何だろう、この違和感。講演の後に受ける質問ですが、ビジネスのテーマなのに天下国家の「大きな」質問が多いのです。「中国がどうなるか」、「インドがどうなるか」、「格差をどう思うか」と。経済の自立が問われる地方に限って「大きな」質問が多いのです。
先日、ある地方の経営者向けの講演会の質問時間に「格差の大きい中国はどうなるか」と聞かれました。本音では「外国を心配するよりもここ日本の経済を心配してください」と言いたいところですが、さすがにそれはルール違反ですので「わからない」と断った上、私見を述べました。
主催側の依頼で講演後の立食パーティに出席したら今度は「中国は8%の成長がないとやっていけませんから、今回の危機を乗り越えられますか」と聞かれました。自国のマイナス15%を気にせず他国の6%成長を心配するこの余裕はいったいどうやって生まれたのか不思議です。
どんな小さな業界団体の会合に出ても開会式や乾杯の挨拶は決まって国際情勢から始まり国家の現状を通じて会の話に落ち着くのです。型通りの作法といえばそれまでですが、「大きな」話をする癖がこういう雰囲気の中で身に染まるのだろうとつくづく思います。それは中国の文化大革命によく似た風潮です。
天下国家に無関心でいいと思いませんが、「大きな」話に熱を出す人はだいたい自分のことを棚に上げている傾向があります。ソフトブレーンの経営から身を引いた私はよく「まだ若いのだからもっと社会貢献しないとダメですよ」、「日中の架け橋になってくださいよ」など、「大きな」ことを言われます。昔の中国共産党の書記に会った気分になります。この違和感はたまりません。
今の中国共産党でさえ、そんなきれいごとは言わないのです。私は自分の家族、友人、知人、顧客、あるいは同じ地域に住む人々、そして何よりも私は自分のために生きるのです。他人を尊重することも思いやることもそして愛することも全部自分のためであり、無条件な奉仕ではないのです。
世界に関心を持つことはいいことです。国をよくしたいことはいいことです。しかし、そんなことを思って日々の活動をしている人がいるでしょうか。困難に直面した時に結局心の支えになるのは家族の愛や友人の情けやチームの結束ではありませんか。
日本の書店に入ると、カバーに「日本」という文字が踊る本の多いこと。皆が「大きな」話が好きですね。天下国家、憂国憂民なのです。最後に必ず批判で終わります。「国がだらしない」、「政治家がダメ」、「マスコミがおかしい」は定番メニューです。
私はかつて「一日も早く会社に貢献できる人間になります」と豪語する新入社員に言いました。「あなたは会社のことを心配してくれなくてもいいからまず自分の給料を稼げる人間になってください」と。
日本に貢献したいならば日本に頼らない人間になることです。その時、GDP1.5倍の国債は初めて減少に向かいます。世界に貢献したいならば異なる価値観に寛容になることです。その時、世界はより戦争から遠ざかります。
P.S.死ぬ思いがあれば・・・
韓国の元大統領が自殺したと聞いて悲しみましたが、「なぜそんな愚かなことを!」と腹が立ちました。
生きている人間は毎日確実に死に近付いて行きます。どんなに愛している家族とも、どんなに美しい風景とも、いずれ永遠に別れるのです。このメールを読んでいる皆さんもどんなに頑張ってもいずれこの仕事も手放す日がくるのです。
人生は「人が生きる」ことなのです。ただ生きる、それだけでよいのです。小鳥が鳴くのも鹿が跳ねるのも生きる意味を理解したからではありません。
生きること自体は素晴らしいことです。死ぬ思いがあれば闘いながら生きる勇気をもってほしいものです。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/120339251
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。
この記事へのトラックバック
http://blog.seesaa.jp/tb/120339251
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。
この記事へのトラックバック


















が・・・・
なんだろう、この違和感・・・。
>「大きな」話に熱を出す人はだいた
い自分のことを棚に上げている傾向があります。
わかった!「それって宋さんのことじゃないの?」と思っちゃったからだ。
ところで、テレビの報道関係の番組に出てるような人の講演だったら、私も「大きな話」の質問しちゃうと思います。そういうことを質問しても答えられるひとではないか、と想像してしまうので。
それがどうでしょう。今や自分がその職場環境にどっぷりと浸かり、おそらく周囲は、かつて自分が思っていたことをそのまま感じているであろうと思います。
定年という文字も少し先にチラチラとみえてきました。今は、こんな自分を放り出しもしないで仕事をさせてくれている職場に、少しでも恩返しができればと思っています。
自分を磨くことを怠ってきた自分にどれほどのことができるとも思えませんが、あきらめたらそこで終わりですから、とにかくできる限りのことをして去っていきたいと思います。
それが今の自分にとって(むろん、これからも)一番ハッピーだと感じていますので。。。
今回の「天下国家」の話は結局、自分(会社、仕事も含めて)の将来の行動を決める上で、少しでも知見のある方からのヒントがほしいからだと思います。
まして、質問を受ける方が各方面で活躍しており、さまざまな情報を持っているのでないかを期待しているのだと思います。
しかし、結局は自分一人が動いても国家が変わるものでもないので、おっしゃる様に、自分の今できる目標を全力でやるしかないのでしょうが--。
奮い立たせています。仕事で側面から協力しょうと考えてやっていたところ情報不足でいつのまにか主管業務になり、手続きのミスに繋がってしまいました。トップからは人格までけなされてしまい、命までとられることは無いと思い、また励ましてくれる上司も多く、ここで気持ち入れ替えて
次回のメールを楽しみに待つことにします。応援メッセージ有難うございます。
はじめてメール差し上げます。
橋本美紀と申します。
