なぜ「バカ」という言葉に馬と鹿が当てられたでしょうか。馬と鹿よりもずっと知能指数の低い動物が多いのに、なぜこの二つの動物が選ばれたのでしょうか。
実はこれには秦の時代の有名な史実があります。クーデターを起こした野心家は現職の大臣達の忠誠心を試すため、皆の前に鹿を連れて来させました。「これは馬だ!」と彼が大声で言うと「はい。馬でございます」と言った大臣を残し、「いいえ、鹿ですぞ」と答えた大臣を全員殺したのです。
保身のために真実に反することを言う人が「馬鹿」なのです。西洋の似た話として「裸の王様」が広く知られていますが、馬鹿に見られたくないために馬鹿になってしまう人間の弱みは、古今東西を問わずに存在するのです。
今の日本社会はまさに「空気」の社会です。常に「正論」になりそうな空気を読み、「安全」な立場に立ち、「正論」に加担する人が段々多くなっています。実はこれこそ社会が「馬鹿」になっていく過程なのです。
宋 文洲は処方箋を出す立場にありませんが、「馬鹿」を治す薬として「厚顔」をお勧めしたいと思います。皮肉なことに、人の嘲笑や批判を気にしないこの「厚顔」こそ昔も今も人々が馬鹿になることを防いできたのです。
先週の「宋メール」では新書の概要を書きましたが、一部の読者の方からの「宣伝か」というコメントを読んで今週のテーマを変えようかと悩みました。なぜかというと、今回も新書の抜粋だからです。(『「厚顔」のススメ』、小学館より)。
よく考えると私も「厚顔」が足りないと思って勇気を出して書きました。弁明に聞こえても仕方がありませんが、私は「売れるかどうか」にはそれほど関心がありません。伝えたいことを本にしたのですから、短くして宋メールの読者に伝えたいのは自然だと思います。
正直にいって今の日本は80年代に留学して来た時よりずっと住みにくくなりました。空気がきれいになり店もお洒落になったのになぜ住みにくいかというと、それは「社会の寛容さ」が失われつつあるからだと思います。
私の個人的勘違いかもしれませんが、すぐキレる人、些細なことに難癖を付けてくるクレーマー、学校の先生に当たり散らすモンスター・ペアレント、官僚と政治家が日本を駄目にしていると思い込む「正義の市民」・・・。人に厳しい人が増えると社会は住みにくくなる、これはもう昔から変わらないことです。
寛容の本質は人を許すことですが、「人」の中に自分も含めなくてはなりません。「空気」と異なる他人を許すと同時に、「空気」と異なる自分も許さないといけません。「空気」と異なる自分を許すとは勇気を持ち、「厚顔」になることです。
P.S.
お詫び:
前号で書いた私と威海市市長の講演案内の中に大きなミスがありました。威海市の人口は250万人であり、600万ではありません。まったくの単純ミスで本当に申し訳ございませんでした。
ちなみに知人の孫市長は「孫述涛」といい、私より若く1964年の生まれです。当日、同じく知人の劉茂徳副市長(58年生まれ)も同席します。理屈よりも中国地方政府トップの素顔をみていただければと思います。
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馬鹿の話を見ても、それこそ馬鹿馬鹿しい話ですが、難しいのは殺されてしまってはどうにもならないことかと思っています。
殺されない程度に、厚顔でいられるか。あるいは厚顔でいられる環境下にいるか。個人的な話ですが、現在の仕事でもそう考えることがたびたびあります。
宣伝、大いに結構だと思います。宣伝もひとつの情報です。それをどう活用するか、それは受け手の"義務"ですから。
語源を知らなかったので、馬と鹿のどちらが馬鹿なのかというくらいに思っていましたから。
