トランプ氏のマーケティング / 宋メールの今後

(1)トランプ氏のマーケティング

米国の中間選挙の結果にコメントする立場にありませんが、トランプ氏の奮闘ぶりにひどく感心させられました。あの歳であれだけの演説をこなす姿に無条件に感動を覚えました。

トランプ氏の中間選挙に向けた最初の応援演説はテキサスで行われ、かつての大統領選ライバルのクルーズ氏を再選させるためでした。その時、私は偶然にもロサンゼルスのホテルで暇にしていたため、その演説の中継を最後まで見ました。

以前大統領選の際に、私がトランプ氏は大統領候補としてヒラリー氏より優れていると思ったのは、彼の演説を米国で直に聞いたからでした。今回も運良く、最初の応援演説を中継で聞きました。正直、やはり内容も良い上、彼の戦う姿と聴衆への気遣い、そして愛嬌に好感を覚えました。

相変わらず不法移民を「動物」と呼んだり、民主党を「犯罪の党」と言ったりすることに不快も感じましたが、「中国との貿易不均衡にこれ以上耐えられない。中国との競争に米国は勝つ。」などの中国関連の発言には中国人の私でさえ不愉快を感じませんでした。

フェイクニュースへの批判には、私は痛く同感しました。前回の大統領選ではニューヨークタイムズが開票日の直前にもヒラリー氏が勝利する確率は90%以上と掲載し続けました。いったいどこの誰に調査した結果だろうかと思いましたが、トランプ氏が当選した後、何の説明もお詫びもありませんでした。

トランプ氏の演説を取材するCNNなどのマスコミにトランプ氏の支持者たちがブーイングをしたり罵声を浴びせたりするのはよい風景ではありませんが、日ごろの大手マスコミの偏向と傲慢に不満を募らせてきた民衆が多くいるのも事実です。彼らは決してトランプ氏に洗脳されたのではなく、思惑と既得権益のためによく捏造を行うマスコミの実態を知っているからです。

トランプ氏が何を考えているか分からないという人が多いのですが、彼が若い時の発言を聞けば、彼こそ持っている考えを変えていないことがよく分かります。良くも悪くもです。多分、「何を考えているかが分からない」という人には彼の柔軟性、つまり「考えは変わらないが、解決方法について思い付きで柔軟に変える」ことに対しての苦手意識があるのでしょう。

トランプ氏の癖は完全にベンチャー経営者の癖です。大胆に目標設定を行うが、行き詰まりを感じたらやり方を180度変えてみる柔軟性も持つのです。朝令暮改と言われても耐える強さがあるからこそできる技です。既に故人となりましたが、このような素質を持つ日本の政治家も少なくありません。

優れた経営者はそれほどマーケティングデータを見ません。調査会社のデータを見ながら経営すれば競争に勝てるほど、ビジネスは甘くありません。現場感覚はなによりも大事です。トランプ氏は大変現場感覚を持つタイプです。自分が売り込む顧客(選挙民)のセグメントを明確にし、彼らと現場で接触し、八方美人をやめるのです。これこそ優れた経営者のやり方ですが、政治家としてこの手法をとって勝てるとは意味深いです。

現在の米国社会は「分断された」と言われていますが、経営の視点から見れば今はセグメンテーションを明確にする必要がある時代です。時代変化がトランプ氏を求め、トランプ氏がその変化に応えたのです。

信念を持ち、市場に順応し、欠点と愛嬌を同時に持ち合わせるトランプ氏は今の米国に相応しい大統領です。良くも悪くもです。


(2)宋メールの今後

今日も宋メールを読んでいただきありがとうございます。たぶんこれを読んでこうでもないああでもないと思う方もいれば、なるほどと思う方もいるでしょう。私にしてみればどちらでも構わないのです。そもそもこれを書くのにかなりしんどい思いをしているのです。

実は私は数年前から宋メールを負担に感じるようになりました。その理由は自分の経験と環境に由来すると思います。

まず今回も触れたように、マスコミなどの言論発信を商売にしている人々は自分や所属組織の私心、利益と信仰に基づいてフェイクニュースも含めて発信しているのに対して、宋メールはまるでそのようなモチベーションを持ち合わせていません。昔は顧客サービスとしてそしてマーケティングツールとして使っていましたが、引退してから13年後のいま、そのような目的が全くと言っていいほど、無くなっています。

続いている唯一の理由は古い読者(たぶんファンと言ってもいいのですが)がいることです。このため二週間一回、頭を絞って絞って書きたいテーマを探すのですが、ここ数年、どんどん難しくなってきました。

