても限度はありますが、気になりません。
何故なら、子供が細かい気遣いを強要するのは早すぎますし、小さくまとまってしまいそうだからです。
子供は元気が一番!

日本人として、気遣いを自然に出来る文化は誇れるものだと思っています。
ただ、もう少し寛大な気持ち、相手を許す気持ちも必要だと強く思います。
Posted by 瀬谷義浩 at 2009年11月13日 10:25
配慮や気遣いは大切ですが、多くの場合には安全サイドでの配慮や気遣いであるために、人間関係の希薄化にもつながっています。それぞれがぞれぞれの殻に閉じこもり、言いたいことも言えない環境が相互作用で作られています。配慮や気遣いの型を身に付ける前に、自分自身の人間としての成長に目を向ける必要があると思います。日本の将来のためにも、特に子供をもつ親は、その子の人間としての成長機会を阻害するようなことがあってはなりません。
Posted by 益田 瑞文 at 2009年11月13日 10:26
この件は国情と社会の成り立ちの問題ですからこのままでいいと私は思います。過密な国土で長い近隣関係を続けてきた日本人が過剰に気を使うのは当然で、長く激変を続けてきた中国人が現在の時点では「丁寧さ」が過剰に至らないのも当然かと思います。オリンピックをやるとなったら強制的に用地確保できる国と話し合いがいつまでも続く国の違いが末端で表出していると思います。でもこの過剰丁寧さがいまの日本の硬直化、萎縮経済の原因とも思いますが。
Posted by matisu at 2009年11月13日 10:42
日本人の気遣いは、武家時代(封建時代)にさかのぼると思います、個人より家の面子で物事を考えていたと思います、しかし現在家での躾、学校の道徳時間もなくなりました、日本以外では宗教が道徳の役目(行ってはいけないこと)を担っていると思いますが、日本人は宗教感が無く、全てか他人事になりこだごたにに巻き込まれたくないと言う考えが方が多くなっていると思います。
Posted by 匿名ごんべい at 2009年11月13日 10:44
宋さんのメルマガをいつも楽しみに待っています。初めてコメントします。
気遣いや考え過ぎは、私も自覚しているので、納得しながら読みました。そして、いつも数回読み返すほど好きなこのメルマガなのに、一度も「楽しんでいます」を発信したことがないのも、やはり考え過ぎからだと思い、今回初めてコメントしました。わざわざ伝えるほどの内容じゃないし、とか、的外れだとおかしい、とか考え始めると、いつも何も書けなくなりますが、今日は考え過ぎを封印します。
宋さんの発言が好きな理由は、内容ももちろんですが、相手の受け取り方を恐れぬ直球に潔さを感じるからです。良い意味での気遣いの少なさだと感じます。万人を心地よくする言葉など探していたら、何も発言できなくなります。陰ながら拍手を送っています。
Posted by wu-yue-nu at 2009年11月13日 10:50
宋さんの指摘された問題は私も若いころから頭の中からずっと離れないことでした。
ある頃から、「割り切って自分の視点で判断しよう!」、「他人からどう思われるかではなくてそのことが本当に有益なことなのか」を行動の規範にしようと考えるようになりました。それ以来、気持ちがずいぶんすっきりして行動できるようになりました。
自分の行動が他人に迷惑をかけているのでではないかという配慮は必要ですが、自分が他人からどう評価されているかということはプライベートなことについては気に掛けないようになりました。
所詮、人に自分の感じ方を理解してもらおうとしても限界があります。

ところが仕事においてはそうはいきません。
自分に仕事の評価が、自分自身の評価になるのですから。
だから、仕事は結果だけでなく、仕事の内容をいかに、お客様、上司、同僚に理解してもらうのかということも仕事のうちだと考えてきました。

