「大新聞の恥」と題した前回のメルマガについてたくさんの皆様からコメントをいただきました。本当にうれしかったのです。
経験、知識の限界に、思い込み、勘違いのくせ。私の文章には、このような限界とくせが常に入っています。これは謙遜ではなく本音です。実は書きながら既に自分の意見に反論している時があります。
弁明ではないのですが、前回の場合、文章を書きながら「新聞以外のニュースもチェックしなかった自分が悪いよね」と思っていました。あえてこのような反省文を入れないのは文字数を節約し、テーマを「新聞の改革」に絞るためでもありますが、完璧ではない自分を素直に皆様の前に晒したかったのです。
テレビは全く見ないのではなく、気に入った少数の番組を見ています。多様な価値観とニーズに、柔軟に対応できない地上波の現状に不満を抱いているのはたぶん皆様も同じだと思います。多様性に対応できないから流行りのテーマを追いかけたり、無難なタレントに頼ったりするのです。私のテレビ業界の友人達も同様な危機感を持っています。
実は事件当日の日曜日は、一日中野外で農作業をして夕食の後はすぐ爆睡しました。翌朝は早起きしましたが、締め切りになった原稿の追い込みに励んだ後、そのままタクシーに飛び込みました。ネットやメールをチェックする暇がなかった、稀なケースです。
もう古い人間になったのかもしれませんが、ネットがいくら発達しても朝の新聞は楽しみです。あの匂いとあの重量感。トイレで読むのもまた良いのです。いくら時間がなくても、パラパラと見出しを眺めるだけでも日本や世界で起きた重大な出来事がすぐわかります。
新聞が完全にネットにシフトし、紙による発行がなくなる日が来るかもしれませんが、悲しいお話です。紙の新聞を愛しているからこそ一斉の休刊に「恨み」を持ったのです。部数という量に拘らず紙の新聞を愛する客層に絞った新聞の経営改革を行ってほしいと思います。
数を絞れば無理な売り込みも要らなくなり、価格や流通の改革も可能になるはずです。コメントでいただいた理由は一応、私も知っていますが、経営改革とは横との比較ではなく、既存制度の改善でもありません。変化したマーケットを直視し、ビジネスプロセスそのものを見直すことだと思います。
経営改革を行っても10年後の日本に紙の新聞はもうないかもしれません。それは10年前の98年に今の世の中を想像できなかったことと同じです。しかし、そうだとしてもそれが過去の新聞の仕組みと商習慣を維持する理由にはなりません。
「10年後の朝。私はネット端末の電源を入れ、それを持ったままトイレに入ったり、ベッドに戻ったりするだろうか。嗚呼、するかもしれない。世の中に慣れるしかないからなあ…」。この記事を書きながら最後にこんなこともふっと思いました。
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私も最近のテレビは(慣習的につけてはいますが)あまり見ません。
やはり、つまらないからです。
そう言ってしまうと話は終わってしまいますが、テレビがこれからも身近なニュースソースであり、手軽な娯楽であることに当分変わりはないと思います。(少なくともあと5年くらいは)
私もテレビで育った世代です。小さい頃はよく見ました。ところがここ10年ほどは本当につまらなくなったと思います。
お笑いやバラエティーと称する番組の質は論外ですし、報道系も掘り下げ方が安易なものや、やたら「弱い者の味方」的なふりをする番組が多く、さみしい限りです。
「テレビ屋」さんたちの奮起を期待しています。
テレビを見なくなった分、私も新聞をよく読むようになりました。
ただ、A紙はいただけません。
30年以上、A紙を取っていたのですが、昨年、N紙にかえました。
理由はA紙の論調がテレビの報道系と似てきたように感じ、鼻につき出したからです。
(もっとも、A紙の論調が変わったのではなく、私の考え方が変わったのだと思いますが。。。)
A紙にもう少し大人になってほしいと願うばかりです。
とりとめのない話になってしまいました。申し訳ありません。