このあなたのメールは、私のところへ、「必然」として届きました。
まるで、私がPCの前へ戻ってくるのを丁度まっていたかのように
(そう、絶対に待っていてくれたのです)
すーっと表示されました。
このメールは退職した者あての転送のメールです。
そして、今日、私は休業日です。
きっと、あなたも「必然」に気づかれている方だと存じます。
> 友人、知人、顧客、あるいは同じ地域に住む人々、そして何よりも私は自分の
> ために生きるのです。他人を尊重することも思いやることもそして愛すること
> も全部自分のためであり、無条件な奉仕ではないのです。
本当にその通りだと思います。
私も、つい最近、本当の意味を理解しました。
理屈として、精神論としてではなく、感じるものとして。
> 世界に関心を持つことはいいことです。国をよくしたいことはいいことです。
> しかし、そんなことを思って日々の活動をしている人がいるでしょうか。困難
> に直面した時に結局心の支えになるのは家族の愛や友人の情けやチームの結束
> ではありませんか。
私、そう思って日々生き始めました。
野望を抱くことにしました。「国際平和」です。
自分でも笑ってしまうような、その野望を認識してから私の世界が変わりだしました。
たくさん、書きたくなりそうなので、この辺で失礼しますが、
私は自分でもよく理解もしていないのに、あの日の朝
ニュースでこの悲しい報告を聞いた時に、涙があふれてとまりませんでした。
そして、悔しくて悔しくてなりませんでした。
正直、私は政治は苦手ですし、世界のことも日本のことも知らな過ぎて
時々恥ずかしく思うぐらいでした。
でも、ある時から、はっと、「必然」がやってきて、すべてが納得できました。
辛い思いをしてきたことも、あの人にあったのも、これを手にしたのも...と。
そして、何故かニュースでも毎日、今まで以上に感動するようになったのです。
でも、その中にとてつもなく悲しい思いを感じ、涙が溢れたのが
彼の訃報だったのです。
> P.S.死ぬ思いがあれば・・・
>
> 韓国の元大統領が自殺したと聞いて悲しみましたが、「なぜそんな愚かなこと
> を!」と腹が立ちました。
>
> 生きている人間は毎日確実に死に近付いて行きます。どんなに愛している家族
> とも、どんなに美しい風景とも、いずれ永遠に別れるのです。このメールを読
> んでいる皆さんもどんなに頑張ってもいずれこの仕事も手放す日がくるのです。
>
> 人生は「人が生きる」ことなのです。ただ生きる、それだけでよいのです。小
> 鳥が鳴くのも鹿が跳ねるのも生きる意味を理解したからではありません。
>
> 生きること自体は素晴らしいことです。死ぬ思いがあれば闘いながら生きる勇
> 気をもってほしいものです。
そう、私も「生きているだけでいいのに」と思いました。
不思議なことに、その直前に、新大統領が北朝鮮に対して違う政策をとった
ということにも、何故かわからず、感動しました。
そして、訃報...
全く基礎知識も何もありませんでしたし、お金がらみの話がでているのも
後から知りましたが、あの死は、
「自分が誤った政策をして国民を違う方向へ導いてしまったと思ったことへの、
気づきの思い」からの死であったのではないかと感じたのです。
なぜかわかりません。勝手にそう思っただけで、そして、それは涙の後で
私なりの推測がついた感じなのです。。。
> 生きること自体は素晴らしいことです。死ぬ思いがあれば闘いながら生きる勇
> 気をもってほしいものです。
自分をも赦し、自分が赦せた人たちを思い出して欲しかったと思います。
でも、今は、死さえも、起きてしまったなら仕方がないし、
死んでも終わりでなく、ひょっとしたら、また何度でもやり直せるとさえ
思えてきています。。。
矛盾しているのですが、死はそれさえも悲しみではなく、残されたものへの
再生の気づきであり、悲しみも飛び立つときのエネルギーでしかないのだと.....。
私は自利利他の文化に生まれ育って幸せだと思えました。
他のすばらしい文化とともに。
では、今日も素晴らしい一日をお過ごしください。
P.S.あなたとも、そしてまた、ブログに書くことになり、出会えたあなたとも必然なのです。
/橋本美紀
でも、悲しいことに、生きる方法をなくしてしまう人達がいて、死を選択をせざる得ない人が現実にいます。その現実は、どう受け止めればいいのですか?教えて下さい。皆、死にたくなんてないはずです。
それは宋さんがそれほど偉いと思っているからくる質問です。宋さんの話の内容から、例えば中国が8%成長が出来れば、日本がどれだけ影響を受け更に自分の企業が又自分がどういう影響を受けるかを考えるためではないでしょうか?
その意味では是非宋さんの考え方、見方を披露して下さい。それをどう判断するかは質問者・聴衆者の責任です。大変な仕事ですが、よろしく。
国が悪い、政治が悪い、マスコミが悪いと私も思います。だから、今回は政権交代を実現しなければならないと思います。私が投票権を持っているのですから。最近新聞の購読をやめました。テレビもあまり見ないようになりました。今のマスコミも一度つぶれて新しいマスメディアが生まれて欲しいものです。宋さんが云われるように嘆くだけでは意味がありません。自分自身の問題として考えねばなりません。
それよりも、P.S.の内容がすばらしかったです。
自殺率世界一の日本にとって、自殺がどれだけいけないことかという教育を正面から取り組めないものかと思います。
未だに社会には「自殺で責任をとる」ことが美的に報じられることもあり、そのたびに憤りを感じます。
そのために自分に出来ることといえば、まず自分が自殺しないこと。そして家族に何故自殺がいけないか命が大切か説き続けること。そのために希望が持てる社会を、挑戦が賞賛される文化に少しでも寄与していきたいと考えます。
誰もが自分の身近に悩みを持ったり、矛盾を感じたりしてると思います。しかし、それを他人に伝えるのは恥ずかしかったり、ちゃんと理解してもらえないという不安があります。
あまり親交の無い人間に対して話を振るには誰にも共通の「大きな話」がてっとり早いし、宋さんのように活躍している方は知識も豊富だろうと考えるので、質問を投げかければ面白い話が聞けるかもしれないと思ったのではないでしょうか?
