負けたほうがいい

同期より少しでも早く昇進しようと、あれこれ上司に媚を売るサラリーマン達。子供が塾や学校などで近所に負けないために、懸命に頑張る母親達。少しでも他人を出し抜こうと、頻繁に車線を変更するドライバー達。毎日、ほとんどの人々は知らないうちに他人との勝負に参加しています。

しかし、社長まで昇進できた人は同級生の中ではただ一人、しかも実力でもなく努力でもなく運が決め手。塾や学校で負けなかったが、子供は親と同様に人生の意味に気付かない。何台も追い抜いたドライバーは、結局同じところで信号を待っている・・・・・・。

決して「成功者」への嫉妬ではないのですが、勝負に執着する人の多くは、勝っても負けても人生が負けてしまうのです。株式投資を見れば分かるのですが、必ず株が上がる時に市場に資金がどんどん集まり、下がる時に市場から資金が一気に逃げ出します。

長年他人のお金を預かって運用してきたファンドマネージャーの友人が、私に密かに言いました。「宋さん、株は儲からないようになっているよ」と。少しでも他人に勝とうと「機敏」に売買したところで、ほとんどの投資家が損してしまうのです。

「勝ちたい」、「他人に遅れるまい」。そんな勝負の心が、残念ながらどんな人間にも本能として潜んでいます。しかも目の前にある相当くだらないことでむきになり、自分が見えなくなるのです。その先に何があるか、何のためにこんな勝負に参加しているかはまったく考えないのです。

なぜ走るか、走る人がいるからだ。なぜ行列に並ぶか、並ぶ人がいるからだ。なぜ良い学校に入りたいか、できる人が皆良い学校にいくからだ。残念ながら、この程度の理由で多くの人は人生を浪費してしまうのです。

趣味に没頭する時間、家族と一緒に居る時間。そんな刺激のない静かな時間に幸せを感じられるようになれば、人は本当に幸せだと思います。我々人間がなかなか幸せになれないのは、些細なことで他人と比較し、勝負する癖があるからです。

無意味な勝負に人生を浪費している間に、公園ではきれいな花が咲き乱れ、海では真っ赤な夕日が海面に落ち、家では巣立ち前の子供が親の帰りを待っているのです。この瞬間にも多くの幸せが我々を待ち侘び、それを掴まないと二度と我々に属さないのです。我々には他人との勝負に参加する暇はないのです。

幸せの尺度は幸せに生きる時間の多さです。勝負に勝ったとしてもその幸せは一瞬ですが、一輪の蒲公英のように静かに春を楽しみ、自然に風に自分を託す生き方こそ最後の一瞬まで幸せなのです。

私が嫌いな日本語に「勝ち組」と「負け組」があります。人生は自分に属す幸せを自分の心で感じ取る過程であり、決して他人との勝負ではないと切に思うからです。

経営とコンサルティングを通じて多くの方々と出会ってきましたが、仕事ができる人も幸せになる人も、決して勝負にこだわる人ではなく、むしろ自らうまく負けている人なのです。(「仕事ができる人は『負け方』がうまい」のまえがきより)

P.S.

前回のメルマガについてご質問をブログのコメント欄に書き込んでくださった方がいました。誠意を感じたので珍しくブログに返事を書きました。返事を書くなら全てのコメントに返事を書くべきでしょうが、物理的に対応できないのでお許してください。そのやり取りに興味のある方は下のURLをクリックしてご覧ください。コメント欄の後部にあると思います。
http://www.soubunshu.com/article/128235472.html#comment

返事を書いた数日後に鳩山総理が国連で行なった演説を拝見しました。正直言って感動しました。日本に長く居た人間として、初めて日本外交を誇りに思えました。理想論者と言われるかもしれませんが、理想はつまり夢です。世界の夢を率先して語る日本外交は初めてだと思います。本当の力は人々の心を動かす力です。
この記事へのコメント
良い内容の
心のある、
そして、真実のものでした。

私達の目指すもの
と思います。
Posted by 杉山勤 at 2009年10月02日 08:31
他人との比較(競争)は良いのか、悪いのか。常に迷っています。本音は自分のペースで生きたいと思いますが、それを口実にサボってしまう時があります。バランスが大事なのでしょうか?
Posted by 高橋 圭一 at 2009年10月02日 08:50
確かに。人生の浪費といえばそうかもしれません。
でも幸せ感は絶対ではなく個人が感じることですから競争の中で生き抜いた時に”達成感”として感じることで幸せという方も居るのではないでしょうか。ただし行き過ぎで余りにも偏っては不幸になり、要するにバランス(仕事、趣味、家庭・地域、健康、自己啓発など)とって生きることではないでしょうか。aki
Posted by 吉沢秋男 at 2009年10月02日 08:52
おはようございます。
今回も感動しました。
その通りだと思います。
負けるということよりも他人の中に自分を見出すことであると私は思っています。
他人の喜びは自分の喜び。
見えること聞こえること匂うこと肌で感じること言葉を発することが出来ること手足を動かせること等数えればきりがない幸せに満ちていることを実感できれば人は皆幸せであると思います。
他人と比べてなぜあいつに出来て自分に出来ないのではなく、自分が出来ることそのものに幸せを感じるようになればこの世から争いがなくなると思います。いつかそんな日が来ることを心から願います。
ありがとうございました。
Posted by ごろんた at 2009年10月02日 09:07
 敢えて勝ちにこだわらないことには賛成します。ただ、昨今の日本の中に、優劣を付けることを悪いことだと考えるおかしな流れがあることがとても気がかりです。

