東芝の本当の危機

東芝の惨状は私が説明するまでもありません。しかし、不思議なニュースに皆さんは疑問を感じませんか。決算発表を何度延期しても監査法人の承認が得られず、それでも上場維持できることも不思議ですが、「命の綱」とされた半導体事業を高値で買うアジア企業をわざと避け、既に技術を持つ日米企業への販売に拘っているのです。

その理由は「高度な技術の中国への流出を防ぐため」だと説明されていますが、「そんな高い技術を持っているならば、なぜこんな惨状になるのか」と素直に思いませんか?

私が日本に来た1985年には中国は文化大革命の混乱を収めた直後で、中国の経済と技術は悲惨な状態でした。それでも日本での研究生活を通じてすぐ分かりました。「中国が経済と技術を重視する体制をとれば、先進国との差はすぐ縮められる」と。

理由は日本の上級生や同級生の研究能力です。優秀な人も居ますが、平均的な研究力、特に数学の理論力と外国文献の解読力が著しく低かったのです。

この考察は私の創業につながります。米国で開発された大型計算機で運用する航空機や車の構造解析ソフトを、私はパソコンで土木構造物に簡単に使えるようにゼロから開発しました。この分野において私に勝てる日本人はいないと思いました。

日本になかった便利なソフトである上、従来ソフトの2割の値段で売ったため、東京大学、建設省の研究所、道路公団を含む日本の土木業界殆どに売れたのです。興味のある方は調べていただければすぐ分かりますが、20数年前に私が発売した2D-σや3D-σなどの土木構造解析ソフトはいまだに日本の土木業界で使われています。

「数学と物理の基礎が優れた大学院出身の研究者に5年間の時間と所要の資金を与えればどんな先端技術でもなんとかなる」。これが私の経験から言えることです。

私の別荘の倉庫には今も当時の数式誘導の手書き原稿の一部を保存しています。英語の参考文献を読み漁ってコンピューターのプログラムに使えるように、独自の数式誘導と分解をしなければ、プログラムが作れなかったからです。

一番苦しかったのは自分の数式誘導の結果が部分的に文献と違うことです。わずか一文字、一つの符号が違っても、計算の結果には天と地の差があり、どちらが正しいかは独自の方法で検証しなければなりません。

結局自分がミスした場合が多かったのですが、世界的権威の論文にも何回もミスが見つかりました。作者が書く際のミスなのか、印刷する際のミスなのかは分かりませんが、論文として読む分においては気付かないほどの小さい問題でも製品の開発となればとんでもない間違いをもたらします。

だから高度な技術を使う製品においてはコピーやパクリはあり得ないのです。たとえサンプルがあってもそれを理論基礎から製品の設計、製造とメンテナンスの細部まで理解し、細かいミスも見つけ出す力がなければ、市場に出回る製品になり得ないのです。

東芝の話に戻りますが、かつて東芝はNECや富士通などと同様に多くの先端技術を持っていました。しかし、それは当時の先端であり、米国に教えてもらったものが多く、東芝の技術者でなければ作れないものは皆無です。そもそも初期の東芝はGEの製品を真似して電気掃除機や冷蔵庫を作っていました。外形までそっくりでした。原発事故の原因の一つは東芝製と言いながら、中身はGEに任せたため当時の設計図も残っていないのです。これは東芝が市場価格を遥かに超えた値段で米国の原発会社を買った遠因でもあるでしょう。

東芝の半導体技術はたしかに今のところはまだ中国メーカーをリードしていますが、十分な市場があって儲かると分かれば、中国メーカーは買うか自分で開発するか、方法が違ってもいずれその技術を手にします。東芝は既に同様の技術を持つ米国や日本の企業に売っても当然高く売れません。中国メーカーがそれを高く買うのは時間を買いたいからであって、開発不可能だからではないのです。

残念ながら日本の政治家、官僚と企業家は文系出身が圧倒的に多いのです。研究開発をしたこともない人たちに限って技術を過剰評価するのです。それが技術を自慢しながら経営危機に追い込まれる日本の大手企業の遠因でもあります。危機に瀕しても古い思考回路から出られないことが東芝の本当の危機です。