「国がダメ、政治がダメ」という話は私も好きではないです。そう言う人は本気で国や政治家が自分の暮らしを良くしてくれると思ってるんでしょうか?まさかそんな筈ないですよね。
そんな楽観的な考えを持てる程、恵まれていれば苦労は無いです。
偉そうな事言ってますが、自分もダメな所はたくさんあるので、直すよう努力しなければいけませんし、少しくらいは自分の事を棚に上げて喋らないと、何も話せなくなってしまいます。
いろいろ書いてしまいましたが、宋さんのメルマガ楽しみにしています。これからも頑張ってください。
勿論、他責人間も多くいますが疑問質問は頼れる方だからこそだと思うのです。
私も100%自責人間ではありません。
いろんな出来事をいろんな要素のせいにしてしまうこともしょっちゅうです。
宋さんにはもう一度自己分析を、おかれた立場を、みつめてほしいと感じました。
なまいき言ってすみません。
「俺が麻生ならこうする」と浅薄な受け売り話と独善とを交え、“正義の味方を演じているのです。
影響皆無の駄法螺話・大きい話はストレス発散になるのですヨ。
日本人の知恵ですよ。宋先生。
病気のことや、家族の不安を話題にするより
はるかに体に良い・・・?
P.S
>・・・最後に必ず批判で終わります。「国がだ>らしない」、「政治家がダメ」、「マスコミが>おかしい」は定番メニューです。
メルマガに同掲されている米倉氏の文章と対比すると、ちょっと面白いです。。。
天下国家の行く末を気にする前に自分自身を磨き高めることを考えましょう。
そういう大きい話が好きな人は、、どんな講演であっても知恵であっても、自分の卑近な問題解決につなげられない人なんです。
問題を解決するには、プライドを捨てて「自省」という作業が必要です。できない人は多いのが事実です。
然しながら、会合の席で違和感を唱える人達のほとんどが決して小さくない組織のリーダー的な存在でいるのは何故でしょうか。
今、日本の新聞、テレビ等で流される情報を鵜呑みにしているからでしょうか。
足元を見つめ、しっかり立っていれば以外に遠くのことがみえるものです。
自分の頭のハエを追う前に天下国家を論じるの、私は悪いことではないと思います。生活はだらしなくても、大きな業績をあげる人はいます。偉人と言われる野口英世もそうです。人間として私は彼を嫌い(これも書物で読んだだけなので正しいかどうかはわかりません)ですが、業績は素晴らしいと思います。
ただ、今回の事例にあるように、日本を心配する前に中国を心配する。好意的に解釈すれば、これは宋さんが中国人だから言っている外交辞令のようなものかも知れません。そうでなければ、私も宋さんの受け取り方に賛成です。多分この種の人は自分を大きく見せるために、話題を大きくしているだけでしょう。
結局判断できるのは、その人の話だけではなく、行動も合わせて考えないとうかうかと判断はできないのではと思います。
私は、的を外れるかもしれませんが、「Think globaly Act Localy」という言葉が大好きです。その積み重ねが世界を変えていくと思っています。でもその反面、それをリードしていく立場の人が、足元を見ず、改革に突っ走っていくのも必要かと思っています。
身近なところではっとしましたねえ、それなりの役職で会社方向を考える打合せに参加する身 天下国家を語る大きな話ではないけれど 自分のことは棚に上げて会社が、部下が、システムが・・・ います。
方向性を語るとき 自分が出来ることを前提に語るべきか 自分のことは横に置いといて語るべきか・・・
個人的には前者でありたいですね。
天下国家を語るより身の回りのことをきちんとしようという提案まさに同感です。私は小さいながら会社を経営しておりますが経営者とスタッフの意識の違いが顕著に現れるのが今回のメルマガの内容と思います。何はともあれ会社は利益を出さないとつぶれてしまうという現実があり、スタッフにはそのためにしっかりと働いてもらわなければならないのですが、スタッフの意識はまさに天下国家になりがちですよね。でもこの意識の差は中々埋まらないものと思います。今回の宋さんからのメルマガも会社のスタッフに転送することは致しません。次回のメルマガも楽しみにしております。
大きな話には、抽象的な事例が多く、自分の関与が少なくて、努力してもしなくてもさほど影響がないケースがほとんどでしょう。要は、自分とはあまり関係がないのです。
その点、小さなな話であれば、より具体的になりますし、自分一人の影響が大きくなってきますね。そうすると、自分の主義主張がはっきり分かるようになると思います。
そういう私?
私は日々の細かな仕事を黙々と続ける者です。
宋さんは、宋さんもお持ちの中国人の劣根性を日本人の中に見出した時、ムカっと来るんでしょうね。
それに、中国人に会って、中国の事を訊くのは当たり前じゃないですか。
保八がどうかだって、経済なんてお互い影響してるんだし、そういう発想をする宋さんがいかがなものかと思いますが?