 運動会の競走で全員一等賞、学力テストの結果非公表などが学校教育で行われていましたが、結果としての優劣をごまかしていくことは決して子供の将来にプラスになることではないと思います。

 自分自身の努力の結果の能力による勝ち負けは、、その本人がどうとらえる化に委ねられるべきことですが、彼らが将来入っていく世の現実の厳しさは、子供の時からしっかりと躾けていくことは、大人としての義務だと思います。

 勝つことに拘るか?負けることを容認するか?判断は当事者に任せるべきですが、その選択は能力の違いによる競争の勝敗の結果の厳しさを教えられたうえで判断できるように育てたうえでのことだと思います。

 今の日本はレベルの低いところに、全体を合わせようとする風潮があります。これではこの国は国家として生き残れないではないかと危惧しています。
Posted by 高木育生 at 2009年10月02日 09:11
宋さん、おはようございます。
初めに私はワークホリカーであることを告げるべきですね。仕事と仕事の中で自分を表現することも好きです。それ故ここにも投稿しているのかもしれません。自分が働く意味は常に考えています。自己満足が一番かもしれませんし、それと並んで子孫への継承でしょうか。子供にまだ見ぬ孫により良い教育と暮らしをしてほしいという気持ちに他なりません。それでも過度な競争は避けていますし、休日は趣味の釣りで海での時間を楽しみ自然の恩恵を授かっています。何事も意識付けとバランスが大事なのでしょうね。さてここで釣り好きの友人のお話をさせて下さい。彼は裕福な家の2代目です。私が入手困難なリール(釣りの道具)を購入できた事を告げると、1ヶ月もしない内に金箔のリールを購入して自分も珍しいリールを購入したことを自慢します。自転車、オートバイ、ボート・・・彼の負けず嫌いには関心すると共にこれが有効なお金の使い方かと疑問を持ち、友人として忠告をしています。もちろん関係構築があっての忠告ですので関係は維持しながら、彼の無駄な?お金の使い方は今も変わりませんし、私の購買行動に彼は興味を持ち続けています。エネルギーもしても服にしても道具にしてもIT機器にしてもその使用目的とバランスの取れた見栄え、それが幸せに繋がるのではないでしょうか?
Posted by 小田倉 靖 at 2009年10月02日 09:11
経済が豊かであるはずの日本に暮らす人々がなんとなく幸せと感じられないのはまさにこういったことだと思います。

経済の豊かさと人の幸せには特に相関がないと僕も思います。このジレンマがなくなるような社会を目指したいですね。
Posted by 木村武弘 at 2009年10月02日 09:12
全く同感です。うまく負けることは負けることではありません。人生の素晴らしさを実感して生きてゆきたいですね。
Posted by 中村惠一 at 2009年10月02日 09:23
人との勝ち負けよりも、自分との勝ち負けを優先したい。
Posted by なかむら at 2009年10月02日 09:23
もはや日本の仕組みは日本人を幸せにするものではないと改めて思いました。プリンシプルのない損得勘定のみで動く、底の浅い人間が主流となっています。勝負に勝ち抜き利益を得ること自体は決して悪いことではありませんが、我々が信奉してきたモーレツな競争社会が実は一部の特権階級にしくまれた出来レースだったとしたらどうでしょうか?豊かさに飼いならされた家畜といっては言いすぎでしょうか?

我々日本人は個人としての自立をしなければなりません。それが個人の幸せに通じると思います。
Posted by 大藪 at 2009年10月02日 09:25
心に響きました。
沖縄に伝わる「黄金の言葉」というのを
思い出しました。
Posted by がじん at 2009年10月02日 09:25
全く同感です。唯、何故そういう生き方が出来ないのでしょうか?勝ち組・負け組みを煽るマスコミが悪い?そうではないでしょう。
明治維新で日本は従来の価値観を欧米に合わしました。一方、日本が模範としたヨーロッパはニーチェに代表される「神は死んだ」基盤とするキリスト教的幸福の原則が崩壊し「ニヒリズム」に向かってます。これは究極幸せは何処にもない、帰るべき故郷は何処にもないといった「身も蓋も無い話」です。その結果ある筈の無い「幸せ」を「勝ち組」に求め結果大多数の負け組みは当然不幸せになり勝ち組もお約束の幸せを獲得出来ず不幸せの荒野を当ても無く彷徨います。更なる勝負での勝利がもしかしたら幸せもたらすのではないかとの淡い期待を抱き。勝負に疲れ果てた頃漸くご指摘の真実を理解するのですが
その時は人生の終わりに来てます。
Posted by 山口巌 at 2009年10月02日 09:25
お早うございます。宋さんも、ゾマホンさんもいい出来栄えでした。幸せを相対的な物差しで計ろうとするからですね。4Q、前向きになる元気を貰いました。

ゾマホンさん、溜飲が下がります。マスコミやメディア発の情報は、例え○○経済新聞でも、○HKのニュースでも疑う事を前提とする。ましてやネットにおける情報なんて何をかいわんやです。(NETのメリットは違う部分にあります)自分の尺度で情報咀嚼する。昔から本能的に実践しています。自分に取り込んで、血肉になってこそ情報ですからね。
Posted by IT営業 at 2009年10月02日 09:34
メルマガをいつも大変興味深く読ませてもらっています。
ありがとうございます。

宗さんのお話よくわかりました。
相対的価値観では、人は悩んで幸せになれない。
悩むというのは、迷っている事です。
迷うのは、どちらも甲乙つけがたいから。
ならば、どちらを選んでも正解なので、
本来ならば、悩む必要はないのです。
周りの人と比べる相対的な価値感を指標に生きていると、
自分の幸せに対する絶対的価値感を持てばいいのだと思います。
親として、幸せの絶対的価値観を子供に持ってもらえるように、幸せな時間をたくさん過ごさせてあげようと思っています。
Posted by 山川光根 at 2009年10月02日 09:35
宋さん まったく同感です。