北朝鮮の行方

鴨緑江は中国と北朝鮮の国境の川ですが、私は鴨緑江の中国側の岸に5歳まで住んでいました。朝鮮側の家や人が見えますし、鶏や犬の鳴き声も聞こえます。冬には川が凍るため、両国の住民は一緒に鴨緑江の氷の上でスケートを楽しんだり、氷に穴を開けて釣りをしたりしていました。

野生のサクランボや桃や葡萄などは美味しかったですし、川の魚やエビも美味しかったです。そんな中、我が家が飼っていた豚が夜中に狼に食べられた時のことは一生忘れません。犬が吠え、父が兄を連れて犬と一緒にその狼を追い払ったのですが、私は布団の中に隠れて騒ぎを聞いているだけで恐ろしかったです。

中国側に住む住民のうち4割近くは朝鮮族です。私の印象では、朝鮮族の女性は明るくて働き者です。朝鮮族のお盆祭りに初めて招待された時、畳に上がり、茶碗蒸をごちそうになりました。お盆祭りというのはお盆をたたきながら輪になって踊るものでした。

川岸の一面に咲く黄色の花畑で朝鮮族の女の子と隠れんぼした時の思い出、そして彼女のお父さんの漁船に一緒に乗った時の思い出は今も鮮明に脳に浮かびます。

たぶん世界中の人々にとって北朝鮮という固有名詞が出てくると、金一家三代の世襲専制や洗脳された軍隊と住民と処刑、暗殺などのイメージが浮かびますが、私には私達と少し文化が違うだけの優しい住民たちの印象を消し去ることができません。

1969年のある日、そんな自然に溢れて美しい我が家から我々家族が追い出されます。理由は中ソ関係が悪化し、ソ連寄りの北朝鮮に警戒する必要があったからです。それまでに見たこともない軍隊が国境にやってきて対岸を監視するようになりました。

山東省の田舎に戻る前、汽車に犬を乗せてはいけないとの理由で家族で泣きながら犬を近所の方に預けました。しかし、犬は見捨てられたと気付き、無人の我が家に戻って飲食を拒否して亡くなりました。あれ以来、我が家はもう犬を飼うことはありませんでした。結婚して自分の家族を持った私も犬を飼うことはありませんでした。

生まれ故郷の山東省に戻って少し大きくなった時、私は家に遊びに来る、朝鮮戦争に参戦した村のおじさんの話に興味を持ちました。あの鴨緑江を渡った時の寒さや食料供給が足りない時の辛さ、米軍空爆の激しさなどをよく聞かされました。「全身に墨を塗ったような米兵」(黒人兵)を俘虜にとったこともあるというのです。私に平和で美しい思い出をくれたあの国境ですが、その当時からたった10数年前に戦争(1950−1953)があり、はるばる米国のケンタッキー州や中国の山東省から参戦する人がいたとは、想像もつきませんでした。

大人になり冷戦が終わった頃から、北朝鮮は完全に大国の都合でできた国で、大国の都合に翻弄された国だと思うようになりました。金日成は中国の東北で抗日ゲリラに参加し、ソ連軍の権威を借りて北朝鮮の指導者の座に着きました。その後、ソ連の支持を得て韓国に侵攻したのですが、米韓の反撃で鴨緑江まで追い詰められました。

国境に近付く米軍を嫌って、中国が派兵して米軍をソウル以南に追い返しましたが、最後に38度線で膠着して停戦しました。この時、私が生まれた村のおじさんは死なずに故郷に復員したことになります。

1969年、中国はソ連と決裂し、国境で戦争状態になりました。北朝鮮はソ連寄りの姿勢を取ったため、中国は北朝鮮が背後から攻めてくるのを心配して再び国境に軍隊を派遣しました。この時、私達家族は退去を求められ、山東省の田舎に追い返されました。

北朝鮮の歴史は大国によって翻弄された歴史であると同時に、大国間の不和と矛盾をうまく利用し、国際政治の狭間で生き延びた歴史です。よく考えてみれば我々民衆も大国の都合で翻弄されていました。

北朝鮮の現状を見て腹が立ってすぐにでも何とかしたいと思う気持ちもわかりますが、北朝鮮ができたのは日本を含む大国の都合でもあることは忘れてはいけません。また、北朝鮮の問題を解決する際、北朝鮮とその周辺の地域に昔の我が家と同様の住民がたくさんいることを忘れてはいけません。