それは私の頭が枯れたのではなく、日本の読者の方々と重ねる部分、共有と同感できる部分がどんどん少なくなってきたからです。

私はここ数年、日本にいる時間が少なくなりました。日本に関するニュースは中国語や英語でたまに見るのですが、日本のマスコミが発信する日本語ニュースは殆ど見ていません。特に国内問題に関しては、たまに日本に来てテレビのニュースを見てみるのですが何を言っているのかはさっぱり分かりません。経緯と背景を知らないでみると本当に意味が分かりません。

また、中国や米国の事件やニュースを取り上げたくてもその背景や思惑など、まるで日本のマスコミと異なるため、伝えても日本の読者がピンとこないですし、納得もしないでしょう。

売れる本をよく出す出版社の知人から聞いたのですが、売れる本を出すコツは「著者が書きたい内容を書くのではなく、読者が読みたい内容を書くこと」です。

「間違いない!」と思いました。本だけではなく、すべての言論商売も同じです。商品である以上、商品の原理が同じはずです。ヒット商品のコツは作る側が作りたい商品ではなく、買う側が買いたい商品を作ることです。ごく当たり前の原理原則ですが、言論人たちは正義、正論と世論の蓑の下にわずかな利益と権益(印税、出演料、講演料など)を必死に守るところが哀れなのです。

まあ、私がほかに食べる方法がなければ、最悪情報発信して生計を立てることも考えますが、少しでも実務と実業で稼ぐ力があれば、評論家や言論家としての商売に落ちたくありません。

商売でもないのに、過去の付き合いと古い知人の期待を裏切らないために続けてきたテレビ出演とエッセイは本当にしんどいのです。昨年の週刊文春連載は本当に尊敬していた新谷編集長や起業家の知人の希望に負けて引き受けました。

あれからもう負けてはいけないと思いました。だからここ一年以上、私は全てのテレビ出演を断りました。日本にいない時間が多い上、たまにいても日本社会の情報と肌感覚にかけているからです。何よりも日本社会に何かを言うメリットも使命感もまるでゼロです。

決して私は日本への愛着が無くなったわけではありません。中国に対しても米国に対してもマスコミに出て何かを発信するメリットと使命感はゼロです。人様に屁理屈を言えば、一番の被害者がまず自分であることを、私はよく知っているからです。

冷静でいたいならば、本当のことを知りたいならば、まず人様に教えたがる、言いたがる癖を無くすことです。言っても次の瞬間に「本当は違うかもしれない」と自戒することは重要です。

人に教えたがる人も人を妄信する人も、独立して幸福で豊かな人生を掴むことはできません。

宋メールを全く止めてしまうことも考えましたが、やはり一部の読者友人からのアドバイスもあって今後は不定期に発行することにしました。二週間ごとに必ず間に合うように原稿を出すことは実にしんどいことです。たまに編集部の責任者からの催促に腹が立ってついつい怒りを感じたことさえありました。

この場を借りてお詫びと感謝を申し上げます。14年も支えてくれたソフトブレーンの編集部、ありがとうございました。

そして読者の皆様、こんな後ろ向きの宋メールに付き合ってくださって本当にありがとうございました。今後は不定期になりますが、良かったらまたお付き合いください。

どうやって「信用」を構築すればいいのか

私は日本で起業しましたが、本音を言えば生まれ育った中国で会社を始めたかった。それは親、兄弟だけではなく、昔から知っている親友がいたからです。大学院卒業後まもなく会社を立ち上げた私にとって、一番辛かったのが信用できる協力者がいないことでした。「信用」は組織管理やチームワークの基本です。我ながら「信用」がない中、よく起業できたなと思います。

経営者時代は、信用できない人材でも使わざるを得なかった。決して私は他人を信じやすい善人ではありません。たとえ信用できない人がいても、そのリスクを減らすシステムを作ったのです。むしろ「信用」に頼らない心構えが、経営者としての私を成長させてくれたといえるでしょう。

家族や信用できる友人と会社を始めても、経営規模を拡大させれば、見知らぬ人間と仕事をする機会は必ず出てきます。その中には裏切る人も出てくるでしょう。信用していた部下が、豹変して別な顔を見せることもよくあります。そうしたケースを見るにつけ、私も人間不信に陥ったことがありました。

ただ「信用」はまさに組織の核です。それを作り出すことこそ経営者の最も重要な役割です。

「信用する」と「信用される」。どちらが先かといえば、間違いなく「信用する」が先です。他人を信用できない人はどうすればいいのか。コツはあります。それは他人を信用しているフリをすることです。その上で、たとえ裏切られても命取りにならないよう、リスクコントロールをしておけばいいのです。