いずれにしても、どこかで自分自身が割り切らないと自縄自縛に陥ってしまいますね。
自分が他人に対して100点を取ろうとするのは無理だから、自分の納得する道を選ぶという覚悟するのが一番の精神安定剤ですね。
Posted by 上村周 at 2009年11月13日 11:07
日本と中国の生活慣習と人口の大小・歴史の違いが気遣いにも出ているかと思います。
日本の皇室と中国の小皇帝との違い、人口の大小が本来あってはならない1人の人間に対する思いが違ってくるかと。
ビジネスマン同士の気遣いと一般家庭での気遣いは違うだろうし、中国の山奥・村に住んでいる人のホームパーティと富裕層のホームパーティは違います。
日本では一般の家庭でのホームパーティという習慣は本来ないです。
ただ、商売も華僑がセンスが良く上手、経済運営も資源と世界のリーダーとして進んでいくであろう中国が群を抜いていくでしょう。
でも日本には中国にはない伝統、芸術、文化があります。
お互いに協調と補完し合って進めていかなければ中国もインドに越される。中国は都市と地方、インドは旧都市と新都市の較差、そしてカースト制度です。
とにかく、世界の動きが変わりつつあり、中国がどうリーダーとして打ち出してくるかと思います。
Posted by 松田孝志 at 2009年11月13日 11:20
私は中国在住(青島→上海→北京→広州→大連)5年になります。

マナーは兎も角、思い遣りは中国人の方が豊かなような気がしています。

時々日本へ帰りますが、公共交通機関で身勝手な日本人(老若男女問わず)を見てはガックリする事の方が多いです。

北京のバスでは車掌さんが、老人と子供・妊婦さん等に強制的に席を譲らせますが、気が付く人は進んで席を譲ります。

信号を守らない歩行者は大連がピカイチですが、車のクラクションはほとんど聞きません。

歩行者の後方から近づく車だけが、合図で鳴らしている事に最近気付きました。

考え方が日本人より合理的で懐が深いように思います。

昔の日本社会の身分制度で「士農工商」が有りましたが、日本人は幕末の士で中国人は商人じゃないかと…。

余談ですが、先日青島から煙台に1時間程車で行った所の「低農薬・有機栽培の野菜畑」を見学に行って、食べてきました。

完熟?の白菜やらレタスの美味しかった事。
火鍋に入れずに生で頂きました。日本の報道機関のレベルの低さにもがっかりさせられますが、全ての情報をきちんと伝えて欲しいと思っています。
Posted by みゃあみゃあ at 2009年11月13日 11:38
私は若い頃に肉体労働をしていたので電車で座るのは当然の権利だと思っていました。
なぜならスーツを着たサラリーマン達は会社に着いたら座れるじゃないですか。
デスクワークをしている人達は電車の中では座るべきではないのです。
宋さんの仰る通り日本人は殻に閉じこもりすぎだと思います。
以前、外国の友人が「日本人はなぜ自分の家でばかり音楽を聴くんだ?」と言われました。

