今も中川昭一さんに電話をかける

友人中川昭一さんに私は今でも電話をかけます。もちろん留守電になっています。私は無言で留守番電話の案内を聞き、そして無言で電話を切る。それだけなのですが、もう何回かけたか忘れたくらいです。

昭一さんとの共著「どうした、日本」(ダイヤモンド社)を読んでくださった知人の多くから「マスコミから伝わるイメージと違う」、「意外と魅力的な人」との感想をいただきました。私にしてみればこれこそ意外でした。あれだけテレビや新聞に露出してきた方なのになぜこれほど誤解されるだろうかと。

ローマでの会見は昭一さんに大きなダメージをもたらしたに違いありません。しかし、自尊心と名誉を命以上に大切にしてきた彼にとって最も辛いのは、その後綿々と続く侮辱的な世論でした。

日本はもっとベンチャー企業を育てないと産業の活性化がないと彼は真剣に思いました。私が開催した外国籍(7カ国)ベンチャー経営者の夕食会に彼は飛び込み、一人ひとりの経営者に質問して意見をメモしていました。もちろん、夕食の支払いは彼のポケットマネーでした。

中川さんのノートをみた時の衝撃は今も忘れられません。分厚いノートにメモをびっしり書き、資料も貼り付けていました。アンダーラインや色付けもあちらこちらにあり、まるで受験生のようです。

サブプライム問題が米国で爆発し、世界が金融恐慌にはまっていた時、中川さんは日本の金融政策を指揮していました。おそらく世界のトップレベルの金融知識を持つ大臣は彼だけだと思います。

恐慌の最中に財務と金融の2つの大臣を兼任していた彼ですが、ちょっとした油断で国に甚大な損害とパニックを引き起こす可能性がありました。巨大なプレッシャーと膨大な実務が彼の体を蝕みました。免疫力が低下した50代の昭一さんは風邪を引きやすくなり、持病の腰痛が悪化していくのです。

世の中の会社が納会を終えた2008年の年末に、私の携帯に昭一さんから電話が入りました。「宋さん、ずっと神経を張り詰めていたから今晩くらいは仕事を離れてお酒を飲みたい」と。

私は共通の知人を誘って食事会に行きましたが、彼は腰の負担を減らすために店から座布団を3枚もらってそれに寄りかかりながら食事をしていました。

落選後の昭一さんともよく会いました。私はチャーチルやケ小平の事例を挙げ、起伏のある政治家が歴史を変えると説得しました。しかし、同席のほかの方々は、「あの時、結局飲んだのか」といつまでもローマの会見に興味津々でした。

風邪を抑えるために風邪薬を飲み、腰痛を抑えるためにまた鎮痛剤飲み、そのうえ、ランチのお付き合いのワイン。後で医者から聞きましたが、知識があればこの3つの飲み合わせは絶対やってはいけないそうです。しかし、先入観と色眼鏡の塊の世論は同情するところか、徹底的に彼に追い討ちをかけました。

昔の日本世論は知りませんが、今の日本世論は本当に狭量だと思いました。人のミスと欠点は10倍に拡大してみますが、人の貢献と良さは10倍に縮小してみます。

石川氏が逮捕されるニュースをみた時、私は目頭が熱くなりました。昭一さんの欠点は過剰に名誉を重んじ、図々しさが足りないことです。そんなことを薄々感じたのでしょうか、彼は私との共著中で「私は強く死を意識している」と言いました。

日本がとても貴重な政治家を失ったことについては、中国人の私はコメントしようがありません。しかし、心から付き合った友人を失ったことについて私は未だに納得していません。

昨日もまた中川さんに電話をかけてしまいましたが、留守電でした。きっと、彼が私からの電話に気付き、いつものように「はい。中川です」と答えてくれています。ただ、この世には雑音があまりにも大きく、彼の声がその中に埋もれてしまいます。

商売上手な人の共通項

日本では「商売上手」は必ずしも良いイメージの言葉ではありません。この言葉の裏に「したたか」、「薄情」など暗示が見え隠れします。

しかし、長い間経営者と付き合ってきた私ですが、商売上手な人達は殆ど「良い人」であるという確信を持っています。彼らには2つの共通点があります。

まず彼らの多くは面倒見のよい人です。それも無理して作った見せ掛けの美徳ではなく習慣や癖のようなものです。女性にモテる男性が癖でついつい女性に気を遣ってしまうことと似た感じです。

次に彼らの殆どは無意識のうちにいろいろなことに投資します。ここでいう投資は決して単純に株や不動産を売買することではありません。一見メリットがないことにお金をかけて損しているように見えますが、そのことが将来に大きな価値をもたらしてくれます。