最後に一言。やはり人はバーチャルの中に浸っていてはいけないと思います。
昨今の凶悪事件を見聞きするにつけ、切実にそう思います。
死ぬまでペーパーベースの新聞を読み続けたいと願っております。
http://info.seesaa.net/article/97689559.html
こちらに消し方載っております
新聞の休刊日は初めは「新聞配達の少年」に休みを与えるので、どうか休ませてください、といってはじめたことですが、既得権益は増やしても、減らさないと言う汚い面が出ています。誰もこれに文句をいえないのは残念です。
宋さんのお考えに同感するところもありますが、時代は必ずしも欲しているようには動かないものですね、私の創造的予測では、多分TVに現状の新聞の形式で配信されるでしょう。画面での新聞紙面は、何とも取り扱いにくさの点でモドカシサを感じますが、画面のはみ出した部分は、きっと目線を追っていけるでしょう。と言っても、既に解決済みのことばかりですが、そのような媒体を私は拒みます。しかし、私が置いてけぼりを食らうだけですが。
宋さんの文章を見ていると下手な日本人よりよほど日本人らしいと言うか私の明治時代の祖父の世代、侍の精神を感じてしまいます。
昨年ですがテルモ和知会長のお声がかりで医療機器業界向けに講演をしていただいたときに、文章だと完璧なのに話し言葉、講演はなんであんなにおかしいのだろう?内容はとても素晴らしいのに???と不思議に思ったものです。
私は1960年生まれで宋さんよりは少し若いつもりでおります。しかし全く同じように思っていることがわかり安心しました。朝の新聞ですね。だから進歩がないんだとかトイレで新聞読むのやめなさいって小学生の娘には言われてます。
「10年後の朝。私はネット端末の電源を入れ、それを持ったままトイレに入ったり、ベッドに戻ったりするだろうか。嗚呼、するかもしれない。世の中に慣れるしかないからなあ…」
そう!これこれ!やっぱり紙でないとね。と言いつつも実は私の仕事は業界紙の記者なんです。
また、面白い文書を期待してます。
シャープな人だな言うのが印象でした。
今回の大新聞、 弁明では。。の両方を見て、貴方は俺が間違ったのは 新聞、TVが悪いからだ!と聞こえます。
この考えは あの秋葉原の犯人と同じ考えと思いませんか?
親が悪い、社会が悪い、女性が悪いだから俺はやったんだ。。。
変な引き合いを出さず、ストレートに新聞、TVを批判した方がよいと思います。
貴方の人格が損なわれます。
今後も頑張ってください。 小西 洋
私は、新聞については斜め読みしかしませんが、その機能の重要性は認識しています。情報を収集する機能以上に、自分や会社の行動が世間の認識を受ける可能性を作る機能があり、一旦紙面化するために垂れ流しをするのではなく見解を纏めているところにあります。
リアルタイムに報道をするとどうしても垂れ流しとなりますが、事実から何を読み取るべきかが本質的な目的のはずです。その意味でも新聞の意見は重要なのです。
この場を借りて、浅野元県知事のコラムにもご意見させて頂きます。
私は大阪出身の人間ですので、浅野さんのおっしゃることはよく分かります。
地方の良さもあるのに、それもやっぱり全国区で正しく認識して欲しいと思います。宮城県でも、塩竃のお鮨を頂きましたが、東京では食べられない美味しさがありました。日本全国の各地にそういうものがたくさんあるのだと思うのです。フランスでブルゴーニュワインは旅をしないと言われたように、やはりいくら東京でもどうしようもないものが地方にはあるのです。
ただ、10年以上住んでいて思うのは、東京が奢っているのではなくて、全国でそういう意識があってそれに応えているだけのことなのです。マスコミはそういうところには敏感であるような気がします。副都心線は特にそういう要素が多いのだと思います。
耐震についても単純に住民数ベースで10分の1の東京都かも知れませんが、人口の集中度で地震時の危険度が二次関数的に増大していくことは考慮されています。浅野さんの言われるのが、それが経済性を考慮してしまって足りないという意味であれば、確かにその通りかも知れません。
