官僚の天下りを問題にしている間に、民間企業では、高齢になっても毎日会社に来る人がたくさんいます。オーナー企業ならまだいいのですが、国の発注と政策に守られている民間企業に高齢者がゴロゴロしているのはなぜでしょうか。
正直言って以前よりかなり改善してきたと思いますが、それでも日本企業の経営者の平均年齢の高さは格別です。60過ぎてやっと社長の椅子に辿り付いたのですから、社長退任後、当然数年会長をやります。その後は名誉会長、顧問、相談役などを歴任するので80過ぎても取締役会に留まる事例は枚挙にいとまがないのです。
私も上場企業の取締役会を長く主催してきましたが、社長経験者は会長や名誉会長、そして顧問や相談役になっても、役員会での影響力は現役の社長より強いのです。現在の日本の上場企業にも社長が社内のNo.3やNo.4であることは決して珍しいケースではありません。
CEOがCEOのように仕事できない。このことを言い換えれば、権力のトップは結果責任を負う必要がないということです。おまけにこういう会社には大体、株主らしい株主も存在しないから、外部からの監督は実質的に不可能です。派閥が蔓延り、政治闘争に仕事以上のエネルギーを使ってしまうのです。
官僚や政治家のせいで経済は元気がないとの論調にいつも腹が立ちます。経済は一つ一つの企業、一人ひとりの人間の活性化によってのみ活性化されるのです。政治や官僚のせいにする企業は裏返せばそれだけ政治や官僚に依存してきた企業です。
我々ベンチャー企業は決して政府や政治や官僚に何かを期待することがありません。人間様が地球上に繁盛している以上、かならず「食べる、着る、楽しむ、働く」などの行為をするのです。一国、一分野、一時期に自分を縛り付けず身軽に変化を成し遂げれば必ず成長の道が見付かるのです。
しかし、この身軽さと自ら変化する強い願望は高齢者には少ないのです。良い悪いの問題ではなく、我々は動物であり自然の摂理に勝てないのです。「高齢者が元気だ」といってもそれはその年齢に対して元気だという意味であり、70代の経営者が50代のように働きチャレンジできる訳がないのです。
私は以前、面白いタクシーに乗ったことがあります。ドライバーは明らかにご高齢でした。興味半分でご年齢を聞いたのですが、確か70歳前後だったと思います。「いつまでおやりになるつもりですか」と聞きましたら、「おらは死ぬまでやりたい」とおっしゃいました。
死ぬ直前まで仕事したいお気持ちは分かりますが、一緒に乗っている人はたまりません。
P.S.日経平均が語るもの
大半の時間を北京で過ごしている現在、私はよく日本に初めて行った時のことを思い出します。24年前の今、北大のキャンパスがもう肌寒かったあの秋。
もし私があの時に日経平均を1株買っていれば今日はまだ損したままです。85年10月の日経平均は1万2千円以上だったからです。これに対してニューヨークと香港で買えば今日で6倍になります。最も資本主義の成熟したロンドンで買っても今日で2倍以上になります。
株の話ではなく経済の話です。結果に原因があるのです。
取締役達が集まった勉強会によく講師として呼ばれますが、女性が一人も居ないケースが殆どです。保守的な風土、高いコスト体質、株主軽視の風潮が重く日本経済に圧し掛かっています。これらの短所は長所のテクノロジーと社員の勤勉さを食いつぶしてもたりません。
「日本では今、素晴らしい事業がどうにも見当たらない」。これは著名投資家ウォーレン・バフェット氏の1998年10月の発言です。彼が正しいかどうかを評論するつもりはありませんが、投資家は評論家と違って判断を間違ったら膨大な賠償金(損害)を払わなければならないのです。