人間、どんなに偉くなっても知らないことは多いですし、それを読むだけでも勉強になります。
宣伝云々で、文句を言う人も、自分を認めて欲しい、こういう偉い自分が読んでいるのに宣伝なんかするなと、勘違いをしている人ではないでしょうか。
いつも(知識が)自分は足りていないくらい、思える人が向上心がある人だと思いますから。
自分のブログで宣伝をすることに、クレームをつける人は、かなり、おかしな人だと思います。
良いお話も、宣伝も続けられると良いと思います。
あまりにも(間違った受取方とは思いますが)アメリカナイズされた考え方が、不幸にして世間に蔓延しているのではないでしょうか。
心ある人が宋さんの思いを受け取り、自分の糧とする、そういう今の環境は素晴らしいと思います。
伝えたいことを広める一つの手段に過ぎません。
「流行の(時代の、主張の)最先端を行くこと=宣伝すること」と中学の先生も言ってました、37年前。(^^;)
明日から夏休みなので、探して読んでみたいと思います。
閑話休題
確かに「社会の寛容さ」が失われつつあると思いますね。
「貧すれば窮す、窮すれば鈍す」と言いますが、最近の風潮は80年代にあった社会の元気さ・自由闊達さが感じられません。
あと、「正論に立つと反論しにくい」という、説得のテクニックがありますが、「虎の威を借る狐」みたいで、居心地が悪いです。
私も「厚顔」で対応したいと思います。(はい、甘いです。)
人に「バカ」と言ってはダメだと教えられ、わが子にもそう教えて来ましたが、「馬鹿」にならない勇気を持つことも教えないといけないと思いました。
日本のいじめの文化は、日本の「馬鹿」の象徴だと思います。子供社会では、自分が攻撃されないように、クラスの友達の一人に酷い扱いをする。大人社会では、他人の小さな欠点を集団で責め立てて、自分が責められないようにする。どちらも、その根拠が本質的かどうかは関係のないことが多く、「馬」だと言っておけば安全なのです。
会社でも同じです。ヒラメ社員というのは、ここでいう「馬鹿」ですよね。でも、もっと問題なのは、この秦の野心家のような幹部が居るということです。そしてそういった幹部から見た時に、「耳ざわりなヤツ」を上手に扱うことが難しいという文化的背景もあるのではないでしょうか。
下から上に意見すると「メンツが潰れた」という雰囲気が流れます。
実はここで「その通りだ」と言う、潔さを良しとしない人が多いのです。
部下が「厚顔」で居るためには、上司が「厚顔」で居ることが必要となるのです。
その場で小さな表現上のミスを徹底的に叩かれる。関係の薄い事項を取り上げて、意味のない矛盾を指摘して意見が間違っている雰囲気を醸し出す。そんなことは今話すことではない、と意見そのものを低く位置づける。時には、取り巻きの意見を誘導して、集中攻撃で非難する。
・・・部下が一人で厚顔でいることは難しいのです。
それでも、この「馬鹿」が多いと日本は沈むと思っています。
マスコミでも、まともな意見が出てこないので世論が巧く形成できずにいます。今度の総選挙がその良い事例だと思っています。
産業界等の各団体や協会で、自民・民主のマニフェストを評価して公表しています。今の日本にとって、今後の国民生活を支える基本的なところは何かを本質的に議論しようとしています。
家計に直接お金で影響がある部分ばかりが取り上げられますが、各分野でこれではいけないと思っているということだと思います。
国民も薄っぺらい情報でなく本質的なところで考えれるかどうかが問われているのだと思います。それが、「馬鹿」であるかどうかではないでしょうか。