以上、小人の意見でした。
あ、それと、共産党がきれいごと言わないなんてウソ言わないでくださいよ。
本当にそう思ってるなら簡体字で「胡錦涛、早稲田」、「温家宝、国会」を検索してみてください。ああ、やっぱり、そんなヒマないでしょうからしなくていいですよ。どうせしないんでしょ。
今回のコラムは共感するところが多く、はじめてコメントを書きます。
この四月からタイに赴任し、外から見た日本をはじめて体験しています。日本の特異さに気づかされると共に、愛国心が芽生えます。日本が世界の中で生きていく為には、まず自分が世界の中で価値のある人間になる必要があると思ってます。己を知ることの難しさをあらためて実感してます。
自分がどうするのか考え、行動する。これが今一番、自分にも日本人にも足りていないことと思います。まず自分から変えていきたいと思っており、今回のコラムに共感しました。
以上です。
っというより書けません。
「自分は少しでも多くの人の為になりたい。」
「人の喜ぶ姿を見たい」
そう思って信じています。
"死"の足音を聞いて以来、その価値観すら揺らぎかけています。。。
本当に皆さんが「大きな」事が好きですよね。多分「普段からそこまでの事を考えているんだ」と主張する事で自分の存在意義を確認しているのだと感じています。
「見ている人はちゃんと見ている」っというかつての日本の価値観はとっくに崩壊したのでしょうね。
むしろ人の悪い部分に固執した価値観を持つ方が多いのも良く耳にするので仕方ないかもしれないですね。
「生きること自体は素晴らしいことです。死ぬ思いがあれば闘いながら生きる勇気をもってほしいものです。」とのコメントに触れて、正岡子規の言葉「悟りと言う事は如何なる場合でも平気に死ぬる事ではなく、“平気で生きて居る事”である。」を思い出しました。
年齢を重ねるに連れ、こういう言葉にとても触発される様に成りました。
天下国家を論じる前に、目の前の自分のやるべきことを一生懸命やるということが大事というのはごもっともですが、有権者としては時に天下国家を考えることも必要です。国政選挙の時誰に、どの党に投票するかは、誰にどの党に自分の国の舵取りを任せることができるかで決めるべきだからです。しかし自分一人或いは「おらが村」の利益だけを考えて投票する人が多いからこそ、地元への利益誘導至上の金権政治家が増え、国全体がおかしなことになるのです。
市会議員や村会議員ではなく国会議員であり、まして次の総理を目指していた小沢一郎氏が、国会には出ずに地元回りばかりしているのはその象徴です。
官僚もしかりで、国家国民全体の利益より省益私益しか考えていない輩の不正が後を絶ちません。
しかしあまりに「大きな」ことを考えるのも問題ですよね。やたら「友愛」を唱える民主党党首は「日本列島は日本人だけのものではない」と、大きな博愛主義に基づく?ことをおっしゃっていますが、日本の総理になったのなら日本人のことを優先した政治をしてもらわないと困ります。
私はだからこの党には絶対投票しません。
P.S.
韓国の元大統領の自殺ですが、本当に自殺と決めつけて良いのでしょうか?
前大統領であり容疑者である人間なのに、そのとき警護の人間がつていなかった。
遺書は自筆ではなくパソコンの中にあった。
疑惑の捜査はただちに打ち切られた。
疑問に感じることが多いです。
「日本に貢献したいならば日本に頼らない人間になることです。その時、GDP1.5倍の国債は初めて減少に向かいます。世界に貢献したいならば異なる価値観に寛容になることです。その時、世界はより戦争から遠ざかります。」
「日本は」「日本は」と口癖のように言う人たちは、結局、何も変えられないことが多いのだと思います。求められているのは批評ではなく行動なのですから。
初めて生の声を聞かせていただきましたが、イメージしていた雰囲気と違っていて違和感を覚えました。
メルマガの文章では常に冷静な判断をされてニュートラルな印象を持っていたのですが、結構毒舌で感情的な発言や強弁的な印象が否めませんでした。
いいとか悪いとかではなく、講演のテクニックと言えばそうなのでしょうが。
そこで感じるのは、目の前の課題に対して、具体的なアイデアもなければ行動もしない、他人がやったことを高い目線から評論だけしている人ほど、大きな話をするという傾向を感じています。
今回のお話、大変共感しました。
私も宋さんの書かれたことに対して感じた違和感がありました。
日本語の集合名詞は、宋さんの考えているものよりも
もっと曖昧でかなり広い意味を持っているものだと思っています。
例えば、新入社員から見た「会社」とは、会社の経営者や利益を
指しているわけではなく、隣の席に座っている人だって「会社」ですし、
仕事をする場所も「会社」です。
一緒に仕事をする人に迷惑をかけない、ということだって
会社に貢献している、という言葉で表すことができるのです。
「日本」についてもしかりで、政府や国家の体制を指し示すわけ
ではありません。私は日本で生活していますが、私がいま吸っている
空気だって「日本」です。日本で生活している以上、「日本」という
言葉が巷に溢れていても私はそんなに疑問には感じません。
「天下国家、憂国憂民」は、それはそれでそういう問題があることは
事実ですが、混同して欲しくはないです。
そうやって我々の言葉を振り返ってみると、新しい発見があったりしませんか?