100年は歴史の中では一瞬です。北朝鮮の体制がどうなっても、北朝鮮とその周辺地域の住民の暮らしは続きます。戦争はすぐ終わりますが、住民の暮らしは永遠に続きます。戦後処理を考える冷静さと余裕がないならば、開戦は自殺です。

漢文と中国文化を排斥してみたら

敗戦直前、日本は英語を「敵性」語として排斥した時期があって、野球の「ストライク」を「正球」に、「ボール」を「悪球」に変えたそうです。笑い話のようですが、当時はれっきとした国民運動でした。

つい最近、作家の百田尚樹氏が似たことを言い出しました。彼が「中国を偉大な国と勘違いさせる」「中国文化は日本人に合わぬ」などを理由に漢文の授業を廃止すべきだと主張したのです。

才能のある作家なのに歴史や文化に無知ですね。「日本書紀」や「万葉集」などの日本の古典は全部漢文であるため、漢文が分からないと日本の歴史と文化も分からなくなります。お箸や豆腐などの食文化から書道や華道などの芸術文化まで、すべての中国の文化が日本に合わないと言うならば、百田氏は仕事も生活もできなくなります。

百田氏は教育勅語を幼児に暗記させる籠池氏の幼稚園を熱心に応援していましたが、その教育勅語は殆ど漢文であることを知らないでしょう。皇室の年号が漢文の古典からとっていることも知らないでしょう。(「平成」は「史記」と「書経)から)。彼は自分の生計を立てる小説に無数な漢文が含まれていることも知らないでしょう。

極右の人々が愛してやまない靖国神社の遊就館だって「筍子」の「君子居必擇故郷、遊必就士」からとったことも知らないでしょう。中国侵略を行った陸軍士官のカバンに「孫氏の兵法」が入っていることも知らないでしょう。

日本文化の核心にある「礼」「仁」「義」「忠」「士」はまさに儒教の基本であり、家庭の「親孝行」や企業の「年功序列」も儒教の教えなのです。むしろ中国における儒教の影響はほかの思想によって薄められたのです。焚書坑儒はその対立の象徴です。

中国人である私は日本人が漢文と中国文化を取り入れることについて特別な感情を持ちません。それは日本人の都合であり、我々からお願いすることも拒否することもできません。一部の心狭い日本人のようにすぐそれがパクリだのコピーだのと思いもしません。

「中国に纏足があった」、「宦官があった」、「儒教があった」などの理由で日本の文化と中国の文化がまったく違うと主張する最近のニセ右翼は単に日本の文化と歴史を分からない人々です。中国も日本も長い歴史の中でいろいろな民族と文化交流し、時代の変遷と共にその文化を変え続けてきたのです。

世界的視野で見れば日本文化は中華文明の影響を受けながら進化してきたものです。中国ではもう存在しないものも大切に守り、新しい花を咲かせたところがたくさんあります。今日、我々中国人が京都に行って古き良き中国文化の発展型を見て日本の文化努力に感心と感謝するばかりです。

また、いち早く西洋文明を受け入れ、漢字を使って新しい単語を作り出したことにも感謝しています。「中華人民共和国」の中の「人民」も「共和国」も日本が作ってくれた和製漢語です。中国人にそれは「日本が作ったから使うな」という発想はありません。

百田氏が本当に日本を愛しているならば、もっと日本の歴史と文化を知ってほしいものです。そしてその文化の源流にあるものについても知ってほしいです。無知は尊大と無謀につながり、戦争を招き、最終的に国を弱めるのです。

P.S. 今の北朝鮮情勢に関心のある方は以下を読んでください。

北朝鮮情勢は本当に危ないか

昨日、友人から日本の右翼系評論家の文章が送られてきました。尤もらしい「中国内部情報」を出しながら北朝鮮情勢が如何に危険か、また韓国渡航について外務省が「危険情報」を出すべきだと訴える内容でした。友人が社員の安全を心配し私の意見を求めてきました。

まず日本の右翼系の情報は世界で最もあてにならない思い込みに基づく情報の一つであることを言っておきます。2011年7月、産経新聞が「江沢民死去」の号外を出したのはその象徴的な情報でした。産経の阿比留論説委員が小西議員のデマを流し敗訴したばかりです。