国民が「馬鹿」でなくなることによって、政治が質の高い議論で行われることを期待しています。
若い人ほど異質なものを排除する。「空気読め」という言葉自体が、異質であってはいけない、といってるようなものです。
この前提は「議論はしてはいけない」という規制が日に日に強化されているからだと感じています。
モンスターペアレントとかクレーマーなどに対し、学校が争ったり、メーカーが毅然とした態度を取ることを悪いことのように表現します。
マスコミを代表として表現が非常にずるいと感じています。自分の意見を主張していることを、「意見を述べた」といわず「抗弁してる」とか「居直った」と修飾し悪い印象を持たせます。
「上から目線」という言葉も同様です。教え諭している行為を、こういう言葉で排除します。
結果、能力や主張の差をなくして、みんなが表面上だけ友達な社会になってしまいました。
正しい議論ができない風潮が日本中を覆っています。
宋さんは、「厚顔であれ」といいますが、今の日本で厚顔であることは、有無をいわせない権力がなければ孤立するだけです。厚顔な主張をとおすには、周囲よりもはるかに賢さを必要とするのです。
いつも楽しく拝見させて頂いています。
先生の文面の中に
先週の「宋メール」では新書の概要を書きましたが、一部の読者の方からの 「宣伝か」というコメントを読んで今週のテーマを変えようかと悩みました。
とありますが、先生ご自信が一番お伝えになりたい事を重複してでも伝えて頂けると私はありがたいと思っています。
先生が「御自分の考え方に理解できるもの同士でわかりあい、そうでないものとは笑顔で接していればいいのだ」と話しておられた言葉にもありましたが、このメルマガもそういった「理解できるものの場」ではないかと私は思うからです。先生の一番伝えたいと思われることが何かと重複していても私は一番読ませて頂きたいと思う文章です。ですので今後もそのような文章をメルマガに載せて頂ければと思います。
話は変わるのですが、先生が法政大学のご講演で、理解する事は、分けることだと言っておられましたが、あのご講演以降その分けると言うことを意識するようになりました。
そうする事により、仕事の進め方、会議のまとめ方、文章の表現の仕方、プレゼンの仕方など様々な事が今まで以上の成果を出せるようになってきたのではないかと思っています。ありがとうございます。他にもまだまだ気づかせてもらった事等あるのですがまた長すぎる文面になりましたので別の機会にコメントさせて頂きます。
今後とも宜しくお願いします。
法政大学経営大学院 加藤隆之
数年前、女子サッカーの日本代表の選手が
とある大会のPKで、
「空気を読まない!」と心を構えたあと
プレッシャーのかかる難しい場面で
豪快にシュートを決めました。
女子のサッカー選手って日本代表クラスでも
普通に西友のレジとかでバイトしたり、
会社員だったり主婦しながらだったりで
「なんでそこまでして・・・」って
視線に耐えながら、それでも競技を続けて
いる方も多いんで、
「空気を読まない!」って言葉が
彼女たちの日常ともシンクロして
心に残っていました。
確かに、今の日本で「空気を読めない」のは
痛いというか無駄なエネルギーや気苦労を
費やすことが多くなると思います。
偉い人に目をつけられ痛い目みるし。
そこらへんは、しれっと(笑)ぼくも
空気に合わせるようにはしてます。
でも、空気にあわせすぎると
自分の頭で考えなくなって
結局、偉い人の失敗や失政の影響をモロに
受けちゃうんですよね。
だから、
これは「馬だ!」という偉い人に
「はい!馬です!!」と口では言っといて
「あれ、鹿だよね、ホントは」で
いいんじゃないでしょうか?