本当のコミュニケーションの意味もわからないくせに、最近やたらとコミュニケーション能力が云々という人達が増えてますよね。
Posted by トム at 2009年11月13日 11:42
ご指摘の通り、気遣いの裏にある弊害は多々あると思います。また「この私に気を遣え」という無言の圧力もあらゆるシーンに存在し、時にはそれがコトバや態度となって表面化しますし、それを回避するために日常とても疲れます。中高生がメールにすぐに返事しないと嫌われるようなこととかも、この「気遣い」の負の側面ですね。根深い問題と思います。
仕事で中国に数カ月滞在したときは、最初は中国人が他人を配慮しない態度にイライラしましたが、慣れてくると楽だなあと、そして自分の希望ははっきり言えばいいんだと、過ごしやすく感じるようになりました。慣れ過ぎて日本に帰ってこれない日本人もいるらしいですが。
もっとも、日本で道路や通路いっぱいに広がって歩く中国人旅行者の集団に出会うとちょっと腹立たしいのも事実。
ともかく、どちらがいいかという問題ではなく、異なる習慣の人たちとの対比で、お互いにその「よさ」を取り入れていければよいのではと思っています。
次回のビジネスシーンのお話を楽しみにしております。
Posted by おおたに at 2009年11月13日 11:46
おはようございます。
気遣いについてはまったくその通りだと思います。
確かに疲れますね。ただ、あと少しだけ肩の力を抜くだけでその気遣いは最高なものになるのではないかと思うところです。それこそ世界に誇れるものになると思うのです。
私は基本的に日本の気遣いそのものには誇りを持っています。
ありがとうございました。
Posted by ごろんた at 2009年11月13日 11:56
お世話になったある人にお歳暮をしようと妻に話すと、「そんな事をすると、あの方はきっとお返しをされるから却って迷惑でですよ。」と言います。
確かにそうなのだが、止めると気持ちを物品に添えて伝えたい当方の意図が伝わらないことになる。
気遣いを気遣うとこの様なことが日常となる。
気遣いを気遣うということも善し、気遣いを気付かせることも善し。
いづれにしても、他人の気持ちを推し量る「気遣い」が存在している事が確認できた時には、ホッとしたものを感じる。
裏返しに、余りに気遣いの無さが感じられる世の中になってしまったことか・・・。
Posted by JIN57 at 2009年11月13日 12:21
私の母は51歳で薬害難病に罹り、下半身の麻痺が72歳で死ぬまで残り、外出は車椅子で付き添いが必要でした。今から40数年前、私が22歳の時のことです。
関西の大都市に住む母を東京で生活する私の元に何度か呼びました。罹患以後初めて新幹線を利用した時、JR(当時はまだ国鉄)には車椅子の身体障害者用の席があると知り、予約をしました。案内された社内のその席は窓が無く、車椅子を入れると付添と二人では身動きも取れない隔離室のような”部屋”でした。先日、大阪で捕らえられた誰かが護送される時に使われたあの部屋です。東海道の景色を楽しみにしていた母は酷く落胆し、以後は身体障害者枠ではなくグリーン車を利用するようになりました。普通車の席では介添が必要な車椅子利用者は何かと気を使うからです。
ある時、東京から関西へ戻る新幹線を予約して東京駅へ行ったところ、停電でダイヤが大幅に乱れていました。予約していた列車は運休。当時、車椅子での乗車は事前予約、発車時刻の確か30分前に指定の待合室で待機し、JR係員が東京駅の地下通路を通り、荷物用エレベーターでホームまで誘導してくれました。予約した列車は運休なのですが予約した列車が入るはずであったホームに案内され、次に入線した列車に乗車するようにというと係員はその場を去りました。何時列車が来るか判らない、まだ待つ人が誰もいないホームに私達親子は残されました。
車椅子を利用する人には分かると思いますが車椅子での長時間移動で悩みはトイレです。母は外出予定の日は朝から水分をひかえていました。幸い私は母をおんぶする位は若く、体力もありましたから「おんぶしていくから」と安心させました。そこで待つこと1時間余り、私達の後ろに長い列ができました。直ぐ後ろには母よりは少し若いかと思える身なりの良い夫婦が並びました。やがて列車が入線し私は車椅子の母を乗車口に移動させ、車内に入るその時、後ろの”紳士”が「○ー○○番は俺達の席だぞ」と私達に叫びました。私達が先頭で彼らは列の二番目です。席の取り合いをするような場面でもありませんでした。トラブルもなく私達も彼らも席に着いたのですがその時の母の悲しそうな顔は今も忘れられません。車中の母はいつもなら車窓の風景を楽しそうに話すのですがその日はとても無口でした。