次に、右翼系評論家の分析は客観性と多角性がなく驚くほどパターン化されていて結論ありきです。

私は友人にこう言いました。
他は知りませんが、少なくとも中国に関する『内部情報』は彼らより正確です。情報がでたらめだから結論は当然あてになりません。私の見方としてはむしろ北朝鮮情勢はよい方向に向かっていると思います。

北朝鮮の核所有について米中だけではなく、日韓も共通して許さないため、除去は時間の問題です。だから北朝鮮核の危機よりも、北朝鮮核の危機に対処するために米中日韓が連携するかどうかが重要です。特に米中が真剣そして本気に連携すれば北朝鮮核の危機は変数を抱えながらも解決に向かうのです。

米中首脳会談のメインテーマはもともと「北朝鮮」と「貿易不均衡」でした。会談直後にトランプがツイッターで「中国が北朝鮮問題で協力してくれれば、貿易交渉はよりよくなる」と発信しました。米国と中国の情報を総合的に読めば確かに会談でそのような合意に至ったようです。つまり、トランプが選挙中に挙げた貿易戦争の旗を降ろすためにも、見た目のネゴシエーション(交渉)成果が必要です。それが北朝問題への中国の協力です。

一方、中国も北朝鮮核の問題について政策が行き詰まっています。独自の力で解決する能力を持っていません。米国と協力して解決する以外に方法はありません。トランプの提案は「渡りに船」という感じなのです。そもそもその「提案」は数か月にわたる双方のチームによるネゴシエーションの結果でしょう。

世界経済の成長センターは東アジアです。ここの平和を壊すことは米国を含む世界経済を壊すことです。米中日韓の指導者と政策当局はそこまで愚かになっていないでしょう。

米中首脳会談の直後に北朝鮮の石炭は返品されました。会談4日後の12日に、習近平はまたトランプに電話しました。そして同じ日に金正恩が19年ぶりに外交委員会を復活させました。世界とともにアジアも大きく変革するにはちがいありません。よい方向に向かっていると思います。

もし彼がテレビ局を辞めなければ

また友人の話から始まって申し訳ありません。
「久しぶりに会食しませんか」と黒岩祐治さんからお誘いをいただきました。5年間中国に帰っていたこともあって彼が知事になってから二人だけで会ったことはありませんでした。積もる話をしようと思いました。

黒岩さんとはテレビキャスター時代からのお付き合いですが、友情が深まったのは彼がテレビ局を退社しフリーのジャーナリストとして生きていこうとしてからです。30年もサラリーマンをやっていたので辞めた時の戸惑いは簡単に想像できます。

私が彼に尊敬の念を持ったのもその時でした。何の問題もないのに皆が羨むテレビ局の社員の立場を捨てるなんてもったいない話でしたが、彼はその立場にイライラしていました。目に見えない何か「自分を縛っているようなもの」を感じてフリーにならざるを得なくなったそうです。この話は当時も今回も彼の口から出ました。

結果として辞めた当時にはまったく想像もしなかった政治家の人生を歩むとことになりましたが、彼は今の仕事を大変楽しんでいるようです。彼がテレビキャスター時代に訴え続けた「未病」という新しい医療概念が、国家戦略や海外にも採用されるようになりました。人間の体の状態は絶対的な健康と絶対的な病気にあるのではなく殆どの時間においては、健康と病気の間の状態にあります。この状態を「未病」と定義し、その状態に照準を当てたヘルスケアは百歳人生につながる発想です。

正直、私は「未病」にあまり興味がありませんでしたが、「未病」に取り込む熱意を持ち続け、とうとうそれを世の中に広めた彼の過去の十年間を見てきたので、そのチャレンジ精神に頭が下がります。

もちろん、知事になってから名ばかりの特区を看破し、神奈川の特区で自動運転や医療ロボットなどを実験し日本や世界に影響を与えてきました。地に足のついた彼の実践をみて私はふと思いました。「もし、彼が今もテレビ局の社員を続けていたら、今の彼の活躍はあるだろうか。」