天下国家を論じる人はしばしば足下が危なげです。 でもね、民主主義を支える人々はたまには天下国家の事を考えなくてはいけないのだ・・と思います。なぜなら、我々が選ぶ政治家には日本の事、世界の事を考えて貰わなくてはなりませんから。今、日本の政治家を見ると、自分の選挙区の事、自分の身内の後継者の事ばかり考える人が多く、その志は著しく低いのです。彼らを選んだ選挙民が、本当の意味で「大きなこと」を考えなかった為だと思います。
問題提起は極端の方が分かりやすいが、現実社会は常にその中間にあると思う。提起された極端事例を警鐘と受け止め、普段の振る舞いに生かせればいいかと思うが、いかがでしょうか。
でも、世の中自己満足のために天下国家を論じる連中が多いのは私の周りだけじゃなかったことを知っただけでも私は満足した。
確かに、そういう人は決まって偉い人が殆どだ。役立たずだけどね
今回も常日頃不快に思っていたことそのものずばりです。
「大きな」話に熱を出す人は自分のことを棚に上げている傾向があるということと、天下国家を論じる最後は何かの批判で終わること、まさしくですね。目の前の仕事・やるべきこともロクにできずに、天下国家も隣国中国の成長も、あったものではないですね。
経営状況が悪い言い訳を先にしておいて責任逃れしているようにも思えますし、自分が大きくなったような錯覚に陥ることができるのかもしれません。あるいは単に関係各方面に配慮しなくていい安心ネタなのかもしれません。
コメントで民主主義云々を述べていらっしゃる方もいらっしゃいますが、本当にそうなら選挙のたびに投票率の低さが話題になるはずがないでしょう。
自分と家族と身の回りを大事にできなくて何が天下国家かと思います。
こういう経営者や政治家が訓示垂れるとろくなことがないですね。そういう人って明治維新の功労者や戦国時代の武将を好み、人に押し付けたりもします。小職も小さな経営者ですが、実はそういう「偉人」の殆どは好きではありません。何かウソ臭い。
なぜウソ臭いか少しわかりました。ありがとうございます。
「死ぬ思い」の件も同感です。小生も憤りを感じました。証言し事実を明らかにし次世代への教訓としてこそその人が生きた証と思います。死んだらオシマイ、その人はそれで楽になるかもしれませんが、それこそ卑怯そのもの。
切腹の伝統からか「死んでお詫び」と日本では言いますが、死んだら詫びれません。残された家族や関係者が余計に困るだけです。
いつも楽しく拝読致しております。
『大きな話し』『中国の経済情勢』、宋さんに聞いて、
『で、どうするの?』
という感じがしますね。
でも、【自分も大きな世界経済の話をして高名な講演家と意見交換したんだ】
という自尊心のためと、
【日本は中国頼りなんだから中国の動向が気になる。宋さん詳しいから聞きたい】
という他力本願思考がベースの、でも質問者本人からすると社交辞令的質問として、
発せられる質問だということも考えられますね。
きっと、『私は自分の会社を経営する上で、●●を知りたいので、そこを知るために先ずは中国経済が・・・』
という質問であれば宋さんも、
『それが知りたいのなら中国経済のその部分ではなく、こっちなのではないか・・・』
とか、『それは中国経済というよりも貴方の会社のこの部分から・・・』
という回答がなせるわけですよね。
とにかく、それらの質問の主旨は、
『経営者たちの今ここで知りたい命綱』という意味での質問でない、
聞かれた宋さんにすると、『何でいまその質問なの?』ということには変わりなかったと思います。
韓国の話は、確かに、本当に自殺であればいけない事だと思います。
でも病ならば、医学的・科学的にそういった判断も出来ない脳(精神状態)であろうから、止められないことかと。
事件という可能性もあるでしょうし。。。
では、またいつも通りメルマガを楽しみに待っております。
黒田幹雄
1.質問者はあらかじめサクラで主催者から当たり障りのない質問をするように頼まれている。
2.せっかく偉い方が来たのだから、せせこましい質問では失礼になると思っている。
3.天下国家を論じる自分が傍から見ると、かっこいいと思っている。
大昔の私の経験ですが、地域の芸術活動の話でNHKのラジオに出演したときのことです。
NHKは明らかに「ボランティア」とか「社会的意義」とかを期待してましたが、私が地方で芸術活動を続けるときの採算性の話を延々としたら唖然とされました。公の場でそういう話は、主催者も困るのでしょう。というか、主催者の意識が固まってしまっているのでしょうね。きっと。
こんにちは。小板橋と申します。昨日工藤建設での講演会の際にごあいさついたいましたものです。
講演を聴き大変勇気がわいてきました。
少なくとも今は大きな問題を口にするまえに自分のことを自分の問題として自分の責任で真剣に考えてみようとおもいます。その結果自分のことよりも大切な問題を真剣に考えられるようになれればと思います。
少しでしたが会話できうれしかったです。ありがとうございました。
一緒に掲載されている米倉教授のコラムとも関連しますが、日本人がやたらと天下国家を論じたがるようになってきたのは、将来に対する不安が根本原因ではないかと思います。三丁目の夕日の時代には、現在の暮らしが貧しく苦しくとも、3年後には今よりよくなる、5年後には軽自動車くらい買える、10年後には小さくても家が持てるかもしれないという希望がありました。また、自分より自分の子供の世代には、より豊かになっているだろうという安心感がありました。だから、天下国家など語ることなく、「格差社会」などといって足を引っ張ることなく、皆(でもないでしょうけど)自分のできることを頑張ったわけです。
一方、現在はどうでしょう?