私は、子供たちに人と人を比べてはいけない、といつも伝えております。

そして『私は幸せ!』と思うようにと。

子供たちとともに、穏やかに暮らせています。
Posted by よーさん at 2009年10月02日 09:46
勿論、その通りなのですが、おっしゃっている事は究極的な境地であり、それはむしろ勝負に挑戦する人生のプロセスを経てからの話だと思います。宗さんだって最初は絶対こういう生き方をしていた筈です。でなければ今の地位は築けていません。私は人生のある段階では、こういうプロセスは必要だと思っています。結果、成功した人、失敗した人いるでしょうが、それを経験してはじめてこの様な境地に達するのだと思います。それを経ずして、こんな境地になるのは、所詮、人生の挑戦から逃げた負け犬の言い訳です。
問題は、いつ気付くかだと思います。
確かに性懲りもなく、勝ち負けに固執して、進むを知り、しりぞくを知らぬでは、生き方を誤るでしょう。重要なのは、常に自分の生き方に自問自答し続ける事だと思います。そうすれば自分の人生に誠実に向き合い、一生懸命生きていれば必ず、しかるべき折りに気付きが生まれる筈です。そしてそれが最終的な人生の勝利者への道である事も気付く事になるのでしょう。
Posted by 白石 哲也 at 2009年10月02日 09:47
100%同意ですね。
いつも楽しみにしています。

以下の部分抜粋してTwitterでつぶやかせていただきました。私も常々消えて欲しい言葉だと思っていました。

「私が嫌いな日本語に「勝ち組」と「負け組」があります。人生は自分に属す幸せを自分の心で感じ取る過程であり、決して他人との勝負ではないと切に思うからです。」
Posted by 二階堂隆 at 2009年10月02日 10:02
いつも宋さんのメルマガを楽しみに読ませて頂いているものです。今回、「勝ち組」、「負け組」に係わる明快なご意見があり、同感しております。

小職は、50歳を契機に起業した者です。キャリアを活かし、貢献できることを追求したいと思ったことが原点です。

独立してから幾つかの研修サービスも行っておりますが、その中で、「価値組」の話も織り交ぜています。組織や求めている人に「価値」を提供出来る人が「価値組」になり、地位や報酬の「勝ち組」を目指すことは、終わりのない葛藤となることを伝えています。「価値」とは貢献度によって決まり、自分自身の活動によってもたらされ、対象は家族や社会など何でも構わないと主張しています。夢を持ち続け、語れる人になってもらいたいとのメッセージを出し続けるつもりです。

メルマガに共感して、ついつい書いてしまいました。
Posted by 北川 良三 at 2009年10月02日 10:16
宋さん
宋さんらしいエッセイですね。
勝ち負けの問題は難しい問題です。人間が「人」と「人」の間に存在する以上中々悟りができない気がします。
読んでいて、新井満さんの自由訳「老子」を思い出しました。
煩悩を超えて、色即是空になるためには、世のため人のために成る事を心がけるほかない気がします。後は感謝の気持ちでしょうか。
修羅の世界で生きながら、花鳥風月になるのはとても難しいことなのでしょう。だから芸術や宗教が必要なのかもしれません。
どのような状況に置けれても「執着」を捨てることが出来ればおのずから光は見えてくるのでしょう。

追:ゾマホンさんのコラムとても正鵠をついていますね、欧米人の支配階層が持つ「欲望」の大きさにはただただあきれるばかりです。
Posted by 沼田一博 at 2009年10月02日 10:36
おはようございます。私の娘は都立H高校、W大を今年卒業して自分の考えで大手人材派遣会社に就職しました。ところが、半年も経たないうちに辞めたいと言ってます。理由は成果が出ない(新入社員の癖に、簡単にでるとは思いませんが)から。
今まで女性としてはエリートコースを歩んで、勝ってきた彼女にとっては社会に出て
初めての負けなのでしょう。それが我慢出来ないようです。父親としてどうアドバイスしたらいいかを考えている折でしたので
違った視点からのコラム参考になりました。
Posted by 床並 利昭 at 2009年10月02日 10:47
その場その場の勝ち負けなんて小さい小さい。人生の勝ち負けは死ぬ直前になって自分が決めるモノですよ。

ゾマホン氏のお説ごもっともです。
マスコミの垂れ流す「偏向事実」のみを
信じ、自ら考えることをしない人間は
いくらお金持ちでも学位があっても「大衆」
なんですよね。(影響される人)
自らの目で見て頭で考える人間こそが「学者」だと私は思います。(影響を与える人)
Posted by G19 at 2009年10月02日 11:14
まったくもってそのとおりです。
いつもにまして胸が熱くなりました。

特に下記は、最近の私自身にとってとても共感できる部分です。

「無意味な勝負に人生を浪費している間に、公園ではきれいな花が咲き乱れ、海では真っ赤な夕日が海面に落ち、家では巣立ち前の子供が親の帰りを待っているのです。」
Posted by minisuke at 2009年10月02日 11:46
宋さま

とても心に響く内容をありがとうございました。

少し前に、ある老年に達する昔の知り合いの方としばらくぶりに交流が復活し、感じたことがあります。

スポーツ競技を通じて知り合ったその方は、勝負に強く、指導技術も素晴らしく、教えを受けた身の私としては、大変尊敬していました。
その方は、仕事面でも、会社経営に辣腕を振っていたと聞いています。