まぁ、薄っぺらな薄顔ですが、
ぼくのような庶民はまず社会的に
殺されないことが先決ですから。
日本のおー様が裸だなんて、
高校生でもわかると思います。
でも、わかっていても、
常に厚顔でいられるほど、
宋さんや女子サッカー選手たち
のようにぼくらは強くないのかも。
でも、まず生き延びるために
自分の中にちゃんと厚顔を持ちつつ、
日本という特殊で限定された社会では
薄顔でまずは乗り切る。
そして、徐々に宋さんのメッセージが
世の中に浸透していったとき、
初めて厚顔でも薄顔でもない、
素顔でわかりあえる瞬間がくるんじゃ
ないでしょうか。
ってことで宋さんの勇気に感謝です^^
また、ググったその本の書評、
http://www.h2.dion.ne.jp/~muron/zousho06.htm
では
「専政者となった趙高がおのれの威権をたしかめるために、鹿を二世皇帝に献上したときに馬であるといい、群臣がそれに同調したので、皇帝が惑乱したという故事から、
「馬鹿」
という熟語が生まれた、というのは俗説であり、もとはおろかさをいう梵語で、その音に馬鹿という字をあてたのである。」
とありました。
//
今回の馬鹿の話、自分にも当てはまる事だと感じました。
周りとのやり取りの中で、物事が潤滑に進むよう意に反する事を言ってしまったり、常に寛容であろうとしていた事が、実はただ空気に同化していただけではないのだろうかと。
言いたい事ははっきり言い、周りと自分の状況を許す本当の寛容さが、今の時代必要なのだと思いますが、それを実行する勇気自体も今の人たちには不足しているのかもしれないですね。
しかし、それこそ気にしなくて良いと思います。
私はいつも宗さんのメルマガを楽しみにしているものですが、読まなくてもいいよという「新書」買いました。
寛容さが無くなってきたと言われて、改めて「そうだな」と思わされました。
物事は全て「正しくやらなくてはいけない」という「正論」が心の機微を押しやってしまっているように思えます。
とても貴重で良い考えだと思います。
めげずに続けて行って下さいませ。
社会が寛容じゃなければ、新しいことも生まれにくいのではないかと、とても危惧しています。
個人主義と無責任がどうも同義でとらえられているのではないかと思うのです。
個人主義には必ず責任が伴い、無責任はただのわがままなのではないかと。
なぜこのような社会になったのでしょうか?その原因は、合理的な社会を目指す過程で、それまで日本人の大きなバックボーンであった倫理観や宗教観が古いものとしてないがしろにされてきたからではないかと思います。
また、IT社会の成立によるデジタル思考がそれを促進してきたのではないか。その意味では日本だけではなく、先進国はストレスの多い、寛容性のない社会に突き進んでいると考えます。
法律だけで日常生活を円滑に進めることは難しく、その上部に位置する倫理観や宗教観を根底とした寛容の精神が必要です。それが今の日本には無くなった。多分明治維新のころにその社会体制を決定的にしたものではないかと思っています。
世間はぎすぎすしても、少なくとも自分だけはおおらかに他人に寛容に、八仙人の境地を常に心のどこかに忘れずに毎日を生活したいものです。
ただ、恥を知る人が厚顔になる(または厚顔になる努力をする)のは仰るとおり大切なことと思いますが、恥を知らない人が厚顔になると救いがないように思います。
こうした意見が元々恥知らずで厚顔な人(例えばいわゆるモンスターピアレンツと呼ばれるような人々)の自己弁護にならないかは心配です。
厚顔になれるかは分かりませんが、年を重ねていくとともに寛容さが大事なんだと痛感しています。
自分の口から発せられる事が、人を批難する言葉よりも褒める言葉が多くありたいと思います。
社員のモチベーションは上げるな
人が辞めない会社はヤバイ
ひとつひとつ見せられると気づかなかったかもしれませんが、三つのタイトルが並んでると、なんか宋さんの底が見えたって感じです。なんとなく目は引くかもしれませんが、すぐ飽きられますよ。
あ、余計なお世話か。
こんにちは。
いつもご意見拝見しています。
仰るように次第に人に寛容な社会でなくなりつつあるように感じます。
やはりそういう社会は閉塞感が漂い、生活しにくいと思います。