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日本のパターンとして、問題がどうしようもなくなって、とことんまで悪くならないと変われない、そんなサガがあるように思います。誰が見ても悪くならないと責任問題から怖くて声があげられないのです。
これは、官・民共通の問題です。
日本人の地力はまだ沢山残っていると思います。いま日本は苦しい時期ですが、乗り切り必ず新しい時代を切り開くと思います。
「老兵」には「老兵」の役割があります。熟練した経験や技術を伝え、最後に「死にざま」=つまりは「生きざま」を後に続く者に示す事です。後に続こうとする者たちと戦い、結果として潰すことがその役割ではありません。もちろん、当の本人達に自覚は無いでしょう。でも正規社員の雇用の為に若年者の新規採用を抑制したり、派遣労働に切り替えたのは結局そういうことでしたよね。年代の果たすべき役割・分を超えてなお影響力を及ぼそうとするのは「老兵」では無く「老害」に他なりません。世代間の対立をあおるつもりは無く、年代にはその年代に相応しい役割があり、その役割分業が進めば、より良い社会の実現に近づくと思う次第です。
今回のメルマガでの質問なのですが、『株の話ではなく経済の話です。結果に原因があるのです。』の部分の真意が分かりかねました。
ご教示のほど宜しくお願い致します。
今回も貴重なお話をいただきありがとうございました。
人は権力にしがみつき、なかなかその手を放そうとしません。
安心して任せることができる後継者が現われるまでは・・・という無念を残しながらお亡くなりになった方は周りに沢山います。
安心して任せることができる人物など一生現われないのにです。
結局、多くの経営者は己のコピーを求めているのです。
本気で後継者を求めるのであれば、他人でも身内でも誰でもかまいません。この人ならと思う人に愛と勇気をもってその人を信じてすべてを託すことです。
それが出来なければ永遠に権力というしがらみから逃れることなく心の自由を死ぬまで得ることはないでしょう。
ゾマホンさんのお話も毎回目からうろこです。ありがとうございました。
ただ、「官僚よりも」はどうでしょうか? 天下って予算を誘導したり、形式だけの助成金だったり、いずれにせよ国を喰い物にするような行いは、NOという世論を作っていきたいですね。
その老人達がなんと言っているかご存知でしょうか?
本当に面白いことに若い人の元気がない。なんとか若い人の意見を採り入れなければならないと言っております。
明治時代にはたくさんの見識ある人たちがいて、うまく若い人たちにバトンタッチしていたのですが、最近はすっかり影を潜めました。やはり教育問題にあるんでしょうかね。
おはようございます。
相変わらず手厳しい評価ですね。
しかし本来我々日本人が本当は言い出さないといけないことなんでしょうね。
私は前回中国人に対して良い感情がないと書きましたが、最近親米保守派?の志方さんが中国人の方がよほど日本の将来を心配していたりすることが多く、何かあったら私たちが守っていくと気骨のある学生が多いと発言されていました。
なるほど宋さんも本来私たち日本人が言わなきゃいけないことをおっしゃっている。
正直私を含む大人が思考停止しており、反日、親中、反中、親日にとらわれて物事の視野が狭くなり他国や官僚に対し責任転嫁している事実があります。
まだ何もかもを受け入れて明日からは変えようとまではいきませんが物事の視野を広げていく努力はしたいと思います。
本来、金融危機にほとんど影響を受けないはずの日本経済がなぜこのような苦境に陥ったのか。経団連企業に代表される輸出企業大手の経営陣の責任が大きい。米借金バブル経済に依存したバブル輸出に全経営資源を投じ、本当の価値創造への投資を怠ったことが、この経済危機を生み、その付けを市民へ労働者へ押し付けて、反省の色さえ見せない。これを破廉恥と言わないで何と言う。