これを読んで、知事をされていた頃の浅野さんとは違ったのだなと思いました。必要とされるような公共事業を削減して批判が多かった元知事の意見のようには読めませんでした。「お金のかかる耐震補強も起こってからでは膨大なお金になる。」「首都機能を移転させるのにお金はかかるが、万が一のリスクを考えるとここに投資すべきだ。」というところに「必要なものには、ちゃんと投資しないといけない。」「将来を見据えて、今、何が必要なのか考えないといけない。」といった意識が窺えました。
こういった意識は非常に重要なのだと思います。一般工学・IT技術だけでなく、環境技術でも建設技術でも日本はトップ水準にいます。経済の基礎は金融ではなく、こういった「技術」にあるのです。ここで世界をリードすることは、国内の経済発展にも重要な要素となるのです。将来の世界像から見て何が必要なのか、という視点で政界のリーダーが指導力を発揮してくれることを期待します。
TVやインターネットに休刊日はありません。でも、休んでいない訳ではなく、シフトを組んでて、スタッフは週休2日ぐらいなのでしょうし、日数ということなら、新聞配達の方より、多く休んでいるでしょう。
輪転機の点検とかもやっているみたいですが、根本的には、シフトで休めないギリギリの人数で新聞を配達していることが、宋先生が違和感を覚えた「休刊」の一番の原因のように思います。
絵空事ですが、全紙の集配所が「全新聞集配」を行うデリバリ専門機能として統合し、規模と地域独占的な優位性を持てば、配達員のシフトも組め、労働条件も向上するのに、、と思う事があります。
定期刊行物の雑誌書籍も、このデリバリ機構に載せたら、収入機会も増えるのではないでしょうか。私も週刊月刊、何誌か取ってますが、バラバラに配送されてきますから、地域に根ざした新聞集配所に統合すれば、合理的なように思います。(素人考えでしょうが。。)
電力自由化で「送伝と発電の分離」が議論になるのですから、新聞社も「配達と発行の分離」が議論されてもおかしくないですよね。
結果はどうあれ、少なくとも、議論だけでもしてもいいんじゃないでしょうか。
新聞を配達するシステムを便利だと思っている私や宋先生のようなニーズがある以上、一度は議論して欲しいものですよね(笑)
紙媒体の良さは、ネットでは代替できないものと思います。媒体は選択肢が増えこそすれ、異なる特質のモノは並存していくのではないでしょうか。10年後もトイレで見出しをパラパラとめくる楽しみはちゃんと残っていると思いますよ。
ただ、ここが宋さんのおっしゃりたいところと思いますが、だからこそそれに甘んじずに不断の経営改革をしてほしい、一斉休刊日とかではない工夫をもっとして従業員の休暇はちゃんと確保しながらサービスを止めない工夫も含めて、各社が経営改革をしてほしいと、そういうことですよね。
そういう意味では、新聞に限らず、あやゆるマスメディアは同じ状況にあるように思います。今回の浅野さんの問題提起も同じ根っこですね。地方出身の首都圏居住者として、まったく同感です。
ポイントは
・文字を小さくしてデータ量を増やす
・60歳以上の識者からのコメントを8割カットし、代わりに若手から聞く
・ABCを離脱して公称部数にする
・無代紙、景品などの販売促進費を半減し、月額購読料を1000円以上下げる
・夕刊を全廃する
・海外で50人、国内で100人の契約記者をつくる
・ルポライターや週刊誌編集者を入れる
などです
宗さんの予測される未来をふせぐため、どなたか優れた経営者が改革してくれればと思います
私は、48歳の男性です。
今回 はじめて 投稿させていただきます。
「大新聞」のコメントなど読ませていただきました。賛否ありますね。
意見の表現方法は、その人の知識や年代、学習量が繁栄されていて、面白く感じますし、興味深く、感心もします。
なかには、眉をよせる意見もありますが、それも大事なものと感じました。
さて、なにが私のコメントの要諦は、意見とは必ずしも一致しないと言うことです。