久しぶりの交流で感じたこと。
それは、今は引退して老年期を送られているその方が、未だ勝負の世界に生きていて、幸せではなさそうだった・・ということでした。

些細なことで優劣を意識し、他人に腹を立て、軽蔑し、嫉妬する。
その気持ちは自分自身にも向かい、老人になったこと・健康を損ねたこと・お金がないことなどを卑下する・・。
若い時代にあれだけ輝いて見えたその方の「勝利の時代」を過ぎた姿は、ずっと慕う気持ちを持っていた私としては、とても残念でした。

人生の価値基準が「勝負」に執着したままであるとき、宋さんのおっしゃるように「人生が負けてしまう」のだなと思いました。
宋さんのお話を読み、その方が、身を持ってそのことを教えてくれたような気がしています。
Posted by 小雨あきこ at 2009年10月02日 11:50
宋さんのおっしゃる通りだと思います!田舎に生まれ、中学までは競争と無縁の世界に育ち、のびのびと人生を楽しんでいました。その後、なぜか進学率の高い高校に入り、大学に進み、企業に就職し、競争社会に違和感を感じながら、不平不満を貯めつつ、人を批判し、自分は不幸であるという思いを消すことが出来ずに20数年を過ごしてきました。運よく37歳で起業し、金銭的には大変ではあるものの、意味のない競争から離れ、人生をゆっくりしっかりと味わいながら、楽しく毎日生活しています。これからもっともっと意義ある楽しみにあふれた人生を過ごしていこうと感じています。人生に勝ち負けなどないと考えた方がよっぽど楽しく過ごせます。勝ち負けも含め、全て自分にふりかかるものは、実は自分が作り出しているということなのでしょう。
Posted by 37wines at 2009年10月02日 12:33
メルマガ、いつも納得しつつ、時には引っかかりつつ、とにかく楽しみに読ませていただいております。今回はじめてコメントを差し上げます。

今回のお話は幸せについての真理だと思いました。しかし、真理であるが故に、容易には到達できず、結果的に絵空事になってしまうのかな、と…2点だけ。

1点は、幸せは私自身ももちろん、まず相対的なものになってしまうということ。例えば周囲と自分の年収を比較してみたりとか…自分の境遇についての判断は絶対的なものでなく、能力だとか努力量だとか、色々な要素を秤にかけつつ、周囲の状況と比較してしまうわけです。それでプライドが傷ついたり…おっしゃるとおり、厄介な本能であり、癖です。これを脱却し、自分で絶対的なモノサシを持つのは…いや〜実際、難しいですよね。

もう1点は、幸せの定義として、自分の好きな、あるいは気に入った、ヒト、モノ、環境に囲まれること、という捉え方もできるかと。その場合、例えば好きなんだけど値段が高すぎて買えないとか、旅はともかく日常は劣悪な環境で過ごさざるを得ないとか…ありていに言えばお金の問題が出てきます。もう少し踏み込んで言えば、お金を払うことによって「好きなモノ」(すなわち、それを作っている人々)を支持したい、応援したいと思っても、現実は不本意なモノに対してお金を払わざるを得ないとか…そういうことがあると、勝ち負け自体への関心はともかく、結果的に一定の境遇を「勝ち取らないといけない」となったりします。「好きなモノ」だって、競争社会の中で生きておりますから…

…ともあれ、宋さんは、おそらく、このようなことは百もご承知の上のことと存じます。したがいまして、このコメントは、ただの愚痴です。メルマガ、これからも楽しみにしております。お目汚し大変失礼いたしました。
Posted by 大屋 渡 at 2009年10月02日 12:48
いつも心に響くお話をありがとうございます。今年5月の「人は比較に頼る」は、別ファイルに保存して折々に読み返しているのですが、今回も、同じテーマをまた違った味わいのある切り口から考えさせていただくヒントになりました。

最近耳にしたインタビューなのですが、金融市場の崩壊で億万長者から実家に居候する身に転じた米国の男性が、「この経験で目が覚めた。人生において大切なことはアメックスのブラックカードじゃなかった。すばらしい家族に恵まれているということが自分の成功だと気付いたから」と語っていました。望んで負けたわけではないけれど、賢い負け方ができた人として心を打たれました。
Posted by Reiko at 2009年10月02日 13:04
宋さん こんにちは
自分と他人を比較し、意味のない競争を否定するのは私も同感です。
ただ、宋さんの「幸せ」論、幸せの定義はちょっと違う気がします。宋さんの言われる幸せは、物質的(金銭面)、肉体的(健康面)に問題がない(一般的な社会で普通に暮らせるレベル)場合が前提になっていますね。
私の考えですが、人生にはさまざまな障害があり、その障害を乗越える力(物質的、精神的に)がある、または持とうとするひとは幸せであり、そうでない人が不幸なのだと思います。
Posted by 谷口 喜佳 at 2009年10月02日 14:00
宋さんの意見は、いつもその通りだと感心します。人生を勝負ではないところに生きる価値を見つける。本当にその通り。こういうことは中国の人じゃないと見えないんだなあ。視点が日本人と少し違うところから見られるので、とてもいい勉強になります。
Posted by 山村嘉清 at 2009年10月02日 15:50
これは難しい問題ですよ。
そうかもしれません。
でもそれは、百丈禅師みたいに70で出家できるか、ということだと思います。
誰もが家族を持てるわけでもないし、誰でも出家できるわけでもない。それなりの徳がいると思うのです。
私は経営したり商売したり学問したりすることがそのまま私のお寺、私の禅、私の修道院でいいと思います。
Posted by 山内信二 at 2009年10月02日 16:09
他人に勝ちたいとは思うのは自然でしょうが、勝ったから良く負けたからダメとは最近思わなくなりました。趣味や家族サービスの時幸せを感じるかと言えば、実感はありませんが、イライラもせずなんとなく楽しく充実感は感じます。60歳を過ぎ、昔企業戦士(月平均残業150h)であった自分も今は定時後の時間を仕事以外に軸足を置いています。家庭・仕事・趣味に特段の不満もありません。達観した雰囲気です。これが第三者的には幸せなのかもしれません。
今回はこのように自分を見れる良い機会でした。
深謝致します。
Posted by ベーヤン(多奈部純一) at 2009年10月02日 16:47
宋さんの意見は常に面白いと思っています。現在小生は、江戸文化、政治に大いに興味を感じて、いろいろな本を読みあさっております。いろんな発見ができます。日本という国は面白いと思います。未来が楽しみです。もうすぐ次回オリンピック開催地が決まりますが、何処になるか楽しみである。楽しく生きるのは、肩がこらず、面白い発想が湧いてくる。日々若返るようだ。
Posted by 内田 克 at 2009年10月02日 17:38
今日「仕事ができる人は負け方がうまい」
を買いました。