私はつい最近まで成都に住んでいました。現在は上海ですが、中国の、特に輸出依存では無い内陸部の経済は、絶好調、過熱が心配されるほどです。だが、日本企業の多くはこういう市場に売る物を持っていない。投資して来なかったのだから当然です。米借金バブル消費がいずれ破綻することは、誰もが判っていたにも関わらず、です。これを無能経営者と言わずして何と言う。
宋さんは高齢を理由にしていますが、若い経営者でも、今日は昨日の続き、明日は今日の続き、という経営しか出来ない無能エリートはたくさん居ます。それは当然です。そういう行動パターンを評価されて昇進し、経営者として抜擢されてきた人たちですから。バブル崩壊を予測し、それに備えるために昨日の続きを止めることなど出来るはずもない。
CEOがNo.3、No.4という会社組織が多いことも認めます。が、それでもCEOにはCEOの責任があり、それを免れることは有り得ない。勇気を持って老害を排し、経営を正すことはCEOの責任であり、できるはず。そう言う空気になれば、ご高齢の方々も、排される前に自らリタイヤされることでしょう。まだまだやれるという元気があるなら、新天地で思う存分実力を発揮していただけばよい。
豊かな老後が確保されていない点にも理由があるのでしょう。
世代交代も問題ですが、現実的に考えるとせめて今より民主的に経営を進める方策はないものか…と考えてしまいます。
ゾマホンさんのお話は心に響くものでした。
単なる援助ではなく、もっと本質的なところでアフリカ諸国とふれ合いたいですね。
だって、日本は資本主義じゃなくて、社会主義だもん。
年を経るに従って物事の判断力や感覚・感性が洗練され熟練されていくのならば、年長者の助言というものが生きてくるでしょう。
時代に合わせて変化していく部分は若い経営者に任せ、いつの時代も変わらない部分、例えば人と人との関わりに関する部分などは年長者の出番。
自分にできる役割を考え、早くから後継者を育て、自分は隠居し援護に回る。会長職とか相談役というのはそうゆう意味合いなのだと思っています。
しかし、その前提となる判断力の洗練・熟練がうまくいっていない、だから引き際も自分の役割すら客観的に見れていない、という状態であれば、それは単に老害です。
本当に素晴らしい判断力をお持ちの高齢者であれば、自分が隠居しても、社会がそれを許してはくれない。すぐに引っ張りだされます。
高齢期というのが人生の黄昏ではなく、人生の円熟と言えるように僕は頑張りたいと思っています。
私のまわりでは、このごろ就職活動が盛んになってきました。多くの学生が大手企業を的にしぼって活動しており、情報へのアクセスのしやすさから私も大手企業を見ております。
仕事を通じて成長したい、という思いと、いつかアフリカ、アジアで飢餓を減らすという社会貢献をしたいと考えています。
大企業で、身の安定がある程度保証される中、レールに乗って仕事をし、着実に自分が夢に向かって行動できるパイプ作りを進めて行くのか、中小・ベンチャー企業で、政府や大企業のレールに依存するのではなく、自ら切り拓いてく、支えてく、という意識を培うのか、というところで悩んでいます。
若いうちにバリバリやるのなら大企業、しっかりと自分を積み上げるのなら中小企業、という方向性ではないかと思います。
>政治闘争に仕事以上のエネルギーを使ってしまうのです。
この世界の中に入りたくない気持ちと、実際に行動するにはこの世界でうまくのぼり上がる知恵が必要なのではという疑念の狭間にいます。
これからも、宋さんの世界観を楽しみにしています。
それに、お上の世話にならないベンチャーの道を歩まれている宋さんが、官僚の天下りや保身や、既得権益死守に寛容なのに、民間企業には厳しいのは何故でしょう?