国(官僚)や政治(家)やマスコミのせいにしたくはないけど、どこをどうしたって、今より将来が豊かになる材料はありません。無論、そんな中でも、人は自分だけは豊かになろう、自分の子供だけは格差の底に落ちないようにしようと、頑張るわけですが、これは高度成長期の頑張りとは、同じマインドではありません。どうしても拭い切れない不安があるわけです。年金ひとつとっても、自分が受け取る率は、どう考えても、自分の親より少ない。自分の子は、もっと少ない。こうした情報が満ち溢れるなかで、どうしたって、何かよい兆し、きっかけ、希望のようなものは無いか、人は渇望しているわけです。また、日本がこのようになった原因には、当然グローバルな状況の変化も無視できません。ゆえに、天下国家、世界情勢に関心を持つのは当然の結果なのです。
天下国家を語る前に、自分のできることをしろ、というのは、あまりにも短絡的。そんなことで、現代日本人の不安は取り除けないのです。なぜ、人が天下国家ばかり語りたがるようになったか、その原因を分析して、その原因を取り除かない限り、この病気は治まらないでしょう。
結局自分のできることを頑張るしかないんですけどね。
でも、時には天下国家を語って、国や政治やマスコミの悪口を言って少しストレス解消したっていいじゃないですか?それほど不安な時代なんだから。
国際人として、経営のプロとして、そして評論家である宋さんに、国際情勢についての質問があるのは当然のことだと思います。
そして質問者も、大勢の前での質問ですから、少しは格好をつけて、下世話な内容ではなくそれなりに大きなテーマを質問するのでしょう。 多少は質問者の立場も分かってやって欲しいと思います。
それから、他国のことを心配するより自分のことを心配した方が良い、とのことですが、今の世の中は全部繋がっていて、以前はアメリカがくしゃみをすれば日本は風邪を引く、と言っていましたが、今や中国、ヨーロッパのくしゃみもアメリカと同じに働きます。 ですから、国際社会の情勢は貿易国である日本にはとても重要で、それは宋さんのよくご承知のことでしょう。
また、景気が悪い、派遣社員が首を切られて失業率が増えている、などと言われていながらも、日本、いや日本人の心にはまだ余裕があります。 大半の人は衣食住に困っている訳ではなく、漢字テストなんかにはまったり、そして首相がアニメおたくだったりしています。 日本人とはそういう人種なのです。
個が全体に配慮する事無く得手勝手に振舞えば法は省みられる事無く無法、若しくは、私法が罷り通るようになります。
日本民族は、良きにつけ悪しきにつけ全体主義ですからこれは一度負けたくらいで変わるものではありません。実際は絵空事ですが、相互扶助の感覚だけはまだ消えていないように思います。だからこそ自分よりも人の心配をするのだと思います。(お人好しも多いですし)
そのような民族だからこそ自国のエゴの為に環境に配慮しない他国へも必要以上に配慮出来るのだと思います。
いつも拝読しております。韓国の前大統領の自殺には驚きました。せっかくここまで生きてきていらっしゃったのに・・・と思います。
今も通院中ではありますが、うつ病とうまく付き合いながら復職してから早くも1年が過ぎました。
今はただ、自分の目の前に与えられた仕事を効率的にこなす、ということに専念しています。私が属する組織の長は常に「改革、改革」と叫んでいますが、それよりも増して大切なのは、当たり前の事が当たり前に行われていなかったという事実です。この事実に直面している現場の者にとって、「何が改革だ」という思いが募るばかりです。
当たり前のことを当たり前に出来るようになって、初めて「改革」と叫ぶことができるのではないでしょうか。私たち現場の物は、過去の汚物と必死になって闘っています。しかし、そのことは私の属する組織からすれば評価の対象にはならないことでしょう。それでも、いずれ新しく赴任される方にとって嫌な思いをさせないためにも必要なことをやるまでのことです。
自分自身が納得できれば他人の評価など気にしない、それが今の私のスタンスです。天下国家を論じる気はさらさらありません。言いたい人が勝手に言ってくれ、という感じです。
若いときから日本のIT業界に怒りを感じてましたが、いい年になって自分が日本を何も変えてきてないことに気が付いて、必死で何か出来ることがないか探しています。
40過ぎてから本当の自分探しとは情けない限りですが、気づいた以上、やらないわけにも行かないですよね。
自殺についても同意見です。生き残ってきたから生物なのであって、生きることそのものに意味があると思ってます。または、遺伝子のエゴに負ける必要はないと。
匿名で申し訳ありません。顔を出せるだけの人徳が持てればよいのですけど。
宋さんの言われている事は、普通の市井の人間が言っても相手にされない事ばかりですが、宋さんのようなエラい方が言うと、周りの受け止め方が全く違います。(皮肉で言っているのではありません)
つまり、今回おっしゃっているようなことを、就職面接で言ったら、まず採用されないという事でもあるわけです。
「自分の給料を稼げる人間にな」るためには、大きな事、天下国家を論じるふりをしなければならないのです。
天下国家を論じる事が大好きな、自分の事を棚に上げて人を批判する事に身をやつすことが大好きな、承認欲求が肥大化した団塊の世代以上の方々は、いまだしぶとく、なかなか社会から退場しようとしません。
そして、彼らに迎合しなければ、若い世代は生き延びられないのです。
悪貨は良貨を駆逐するのは世の常です。
そういう世界では、宋さんが嫌う大きな事を論ずるのが、マナー、そして、処世術というものではないでしょうか?
要は危機意識が薄いんですよ。
「まだなんとかなる」と思っているからそういう行動を取るんです。
明日の100万円の手配がつかなければ倒産するという状況ならば,他国の経済成長など気にしている場合ではないからです。
また外国人が偉そうに他国のことを論ずるのが気に入らないこともあるのでしょう。
嫌なら聞かなきゃよいのですがね。
ただ他人の死生観については,どうのこうのと言うことは控えるべきですよ。
宋さんや賛同者の人々は死ぬほど苦しんだことがないのでしょうね。
誰も自殺者の気持ちにはなれないのですから。自殺者から見れば「大きなお世話,存命中になんで助けてくれなかったの?」ですよ。何とかしようとする気がないならば,
どうのこうのと言うべきではありません。
貴殿のメルマガを毎回拝読しておる者である。
はじめの内は貴殿の生い立ち、経験、思考に斬新さを感じ共感も得たものであった。 しかし最近の貴殿のメルマガには独善的な言辞が多く見受けられるようになったと感じるのは拙者のみなのであろうか?