「三国志」にこんな記述があります。ぎりぎりの戦いに勝った曹操が、敵陣から大量の書類を押収し、その中から自らの部下が敵に送った手紙を見付けます。しかし曹操は封を開けることなく、全て焼却するよう命じたのです。

一見、信用できない人間を見付けるいい機会だと思ってしまいますが、曹操にしてみれば、戦の結果が分からない時に、負けた時の準備をする部下が出てくるのはやむを得ないのです。リーダーに何より求められるのはとにかく勝つこと。勝利を重ねることでリーダーとしての信用は自然に増し、部下の動揺も減っていくのです。

経営者を長くやっていれば、他人を信用するかしないかは大した問題ではなくなります。「あの人は信用できる」という言い方が幼稚に聞こえるようになる。

ビジネスのためこちらは信用を守りますが、相手に信用を守ってもらえる保証はどこにもない。そうした心構えが自然と出来上がるのです。契約内容などでリスクを減らそうとしますが、それでもカバーできないケースはたくさんあります。とにかく用心するしかない。しかもこちらが用心していること自体、相手に知られないよう配慮する必要があります。

中国ではリーダーの心得として「用人不疑、疑人不用」という諺があります。「使う人を疑わず、疑う人を使わず」という意味ですが、その本質は、信用できない人を信用するふりをして使いこなし、どうしても使えない人材を外せということです。こうした過程で起きた心労は経営者としての成長の肥やしにするしかありません。
頭で分かっていても、なかなか真似できることではない。ただ、この「信用」をめぐる考え方はサラリーマンの皆さんも肝に銘じてもらいたいと思います。
(週刊文春2018年3月29日春の特大号より)

P.S.
ここ数週間米国各地を回っていてなかなか落ち着いてものを考える暇がないので、以前「週刊文春」に掲載された連載を使わせていただきました。

「アイデンティティ」って何ですか

「子供は何歳から留学すべきか」、「子供は何歳から英語を勉強すべきか」を議論する際、多くの日本人は「日本人としてのアイデンティティがまた形成していないのに・・・」と言います。しかし、私の記憶では中国人からこのようなアイデンティティ論を聞いたことがありません。

「日本人のアイデンティティは何ですか」と聞くとたぶん殆どの方がはっきり答えられないと思います。たぶんなんとなく自分と同様に思考し、同様に行動する人の特徴を意味するでしょう。しかし、英語のアイデンティティは単なる「識別すること」に過ぎないのです。

外国に住む中国人は華僑と言って世界中に7千万人もいますが、皆さんから見れば彼らはしっかりしたアイデンティティを持っていると思うかもしれませんが、華僑のアイデンティティは多様である上、常に激しく変化しているのです。

本来の華僑は中国国籍を持ちながら中国に生活拠点がない人たちでした。しかし、ここ数十年の中国では、華僑も中国に生活拠点を持つようになりました。また、私のような、中国に生活のベースを持ちながらよく海外でも生活する人も華僑と呼ばれることがあります。華僑と国内の中国人との区別が無くなるにつれてそのアイデンティティも無くなるのです。

華僑に対して外国の国籍を取得した中国系の人のことを「華人」というのですが、これも元々は海外に住むことが前提でした。しかし、ここ数十年、旅行、留学、資産運用、政治リスクなどの理由で外国のパスポートを取得する中国人はたくさんいます。彼らは外国に家を持っても仕事や生活の中心は中国にあります。このような人たちは華人なのか華僑なのか、本来の華僑と華人のどちらにも属さないような気がします。

私は自分のアイデンティティと子供のアイデンティティを考えたこともありません。親の影響、環境の影響と自分が歩んできた独自の経験が自分独自のアイデンティティを形成してくれるはずです。国や文化からの影響は受けますが、国に属し国によって分類されるものではありません。

先週からロサンゼルスに来ています。台湾の知人と昼食する際、彼は華人としてロサンゼルスの中国系の企業家達を纏めて中国本土と交流を行う団体のキーパーソンです。同じ中国語を話し、同じ文化背景を持つ彼に他の中国人との区別を意識しませんが、大陸の体制や政治について話せば、その考え方の違いは歴然とします。

夜の街を散策すると路上で歌ったりダンスしたりする方々の殆どはヒスパニック系の方々ですが、その歌の歌詞は英語ではありません。ロサンゼルスの人気レストランは殆どメキシコ系料理です。農場、建設現場、ホテルの清掃係など、メキシコの不法移民がいないと経済は回らないでしょう。

メキシコからやってきた移民たちは仕事上英語を使うのですが、同じメキシコ人とスペイン語を話しメキシコ料理を食べ故郷の歌を歌う機会はたくさんあります。米国の影響をいくら受けても在米メキシコ人のアイデンティティはなくならないでしょう。