しかし、無言では折り合いもつけられないので、このような場は大切かと思う。
つまり、感謝の投稿です。
私の意見は、「大新聞」・・・の意見は、賛否を醸し出す、ある意味良い記事だと思いました。
しかし、一方で、ちょっと一方的であり、表現の「大新聞」の大という字を使うのは適切でないと、思いました。
何故か、それは新聞に大小をつけることは、偏見です。
会社の大小(株式・発行部数など)定義はあるのですが、新聞の中身に大小はないと思っています。
良い記事は、良い記事です。
それと、人は立場で生きるものです。
宋さんは、日本の歴史に造詣が深く尊敬していますが、地域毎の歴史観が微妙に違いがあり、全体を表現イコール、部分表現とならない場合もあります。
長文 申し訳なく。
お身体 大切に。
そう考えさせる理由を述べることは釈迦に説法となりますので控えますが、我々はそろそろ「マスコミ界を正す会」のようなものを立ち上げて、何らかの行動を起こすべきではないでしょうか。それとも、そんな行動は今の時点では徒労に終るとお考えでしょうか。お考えをお聞かせ下さればこの上なく幸甚に存じます。
新聞の良さは活字が止まっていることです。テレビは一瞬で消えます。
どんな大事件でも1秒後には消えています。
新聞は見出しの大きさで事の重大さを表現できます。
テレビはアップをしたとしても切り抜きに過ぎません。
音を大きくしたところで重大さは伝わりません。うるさいだけです。
新聞は紙面から良くも悪くも判断ができます。テレビは結論を流されるだけです。
ネットでニュースは見れるから、新聞をやめようと思うことはありますが、まだ踏み切れていません。
新聞にはまだ泥臭さ、人間の汗の匂いがします。配達する人の顔が見えます。
宋さんと同様、私もなぜ新聞社が同じ休刊日を設定するのが理解できないでいました。休刊日に大事件が起こったらどうするのでしょう。読者の要求より業界の都合を優先させている現状に憤りを感じます。こんなに堂々と談合がまかり通ってよいのでしょうか。
宋さんは「紙」の質感に魅力を感じられているようですが、私は内容だけに興味があるので、紙版と同じ内容をコンピュータに配信してほしいと願っています。というのも、私はたびたび海外へ出張するのですが、その際には配達を止めてもらわなければならないからです。購読しているのに、出張中はサービスが受けられないことに疑問を感じています。読めた日分だけ購読料を払うシステムもありません。
新聞社はもっと柔軟なシステムを開発して、読者の利便性を高めてほしいと願っています。
(液晶プレート1枚、チップで配達・・等)
某最大手の新聞ですが、三つ折りにした場合の見出しや、白地の反射具合、手でつかむ部分に企業名を印刷しないなど、実は隠れた部分で潜在的なサービスが施されています。
海外のことはわかりませんが、日本の企業ってすごいな などと感じてしまいます。
そんな視線でみれば意外な楽しみもありますよ。
余談で申し訳ありませんが・・
毎回気づきをいただいています。
\\\\
経営改革とは横との比較ではなく、既存制度の改善でもありません。変化したマーケットを直視し、ビジネスプロセスそのものを見直すことだと思います。
\\\\
再度肝に銘じます。
京ネット中村秀明
本日記事に、読者からのコメントがうれしかったとありましたので、私も書きたくなりました。
私は、メディアに対してメディアを通してメディア批判をしてくれたことがすごくうれしかったです。(日本テレビでのコメントもよみました。)私は、アメリカの大学院でメディア(コミュニケーション学部)について学びました。向こうに行くまでは、ただ新聞やTVといったメディアを信じていました。人のために何かできる仕事だと思っていました。しかし学べば学ぶほど、特に米国での教育の特徴なのかもしれないのですが、ジャーナリズムは、国力のためだという概念を目の当たりにしまた。国の繁栄のためにある。だから、日本で中東の悲惨さや市民の悲しみをTVを通して見ることができても、アメリカではできませんでした。また、広告は、いわゆる発展途上国や労働者といった弱者からの利益搾取に近いのだと感じました。きれいに広告・包装されたシューズメーカーの商品は、東南アジアの小さな子供たちが廉価な日当と劣悪な環境で作っている現実のケースを読みました。(もちろん、そのことに対して国連やユニセフが黙っているとは思いませんし、学校がそれが正しいと言ったわけでもありません。)粉ミルクのメーカーがアジアやアフリカの発展途上国で「母乳より粉ミルクの方が強い子が育つ」と宣伝し、母親達に販売していた事実も学びました。