「国の発注と政策に守られている民間企業」というのもピンときません。小沢さんの権力の庇護のおかげで仕事を確保している西松建設のようなケースを言っているのでしょうか?それは全ての民間企業には当てはまりません。
欧米と比べて日本の企業のトップが高齢であると仰っているのかも知れませんが、欧米の企業のトップは日本に比べて給料も退職金も桁違いに高く、若く引退しても充分な生涯収入を得ているという点が違います。日本の大企業のトップの報酬は韓国に比べても驚くほど安いと思います。
それに歳をとって能力が落ちたからといって、長年会社に貢献してきた人を冷酷に切り捨てるというやり方は日本人には馴染みません。社員は会社のために忠実に働き、会社は社員を守るということを「もたれ合い」とし、欧米型成果主義をまね、日本型経営の良さを捨てたことが日本の産業の衰退に繋がっているということは昨今盛んに言われていますが、私も日本が欧米や中国韓国の真似をする必要は無いと思います。
そもそも民間企業でどんなに高齢者に高い給料を払っていたとしても、例えそれが「老害」でしかない人たちばかりだったとしても、それはその企業の自由ですし、そんな企業に投資するのも個人の勝手です。企業がデタラメな経営によって倒産するのも、株主が損するのも自己責任です。(もっともリーマンのように世界中の関係の無い人たちにまで迷惑をかけた企業もありますが、それは米国型強欲金融資本主義が諸悪の根源です)
民間企業は倒産したとしても、必ず同業他社がその穴埋めをします。
しかし官はそうではありません。
どんなにデタラメをやっても他にとって代わる者はなく、倒産することもなく安泰です。それは税金で養われているからです。そして税金で食わせている以上、納税者はそのデタラメに目をつぶるわけにはいきません。
それに高齢だからと言って役に立たない人と決め付けるのも乱暴すぎるでしょう。
「70代の経営者が50代のように働きチャレンジできる訳がない」というのは宋さんの偏見です。70歳80歳でも若々しくチャレンジ精神旺盛な人は珍しくはないし、逆に30代でも保守的で覇気が無く頭が固い人がいくらでもいます。
宋さんのあげたタクシー運転手の例は別問題で、それをもって一般論化することはできません。反射神経や身体能力は歳とともに確実に衰えますが、知的な作業はそうとは限りません。知識と経験の蓄積という点では、高齢者は若い人よりアドバンテージがあります。
特殊な例ですが、オスカー・ニーマイヤーという建築家は100歳を超えた現在でも現役で活躍しています。
そういうわけで、日本の企業のトップが高齢であることをもって、官僚よりも民間企業のほうが悪いとする宋さんの論法には説得力を感じません。
お上に頼るわけではありませんが、特に少子高齢化社会の日本においては、役にも立たない天下り団体のためではなく、やる気がある高齢者が活躍できる環境を作ることに税金を使うべきだとも思います。
当然、資本主義は成り立ちません。社会主義どころか、まさに依らしむべし知らしむべからずの幼児国です。もはや救うすべも見あたらないので、早くどこかの国の信託統治にして貰った方が良いと思います。
私が毎日のニュースで一番気になるのは「政治が景気をなんとかすべきである」という論調です。それは自民党政治で景気対策と称して借金漬にしてきたのと同じことをこれからも続けるべきだという話に聞こえます。民間企業はどうすべきかの議論はないのでしょうか。
私が40年間勤めていた会社でずっとなんとかしたいと思ってきて発言もしてきたことは「偉さの経営(これは私固有の表現です)」からどうして多くの企業は抜けられないだろうかということです。企業の中で偉くなることが目的化した時に起こることは、偉い地位に就いたとたん、部下に全て依存するような振る舞いになり、結果として何も考えない先見性も具体性もない指示をしているだけの人になってしまうということです。そして、部下評価は自分に対して心地よい部下であるかどうかが全てになったしまうのです。これ自民党と同じです。日本ではこのような「偉い人」を役員にしている企業が結構多いのを散々見てきました。日本の改革は、偉い高齢者がその席と意思決定権を若い人に譲ることから始めなければならないと思っています。これには、若い人が頑張るしかないのでしょうが。
更に恐ろしいことに先進国と呼ばれていた諸国がみんなで赤信号を渡りだしていることです。このような状態だと為替の均衡は、ちょっとのさじ加減でまた崩れるのではないかと危惧します。
官僚の問題で民間が被る被害は非常に大きいです。官僚と政治家には本気で支出を減らす努力をしていただきたい。
二流、三流の人間に限って「プライド」を持ちたがるのです。
若い労働者の待遇を良くしないと、この先日本は確実に後進国になります。
女性をもっと管理職に起用しないとダメです。
けれど、中心になるべく30代、40代も、その状況を見て、同じように自分たちも定年することを考えていない男性が多いように思います。
反対に、女性はキャリアを積んできた30代が結婚や出産で仕事を辞めるケースが多いように思います。
それを微笑ましく思う50代の男性や、横目で「私は違う」と、キャリアを中心に私生活をあきらめる40代の女性。
いろいろと考えるこの1年、私も妊婦になり、職を追われ、それでも周りの温かい力添えで、アルバイトを始めました。
これからの子供たちが育ち成長し、支えてゆく日本はどうなるのか? また、世界もどのように変化するのか?