私の中国や中国人に対するイメージは、ありがちではありますがよくありません。

しかし宋さんの著書はよく読みます。
感服するところや、日本にきてからの体験談など物の見方は参考になり、ときには自分ならこう思うなど考えさせられることが多いです。

ヨイショでもなんでもなくメルマガはとても楽しみにしています。
Posted by gen at 2009年10月02日 22:01
もう、大概の人がモノには満たされて飽食しているのに、
今までの惰性で未だにモノを求めている気配がする。

「モノよりコトへ」と言われ続けて久しいのに、ブランド主義やモノ情報から抜けきらない現代日本人のしがみつき癖は、心の拠り所を物欲にしか見つけられなくなった空虚さを埋める代替現象じゃないのか。宗教までモノと見てアプローチするもの。

やるなら徹底的に物欲に走ればいいのに。どんなに後ろ指を指されようと、その方がいっそ爽快だ。そういう覚悟ができた人もまた少ないということか…。

小人閑居して不善を為す。我が身を振り返ってそう思う秋深し…













Posted by nao at 2009年10月02日 23:40
宋さんこんにちは。
今回の記事、まさに正論です。
特に日本人は、他人との比較でしか幸福を味わえない人が多いですね。
人間の普遍的な幸せとは、意外と身近なところにあるのかもしれません。
大事なことに、気づかせていただきました。ありがとうございます。
Posted by まさに正論 at 2009年10月03日 06:36
宋様

いつもメルマガを楽しく読ませていただいております。
今回のご意見、基本的には共感しますが、私の人生を振り返ると少し違うような気もしますのでコメントしました。
私はいわゆるお勤めの時代を終わり、70歳を迎えようとしています。自然を楽しみ、健康に感謝する毎日です。世の中では勝ち組と呼ばれているかもしれません。
しかし、考えてみると私が楽しむ自然や平和な世の中、健康を保つ環境、すべてが自分だけの力で出来たものではなく、国民の皆が一生懸命に働き、協力してきた賜物です。私自身もそれなりにお役に立つこともあったと思います。その原点は、少しでも良いものをつくり、少しでも効率よく、少しでも広く使われるようになどなど、基本的には他と較べながら研鑽をしてきた結果と思っています。
競争は人間ばかりではなく、生物の生存の基本的な能力と思います。
いたずらにお金儲けを目指すことや、不必要に他人を蹴落とすことを言っているわけではありません。しかし、少しでも良きことを願いそのために努力することを忘れて、ひたすら自然の恵みだけを楽しむことは生物として滅びる道を選択するように推奨されていると思います。
人生に勝ち組や負け組みがあるかのごとき言動には不賛成ですが、適切なる競争は必要なことと思いこれを書きました。
Posted by 旭 at 2009年10月03日 12:19
人生(あるいは人間の営み)の本質は戦いだと思います。戦いの目的はただ一つ、勝つことです。企業活動もよく戦争に例えられます。会社では「戦略」ということばが日常です。人類は多くの行き過ぎや過ちを繰り返しながら、基本的に戦うことによって進化、進歩してきました。これはこれまでもこれからも人類が滅びるまで変わらないことだと思います。「幸せ」とは、そんな戦いの中で、ほんの一瞬訪れる安らぎの時間であり、だからこそ貴重であり、ありがたいのでしょう。趣味の時間や家族と過ごす時間に幸せを感じるのはそれが、すべてではなく少ない貴重な時間だからです。まったく仕事をしないで、一年中毎日家族と趣味だけの人生に全人類が幸せを感じるようになったら、人類は滅びるでしょう。「平和」の定義が「戦争のない状態」であるのと同様、人間には「戦い」が日常であって、わずかな「戦いのない状態」が「幸せ」なのだと思いますし、それで良いのだと思います。前回のコラムにも通じますが、日本人は先の戦争で完膚なきまでに負けました。負けたことにより資産もプライドも何もかも失い、この上ない恐怖を味わいました。なので日本人にとって「負けること」は想像を絶する恐怖なのです。だからこの国の最大のタブーは「戦争」なのです。タブーが思考停止と無策を生むことはご賢察のとおりです。だからといって戦いから目をそむけ、幸せにだけ目を向けても、幸せになれるとは思えません(幸せになれた気にはなるかもしれませんが、一瞬で醒める夢のようなものだと思います)。
Posted by 都市部無党派層 at 2009年10月03日 15:11
幸せとは何でしょうか?
努力や頑張ることが本当に正しいのでしょうか?
例えば、毎日一生懸命働いているワーキングプアの人達は年収200万円前後。
一方、犯罪を犯した受刑者達は安全な塀の中で年収(経費)200万円程度の暮らしをしています。
善良な失業者やホームレスよりも贅沢な暮らしをしているのです。犯罪者達は。
本当の豊さとは頑張らなくても最低限の暮らしができることではないのでしょうか?
最低限の労働で健全な生活ができることが理想の姿です。
その国が豊な国かどうかを判断するにはその国でいちばん貧しい暮らしをしている人を見ればわかります。
日本には家も無く食べる物も無い貧困に喘いでいる人達がたくさんいます。
一体この国のどこが豊かな国なのでしょうか?
なぜ政治家は貧困やホームレスを無くすことをマニフェストに掲げないのでしょうか…。
Posted by ヨシ at 2009年10月04日 00:25
「負けるが勝ち」ということわざがあります。その場では勝を相手に
譲っても、長い目で見れば自分の方が優位になるということなのだ
そうです。