TVやマスコミによる報道も大きな影響していると思いますし、社会が偏った方向に流されるのは避けるべきと思います。
そういう方向に自分も流されいるのではと思う時が有りますし、宋さんの意見は或いは少数派かも知れませんが、ふと立ち止まり見直せるのは貴重だと感じます。
これからも奮闘を期待します。
こんにちは。
いつもご意見拝見しています。
仰るように次第に人に寛容な社会でなくなりつつあるように感じます。
やはりそういう社会は閉塞感が漂い、生活しにくいと思います。
TVやマスコミによる報道も大きく影響していると思いますし、社会が偏った方向に流されるのは避けるべきと思います。
そういう方向に自分も流されいるのではと思う時が有りますし、宋さんの意見は或いは少数派かも知れませんが、ふと立ち止まり見直せるのは貴重だと感じます。
これからも奮闘を期待します。
ご指摘の通り、日本は住みにくくなっております。私は、「おたがいさま」の気持ちの喪失が、その要因のひとつではないかと考えています。ひとりの力だけで生きているのではないことを忘れ、自分を支えてくれている人やモノに感謝の気持ちを持てない人が多くなっています。
「金で買えないものはない」と豪語した人もいました。そういう生き方を賞賛する社会は、自分以外の全てに感謝して慈しむ人を育てられないでしょう。
日本という、世界でも稀に見る素晴らしい文化を持った国でありながら、とても残念です。
別に昔を懐かしむ、ノスタルジー的な考えでなくとも、20年程度前の日本は、こんな生きにくい国ではなかったと思います。
下世話な話で恐縮ですが、例えば以前であれば満員電車でたまたま置いた自分手の甲に、素敵な女性のお尻が当たったしまった時「ラッキー」と内心幸せな気分になれたものです。
この気持ちに偽りはなく、また罪はないはずです。
また、これ以上を望むこともなく、その一日が幸せな気分で過ごせました。
ところが今は、それさえも痴漢になる、犯罪になる、リスクだらけです。
ラッキーどころか、犯罪者になるのではと、ハラハラドキドキ、冷や汗ものです。
ここまで人の心を過敏させるものはモノは何なのか。
心の豊かさと遊びの喪失に、偽弱者の権利を煽るマスコミなどの影響があるのではと考えてます。
史記で秦のニ代皇帝胡亥の時代に、宦官の趙高が権力を見せつけるために皇帝に「これは馬です」といって鹿を献じ、官吏が皆揃って「これは馬です」といったエピソードかと思います。このときに「鹿です」と言った官吏は宋さんの書かれているとおり後で処刑されています。
ある意味厚顔になったがために処刑されたり、企業の内部告発の制度を使ったら、逆に報復人事を受けたという話もありますので、加減の難しいところです。
でも、馬鹿だと思っています。
要領が良くなければ、厚顔でも馬鹿になってしまうのです・・・(悲
そんな見方があるとは思いませんでした。
私なんか、著者ご本人が要約を書いてメールで教えていただいたのですから、
これで、本を買わなくても良いかも
という見方をしてしまいました。(スミマセン)
おっしゃるとおり、なんか洗脳されてる感が強まっている気がします。
でも、一人ひとりと話すと、そんなことないの人も多いのですけど、、、。
そういう人と、被洗脳クレイマーや洗脳しようとする人との乖離が大きくなっているような。
自分でちゃんと考える、
せめて、宋さんの発言に目を通そうとしている人(含:自分)から、小さくても波ができれば良いな なんて感じています。
今回はこの一言に尽きると思いました。「他人」のことばかり気にするから、こうなってしまうのではないでしょうか。いま英国で働いています。確かにメディアはいろいろ騒がしいですが、少なくとも職場環境は日本より寛容です。足の引っ張り合いは、ずいぶん少ないと思います。
この違いがどこから来るのか考えてみました。自分なりの結論は、日本は集団社会であり、子供の頃から「他人との比較」で競争したり、価値観を見出したりするため、どうしてもその癖が抜け切らないのではないでしょうか。ありきたりの答えでしょうかね。