今、自分自身が将来のために少しでもできることを探せればと思っています。
>官僚よりも民間に問題がある
そんなことありませんよ。
宋さんご指摘の高齢化問題などのさまざまな社会の問題現象・あるいは傾向は、日本社会全体に根ざしたもので、「官民共通」です。こっちよりもあっち、という話ではありません。
農耕民族社会というのは「男を卒業して久しい毒にも薬にもならない好々爺」が「長」として座っているのが一番収まりがいいんです。馬鹿じゃ勤まりませんが。
そんなもの、グローバル化が進み狩猟民族の末裔が覇権を握っている現代世界にはマッチしないじゃないか、と言われればその通りです。ただ、われわれは一度たりとも他民族に全民族的な虐殺陵辱を受けたことが無い「ナイーブ(笑)な農耕民族の末裔」なんです。我が国が、有色人種として唯一「中原に鹿を追う側」で参戦した先の戦争で惨敗したあと、アメリカではない他の国の支配を受けていたら、ひょっとしたら覚醒していたのかもしれませんが、残念ながら国全体として覚醒は足りていません。
で、官や大企業(子会社多数保有)の場合、肩たたき・天下りという巧妙な仕組みで組織のバランスはうまく保たれるようになっています。
また、組織の中の権力闘争や派閥間のいがみ合いなんて多いか少ないかは別として人間の社会ならどこにもある話で、逆にそういう闘争心が全然なくなったら組織の生命力も終わりなんじゃないでしょうか。諍いばっかりでそれが仕事みたいな話なら大問題ですが、日本の場合はそういうのはごく一部でしょうし、民間なら長く持ちません。
一方、官の場合は組織としての淘汰が無いので仮にそういう問題があるとすれば看過出来ないのですよ。組織の淘汰が無い代わりに国家全体が淘汰されてしまいますから。
まぁ、日本民族が一時期・ごくごく短期間の繁栄のあと、ポルトガルのように衰退するのか、消え去った歴史上の数多の王国のように霧散してしまうのか、それは誰にも分かりませんがね。
また、鳩山ぼっちゃん政権の「ひとりよがり理想主義の友愛精神(笑)」と、マニュフェストの多数を占める「一億総貧民化政策」が一体いつまで日本国民に容認されるかも誰にも分かりません。
今回、日本のサイレントマジョリティは「族議員−官僚システムというどうしようもない税金私物化に等しい既得権益構造」の打破と「子供若者優遇という別種の既得権益構造の構築」を求めて民主党を選択したんであって、なにも「一億総貧民化政策」までまとめて承認してるわけじゃありませんから。
と....ここまで書いてきてふと思ったのですが、宋さんからすると日本の官僚の品行方正さは、腐敗臭プンプン桁外れのお国の官と比較して立派に見える一方で、民間の方の日本の停滞ぶりが際立って見えるのかも知れませんね。
それはその通りでしょうが、やっぱりそれは単に国情の違いですよ。
ただ言えることは、宋さんのような優秀な方が逃げ出す国ではなく、ぜひこのままの外国人を少しでもひきつけられる国であって欲しいものです。
はじめてコメントをさせていただきます。
私は、政治と経済は別だと考えており、宋さんのお話に同感です。
政治は、その国の地域の人々がいかに幸せに暮らせるかに配慮したルールや富の整備を行う、機能であると考えています。
ビジネスは、世界中の人々に、より豊かな生活のための具体的な提案をする場であり、その国の経済は、どれだけ世界に影響を与えたかの、指標になれることが望ましいと考えています。