後輩や部下におごること(領収書なし)も、勉強会や食事会に参加することも、無条件に顧客の利益を考えることも、どれも立派な投資なのです。やっている本人は見返りを期待してやっていないとしても投資である事実には変わりありません。だから商売上手な人は商売上手な自覚はないかもしれません。

逆に商売下手な人に商売下手な自覚がないのも同様です。商売下手な人の殆どは相手のメリットに無頓着です。たまに自分のメリットにも無頓着な人も居ますが、殆どの人が本能で自己のメリットにより敏感なはずです。

例を挙げると分かりやすくなります。営業下手な人の共通項は顧客のメリットに無頓着です。私が「やっぱり変だよ日本の営業」の中で最初に指摘したのは根性で売る、いわゆる押し売りの営業行為です。決してモラルの高い次元ではなく、「商売下手」という現実論からの批判でした。

顧客は我々と同じく、自分が一番大切な生身の人間です。こちらのメリットを根性で押し込んで顧客が一時的に負けても、ずっと付き合ってくれるはずがありません。結果的に、労力がかかる上リピート客を作れないのでコストの高い営業になってしまうのです。

ではなぜ商売下手な営業マンに限ってそんなことをするかというと、彼らは投資の感覚がないからです。要は「せっかく交通費と時間をかけて来たのですから、買ってもらわないと損だから」、「会った客に買ってもらえば他に探す苦労が減るから」です。目の前の短期メリット(売上げ)に拘るのです。

しかし、ケチな人ほど自分のケチに気付かないものです。この損したくない発想、損をしない習慣は結果的に他人の心情に対する想像力を削ぎ落とし、顧客志向を損ない、利益を投げ出しているのです。

成功しないベンチャー経営者のビジネス・モデルをみると驚くほどの共通点があります。自分が少しでも損しない、少しでもリスクをとらない、できるだけ相手の褌で相撲を取りたい「意志」が丸見えです。

他人の成功を妬む人々はよく「金持ちほどケチ」といいますが、それは一面しか当たっていないのです。金持ちがお金を無駄にしないのは挑戦と投資に回すためです。貧乏人がお金を無駄にしないのは消費と貯金のためです。ここに格差の遠因も垣間見ることができるのです。

ベンチャーブームはいつ戻るだろうか

もう年のせいでしょうか。私はどうしでも懐かしむ数年間があります。それは2000〜2005年の5年間でした。

インターネットの普及、ベンチャー市場の育成、規制緩和、郵政民営化・・・。経済の活性化に繋がるすべてがこの5年間に起きました。高度成長後、はじめて日本の若者が起業に憧れるようになり、一流大学の卒業生が大手を蹴ってベンチャーに就職したり、仲間とベンチャーを興したりするようになりました。

日本の社会には危機感がありました。新しい産業と企業を育成しないと日本経済は再生しないという危機感から、東証マザーズなどが新設され、社会全体がベンチャー精神を支えようとしたのです。

日本経済の数字がみるみるうちによくなり、海外に居ても「日本経済が復活した」とのコメントがよく聞こえるようになりました。

しかし、嫉妬心に満ちたおじさんたちがベンチャーに逆襲をかけたのはその直後でした。もちろん行儀の悪い一部のベンチャー経営者と投機家が居たのも事実でしたが、それは泥棒がどこの国にも居ると同様にベンチャー企業に特有な現象ではないはずです。

魔女狩りのような空気が日本中に蔓延し、ベンチャーブームが一気に冷え込みました。政治家でも芸能人でもないのにテレビや週刊誌などがベンチャー経営者の金銭や愛人トラブルに熱をあげ、経営以外では凡人の彼らから欠点を探そうと懸命でした。

日本経済を10年も失わせた張本人のおじさんたちは急に元気が出てきました。「我らこそ主流なんだ」のような顔をして経済の復活が自分達の成果のような顔をし始めました。

文化大革命も経験した私ですが、2006年のムードに不吉な臭いを感じました。本当は経営者としてもう2,3年頑張るつもりでしたが、とてもあの険悪なムードに勝てないと思ってあきらめました。それまでの思い出を胸に日本のベンチャービジネスから手を引きました。

2006年に起きたことは、変革しようとした日本経済を再び後退モードに引き落としました。未だにあの改革が格差を拡大させたと非難する人は多いのですが、あの改革が続かないから格差が一向に縮まらない上、経済が袋小路にはまってしまったのです。日本は貴重なチャンスを自ら断ち切ったのです。