幸福は他人との相対的なものではなく、その人の人生における絶対的な
もののように思います。他人との勝ち負けは水ものですが、人生に
おける勝利とは、いかに自分に正直に生きたかということではないかと
私は思います。

「我々には他人との勝負に参加する暇はないのです」

腕試しやそれを使っての能力の向上を図るために、コンクールなどに
出場することも有効だとは思いますが、それは手段であって目的では
ないと思います。そこを混同してしまうと、幸せが見えなくなって
しまうような気がします。

何を自分の幸福と考えるかは人によるとは思いますが、最期のときに
「こんなはずじゃなかった」と思わないような生き方をしたいと
改めて思いました。
Posted by Tenor1966 at 2009年10月04日 19:09
競争(勝負)について、私は2つの世界があるように思います。
1つ目の競争は、「誰かが勝つと、同じ量だけ他の誰かが負ける」もので、もう1つは「誰かが勝っても誰も負けない」競争です。

最初の競争は「ゼロサムゲーム(勝ちと負けを足すとゼロになるゲーム)」と呼ばれている物で、ギャンブルが典型的な例です。
ところが市場が成熟してしまいゼロ成長に陥ると、本来なら価値を生み出すはずの企業活動がパイの奪い合いに終始するようになってしまい、いつの間にかゼロサムゲームをやっていたりします。
自分が「勝った」としても、同じ分だけ誰かを負かしているのですから、世の中の総計はちっとも幸せになっていません。

一方、奪い合いの無い競争もあります。
教育、健康、愛情、自己鍛錬。これらは競争の要素もある程度含みますが、勝ち負けを総和した全体を高めることのできるものです。
物質的に豊かになった国は、次は精神的な豊かさを求めるべきで、このことはもう何十年も前から言われているのにちっとも実現できていません。

私が特に問題だなと感じるのは、日本人がゼロサムゲームから抜けられないために、そのツケを発展途上国や未来の世代に回してしまっている点です。例えば日本人の人口は世界の2%ほどなのに、世界の穀物の10%以上を集めてしまっていますよね。そして信じられないことに、この穀物のかなりの部分を家庭で捨てています。
これが勝負の結果の裕福というものならば、なんとも利己的で悲しい幸福だと思います。
Posted by 岡部 at 2009年10月04日 23:09
毎回読ませて頂いておりますがはじめてコメントします。今回の宋さんの意見に異議はありません。似たような論調の本を読んだので、お伝えしたかったので書きます。子供向けの本ですが、近年、私たちはこういう根本的な命題に目を向けることが非常に少なくなって、経済と社会的地位(個人だけでなく会社法人も国も)にばかり目が行っている、行かせているような気がします。ご一読をお勧めいたします。
タイトル:戦争はなぜおこるか
著者:佐藤忠男 (映画評論家)
出版社:ポプラ社
Posted by 今福 民生 at 2009年10月04日 23:37
今回の負けた方がよいは一般的ではないのでしょうか。生活環境を考えればそろもそうだになりがちですが、人間の本能も少し加味してみればいくつもの疑問が出てきます。金儲けはすべてではなく、競争も全てではありません。宇宙の探求、物理のおもしろさ、化学の便利さ、競技の勝負のつらくも楽しい思い出、単なる勉強の楽しさ、等の中には勝った方が良かったり、勝ち負けは不問等の平和な出来事がたくさんあります。経営にしても相手があるから競争するだけではなく、技術の追求で相当の苦労をしながら前進している事例は限りなく無限の事例があります。勝ったと思いながらほらを吹く人種はよく見ます。政治にも見苦しい状況を露呈している最近に事例もあります。むしろその人種をどのように抹消していけるか人類の課題のような気がします。
Posted by 石崎鎌三 at 2009年10月05日 10:33
「勝ち組」の代表格の宋さんから、このようなお話があるとは少し意外でした。これまでのお話から、そういう考え方だとは感じていましたが、はっきりと伺えてとても嬉しい気分です。

先週の金曜日は、学生時代にお世話になったある女将さんの通夜があって、コメントが遅くなってしまいました。その葬儀の場でも同じようなことを感じました。

その女将さんはまだ60にもならず若くして急逝されたのですが、1000人もの弔問客が通夜に訪れました。葬儀では、たくさんの方が長い時間を待ってまでお見送りまで残られてお別れを惜しんでいました。