私は不信感を持ち、夢もなくし、帰国し、いわゆる普通の就職をしました。もちろん国の文化や考え方の違いがあるのだとは思います。ただ、メディアが資本主義というイデオロギーに負けている事実、つまり、お金儲けの道具となっている現実は変わらないと思いました。理想を極論で言えば、主張や思考にお金がついてくるべきであると思っています。
メディアリテラシー(メディアを読み解く力)という言葉がありますが、日本には、ないように感じます。そのような教育はされていないし、メディアがわざわざ自己批判される可能性のある言葉を取り上げることはありません。この言葉・概念がないこの国で、メディアの一員になることが怖かった。抽象的ですが、人を幸せにすることと対極のことをしてしまう気がしました。自分がお給料をもらう手段として選ぶことができなかった。しかし現実は、そういう事業部に配属されているのですが。
私は、新聞や雑誌、本を斜め読みします。斜め読みというのは、勝手な造語なのですが、書いた人がキャッチーにしてお金儲けをするために、書いていないのかを判断しながら読むということです。大きく見出しが出ていても、見出しの大きさにことの重大さが出ているとは限らず、どれだけ大きな新聞社やTV局、えらい先生がお話していることも、斜めから見ます。何か意図がないかと。しかし、不信感がある以上、のめりこむことはなく、確実に新聞やTV、雑誌を見なくなっています。
当たり前ですが、お金儲けが悪いと言っているわけではありませんし、資本主義が悪いと言っているわけでもありません。小さな意味で社会や人は不平等であるとうことは、しょうがないと思います。ただ、富の分配はそれほどうまくいっていないような気がします。資本主義の良い点が機能せず、あまり良くない点ばかりが目につきます。
私も、私の周りも、どんどん過去のメディア(TVや新聞、雑誌、本)から離れています。唯一つ、まだ面白いと思うのは、ネットです。誰でも書き込めるネットには、嘘や罪もあふれています。ただ、民の言葉が書かれています。「2ちゃんねる」のような掲示板がありますが、読むと、抽象的ですが、「正しい」と思われること、「事実」と思われることも多く書かれているのです。例えば、山口での母子の事件がありましたが、ニュースで流れていた「どうでもいい、頭の軽い、考える力のない、無難な、知りたくもない記者の質問」に対しての批判など、放送倫理か何かの協会から注意を受けて態度を翻したTV局とは一線を画するコメントを読みました。
マスコミならぬ、マスゴミとよんでいます。もちろん、全てがマスゴミではなく、面白く内容が濃いものもあります。ただ、TV地上派が無料である以上(日本人はTV好きなので)、フリーペーパーがあふれる以上、マジョリティの人がマスコミに対してどれほどの危機感と批判ができるのかと思います。私達は利権や権力に飼い慣らされてしまっている。メディアリテラシーのないこの国で、TVが全て有料放送になったら、視聴者が自分の身銭を切ってその情報を手に入れていることを実感したとき、そのとき初めてマスゴミは危機感の中でマスコミになれる気がします。
タダほど高い・怖いことはない。私はそう思っています。
マスコミ、メディア、新聞、雑誌、TVなど色々が言葉の定義を確実にして線引きをしてお話することが難しいので、選びきれていない部分があると思います。generally I think ・・・を全てにつけさせてください。
これからも、心がはっとするようなメルマガをすごく楽しみに待っています!ぜひぜひ今後もがんばってください!