Posted by kibo at 2009年11月13日 13:53
はじめてコメントさせていただきます。いつもメール楽ませていただいる宋さんのファンです。
自転車のベルについて、自転車乗りとしてコメントさせていただきます。
使い方に広く誤解が行き渡ってしまっているのですが、自転車のベルは道路交通法で
「車両等の運転者は、法令の規定により警音器を鳴らさなければならないこととされている場合を除き、警音器を鳴らしてはならない。ただし、危険を防止するためやむを得ないときは、この限りでない。」
と定められています。
つまり、"歩行者の注意をひいてどいてもらう"ために使ってはいけないのです。
では、自転車で追い越しをかけたいが歩行者がいて通れない時はどうしたらいいか?
本来は「止まる、そして降りて押す」です。
法律ではこうなっています「普通自転車は、道路標識等により通行することができることとされている歩道を通行することができる。普通自転車は、当該歩道の中央から車道寄りの部分を徐行しなければならず、また、普通自転車の進行が歩行者の通行を妨げることとなるときは、一時停止しなければならない。」
しかし歩くより速く移動したいから自転車に乗っているわけですから、これでは困ってしまいますね。
ですので、やるべきは
「声かけ」です。
一旦相手より遅いスピードに落として後ろについてから、「すいません追い越します」等声をかけて気づいてもらい、それから歩行者を脅かさない安全なスピードで(できれば右側から)追い越します。
ちなみに、
自転車は軽車両に分類されますので歩道を走ってはいけません、「車道の左側」を走るのが基本です。歩道の走行は一部許可されていますが、その条件は限定されたものです。詳しくはこちらがわかりやすくまとまっていますのでURLを書いておきます。http://www.cyclestyle.net/special200804a/
車道で前を行く遅い自転車を追い越す時も、「声かけ」が基本です。
昨今大変な自転車ブームで、少しでも多くの人に知ってほしいと思い、コメントさせていただきました。
Posted by TDF2013 at 2009年11月13日 14:35
田植えや稲刈りと言った共同作業を2千年この方狭いとこでずっとやって来た結果です。
そうは言ってもグローバル化の潮流の中、基軸(標準ルールとなる)を決め各自が各々の価値観で行動する社会に直ぐに変貌すると思います。唯、それが日本人の持って生まれた体質に合っているのか?或いは幸せになれるのか(今より)不明です。
Posted by 山口巌 at 2009年11月13日 15:30
私は日本・北京・アメリカを子連れで行ったり来たりしてますが・・・・

正直、子連れにはアメリカが一番暮らしやすい気がします。
日本は丁寧すぎて逆に何考えてるか分からなくて怖いときがあるし、
北京はおっしゃるように周りが黙ってないのでありがたいことも多々ですが、ひとりにしてほしいときもかまってくれちゃうし・・・
アメリカは適度に必要な時にヘルプの手が差し伸べられる感じがします。

ちなみに最近は北京でもバスは混んでるとベビーカーはたたんでって言われます。
ただそのベビーカーの置き場所確保をしてくれたり、周りの人が持ってくれたり・・・もちろん子連れには大体席を譲ってもらえるので空のベビーカーはやっぱりたたみます^0^そして日本で遠出するときでも人混みが多い所に行くときは抱っこひもで頑張ります。
(最近は大きくなって歩いてくれますが)

ベビーカーに関して言えば、最近北京は都会になったからか、日本に似てきた気もします。

先日も子供を抱っこしてる私におじさんが席を譲ってくれて、座ろうとしたら横からおばさんがとっちゃったりとか(苦笑)
そしてその叔母さんに「私も疲れてるんだ!」とか叫ばれたり(汗) 
もちろん周りが黙ってませんが・・・そのおばさんは無視をきめこみ、旦那さんと思われるおじさんが近くに寄ってきて座ってればいい!とか言ったりしてました^0^;

ラッシュ時の地下鉄でも、寝たふりしてるひととかたくさんいますよ〰

それだけ仕事で疲れてるんでしょうけど、文明が進むと親切な人たちも自分がよければ!になるんですかねぇ。。。
最近古き良き中国の良い部分がだんだん無くなっていく感じがします。

ちなみにアメリカは車社会で公共機関には乗らないし、日本ではラッシュ時には絶対子連れでは電車やバスには乗らない私も、
北京ではなんとかなる!と思って乗っちゃうので、周りの親切にかなり甘えまくってると思います。

ただ、地下鉄とかで高学年くらいの男の子とかが乗ってきて「僕の席がない!」と大声で叫んで周りの人に席を譲ってもらってるのをみると、教育上これってどうなの?と疑問に思います。
Posted by 凛慧 at 2009年11月13日 18:15
コラムの趣旨とは少し外れてしまいますが、

私はベビーカーに子供を乗せてる親を良く思っていません。
ましてや、不特定多数の人が頻繁に乗り降りする公共交通機関の中に、ベビーカーに子供を乗せたまま乗り込んで来る親って、私はアホも極まると思います。