私は今でもベンチャー精神が日本経済を救う唯一の出口だと思うのです。大手企業の役割は重要ですが、たぶん、未来の日本経済においてはもうこれ以上のウェイトを示すのは無理だと思います。一部の死に掛かっていた日本の大手企業の再生は、大手企業のサラリーマン経営者には到底無理です。

そもそも大手企業の多くは一般社員よりも管理職(あるいは管理職に相当する年功社員)が多いため、思い切った改革を望むのは少数派です。JALはいい事例ですが、潰れなければその辺の中小企業よりずっと条件がいいのですから、思い切った改革は幹部と年功社員を損させるだけです。

元気なベンチャー企業による「老害企業」の買収と合併が起きない限り、日本経済にダイナミズムが生まれないでしょう。しかし、日本にはそのようなベンチャーブームがいつ戻るだろうか。必ず戻ってくると思いますが、それが5年後や10年後ではないことを祈らないで居られません。

P.S.
「美女軍団」の店に行きました

大学のクラスメイトに食事に誘われました。中華か、和食か、韓国料理かと聞かれましたが、彼が延吉出身の朝鮮族だと思い出して「韓国料理がいい」と言いました。きっと本場の良い店を紹介してもらえると思いました。

当日、もらった住所を頼りに私は早めに店に着きました。迎えてくれたウェートレスは朝鮮の民族衣装で美人でした。容姿がいまいちの人が多い中華の店と違うなと思いました。部屋に案内してくれる人も美人でした。少し驚きましたが、「まあ、朝鮮族の女性は美しい人が多いのだな」と思いました。

お手洗いに寄ろうと廊下を歩くとサービス中のウェートレス達と会うのですが、一人も漏れず皆美人でした。嬉しいのですが、いくらなんでもこれは異常だと思い始めたところに同級生がやってきました。

「お前、ここのウェートレス達はどうしてこんなに美人揃えか」と聞くと、彼は淡々と答えました。「あ、言い忘れた。ここは北朝鮮の国営店だよ。この子達は北朝鮮の政府派遣で歌も踊りもプロ級だよ」。

料理は日本で食べた韓国料理より辛さが控えめでとても美味しかったのです。同級生の話によると食材も汚染の少ない北朝鮮から持ち込まれたものだそうです。

途中、同級生が美女達と楽しそうに何かを話していたら、その中の一人がマイクをもって北朝鮮のカラオケで歌い出しました。テレビ画面にピョンヤンの町並みが映し出され、彼女は踊りながらプロの歌手のように歌ってくれました。

横から見ていると彼女は日本のアイドルの誰かと似ていると思いました。何を歌っているかは分かりませんが、国に厳選され、ウェートレスをしながら客の宴席を盛り上げる彼女達の働きぶりに感心しました。

日本ならこんな明るくて可愛くて才能のある子はもう既にどこかの芸能プロダクションにスカウトされ、皆にチヤホヤされているところだと思うと、当人の努力に寄らない運命の定めを思わざるを得ませんでした。

十年で流れが変わる

「宋さん、勤続十周年の社員を祝いたいので言葉がほしい」。ソフトブレーンの企画責任者からこんなメールをいただいた時、びっくりしました。以前は社員の転職に悩まされていた私ですが、十年も居てくれた社員が現れたとは感無量です。

今日は自分の会社の話をするのではありません。来る2010年を前に十年で世の中がどのくらい変わるかについて皆さんと考えてみたいと思います。

1989年、私はまだ北大の大学院の博士課程におりました。日本経済は絶好の中にあり日経平均は3万5千円でした。カラーテレビも贅沢品であった中国は天安門事件を起こし世界から孤立しました。遅れていた経済がますます遅れると私も思いました。この時、私は月8万円で生活する留学生でした。

1999年、世界はITバブルを謳歌し、日本経済もやっと失われた十年から回復する光が見えました。日経平均も1万7千円に回復しました。中国は文化大革命へ逆戻りする心配は無くなりましたが、マイカーはごく少数の富裕層の贅沢品でした。2000年、私が創業したソフトブレーンが東証マザーズに上場しました。

2009年、戦後最大の経済危機に世界が陥り、そして何とか「大恐慌」まで行かず生還しました。日本は政権交代も実現し、念願の二大政党制を果たしました。しかし、経済は構造的な不況から脱出する道筋が見えないままです。世界の金融から隔絶してきた中国は幸運でした。中国の都会では自家用車が道に溢れかえり、8%の成長を維持しました。私は創業した会社の経営から手を引き、24年ぶりに生活の拠点を中国に移しました。