現在は集団意識のメリットよりもデメリットの方が目立つようになりましたから、少しずつ変えていかなくてはなりません。子供の主体性を育てるのがいいのではないでしょうか。経験上、子供の頃は「積極的にやった方がいいこと」よりも、「やっちゃダメなこと」をたくさん教えられた気がします。してはいけないことばかり教え込まれると、だんだんと人の目が気になるようになります。怖いのは、今度はそれが「他人に対する目」に変わることです。短所を注意するのはほどほどに、どんどんやった方がいいことを奨励すれば、主体性も育ちますし、他人にも寛容になると思います。
英国に関してもう一つ付け足しですが、彼らの良いところは、他人の意見を尊重するところです。一度「こうだ!」と主張すれば、重大なミスがない限りはチャレンジしてきません。とても寛容です。ただし、同時に彼らの特性も理解する必要があります。良くも悪くも、物事の大筋さえ会っていれば、多少の細かいミスは気にしません。良くも悪くも「気が付いてしまう」日本人には、とても難しい注文です。メリットとデメリットのバランスですが、多少雑でも寛容な方が、遥かにストレスが少ないと感じます。
カルチャー的なことなので、急激に劇的に変化することはありえませんが、一歩ずつ。
電話090-6962−5208
ユニコの森 村上こどもクリニック院長&非営利型株式会社代表取締役&米国公認NLPトレーナー 村上博
その場限りの論評を好まれる方が居られます。このような方を観察していると、先の事や、よく考えておられない様です。その証拠には数か月もすると変説されるケースが多いのです。立場が変わって助けられる側になったときには、すっかり忘れられて第一の被害者になられます。ボランティアなど善行には、厚顔+打たれ強くならないと物事は成就できない気がいたします。
いつも、気がつきにくい視点からの提言にハッとさせられることが多く、日々の参考になります。
馬鹿につける薬はないともいわれますが、「厚顔」、これは効き目がありそうだと感じました。
厚顔では死んでしまうので、馬鹿にならなければ生きてゆけません。
これは「馬鹿のススメ」とも言えるのではないでしょうか。
力の無い者は日本の組織の中で生き延びなければ、私生活を楽しむ事はできないのです。
日本社会で幸せになるためには、苦しくても馬鹿にならなければいけません…
ありがとうございます。いつも楽しく、時には感動すら覚えながら愛読させて頂いてます。その割には、コメントしなきゃ〜と書き込み始め、「途中で、こりゃあまずいなあ〜」と、それっきりタイミングを逃してそのまま〜が何度もあります。申し訳なく思っています
今回のテーマ「厚顔のススメ」に従い、コメントさせて頂きます。
先ず、「馬鹿」の語源を初めて知りました。面白く分かりやすいですね。
ご承知の通り、私は大組織に40年超、在籍しました。有り難いことに、その組織は「馬」は「馬」「鹿」は「鹿」が比較的通る組織でした。比較的と枕詞をつけなきゃならないのが、ちょっと残念ではありますが・・・充実したビジネスマン人生だったと満足していますし、信条の一つ、「自分にだけは嘘をついてはならない!」を貫き通し、時にはそれが、自分にとっては必ずしも得にはならないことと分かっていても、信条に従って来ました。そのことが、他人からの信用を得ることとなり、その後の新たな、縛りのないステージで、多少なりともお役立ちできていると感じる充実した日々に、つながっているのではないかと思っております。
空気を読むなどと言う言葉が無かった頃、では類義語は無かったかと言えばそんな事は無いと思います。昔から、特に日本人は、周囲の目を気にして生きてきたのだと思います。ただITの発達を主要因として(他にも理由はあるでしょうが)、情報伝達速度が上がり過ぎたために、人々は他人の言動に、これまで経験したことがないくらいセンシティブになっています。社会的弱者がインターネットを通じて発言権を得た事も影響していると思います。
余裕が無くなっている現在、若者達、就職や結婚もままならないアラサー世代等が”空気を読む”理由や必要性というのは、我々が想像している理由とは違うようです。読み合う事の連鎖がお互いの首を絞めていますが、やめたら生きて行けないという脅迫観念を持っているのではないでしょうか。
言ってることとやってることと思っていることが違う文化の方々は多いし善悪でも無い。
空気は自分で勝手に読むもの。
ここにコメントされた皆様たちと、お会いしたいな。
夜、六本木のクラブで朝まで。
そんな日もたまには、いいのでは?