邪魔だというのもあります。
が、そもそも、ベビーカーに子供が乗っていることで都合が良いのは、親だけですから。
親が楽だから、かっこいいベビーカーを見せびらかしたいから。
中にはそうでは無い事情のある親もいるでしょう。体が不自由だとか。それなら非難するつもりは無い。

しかし、まず、小さな子供の気持としては、
親となるべく密着している方が子供は安心なわけで、それならおんぶや抱っこの方が子供にとっては良いでしょう。
それに、ベビーカーに座っていると、親のぬくもりから離された上に、抱かれたりおんぶされれている場合よりも遥かに低い目線から周囲を見上げることになる。
周りが人だらけだったら、相当な圧迫感を感じて結構なストレスだと思います。

子供にとっては不安やストレス以外に得られるものが無いが、親は楽。

さらに言えば、危険から子供を守るという意味でもよくない。
親が抱えているなら、何かあった時にはとっさに庇ったり一緒に逃げることが出来る。
しかし、ベビーカーに乗せていると、庇うとか逃げる以前に、子供を自分の手元に引き寄せることも出来ない可能性もある。

身動きのとりにくい混雑した乗り物では特にそう。
急ブレーキやカーブで激しく揺れたら、ベビーカーがあるがために踏ん張れずに、子供の上に倒れこむ人が居るかもしれない。
そのとき、もし、何か突起のあるものでも持っていたら、子供が傷つくかもしれない。
それで子供が怪我をしたら、不可抗力ではあっても加害者となった人も精神的ダメージを受ける。
それこそ気遣いを言うなら、楽することより周りの迷惑を考えろと、親に言って下さい。

さらには、電車が揺れた位ならまだ良い。
もし、誰かに危害を加えようとしている人がいきなり近寄ってきたとしたら、子供を守れるの?
そういう状況になれば、命に関わるかもしれない。
なおかつ自分が楽をしたいが為にそんなリスクを負っていることも気づかずに、周囲の人に過度な緊張を与える。

子供をベビーカーに乗せたままで公共交通機関に乗り込むのは、子供にとっても周囲の人にとっても極めて迷惑な行為だということに気が付いて欲しいな。
Posted by 目力男 at 2009年11月13日 21:45
気遣いすぎじゃないでしょうね。
電車で席を譲れないのは気遣いの仕方がわからないだけで、もっと、気遣わないと、ホントの気遣いじゃないと思います。
このようなテーマでいつも思うんですが、謙遜というものがゆがめられてしまっている、西洋感覚でとらえられてしまってる気がします。
愛妻を愚妻という、その意味がわかればもっと気遣いのできる日本になるような気がします。
Posted by 小島一悦 at 2009年11月14日 22:15
宋さん
いつも楽しく拝読してます。
気遣い、
これは確かに『諸外国も見習えば?』という内容もあり、
『諸外国を見習えば?』という内容もありで、様々ですが、
ホームパーティは確かに『目的』が特異変化を起こしてしまっている感がアリですね。

気のおけない人達との交流、深く知らない人達と一歩深い交流、
という目的が、家に来た人に、『凄い!』と思ってもらえるように、料理を出す、きれいに掃除する、片付ける、
ということに目的が定められてしまっている、
という気がします。


電車のベビーカー、
私は、長男・次男をベビーカーで連れまわした経験から、
『満員電車にべビーカーで突入』は、あり得ない行為だと考えます。
赤ん坊も回りも危険です。
ただし、空いてる電車ではそうしてました。
楽ですし、誰にも迷惑がかからないからです。

ただ、満員電車でベビーカーを畳まない理由のひとつとして推測できるのは、

『優先席』に子を抱く母のイメージイラストがあると認識してますが、
それを認識している人が満員電車内に皆無なのも事実なので、
赤ちゃんの回りにいくらかのスペースが確保できると思って、
ベビーカーに乗せたままの方が存在するのではないか?ということです。