老舗の料理屋に嫁入りして旦那さんと一緒に正に猪突猛進で繁盛させた女将さんでしたが、それと同時に商売を通じて多くの人に大きな愛を与え、その故に愛されていたということを実感させられました。

一生懸命に家業に力を注ぎながらも、大切なことは何かを見失わずに守り続けたのだと思います。


株でも結果として損をするのは、本質を見失った人が多いのだと思います。
事業は何のためにあるのか。
その事業に投資する本来の目的は何であるのか。
チャートや経営指標もひとつの判断基準ですが、重要なのはそういうものには顕れないのです。

「L’essentiel est invisible.(大切なことは目にみえないんだ。)」とは、星の王子様の一節です。


自分の「大切なこと」を守るには、他人の「大切なこと」を尊重しないといけません。Win-Winという言葉とは似ていますが、全然違うレベルの話になるのだと思います。

女将さんの最後の教えと、このコラムで考えさせられたこと、これからも大切にしたいと思います。
Posted by たくみゆとうあ at 2009年10月05日 10:54
同感です。無意味な勝負に浪費することに意味を感じません。
意味ある勝負なら、そのプロセスから学ぶことで人は成長できると思います。
スポーツは、ほぼ100%の人が敗者となり真の勝利の美酒を味わえないことになりますが、それでも何にも変えられない貴重な財産を得ることが出来ます。極端に言うと、負けることでしか本当の成長は出来ないし、真の幸福を見つけることは出来ません。
一方、無意味に無理矢理に優劣をつけると、結果を得ることが目的になり、結局、幸福を得ることはできません。
例えば、学力テストでどこそこの県が優秀だとか、成績が悪いだとかいう比較することに意味はなく、プロセスを見なければいけません。また、学力テストの結果の善し悪しが、人の幸せに繋がっているわけではありません。(私の住む大阪府はテスト結果が良くないそうですが、それで不幸だと全く思えません。こんなものの結果を上げようとすると不幸が始まってしまいます。)
あるいは、私の会社の中でも、指標を短絡的に捉えて優劣の判断をするマネージャーがたくさんいて、正しいベンチマーキング活動を阻害しています。決して指標を良くすることが目的ではなく、単なるセンサーの一つに過ぎないのですが、それを理解出来るのは残念ながら少数派です。
これらの勝負に加わらなければ「負け組」になるのなら、「負け組」の一員でいることが幸福を得る必要条件になる、と私は考えます。
Posted by たけし at 2009年10月06日 14:34
いつもメルマガ配信ありがとうございます。

人が生きるための競争、それは至極当然のことです。
でも勝負にこだわり過ぎては、人生の意味を見失う、このように理解しました。

論理(左脳)的に思考すれば、勝ち続けることが幸せになると想像できますが、
幸せだと感じるところ(脳の部位)は、左脳ではなく右脳だと聞きました。
右脳は感性や情動や生存本能に近い生物的な欲求をするらしいのです。

「負けたほうがいい」の主旨は上記と同様のことを指すのではないでしょうか。
折に触れて思い出しながら、自分の幸せを追求してみたいと思いました。
Posted by 門ノ戸 一孔 at 2009年10月06日 19:37
今の多くの日本人は、一回成功すればそれだけで「勝ち組」、一回失敗すればそれだけで「負け組」と決め込んでいるように見られます。
今の日本が、経済が行き詰まっている大きな要因は、官僚の無駄遣いではなく、むしろ、一人ひとりの日本人の持っている「変化に弱い」属性に有るのだろうと思う。
中国もアメリカも、日本人に比べれば、未知の世界に飛び込んで冒険する意欲は高い。だからこそ、激しく転んで失敗しても、ええいなにくそと言って、ドライに開き直って、何度でもチャレンジする。日本人はそういう点が極端に弱い。
日本の経済を牽引して来た大手製造業の多くのメーカーが、成熟期にほぼ同時に突入して、クレイトンクリステンセンの言う「イノベーションのジレンマ」に陥っている事が、現在の日本の経済が直面している真の問題。強い成長をする新しい企業がたくさん出てくるように社会の基盤整備をする事が重要。また、既存の企業もそれと張り合う気概を持って盛り返す戦略が必要。
未来への投資をするべき時なのに、恐怖に怯えて、立ち竦んでばかりでは未来を創造する事は出来ない。
今の内にやって措くべき事は、人材を教育する事に金を惜しまない事。
トヨタ自動車の新社長はその点、素晴らしい働きをしてます。
人材を教育する事により、新しい産業が産まれるのだから。
日本の企業経営者はPalmisano Reportを良く読んだ方がよい。
Posted by tron at 2009年10月07日 03:45
宋さま
はじめまして
いつも拝読させていただいていますがコメントは初めてになります。

私は平凡な専業主婦で、
家事とお散歩が唯一の変わり映えのない日常を過ごしていますが
今回は日ごろ私の思っていることがそのまま書かれていましたので
とても親しみを覚えうれしく思いました。

季節の変わり目も気がつかない勤務生活に終止符を打ってから
本当の人生が始まったような気がします。

お散歩の河川敷で草花や昆虫に興味を募らせ
夕焼けに感嘆の声を上げ、
お散歩する人との挨拶に喜びを覚える平凡な日常が
一番幸せと感じています。

流行もグルメにもまったく関心がありませんし、
携帯も必要としないので未だに持ってはいませんが
自分の存在はこの世にひとつの大切なものと感じると
他と比較する気持ちはまったく生じません。

どんな富豪でも美人でもうらやましく思ったことはありませんので
それだけでも幸せだと思っています。

今、手元にある平凡な日常が壊れたとき、
人はきっとその平凡の大切さを心から感じることでしょう。
私はそうならないように、
日ごろから今手元にある慎ましく平凡な日常に目をむけ
感謝するように心がけています。