大手企業のサラリーマン、特にテレビ局のような保護された業界のサラリーマンは自ら会社を辞めることはほとんどないのです。同じ業界内の人材流動がない上、他の業界とは違うため通用しないと思うからです。その結果、日本のテレビ業界にはテレビ局の実力者の意思を忖度する社員ばかりが増えています。そんなトップの意思を忖度する古い社員が番組内容を決める上、別の古い社員が解説員を務めるような番組は当然面白くないのです。それがテレビ離れの根本原因です。まあ、私は地震や救助のニュースを除けば、もうテレビを見ませんが。

シャープがダメになったら、東芝もダメになります。ソニーが不振ならパナソニックも不振です。大手が不振なら中小がチャンスだと思ったら、日本の起業家の数は対人口比で世界でも最も少ない国の一つです。

全ての原因は人材の流動性にあるように思えてなりません。入って動かない人材は時間と共にその活力と創造力が薄くなり、最後はただの「人在」になるのです。女性の就職支援を国が応援するのであれば、サラリーマンがもっと他の会社や業界に転職しやすいように国や自治体が支援してもよいと思うのです。

「樹移死、人移活」。樹木が移ると死ぬが、人は移ると活きてくる。黒岩さんの活躍をみて中国の古い諺を思い出しました。

「愛国無罪」か

気があう友人というものは不思議なものです。十年ぶりに再会しても何の隔ても感じずまるでつい最近も会った気がします。

先日、十年ぶりに友人のマネックスの松本大さんとランチしました。彼が若者の創業を応援するファンドを立ち上げるので私にも応援してほしいというのです。

そこで自然に我々の創業時の思い出話になりました。
「僕は創業初期に赤字が続きましたが、最初に納税した時の感動は今も忘れない。やっと一人前になった気がした。」
松本さんのこのさり気ない話に私が静かに感動しました。彼はきれい事を言うタイプではないし、二人だけのランチで私にそれを言うメリットもありません。私の勝手な推測に過ぎませんが、宋メールの読者はたぶん平均よりずっと多くの税金を納めてきた方々です。(松本さんも宋メールの熱心な読者です。)

私も創業初期に札幌北区の納税番付でトップ三位に入ったと聞いてうれしかったですが、同時に「皆があまり納税していないな」とショックを受けました。リスクを背負ってゼロから創業する場合、最初に利益を出した時の嬉しさは一生忘れません。自分のビジネスが本当に顧客によって認められ本当に世の中のためになっていることが証明されたからです。これで社員を守り、税金を納め、自分と家族が自力で食べていける確信を持つからです。

本物の仕事をする人はだいたいきれい事を嫌うのです。きれい事を言うと気分だけが偉くなり泥臭い努力をしなくなるからです。読者の皆さんの周りにもきれい事を好む方々がいると思いますが、彼らに何らかの共通点を感じませんか。

生まれ育った故郷に愛着を持つのは人間の本性です。国を愛する素朴な感情はどこの国のどこの人にも共通しています。集団になって同じ同胞に向かって高らかに「愛国」を訴えること自体は嫌味に聞こえるのです。静かにたくさんの税金を納める大勢の同胞に失礼です。

中国も同じですが、妙に大声で愛国を訴える人々には、仕事をきちんとする人は少ないのです。「愛国」を不正と私欲の隠れ蓑にする人が多いのです。混乱の中国には「愛国無罪」というスローガンがありました(つまり、愛国であれば罪にならないという意味です)。現在の森友学園事件をみているとまさに「愛国無罪」と錯覚している人々がいるように見えるのです。愛国小学校のためならば、異常な方法でも国の土地や補助金を差し上げるのです。

あるTV番組に出演した時、数人の右翼評論家と納税の話について口論になって「宋さんは日本に納税しているか」と聞かれました。私はある年の納税額を申し上げた上、「君達の納税額も教えて」と頼んだら、全員が黙り込んだのです。

私は日本人ではありませんが、自分と家族たちは大変日本のお世話になっています。納税できたことはとてもうれしいのです。一年の納税(多い時)は番組に出る右翼論客全員の終身納税よりも多いと思いますが、彼らに自慢する気にはなりません。しかし、彼らと意見が違うため、よく「反日」や「工作員」と言われます。その時、「君たちはどうやって日本を愛しているのか」と聞きたくなります。

森友事件の真相はどうなるかは分かりませんが、これを機により多くの人々が愛国を私欲(名誉、地位、金銭)に利用し、公共利益を阻害する愛国者たちに気付くでしょう。