記事を拝読いたしました。私は 生まれも育ちも山手線の内側の東京です。
そして、私は東京が好きです。
おごるなかれ、という意見をみて「またか」と 思いました。
というのも、私が物心つくずっと前、幼少時の頃から「ひがみ」「羨望」などの感情を込めて独自の批判的な「東京論」を東京からやや離れたところに住んでいる人々から聞かされてきました。
東京だからって威張るな、流行の先端がなんだ、挙げるとキリがありません。
しかし、彼らの言う東京とは、東京へ流入した地方人が作り上げている物だということに触れる人は全くいません。かわいそうなことに、その事実を知らないのでしょう。
テレビにしろ、ラジオにしろ、金になるという理由などで全国から色々な人を集め、東京から発信しているのです。
浅野さんのおっしゃっている副都心線などは、東京の地元民のためではなく、埼玉から東京へ来る際に便利になる交通の新しい手段に過ぎません。
報道も、どうもその部分がボッコリ欠けていたように思います。
全国にあのニュースを放送していたというのは初耳で、ばかげていると思いますが
これは宋さんの触れている「多様な価値観とニーズに、柔軟に対応できない地上波の現状」で無難な話題を選んでいるテレビ局の問題ではないかと思います。私個人はただのネタ切れだと思っていますが。
言わせていただきますが、病んでいるのは「頑張って地方から出てきたが、東京に馴染めない人」という認識を私は持っています。私の周りの東京民は非常に明るく近所づきあいも頻繁で病的な人は殆どいません。そして、皆、新宿、渋谷、池袋、などでメディアに取り上げられる特定の場所を嫌っています。アレはただの繁華街。東京の本来の姿とはかけ離れています。
別に東京がすべての中心と思ったことはないし、友人たちもただ生まれたところなんだからしょうがないというのが共通の認識です。その友人たちも含めて意図の見えない東京オリンピックとやらは反対していますし、過度の建設、再開発ラッシュに対しては怒りを感じています。開発して盛り上げるべきは周辺の千葉、茨城、埼玉などの地区だとも思います。
よって、問題なのは、その、架空の東京を歪んで捉える外の目なのでは??と思います。
私の地元も東京みたいに栄えさせたい、という人もいますが、それは違います。
栄えるという意味を履き違えています。
地震への対策にしても、それぞれ予算と相談しながら着々と対策工事はすすんでいます。
地震の時に一番困るのは地方から1〜2時間もかけて通勤している人々でしょう。
とにもかくにも、自戒すべきはメディアに踊らされやすいこの国民全般ということになりませんか?
メディアは少なくとも現代社会において多分にジョーカー的な存在であり、彼ら相手に「対等な影響力を持って厳しい目で正しい批判をして戦う」存在(=天敵?)は同業他社くらいしかない業界です。どのように自らを律するか、よくよく考えてほしいと常々思います。
私は中国在住ですが、中国のマスコミは最近はかなり開放されつつは有りますが、やはり検閲と言うか政府の力が働いており記事内容も曲げられる事が多々あったり、全く報道しなかったり、これらの記事を読んでいる読者は本当のことを知らされないでしょう。
但し、インターネットがこれだけ普及している為、他国の情報が(時々見られなくなりますが)入りますのでそうそうは、隠し切れ無くはなってきました。
この前、系列の放送局のキャスターが政府に対して批判じみた発言をしたため一定期間画面から消えました。
新聞記者が事件現場に取材に行き警官に不当逮捕された事も有ります。
まだまだ未開放の中国です。
僕達の世代は新聞を見る習慣ができてからインターネットが登場したから併用していますが、うちの大学生の子供を見ているとインターネットで情報を得て、補助的に新聞を読んでいるというパターンです。更に新聞の場合は配達してはくれるけど、古紙回収は自分でしなければならない手間を考えると、自分の子供に限って考えてもおそらく購読するとは思えません。
多かれ少なかれ、新聞を毎朝配達するという形態は無くなると思っています。最長で見積もっても、あとワンジェネレーションでしょう。
こうしてお尻に火が点けば、新聞社も変わると思います。あるいは無くなるかも知れませんが。
東京に対する話題というのは地方の方から良く出ますが、私は東京に住んでいながら、東京と地方の格差拡大がこれ以上進むのは好ましくないと感じています。
分かりやすい例が東京オリンピック誘致ですね。「道路が整備されて住みやすくなる」というような意見を多く聞くのですが、ちょっと思考が安易すぎるように思います。
日本の人口は減る一方なので、東京に人を集めすぎると地方が荒廃するように思います。また、大きなビルをたくさん造っても空き室ばかりを増やすことになり、スラム化するのではないでしょうか。
オリンピック誘致を見ていると、どうも東京には税金が余っているようですが(?)、局所的なメリットを追求するよりも、例えば国の借金返済を手伝うとかした方が良いのではないでしょうか。その方が、もし東京に大地震が起こったときなどに役立つと思います。
どうも東京にはこのようなマクロ視点が欠けているように思え、「奢るな東京」という感覚に賛成したくなります。
日本報道は低レベルなので見ません
当地の土産物屋さんに、こんな張り紙が『東京等 地方発送承ります』
思わず拍手喝采。
こんにちは。
宋さんは新聞が好きなのですね。
私も、ネットが全てとは思わない、どちらかというとアナログ好きな人間なので、今回のコラムの趣旨は共感しました。
ただ、これだけ生活にインターネットや携帯、モバイル・・・といった便利機器が浸透してしまうと、読書や新聞、といったゆとり時間が必要となる媒体にどっぷり浸かれる時間がないのも事実。
なので、あっちの世界とこっちの世界を行ったり来たりしながら、日常生活を安定させております。
農作業とかもいいですね。
人工都市に携わっていると、自然に触れる時間の必要性を感じます。
メディアサイドの質や内容も問題かもしれませんが、どんな情報を得たいのか自分の欲求を知ることも大事かもしれません。
そして情報は、決して字面ではなく、
自身の行動から実感を得て、初めてそのものとして成り立つと思います。
なにをおっしゃいます。宋さんらしくもない。
きっとそのときは「便利になったよなあ」と
思っていることでしょう。
僕が思うに、紙のように薄いディスプレイに
全ページカラーの新聞が表示される。
写真は動画。音声も出る。
キーワード入力で過去記事の検索もできる。
もちろん、いまのように折りたたんで
トイレに持ち込める。湯船でもOK。
何より大切な天然資源を節約できる。
どうですか、宋さん!