自分のことを差し置いて大きな話をすることはたしかに滑稽です。宋さんのおっしゃる通り私を含め日本人には自立心が足りない人が多いのでしょう。
自立心は大切ですし、いざとなったら身近な人々しかたよりにならないのも事実です。
しかし、自分や身内のことしか考えず社会にマイナスな影響をあたえてまで稼ごうなんて人は浅ましく感じます。
中国人にも信用されていない中国産の生野菜など、自分のことしか考えていない経営者が多いことの証左なのでしょう。
まさに岡目八目。外国の方の視点でみると自国の変わった点を意識させてくれます。
諸先輩方のご意見を拝見してきました。
私自身、一番心強かったのは、
「人は自分のために生きる」
ということでした。
よく、こういった話になった場合、
自分のために何かをする・・・
といった話をすると、とかく
独善的に受け取られがちですが、
あさましいとか、さもしいとか
そういうことでなく、自分というものに
正直になれば、みんな、自分のために
生きているはずなので、
その考え方が、好きです。
足元を固め、自分のために
生きていきたいと思います。
しかし常に森を見て、自分(達)の望む目的地を確認するのは欠かせないことだと私は思います。
自分の給料を稼ぐことに腐心するのは目の前の人参を追わされているに過ぎず、会社が馬群を正しく導いている時のみ有効では無いでしょうか。
会社に、そして社会に貢献したいのならそいう思考停止状態こそが悪だと思うのです。
中国の成長率にしろ、日本を含めた世界の景気に大きく影響するから心配しているだけなのではないですか。つまり人の心配に見えても、実は自分の心配なのです。
余計なお世話だと言いたくなる気持ちは大いにお察ししますが、大流を感じない人々の中では次のリーダーとなる人は生まれないのも事実だと思います。
人間は生まれる、時も場所も親も選ぶことが出来ません。唯一出来る事は自裁する事のみです。何が悪いことでしょうか。
どんなに大きな志を持っている場合でもそれを実現させるためには、やっぱり目の前の小さな問題に向きあって、出来る事からコツコツと一つ一つ片付けていく他にはありません。そういう地道な作業は、多くの場合なかなか先が見えないし簡単にはいかないでしょう。
その苦しさと真正面から向き合えている方は、きっと宋さんに向かって「大きな話」はなさらないように思いますが、すべての方がそれだけの静かな強さを持っていらっしゃるとは限りません。
地方の経営者といえばそれぞれの組織でのリーダーですよね。今までと違い、「右にならえ」方式が選択肢に見つからず、リーダーとして自立を求められていることが辛くて仕方ないのかもしれません。
むしろ、無意識にその苦しさから逃れたいという思いから、宋さんと共に「大きな話」で苦しさからひと時でも解放されたいのかもしれません。別の言い方をすれば、宋さんの前向きのエネルギーで励ましてもらうにはちょっと自信が足りないのかもしれません。
私は、人間はそれぞれ目の前にある課題に誠実に向き合えば、必ずその苦しさを超えて落ち着くべきところに落ち着く事が出来るし、心も平安を感じるようになり、ひいては世の中も平和になると信じています。今はきっとそのための生みの苦しみの時期だと自らに言い聞かせながら日々を生きているところです。
宋さんのメルマガを楽しみにしています。広いご経験と人脈をお持ちの宋さんから気前よく率直なご意見をお伺いできて本当にありがたく思っています。お礼がてら一言申し上げました。
時々ここにコメントを書かせていただいております、中国在住邦人です。
天下国家をあるいは世界を(地球を?)論ずる大きな話、それはちょっと違うだろ...その違和感わたしも日々感じます。民主民主と選挙権さえなく国政投票の経験さえないおじさんたちがタブロイド版の新聞を読んでその社説そのままに受け売りして議論を吹っかけてきます。行ったこともないのに日本は日本はと彼らの罵声を日本人のわたしは浴びます。市井の人は皆日本人であれ、中国の方であれ、自分の考えを(よく練ったうえで)お披露目するよりはメディアの受け売りをしてかっこつけたいのです。その程度のことですよ。そして、メディアに露出する宋サンはその答えを用意してしかるべきと皆が期待しているだけです。それでも辛抱強くお答えになる宋サンには敬服しますよ。
5/20の講演,71歳の私にも聞く機会を与えていただき有難うございます。さらにサインまで戴き感謝いたします。
講演会での質問者には,講演者の意見を聞くというより,自分の意見に賛同してほしいという傾向が強いようですね。自分の意見をとうとうと述べ,どうだ俺の云うとうりだろうという人が多いようです。他の人から見るとそれだけの信念があるなら何もこの場で質問しなくともいいのにと思われます。はた迷惑ですね。「質問」ということが分かっていないのでしょうね。
政治に問題があると言う割には、現在の国会議員を選挙で選んでいるのは自分のはずという前提が抜けているようにも思います。日本のすみずみに、言葉にはされないけれど「出る杭は打たれる」という空気が充満していて、流される人生を自ら選択している人が多い気がします。
このような現状を打破するために、まずは個人がチャレンジ精神を持つべきというのはその通りです。
しかし、
自分に部下がつき、さらにその部下にもまた部下がつくようになったとき、いつまでも個人主義を貫いていると多くの部下に迷惑がかかります。上の立場になればなるほど、利己よりもマクロを見られる人でないと務まりません。
想像ですが、宋さんの講演会にいらっしゃる方は、そのような立場の人が多いのではないでしょうか。
在日中国人として、宋さんの華々しいキャリア(国費留学生、東証一部上場企業の社長、見事なリタイア、ベストセラー著者、メディアの人気評論家)、とてもうらやましいし、尊敬しています。しかし、宋さん最近の発言を聞いて、なるほどと思う一方、なんかいらいらされているじゃないかと思われます。
マスコミでのコメント、メールの発信など、やはりあるの人たちに聞いてほしい、共感してほしい、そしてコミュニケーションの場を広げたいじゃないかと思います。そうであれば、怒るだけではなく、落ち着いて、自分の意見や思いを相手に伝われば、十分だと思います。
宋さんは自分のスタイルがあるかもしれませんが、上記のことはあくまで一視聴者の意見でございます。
いつも読ませていただきながら感想・意見も言わないマジョリティから勝手に1歩出ることにしました。