本当は、優先席に座っている人が、
『赤ちゃん抱いてここに座りなさい、ベビーカーは畳んで持っててね』という風に、
動けるといいんでしょうね。


そして失敗談。
妊婦ネタで・・・妻が妊婦だった時に、
同じくらいのおなかの女性が大きな病院が駅前にある駅から電車内に乗ってきたので、
迷わず明るい大きな声で『どうぞっ』って言ったら、
『えっ?何?あたし?』という反応で、
ニコニコしている私を不思議そうに見ながら、
そして、恥ずかしそうにチラッと病院の看板を見て、
真っ赤な顔をしながら座りました。
私の親切の押し売りが、繊細な女心を傷つけた瞬間でした。
『妊婦さんじゃなかったんですね、すみません!』など言える訳もなく、
私も恥ずかしくなり、顔を赤らめて次の駅までの間に隣の車両に移りました。。。
Posted by 黒田幹雄 at 2009年11月15日 00:40
いつも、新鮮な気分にひたれます。

感謝。 今後ともよろしくお願い致します。
Posted by 竹本 豪騎 at 2009年11月15日 06:36
気遣いを要求する人々には辟易です。
「自分が当然〜〜されるべき」と考える人は、あまり他人から良く扱われないでしょうが…
Posted by shino at 2009年11月15日 10:58
日本は気遣いと言われながら、20年以上前にアメリカNYに言ったときの、彼らの知らない者(私)に対する微笑みやチップ制を見て感銘を受けました。「狭いエレベーター内などで知らない人に微笑むのは相手が危険な人物かどうかを判断するため」とNY在住日本人にあとから聞いて、それもまた少々がっかりしたものの別の意味で感銘を受けました。気遣いの範囲(バリアの広さ)が国民の価値観と文化によって異なるのだろうと思います。それぞれお互いが大切にしている個人(主義)の境界線から向こうは尊重して干渉しない、それより外の部分ではアメリカ人などは気遣いあると思います。個人的には、個人の自由を大きめに尊重した、人を気にかけない、人に気にされない自由が好きですが。そういう意味、自己中心でわがままらしい中国の人(北京の人?)の中とか気をつかわなそうで私に合いそうです(笑)。今はめったに電車内で騒ぐ子供に声をかけて相手する気のいいおばちゃんは減ったように思いますが、それでもたま〜に見かけると思いますよ、ここ日本で、関西ですが。あ、大阪は日本じゃないという意見もありますがね。(笑)
Posted by よし at 2009年11月16日 05:51
その通り、日本人同士では気づかない、又気づこうとしないことをいつも言ってくれるので大変勉強になります。
Posted by 山村嘉清 at 2009年11月16日 12:15
中国在中5年です。妊婦を2回経験しましたが電車、バスいずれも気持ちよく席を譲ってくれます。また、混んでいても老人にも席を譲ります。また、3歳くらいまでの子供も然りです。譲られた方も当然の様な気にすらなってきますが、やはり心から感謝の気持ちですが、一言で言えば『気楽』です。
老人の中には『次で降りるからあなた座ってて』という人もいますが、そういわれたら座り直せば良いのです。断られたからといって恥ずかしいことはありません。『(貴方は座りたいのでは?)良かったらどうぞ。』それは好意以外の何者でものないですよね?変な断り方をした方が素直じゃないです。
『礼儀』は表面だけで心が入っていなければ、言い直せば『格好付け』です。
日本ではお互いが格好をつけて片意地を張っている気がします。中国の『気楽』さ、もっと見習うべきだと思います。
Posted by noby at 2009年11月16日 14:38
2ヶ月くらい前から拝見させていただいておりますが初めてのコメントです。
唯一このメルマガだけが発行されるのを楽しみにしております。

物事は表裏一体。そして一長一短がある。宗さんの物事の考え方にはっとさせられます。

今回のメルマガも含めこのような内容には、自論や既成概念や常識という言葉をもって様々な意見が飛び交いますが、私としてはそうゆうものをなるべく捨てて、物事の本質を感じ取れるよう今後も拝見していきたいと思います。
Posted by 田舎者 at 2009年11月16日 19:47
 「気遣い」に普遍的な基準がある訳も無く、それぞれの主観によって判断されるものです。 例えば、同じ事象についてでも、ある者には「気遣いが足らない」と思われることが、ある者にとってはその「気遣い」が煩わしいこともあるでしょう。
「気遣い」については、国民性や地域性によって大きく異なりますし、そして何より個人差が大きいものですから、善悪をあれこれ言うべき問題ではないと思います。