私が海外で出会った日本人は皆メキシコ人以上に日本人の集まりによく参加し、日本語を話し、日本料理を楽しむのです。日本のアイデンティティを無くすどころか、むしろ日本にいる日本人よりずっと日本のアイデンティティを持っているような気がします。

アイデンティティとは家族と友人から受けた影響で自然に形成するものです。日本人の家庭に生まれた以上、その文化に自然に染まるのです。外国文化の影響は日本文化の影響を消すものではなく、むしろその人独自のアイデンティティを作り出してくれるのです。

印象深い人とは環境に同化する人ではなく、様々な環境の影響を受けながらも独自の生き方をする人です。その過程に形成された個性はその人を識別する最もよいアイデンティティになるのです。

米中貿易戦争の本質

前々回の宋メールは交換留学で米国大学から上海に留学している長女が書いてくれました。その長女が知らなかった母国のいろいろな側面に驚いていますが、その中の一つが電化製品の安さです。日本と中国の過去を知らない彼女にしてみれば、中国製電化製品は「性能がよくて安くて品質が普通」の代名詞です。

今はどうか分かりませんが、私が経営者現役の時、当時のスズキ自動車の経営者から「トヨタの普通自動車の原価は当社の軽自動車よりも低い」と聞きました。理由はトヨタの桁違い販売数です。売値の違いと数を合わせて考えればトヨタ自動車の利益力も理解できます。

中国製品は安かろう悪かろうの時代はありました。今もそのようなメーカーは一部残っているでしょう。しかし、都会に住み、中産階級になった5億人がそのような製品に興味がないことを、中国で生活していれば誰でも分かります。

米国や日本などに輸出している製品は中産階級が選ぶ製品の一部に過ぎません。安いのは中国では膨大な数の量が売れているからであって、単なる人件費が安いからではないのです。ここ10年の人件費は何倍にもなりましたが、製品の値段は上がるどころか、むしろ下がり続けているのです。コスト=人件費の発想は販売数に限界があるときの発想です。

人件費で言えば、インドは中国よりはるかに低いのですが、インドのスマートフォンの約半分は中国メーカーが占めています。特にまだ創業8年の「小米」が既にサムソンのシェアを超えてインドのトップシェアになったのです。インド人には経営力も技術力もあります。人件費も安いと考えればいずれ地元メーカーがトップシェアを取り戻すと思うのですが、今のところ、中国市場での販売数に支えられている中国メーカーに負けているのです。

購買力がない時代の中国は人件費が安くても市場がないため、製品は輸出に依存するしかありませんでした。日本を含む海外メーカーも自国や輸出のために中国で作っていたのです。中国進出の目的は中国に売ることではなく、中国の安い人件費と安いインフラを利用することでした。しかし、中国に5億人の中産階級が誕生した今、状況はまるで逆になりました。

米国から見れば中国の輸出は減っていないのですが、中国にとってみれば米国への輸出が占める販売シェアはどんどん下がっているのです。仮に全部を止めても国内の1%に過ぎないのです。外資企業も中国市場で一定のシェアが取れない限り、中国で生産するメリットは殆どなくなります。

仮に安い人件費を求めて東南アジアに移転しても、中国メーカーも必要に応じて同じことをやっているので現地の華人社会や陸路搬送のメリットを考えると人件費の安さを求める渡り鳥モデルには限界があります。

ここに米中貿易戦争の本質もあります。「モノの製造コストは販売数に反比例する」という原理を考えれば米中の製造業の競争は最初から勝負がついています。中国が国内消費のあまりを米国に輸出している以上、米国はこのコストに勝てません。昨年時点では、金額ベースでも中国の小売り販売規模は既に米国を超えていました。今後、その差が開くばかりでしょう。

残念ながら、米国が主張してきた自由競争、自由貿易を続ける以上、米国の貿易赤字が拡大していく一方です。トランプ氏が「不公平」と連呼したのは結果であり、プロセスではないのです。「結果がすべて」と考えるトランプ氏はやり手経営者として正しいのです。

私は両国ともがこの問題を取り込むべきだと思うのですが、米国は正式に「自由競争、自由貿易」の放棄を宣言しない限り、無意味な喧嘩が続くのでしょう。貿易相手国の内部体制まで自分のやり方を押し付けるのは大国同士には通用しないはずです。

今週、中国は分厚い貿易白書を発表しました。統計数字がたくさん羅列しています。要は米中間のサービス貿易や中間部品などを統計に入れると中国は決して黒字を稼いでいないというのです。まあ、中国人の私から見ても「米国人がこんな難しい統計を見る訳もない上、そもそも双方が見ているものが違う」から、無駄な努力だろうと思いました。