宋さんへの質問は日本人の特徴とお考え下さい。日本人は対話の相手の気持ちを汲み取ろうとし、ついつい話題が宋さんがコメンテーターで出演している番組に沿ったものになり勝ちなのです。ホントはもっと身の回りのことを話したいのですが、宋さんが同列の方でなく感じるのだと思います。私も大学の教授とパーティ等でお話する話題はついつい相手のことを気遣ったテーマを出してしまいます。たぶん教授も私のことを気遣ってくれているのではないかと思います。
また、日本人は相対的にしか自分を見られない人種です。常に周りからの目や意見を気にし、それによって自分の位置を確認してきたのです。大昔においては自然であり、中世であれば大陸であり、近代であれば欧米や中国であります。悪いことではありませんが、四季によって変わったり、大雨、台風で”ちゃら”になることが少しずつ日本人の性格を作り上げたと思います。日本人はオハラショウスケさんです。だから回りを気にし、鼓舞しなければ頑張れないと思うのです。
ではまた・・・
ことは直ぐ目に留まる。
人間とは本当にエゴイスティックな動物な
のですね。知らず知らず、そのような傾向に
なっている、宋さんに指摘されるようなこと
を言ったり書いたりしている人が僕を含めて
何と多いことか。
人のことを言う場合は誰しも気が楽なので
しょうね。
それが、途端に自分のこととなると、その
進路がなかなか見つかりにくい、それがある
ものだから、人のことをつい言ってしまうの
でしょう。
自分のことがわかっている人は言わずにお
そらく実行するのではないでしょうか。
私の思い過ごしかもしれませんが、前韓国大統領の亡くなったこと(自殺?)と時間的に非常に近かった北の核実験。この二つは全く無関係なんでしょうか。親北の元大統領、自殺?そして核実験。やっぱり気になります。
全く舵の取り方を誤ったかに感じられるアメリカ元大統領。同じく舵を取り違ってしまったと考えた元韓国大統領。
その結果でしょうか。
P.S 宋さんに中国の行く末などを質問するのは、宋さんが中国でお生まれになったことを知っているからではないでしょうか?日本人的な発想による会話だと私は思います。
岸田秀さんと山本七平さんの対談で出てましたが、日露戦争における日本海海戦で東郷平八郎が
「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」と言ったのに対して、トラファルガー海戦におけるネルソン提督は、「英国は各員がその義務を全うすることを期待する」といっています。
つまり日本の場合は、「伝令兵だろうがなんだろうが、全兵士は国の興廃がかかっていることを頭に叩き込んで戦闘に当たれ!」としたのに対し、イギリスは「全兵士は、予め分担された役目をきちんと全うすること。つまり伝令兵はきちんと伝令することに全力をあげることで義務を全うし、国の興廃まで考えなくてはよい」といえます。
このあたり、今の日本でも十分に継承されているのではないでしょうか。
また、「自殺はいけない!」や「命は大切だ!」や「人間が生きるのは、鹿や鳥と一緒!」にするのは、問題の本質を見誤っていると思います。
自殺とは、他の動物とは異なり、人間のみが実行する非常に「人間的な行為」だと思います。
それはつまり、「自己の個体」を破壊してまでも、何かを「回避する」という目的をもって実行されます。
人間も動物ですから死の恐怖を持っているわけですが、それと回避したい「何か」を比べた場合、
死のほうが軽く思えた結果だと思います。
その「何か」が何であるのかを見定めようとせず、闇雲に「いけない」や「ただ生きればいい」とするのは問題の解決になりません。
まず、人間と他の動物を「生きる」意味について同一視するのは、無理があるのではないでしょうか。
ミミズは自分の人生や生きる価値について考えもせず死ぬまでいき続けるでしょうが、人間はそうでしょうか?
宋さんは、例えばあるきっかけで友人や家族からさえもあなたの「生きる価値」を否定され、孤立無援となっても、
「ミミズと一緒でただ生きていけばいい」と思えるのでしょうか?絶望したりしないのでしょうか?
また、死と「何か」を比べた結果、死を軽くする原因は、その人の内面なりその国の文化なりに
あるのではないでしょうか。
例えば、「死んだら無罪放免となって、逆に同情される」という文化がある場合、
真実を明らかにするためとして生き続ける結果が、さらに自身の評判を落とし、
周りの者の評価も落として迷惑がられ、自己のこれまでの価値を失ってしまう
恐怖を覚えたとしたらどうでしょう?
逆に、死んだとしても無罪放免意はならず徹底的に調査が行われ、
必要とあらば死体を引きずり出して鞭打つような文化がある国だとしたら、
自己弁護の機会が失われるような自殺を選ぶのでしょうか?
一国の大統領であった人が自殺したことについて、このあたりをきちんと考える必要があると思います。
以上
私は経営者として、この先の米国経済がどうなるのか、中国の社会がどうなるのかを、いろんな角度から情報を集めようとするのは、ごく当然のことと思います。現にアメリカでのサブプライム問題が直接関係のない日本にまで飛び火しているのではないですか。中国についても、もしも社会的混乱がおきたら対岸の火事では済みません。
もちろんこれらに関する情報は巷に溢れています。ただ往々にしてそれらは正確でないか誇張されていることが多いのです。ですから信頼のおける人から、生の情報をとりたい、というのが本音だと思います。
逆にこれらに無頓着で自分の仕事だけしていれば良い、と言う方が経営者としてどうかと思いますが、いかがですか?
久しぶりの投稿になります。
今回の投稿者の中で宋さんの話がそもそも大きな話じゃないかという意見が気になったので投稿しました。
宋さんの揚げ足を取って宋さんの意見を否定しても進歩はありません。
それは中国人に日本人のなにが分かるという論調とあまり変わりません。
やはり私は今回に関しては大きな話ばかりしてもあまり意味がないという意見に対して意味があるという意見を述べるべきだと思います。
確かに、大人の表現として矛盾していませんかという気づきを相手に与えることは大切なことかもしれません。
ちなみに今回私は宋さんがどうして15%マイナスより他国の6%成長を気にするのか分からないということに関しては、「宋さん、それはまさに他国に頼りたいからでしょう。私はそんなに不思議に思いませんよ。」と言いたいですね。
ありがとうございました。