それより、私はゾマホンさんのコラムに書かれている「現在も6畳風呂なしのアパートで生活しています。」ということに驚き、考えさせられました。 留学生とはそういうものであるべき、というゾマホンさんの考えなのだそうで、私には「ちょっと拘り過ぎじゃないだろうか?」と思われますが、でも彼なりの筋を通していることについては、拍手したい気持ちです。 彼の真摯に国のことを憂い、国民のことを憂う気持ちを素晴らしいと思います。








既に多くの方がコメントしているように、宋さん自身の認識にも問題があります。
Posted by けいちゃん at 2009年11月17日 08:46
大阪地下鉄淀屋橋で30歳過ぎの女性に席を譲られた。71歳にして、初体験であり、戸惑った。
まさか、私に??と相手の顔を見る。
”イヤ、いいですよ”と私。
「どうぞ、どうぞ」と女性。
断っては失礼かなと考え、{ありがとう}と座ったものの尻がむずがゆい感じ。
下車したのは梅田。たった駅一つに・・・。
“気遣い”は時空を超えた心地よさ・・・かな?
大阪はヤッパリ心の美しい日本です。
Posted by ヤギタケシ at 2009年11月17日 09:03
こんにちは。
「気遣いと気配り」、「優しさと思いやり」、「安全と安心」、「ルールとマナー」。似ていて違う。
前者は頭で考え、後者は心で感じることのような気がします。今回のコラムとコメントを読んで感じたことです。
Posted by とんがり坊主 at 2009年11月17日 16:14
初めてメイルをさせていただきます
気遣いにも短所があり(その1)の最後の「ここまで書くと〜」を読み、思わず「くすっ」と笑ってしまいました

大学に事務職として勤務をしておりますが、事務手続上の書類が多く、研究者、学生、事務職員共に資料が不足していたり、提出すべき書類自体の提出がされていなかったりと手間と時間がかかります

そんなこともあり、事務職としてのフォローと考えてのことで次回から自身で行って頂く事も含め、あらかじめ必要書類をある程度記入をしてお知らせすることがあります

お知らせするのは、全員ではないのですが、そのように対応をしても、何度も同じことになり、結果として最初に行ったことが、良かったのか悪かったのか分からなくなることがあります

最も改善すべきは、事務処理用の書類の整理が先決なのでしょうが、事業仕分けをされない限り他の課の書類について、提案をしたところで、業務妨害と思われてしまうのも小さな組織では仕方のないことなのでしょうか・・・
Posted by 山内俊哉 at 2009年11月18日 09:15
初めてコメント致します。
電車の中で、明らかに妊婦の方が近くに居たときは席を譲るよう心がけていますが、くせ者はご老人。まだ歳を取っていないという自負心からか「いや、そんなに年取ってませんから」といって、席をお断りする方に何度か巡り会いました。その時の席を譲った側の気まずさといったらありません。それ以来席をお年寄りに席をお譲りする事を躊躇するようになってしまいました。小心者ですかね…
Posted by もーりさん at 2009年11月18日 10:51
ゾマホンさん。コラムの連載内容に色々考えさせられながら楽しく読ませていただきました。
ありがとうございます。
日本とアフリカの直通空路が早期に開通すると良いですね。
Posted by のぶ茶 at 2009年11月25日 12:03
宋さんのような意見はすごく大事なことだと思います。
日本の価値観がいい、わるいではなくどのような形で取り入れるかが現代人にとって幸せなのかを考えさせられますね。
Posted by kazuya at 2009年11月27日 09:43
遠出しなければならないときに、女性が、赤子と、ベビーカーと、荷物(子供が小さいとホント荷物が大きくなるんです)を、1人で抱えるのは本当に辛いと思います。満員電車を避けるのが一番ですが、どうしても無理な場合もあるのでしょう。もし私が電車でこのような光景を目にしたら、この親子にスペース、席を譲りたいと思います。

人の悪いところを見つけるのが大好きな人にとって「気遣い」というのは、自己正当化のための便利な言葉になるときが、あるのかもしれませんね。
Posted by tt.mode at 2009年11月27日 10:37
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