今回も楽しく読ませていただきました。
厚顔ですか・・・同感ですね。
それしかないでしょ、今の少なくとも日本で正気でいるためには・・・。
社会の寛容さとはすなわち自分がその立場になったらどうなのかということを常に考え続けることだと思います。我々一人一人が他人のことをとやかく言う前にそれが出来るようになれば社会は住みやすくなると思います。
なぜならば、自分もその立場だったら同じことをするかもしれないと少なくとも私は謙虚にならざるをえないからです。だからといって、なんでも許すわけにはいきません。言わなければいけないことは勇気を持って言わなければいけません。しかしその時は言っている自分も辛いものです。
とにもかくにも自分のことを棚にあげて他人に偉そうなことを言う人が本当に多いですね。裏を返せばそれだけ自信があるんでしょうね。ある意味でうらやましいかぎりです。
本を探して本屋さんを6軒回りました。
本屋さん、もっと置いて下さい。
感想:
・「君子は和して同ぜず。小人は同して和せず。」
納得。多様性の可能性を信じています。
・「我孫子」orz。
そーだったのか。勤務先、ここにある。
中国の方に名刺出しにくいなぁ。(^^;)
・「活」
終身雇用も教育コスト的にはメリットあるし、
大企業だと会社内転職っていう手もあります。
・「仁」
息子たちの名前に付けてます。
以前、バイト先の社長が「今日はみんなで焼肉だッ。ところでお前、焼肉食べたことあるか?」と地方出身の私にこう聞きました。答えはもちろん、「ありません社長!今日は私にとって初焼肉ですッ」でしたね。
その答えに社長は大変満足そうでした。
もちろん、私も焼肉くらいは食べますよ。でも、先輩から都会で生きるには「馬鹿」になれ、と教えられましたね(笑)。知っていても「知りませんでした、いろいろ教えてください!」と言えと。
う〜ん、こんな世界、自分には合わないなぁと思いましたね。
自然体で生きたかったんだと思います。
宋さんが言うように、モチベーションは無理に上げなくてもいい、そして厚顔で物言う、そういう生き方です。
今はアジアで気楽に過ごせることに満足してます。
ささやかな欲。対してー無欲の大欲ーと呼ばれるものもある。多分、馬鹿でアホな人達だけがそれと共にいる。なぜなら、やはり短期的には大損や身の危険と隣合わせだから。<馬鹿は賢い、賢いは馬鹿>その時々で何が得で何が損なのか、何が正しくてなにが間違っているのか?は人間万事翁が馬。今日の常識は明日の非常識。
自分の考えは常に正しい、などとと言うと、一般的な日本人はきっと、恥知らずで、あつかましいと批判するでしょう。
自分の考えは間違っているかもしれないから、正しいかどうか、お伺いをたてないといけません。
誰か正しいことを知っている人たちがいて、その人たちが正しいとすることをする人が正しく、後は間違っているのです。
自分の考えが常に正しいなら、自分以外の全ての人の意見は間違っていることになります。
しかし、自分以外の全ての人にとっても、その人自身の考えは正しいのです。
つまり、間違っている人は誰一人いないのです。
ということを最近考えていました。
誰かの判定におびえてストレスでぼろぼろになるよりは、自分はいつだって正しいし、この人たちだって正しいんだからいいでしょう、と思うほうが幸せですし、
何より誰かの行為に対応して振り回されることが少なくなります。
これが厚顔であるのなら、むしろ厚顔でありたいと思っています。