私は現在33才の会社員です。
70才を越えた高齢の方々と私の大きく異なる点は、『新たに儲けたい』と欲するところにあります。
誰かが成功した前例を頼りに、ビジネスをより良くすることは大切なことですが、そればかりでは社会の進歩は限られてしまいます。新しいビジネスを取り入れる決断を、高齢の会長が出来るとは考え難いです。
戦後、日本は欧米の作っている洗濯機やテレビ等を、より良く、安価に作ることで、成功してきました。
この過去の成功こそが、日本にとって今の低成長材料になっていると思います。
『若さ』とは『未熟さ』ではありますが、『未熟』なものに含まれるの『可能性』を受け入れる経営陣であるために、『高齢な経営層』に対して、警笛は必要だと思いました。
未熟なコメントでしたが、読んでいただき、ありがとうごさいます。
一部の老醜をさらしている権力者のために
若年層の反発がおさまらず、
すべての老人が廃棄物のようにみられてしまう
今日の世情には哀しいものがあります。
「この国が政治によって良くなる事はない」と言われていましたが、政治によって悪くなる事はあるのですよ。特に経済面。
今の日本の経済の低迷の主たる原因は、民間企業の多くの割合が、ぬるま湯に浸かった状態で、新しいイノベーション(このようなイノベーションに関する意識はむしろ組み込みソフトを開発しているエンジニアなどのわずかな知識労働者層が高い)を興そうという自覚、その為に必要不可欠な長期的な学術研究界への投資に対する認識、忘年会などする必要も無い事をやめてでも真摯に自らの企業のこれからの方向性やビジョンを考えて打ち出そうと言った意気込みや進取性等を決定的に欠いている事にあります。
何故、労組や経営者は、新しいもの造りのあり方についてまともに議論する努力も実行せずに、自らの怠惰を棚に上げて、政治やお役人の責任になすりつけているのか、忘年会などする前に激しく議論する必要があるでしょう。
同質文化の日本においては、なかなか一人一人が、当たり前と日頃考えている事に、疑問意識を持って考え直そうというようにはなりません。
しかし、そういう日本的な惰性が現在の産業界の低迷を恒久化します。
お役人の汚職などもひどいものがあるでしょうが、社会に及ぼす影響の大きさから言えば、むしろ、民間企業など一般人が「イノベーション」というものについて、殆ど無知である事の方が致命的です。
やたらと公務員いじめのような安易な風潮は、かえって本質的な深刻な問題についての取り組みを妨げます。
MOTに関する知識を殆ど持たない仕分け人が、子供手当てなどのような途方もないばらまき為の財源を無理やり捻出する為に、イノベーションの為に必須の投資、個人や民間では不可能な長期的な投資を、ろくに個別の事業について調査や理解をせずに短時間で切り捨てている事は、日本の社会全体において深刻なダメージを決定的に及ぼします。
イノベーションは単なる「技術革新」と思い込んでいる人が多いという事も、深刻な結果をもたらします。シュンペーターが言う本来的なイノベーションの意味は、もっと深い意味があります。
事業仕分けそのものは、ゼロからのやり直しが必要です。
もしやり直しもせずにこのまま、予算編成の参考にされた場合は、後世において「政治主導によるイノベーションの抹殺」とでも評価される事になるでしょう。
自身が思うことです。
経済は人と比較すべきでない。