米中の指導者たちが何を言おうとしても、私達中国人はあくまでも少しでも自分の生活を良くしようと勤勉に働き、後世の教育にも力を入れるのです。その結果として1990年に7億5千万もいた極貧人口が2015年には1千万人に減ったのです。我々は自分たちを極貧から救ったのです。

自己救済の結果、中国は再び世界最大の経済規模になろうとしていますが、その過程がもたらす変化を中国と世界の双方がどう受け入れるか。今こそ真剣に見守る必要がありそうです。

P.S.
この原稿を書いた数時間後、トランプ氏の国連総会での演説を聞きました。
案の定、彼はグローバル化を拒絶するよう国連に促しました。グローバル化の否定はつまり世界規模の自由貿易と自由競争の否定なのです。

アリババの創業者が引退するが

9月10日は中国の「教師の日」です。偶然にもこの日はアリババ創業者馬雲氏の誕生日です。先日、54歳の誕生日に、馬雲氏はアリババ広報を通じて引退宣言を発表しました。「満55歳の来年の今日に会社を引退する」と。

しかし、当の馬雲氏は9月10日にロシアで54歳の誕生日を迎えました。ロシアで開催される東方経済フォーラムに出席するためです。このフォーラムに日本の安倍総理も出席しプーチン大統領と会談を行いました。

翌日の11日、プーチン大統領がロシア菓子を食べていた馬雲氏を見つけて聞きました。「馬雲さん、あなたはまだ若いのになぜ引退するのですか?」

馬雲氏は答えました。「大統領、私はもう若くないのです。昨日ロシアで54歳の誕生日を過ごしました。創業から19年間は確かにある程度仕事をしましたが、私には他にも大好きな仕事がたくさんあります。例えば教育事業と公益事業などです。」

「あなたは私より若い。私はもう66歳ですよ。」プーチン大統領は笑いながら拍手しました。

馬雲氏が来年の誕生日にCEOを引退する時、アリババはちょうど20周年を迎えます。たった19年間で杭州師範大学を卒業した英語教師の馬雲氏は時価総額4560億ドル(46兆円)の中国一位、世界七位の会社を作り上げました。

馬雲氏の引退声明では「この決定は10年前から慎重に考えそして準備してきた。私は受けた教育のお陰で教師になった。今日に至って私は本当に幸運だった・・・私にはまだ多くの夢がある。教育に戻って好きなことをすることによって私は興奮と幸福に満ちるだろう。私はまだ若い、他にも試したいことがある。」

この引退声明に合わせてプーチン大統領との会話を吟味すれば馬雲氏は経営がそれほど好きではないことが分かります。時代が彼をカリスマ経営者の座に押し上げたが、彼の内心は幸福ではなかったはずです。天職の教育事業や好きな公益事業など、好きなことをやりたい気持ちは本物でしょう。

スケールはまったく比較になりませんが、私も経営が好きではありませんでした。偶然に始めたビジネスが時代の流れに乗って拡大していきましたが、「いつまでもこんなことをやりたくない」と自分の心が定期的に言っていました。我慢していればそのうち好きになると思っていましたが、時間が経つに連れて好きになるどころか、引退したい気持ちがどんどん強くなっていきました。

私は馬雲氏の引退は中国の企業家たちにとてもよい刺激を与えたと思います。経済は誰か個人のお陰で発展するものではありません。より多くの普通の若者が普通のように起業してこそ社会が豊かになれます。いつまでも経営トップに居座り、精神と感覚が時代に遅れても権力を握りしめる経営者が増えれば、経済は活力を失い、社会全体も後ろ向きになるのです。

また経営を引退してから思ったのですが、教育こそ未来社会への最善の投資です。中国社会の変化をよく観察してみると明らかに教育への投資が効果を発揮してきました。

私が大学生になった1980年には中国の大学入学者は年間30万人未満でしたが、今では、年間700万人を超え、海外への留学者数も年間60万人を超えています。馬雲氏のような経営者もこのような膨大な人材と巨大な市場があってこそ生まれるものです。

私は42歳の時に経営から引退しました。その時には既に最新の技術についていくのが苦しかったです。頑張ればそれなりにできたのでしょうが、好きでもないことに執着するよりも、若い世代にバトンを渡したほうが自分のためにも日本の社会にもよいことです。

若い世代の後ろに立ち、教育事業と公益事業に転換した馬雲氏は、中国の企業家達に良い手本を見せたのみならず、今まで以上に中国と世界に貢献してくれるでしょう。