2つの十年を日本と中国の間、そして生活者と経営者の間を生きてきた自分として「十年で流れが変わる」と実感したのです。

未来の十年間がどうなるかは予測できませんが、間違いなく言えるのはこれまでの十年と違う流れができるということです。自信を失う日本ですが、十年後はすっかり自信を回復し、生き生きしているのではと考えております。それは読者の皆さんへのお世辞ではなく、本当にそう思うのです。なぜならば、「十年で流れが変わる」からです。

中国の古い言葉に「十年河東、十年河西」というものがあります。河の東岸に住む住民と西岸に住む住民が十年毎にその繁栄が入れ替わるというニュアンスの言葉です。現在ではこの言葉は決して「繁栄が十年しか続かない」という意味ではなく、十年も経てば別の価値観と流れが出来てしまうということを意味します。

皆さんがご自分の会社やご家庭を冷静に観察していただければ気付くと思いますが、見た目が変わらなくても十年もあればすべてのものがすっかり変わっているはずです。十年経っても変わらない発想と構造があるならば、それは間違いなく陳腐している発想と構造と考えたほうが無難でしょう。

年末年始にあたり、この少々乱暴な基準をもって経営者の口癖、評論家の持論、政治家の政策を点検すると如何に古い人が多いかに気付きます。もちろん、我々自身も自己点検を忘れてはなりません。

「副社長」と「第二位経済大国」

5年ぶりワシントンから東京に戻った友人とお茶を飲んでいると、「日本人は第二位経済大国をアイデンティティにしてきただけにそれが無くなりそうな現在では方向感がない・・・」と聞かされました。

「GDP規模をアイデンティティにするのか」という私の反論に友人が「教科書も総理大臣の施政演説も日米首脳会談もよく使う言葉だよ。全員とはいわないが、かなりの人がそう思っている」と堅持しました。

元研究者の癖でしょうが、さっそく自分なりの調査をしましたが、どうも友人の説が正しいようです。しかし、ショックを受けました。長い間多くの会社を見てきましたが、経営者の立場や業界順位にこだわる経営は大体理念のない経営であり、行き詰まりやすいのです。

「第二位経済大国」にこだわることは「副社長」、「業界No.2」にこだわることと殆ど変わらないことです。個々の社員(国民)の幸せと何の関係もないことです。もし、「第二位経済大国」にアイデンティティを求めてきた人がいるならば、彼らはたぶん個性と自立心のない人々です。

個性のない人々は「ボリューム」や「大きさ」にこだわるのです。独裁者でもないのに国家の大きさにこだわり、それを誇りやアイデンティティにするなんて市民としてはかなり幼稚ではないかと、宋は思うのです。

これは日本人に限った話ではありません。中国人にもそのような人がいます。社会から脱落し個人のポジションを見付けられない人々に限って天安門広場のパレートに感動を覚えるのです。

しかし、中国が成長してきたのは間違いなく多くの個人が豊かさに憧れ、政治や国家と関係なく直向きに個人の努力を重ねてきたからだと思います。国家は個人の向上心を邪魔しないように、あるいは奨励するような政策さえ取ればそれでよいのです。

日本においても、もともと「GDP第2位」が日本国民の目的ではないはずです。戦争と貧乏を嫌う先人達が無我夢中で自分の豊かさを求めた結果として日本のGDPが2位になったのです。本来、関係のないその後の人達がこのGDP第2位を自慢する資格もなければ必要もないのです。まさにこれをアイデンティティにすること自体が先人達にとって迷惑千万の話です。

幸いにも、今の中国では車、家電、鉄鋼、などが世界一になっても、メディアや世論は滅多にそれに触れないのです。というよりも誰もそんなことに関心がないのです。自転車の数、ゴミ袋の数、泥棒の数・・・世界一の人口を抱えていると何でも一位になりやすいのです。それは個々の個人の恥や誇りと何の関係もない話です。

この発想でいうと、冷戦時代のいわゆるG7の中で、2番目の人口規模を持つのは日本です。そんな日本がそのシステムの中でGDP第2位になるのは当然のことであり、アイデンティティとして語り誇ること自体、勘違いでした。

案の定、冷戦が終わり、世界が自由経済とグローバルに向かうと自然に他の国も人口に比例してGDPが増大するのです。中国やインドやブラジルのGDPが成長し、いずれ日本のそれに迫り超えることは歴史の大河が自然に流れ至る結果です。

「副社長」や「業界No.2」の立場にこだわると個人の幸せが失われるだけではなく、企業も経営理念が持てなくなる。こんなことはどなたにも理解できるはずですが・・・。