2回目のコメントです
色々な方がいて面白いですね
まぁ、亡くなっていくものはどうしても時代には逆らえません
創価学会の聖教新聞を刷って稼いでいるのでは、もうムリなんですね
今回の新聞関連で皆さんの書き込みを読ませていただきました、皆さんが考えているようなIT技術の進歩は今後望めません、今の世の中必要な物、不必要な物の区別、勝ち組み、負け組みの区別をつけたがり過ぎませんか、別に新聞が一日休刊になって困ることて本当に有りますか、有るのが当然?発想を変えてみましょう。
さて、前回、今回と皆さんのコメントを一通り読んだつもりですが、メディアに関しては新聞、テレビ、ネット ばかりで、ラジオの存在に誰も言及されていない、ところです。
私は、テレビはほとんど見ない(理由は宗さんと同じところが大)ですが、ラジオが好きです。朝起きて最初にすること、ラジオの電源ONです。帰宅して真っ先にすることも同じ。ラジオは良いですよ、朝の出勤の準備、や着替えをしながら、あとは何もしなくても耳からいろんな情報が入ってきます。宗さんにこの習慣があれば、この事件を知らずに・・・は無かったでしょうね(笑)。
ラジオのよさを多くの人に再認識して欲しいと思い、コメントしました。
だからこそ、ここまでおちてしまったんだと思います。
1新聞社一斉休刊日の廃止(談合廃止)
2記者クラブの廃止
3労働組合の廃止
この3つを実施するだけでもずいぶんかわると思います。
3については一言だけ補足いたします。
組合員の平均年収が10万ドル以上の労働組合って世界にありますか?
いつもメルマガ配信、感謝しております。他に多々とっておりますので
斜め読みではありますが。貴殿メルマガの始まりは、講演をお聴きしてからです。
さて、「新聞」ネタですが、「完全にネットにシフトし、紙による発行がなくなる日が来る」件は
更なるコメント殺到と存じます。新聞を読む場所ですが、トイレばかりか、食事のテーブル(多分
テレビも見ながら)、通勤電車がベスト3でしょう。電車内は、20年前と比べてすっかり様変わりです。
今や、携帯電話でメールかゲームかワンセグしてる人か、iPODしてる人、その両方をしてる人が
マジョリティで新聞立読みと文庫本(コミック誌も含め)読書がめっきり減りました。
右系や左翼で新聞内容は変りますが、そもそも右からでも左からでも「同じ読み」の新聞紙ですが、
そのコンテンツに興味を持っていないカテゴリーの人が、前述のマジョリティなので、
既にマイノリティの紙活字派がネット機器へ転向するとは思えません。因みにコミック誌は
わざわざ紙質をふわふわしたものして、本を厚くしております。週刊誌の紙を使用したら
売上が激減という痛い経験からなのです。
仮にネット端末機器に換わるなら、混雑した通勤電車内で全ての人がイアフォンをして
携帯端末に「静かに」熱中している光景は、想像するに恐ろしいですね。
足を踏んだり、踏まれたりしたらどうするのでしょう?
メールでもするのでしょうか、ネットに書き込んで、お詫びするのでしょうかね?