でも、いいことばかりではありませんね。
他と競争をしない小さな日常に満足していると
向上心も退化する(?)ような気がしてそれだけが残念です(笑)

競争心と向上心はセットになっているような気がしないでもありませんから。

今後のコラムも楽しみにしています。




Posted by のんちゃん at 2009年10月07日 17:04
「勝ち組」「負け組」という言葉が好きな人はあまりいないでしょう。馬鹿なマスコミはあまり考えずに使っているかも知れませんが、一般人が使う場合には皮肉や嫌悪の意味を込めていると思います。
例えばイチローのことを「勝ち組」とは言わないでしょう。
本人の才能と努力によって常人にはできない結果を残し、どんなに高額の収入を得ていてもそれに相応しい価値があると認められている人間に対しては「勝ち組」という言葉は使いません。
つまり「勝ち組」という言葉には不当に良い思いをしている人間というニュアンスがあります。「勝ち馬に乗る」という言葉もありますが、それは優位な人間や組織につくことによって楽に有利な立場になることで、これも本人の実力に関係なく良い思いをするという意味がある点で似ていると思います。

元日銀総裁の福井さんや村上ファンドの社長や小沢さんや鳩山さん等が「勝ち組」かどうか分かりませんが、彼らの金銭がらみのスキャンダルを見ると、すでに功成り名を遂げ、十分に裕福であるのに更にあんなことをしてまで金を求めるのは何故か?と疑問に思い、哀れだとさえ思います。金銭の面では勝っていても、人として負けていると思うのは成功者に対する僻みでしょうか?
ただ、私も他人と比べて自分の幸福度を計ることは愚かしいと思いますが、不当な行為で利益を得ている人間を批判することを嫉妬や僻みの一言で片づけることが正しいとも思いません。その人間が政治家や官僚などの「公僕」であれば尚更に。

民主党の掲げる排出ガス削減目標は実現性や、それに伴う企業や国民の負担の点で批判も多いのですがテレビではその部分を殆ど報じず称賛ばかりなことに、衆院選での民主圧勝にマスコミが一役かっていたことと併せて不気味なものを感じます。本気でそれを目指した結果日本の産業が凋落し、環境問題など意に介さない中国の産業が隆盛し、地球上で排出されるガスの総量は増えるということにならなければ良いのですが。

鳩山さんも世界に向かって理想を掲げるのも良いのですが、国民のほとんどが求めている献金問題に対する説明もしっかりしてほしいと思います。私は小沢さんの西松建設問題よりも悪質だと思っているので。
Posted by カワセ at 2009年10月07日 17:55
夢を語るだけなら誰にでも出来る、しかし夢を形にする事が出来る人間は限られている。一国の首相がただ夢を語るだけで、それをどう形にするのか一切のビジョンが無い、と言うのは部外者にとっては無責任に楽しめるかもしれませんが、当事者の国民にとっては戦慄すべき事です。
Posted by kenken at 2009年10月09日 12:26
宋 文洲 様

 初めて、コメントさせて頂きます小松です。(仕事は、公務員24年目です)
 最近、出版されました書籍2冊を本屋で立ち読みし、読んでみたいと思い購入させて頂きました。
 1冊目のモチベーションの内容については、馬にんじんや給料の少ない、多いが問題ではなく、要は本人のやる気次代であると思い、大変同感しました。
 2冊目の負けたほうがいいにつきましては、内容的には、参考になりましたが、僕の考え方と相違しています点がありますので、コメントさせて頂きました。
 私の考えは、勝負事等は「勝ち」にこだわるのではなく、「負けない」という考え方をすることの方が、負けないために自分は何をすべきか等を考える必要があり、「勝ち」の途中経過で生じる油断等もないと考えています。
 「負けたほうがいい」という考えは、ニュアンス的に消極的であるように思え、本人が何も得るものや気付くものがないように思えます。
 私の職場は、殆どの人がやらなくてもいい努力や努力したつもり、現状維持に努めており、茹で上がったカエル状態です。
 やはり、公務員ですから、前例踏襲主義で既得権の塊です。
 たとえば、給料カットの話が出れば、現状が貰い過ぎていると言う認識はなく、何でカットになるのかとの不満が出ます。
 仮に、給料カットではなく、給料の1割を皆が負担して市債を購入し、将来の世代につなごうという話が出ても、賛同する人は少ないと思います。
 本来であれば、今まで育ててくれた役所に恩返しをするのが当たり前の話だと思うのですが、このように民間の社員も考えることができたならば、派遣切りの派遣社員の給料を複数の正社員が負担したり、仕事を分けたりすることも可能であると思います。
 私は、常日頃より、自分がしてほしいことを他人にもしようや、身の丈を知る、足るを知るということを頭の隅に置き仕事をしています。
 私の意見を長々と書かせていただきましたがコメント頂ければ嬉しく思います。 

 
 
 


Posted by 小松 at 2009年10月11日 16:43
 宋様、意味深いエッセイありがとうございます。人生についての深い洞察がなければ書けないですね。何人も避けることの出ない事実が待っています。それは「死」です。誰も自分の死とは向き合いたくはないですね。死という絶対的かつ避けることのできない事実と比べて人との競争の持っている意味は空しいものですね。
 日本のことわざに「負けるが勝ち」があります。この意味を今一度深く考えさせる名エッセイありがとうございます。さしずめ現代版吉田兼好の徒然草ですね。ありがとうございます。
Posted by 成沢義雄 at 2009年11月05日 11:04
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